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その8

「重ね重ね、あなたには礼を言わなければならない。無理な願いを聞き届けてくれて感謝している」


「いや、俺としても久しぶりに爽快な仕合ができた。ウィンウィンだ」


「ウィン……? なんだそれは」


「いや、こっちの話だ。とにかく俺としても、悪い気分ではなかったということさ」


「それは私にもわかるな」


「そうか?」


「私が初めて貴殿にお目にかかった時より、今のあなたは、はるかにいい貌をしている」


 俺は反射的に、つるりと自らの顔を撫でた。変わったと言われても、どこが変わったのか自分ではまったくわからない。彼女はそんな俺を見て、何がおかしいのかくすくすと笑っている。

 まあ、そんなことより、決闘には明快な決着がついた。継承権の問題もケリがついたのだ。

 あの後、クロノルは必死になって勝負の無効を言い立てた。当事者たるアンジェリアが不在だったから、決闘は不成立だと言い張ったのだ。


 だが、アンジェリアは決着の寸前で間に合ったし、その事実は大勢の観衆が証明してくれるだろう。何より、前当主ジョージの執事も仕合を見ていたのだ。裁判所で決着をつけるとクロノルは息巻いているが、実るまい。高圧的なクロノルの態度に、裁判所も辟易しているとか。そういう事情で、どうも棄却される可能性が高そうだ。場外戦も、ほどなく決着がつくことになるだろうと、アンジェリアは笑顔で語った。


「本当に、あなたのお陰だ。私の体格では、ペルセベのような超巨漢を相手どって、勝つことはできなかっただろう」


「そんなに感謝されるほどのことはないさ。決闘代理が俺の仕事だったから、そうしただけだ」


「それでも私はかなり失礼な事をした。あなたの実力を疑うような真似を……」


「済んだことさ」


 俺は言葉少なに、彼女の言葉を遮った。

 ここ最近の俺は、不調のどん底にいた。来る日も来る日も無頼漢どもに追われ、くさくさしていた。酒に逃避するなんざ、随分と久しぶりのことだ。

 やはり闘いはいいものだ。昨日の今日で、随分と身体のあちこちが痛むが、それもまたいい。

 ペルセベは見かけによらず若いようだったし、これからまだ伸びるだろう。再戦を誓ったし、次戦はもっと苦戦するだろう。下手をすれば遅れをとるかもしれない。俺もまだまだ、修練を積まねばな。


「それじゃ、俺はこれで」


 アンジェリアに背を向けて、俺は場を立ち去ろうとした。

 

「あ、待ってくれ、ボガード殿」


「どうした。この後、ダミア家に向かう予定じゃなかったのか? まさかついてこいということじゃないだろうな」


「いや、そうではない。まだコンバッシには滞在する予定なのだろう?」


「そうだな。今帰っても、まだアコラの騒動は収束してはいまい。闘技場――いや、競技場もあることだ。もうしばらく、この町に厄介になるつもりだ」


 その答えを聞くと、アンジェリアはほっと吐息を漏らし、


「それは朗報だ」


 と、笑みとともに答えた。

 俺にはその言葉の意味がわからなかったが、まさか、またすぐに決闘代理の依頼がくることもあるまい。とりあえず今日は用事もあることだ。ひょいと軽く右手を挙げて、彼女に別れの挨拶をした。


 姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれたアンジェリアと別れ、俺は馬車の待っている角までやってきた。馬車は俺が借りたわけではなく、アンジェリアが手配してくれたものだ。内部には4人の人物が座っている。ひとりは俺の侍従ソルダ、もうひとりはメルン。そして俺と対戦した相手、ペルセベと、もうひとりはあの、故ジョージ・トアイントの筆頭執事であった男である。


