その7
オレは不審さを双眸にこめて、少年を見た。
どこかで見たような顔だが、思いだせない。
オレの名前を識っているこのガキは何者なんだ。とっくにこの町じゃ、オレのことを識ってるやつなんていなくなっている筈なのに――。
「ソルダ、お前はそういえば、ずっとこの町に来て浮かない顔をしていた。何か理由があるんだろう」
「はい、師匠が気を悪くするかもと思い……」
闘いそっちのけで、目の前の男は少年と会話なんて始めやがった。チャンスの瞬間だが、オレはそれでも迂闊に踏み込めないでいた。奴にはまるで隙が無い。オレの息は上がっているし、顎先に入れられた技のダメージもかなりのもんだ。立てたのは奇跡みたいなもんだと思う。
「――はい、僕が以前、とある老騎士様に仕えていた話はお伝えしたと思いますが、その騎士様の生家があったのは、このコンバッシなのです」
「そうだったのか。それでこの男は、その老騎士とどういう関係がある? 妻子はすでに亡くなっていると聞いていたが」
「その方――いえ、ペルセベ様は、僕の主だった騎士様――ペルシヴ・ハイラン様の孫にあたる方です」
「てめえ、なぜジジイの名前を識っている?」
意外な名前を聞いて、オレは言葉を発してしまった。ただでさえ息が上がっているのに、致命的なミスだ。だが、目の前の男は身じろぎもしない。静かな眼でオレを見ている。
「すると、お前はソルダの仕えていた騎士の、孫というわけか」
「いかにもペルシヴはオレのジジイだ。だが、そこのガキ、オレの顔を識っているのは何故だ」
「あなたが一度、ペルシヴ様の許に現れて、お金を無心したことがあったでしょう。僕も侍従として、その場にいたのです。あなたが去られた後、ペルシヴ様が深い溜息と共に語っていたことを、今でもハッキリと憶えています」
「なに――貴様があの場にいただと?」
ほんの一刻ほどのやりとりだった。オレは周囲のことに気を配る余裕はなかった。それだけ必死だったのだ。
オレには物心ついたときから、親父もお袋もいなかった。
ただ漠然と、オレはジジイのような騎士になるのだという思いがあった。だが、ジジイはもうオレを教えるだけの力はないということだった。俺はジジイのツテで、そこそこ名のある騎士の侍従になることができた。
住み込みで働いていたが、ツラかった。
もうひとりの侍従は意地悪だし、その騎士はそいつばかり可愛がった。風貌が不気味だといって、オレはやたら虐められたものさ。
ツラい日々に変化があったのは、ほんの偶然だった。
オレが仕えている騎士が、友人の騎士にチケットをもらい、徒手空拳の試合を見に行ったのだ。侍従のオレたちも、そのお供についていった。
衝撃だった。
剣ではなく、拳で相手を打ちのめす。
オレには難しい言葉はわからないが、そこには感動みたいなもんがあった。剣で相手を切り刻むのではない。そこに死はなく、尊敬があった。鍛えられた肉体を駆使して、相手を打ち倒すという、男たちの熱いもんが感じられた。
オレは一瞬で、拳闘のとりこになっちまったんだ。
そこからのオレは狂っちまった。熱で浮かされたようになり、とうとう、仕えていた職場を放棄しちまった。オレは闘士になることを決めた。
だが、騎士の許で得られた給金なんざ、いくら貯めこんでも雀の涙だ。金が必要だった。そこでオレはジジイの許におもむき、カネを無心した。
まあ、ひどいもんだった。
ジジイはろくに人の話も聞きやがらねえ。『お前はワシの跡を継ぎ、立派な騎士になるんじゃ』その一点張りだった。頭ごなしにそのことばかり言いやがる。
まともな会話にはならなかった。
徹頭徹尾、怒鳴り合いをしていた。
そういえば、そのとき部屋の隅で震えているチビがいたな。それがこいつか? ジジイはそれでも、手切れ金だと言ってしょぼくれた金を渡してくれた。そのことだけは感謝するが、それだけだ。
オレはその金を路銀にして、帝国に渡った。
帝国では、フランデルより徒手空拳が盛んだった。様々な流派の格闘技が鎬を削っていた。オレはその道場のなかから、寝技専門のブリッジス道場へ入門した。
大した理由はねえ。一番月謝が安かった。それだけだ。
そこでオレはメキメキと頭角を現した。
格闘技はよかった。オレがブサイクだろうが、貧乏だろうが何の関係もない。ただ強ければそれだけでよかった。オレは強さで周囲に認められる快感を識った。
だが、そこでもやっぱ、関係があるんだ。
ブリッジス道場の師範代。オレにはその資格があると思っていた。だがオレはずっとなれなかった。オレの見た目が醜悪だからだ。容貌のせいで、オレは皆を指導する立場になれない。
再び失意のどん底にいたオレに、朗報が入った。
フランデルで、徒手空拳の大会が開かれるというのだ。
強ければ、それだけでいいという大会だ。
オレは喜び勇んで、大会に出場すべくフランデルへと向かった。だが、入国審査でハネられた。理由は最近のゼーヴァ帝国とフランデル王国の軋轢によるものだった。
なんでも、帝国がロータス商会という組織を使って、フランデルに裏工作を仕掛けていたという話だった。それで両国間の関係は一層、悪化していたのだ。
不公平だと思った。なぜこの瞬間にこんなことが起きるのだ。オレより先に王国へ渡った奴は、しれっと大会に参加できているのに、オレが王国へ行こうとするときだけ、こんなことが起こる。
いつだって、オレはツイてないんだ。
オレが王国へ入ることが許されたのは、参加登録が締め切られた後だった。ひでえもんだ。
帰ってきたはいいが、カネはない。
オレは習い覚えた技を、カネもうけに使うことにした。
無手で相手を屈服させる仕事――いってみりゃ、悪党の使いっ走りのようなものだ。用心棒や暗殺者の真似事みたいなこともやった。いつしかオレには、『無手の殺し屋』という派手な二つ名がついた。
風のうわさで、ジジイはおっ死んだと聞いたが、関係ねえ。
オレはオレで生きていくんだ。
そんなケチな暮らしをしていたオレにも、チャンスは来た。
決闘代理という仕事だ。
払いは良かったし、何より対戦相手がよかった。なんと、あの王国主催の徒手空拳大会、優勝者だという。対戦相手の事前の調査は禁じられているというが、そんなことを律義に守る馬鹿はいねえ。
奴が打撃専門で、寝業師に殊の外苦戦したというのも、耳よりな情報だった。
その男に勝てば、オレが王国1の称号を手にすることができる。その想いで今日、この場に立った。――だが、その願いは、目の前の男によって粉砕されようとしている。
強い。
どれほどの場数を積んできたら、ここまでの強さになるのか。
寝技で仕留められない奴は、初めてだった。
それどころか、見たこともない打撃技を駆使してきやがる。
だが、負けるわけにはいかねえんだ。
オレには、これしかねえ。
親もいねえ。友達もいねえ。唯一血のつながったジジイもくたばった。ジジイのなけなしの遺産も、すべてろくでもない親族からかっぱらわれたと聞くぜ。
オレにはカネもない。何もないんだ。
習い覚えた、この徒手空拳の技術しかないんだ。
それにしても、ボガードか。この男はなんて涼やかな眼をしているんだ。まるでオレの心を見透かしているかのようだ。