 誰がどう見ても、意外な取り合わせというしかない面子だろう。俺が馬車に乗り込むと、御者はすかさず馬に鞭くれて、ゆっくりと馬車は動き出した。

 サスペンションが効いているのか、馬車の動きは滑らかだ。

 室内も広い。彼女がかなり気を利かせてくれたのが分かる。俺はまず、執事に声をかけた。


「地図だけでよかったのですが、わざわざ道案内までさせてしまって……」


「いえいえ、私も彼には用があったのですよ」


 そういって執事は、品の良い笑みを浮かべた。

 馬車は特に何のトラブルもなく町の路面を進み、ほどなく目的地へと到達した。生きている人影のない、荒涼たる光景が広がっている。

 そこはコンバッシの南東の隅にある共同墓地であった。いくつもの墓石を取り囲むように、鉄製の低い柵が、正方形に周囲を覆っている。

 

 俺たちは静かに足を踏み出し、目指す墓石を探した。

 探しだすのに苦労したが、それを発見したのは執事だった。


「こちらです」


 彼が掌で示した場所は、緑のコケに覆われた、小さな墓石だった。手入れがまるでされていないようで、周囲も荒れている。よくこれでわかったものだと俺が感心するよりも早く、すぐさまソルダがその墓石の手入れを始めた。

 長い歳月の風雨に晒され、刻まれた文字もよく読めなかったが、かろうじてペルシヴの名だけは確認できた。ペルセベもソルダに倣うように墓石の周囲を掃き清め、俺もその手伝いをした。

 

 もとより小さな墓だ。さほどの時間も要せず、荒れた墓の周囲は奇麗になった。ソルダは神妙な顔で墓の前に膝をつき、指を組んで、祈りを捧げている。ペルセベも同様だった。

 俺もそれに倣おうとすると、ふと傍らの執事がつぶやいた。


「若い頃、彼には、よくお世話になったものです」


「――意外だったな。この老騎士が、トアイント家と縁のある者だったとは」


「ジョージの先代であるスカージの時代から仕えてくれた騎士が、このペルシヴだったのです。今でも思い出します。当時、彼はまだ若くて、失敗続きだった私の尻拭いを、よくして下さったものです」


「しかしペルシヴは、惨めな晩年だったと聞く。墓もこのありさまだ。トアイント家ほどの貴族が、どうして――」


「彼はいくばくかの退職金を手にした後は、何も告げず、何も求めず、ひっそりと家を去りました。まるで世捨て人のように、当家との繋がりを断ったのです。ここに埋葬されているという事実も、恥ずかしながら決闘が終わった後の調査で明らかになったのです」


「彼は、何を考えていたのだろうな」


「……ジジイは、高潔な騎士だった。そして清貧をもって良しとしていた。オレはすぐ、別の騎士の侍従になったから、ジジイとは殆ど一緒には暮らしていなかったが、立派な人だったことは間違いないよ」


 孫であるペルセベが、しみじみとつぶやいた。

 この老騎士の信じる道は、そうだったのだろう。その道の末、ひっそりとこんな場所に朽ちている。ソルダも一緒に暮らしていたものの、名も知らぬ親族とやらに追い立てられ、葬儀にも参列を赦されなかったという。墓の場所すらも教えてもらえなかったというのだから、ひどいものだ。


「ようやく、お会いできました……」


 ソルダの閉じた目蓋から、涙が流れ落ちている。やっと再会を果たしたのだ。語ることはたくさんあるだろう。

 無論、俺にも、この老騎士と語ることがある。

 俺はソルダとペルセベの傍らに並ぶように膝をつき、墓石に向かってこう言った。


「爺さん、あんたの大事な息子は、俺が預かっている。あんたのような、立派な男に育てるつもりだ――」


 ソルダが、はっと俺の方を向いた。


「――だから、安心して眠ってくれ」


「気のせいですかな。私には、ペルシヴ殿が笑ったように見えました」


 後ろで執事が、そう声をかけてきた。

 

「僕もそう思います。きっと、ペルシヴ様なら、喜んで下さっていると思います」


 ソルダも涙で顔をくしゃくしゃにしながら、そう言ってきた。そんな彼を見て、俺は思わず苦笑を漏らし、


「そうかな、そうだといいな」


 本心から、そうつぶやいた。


遅くなりましたが『新たな町で』その8をお届けします。

次話は金曜日を予定しております。

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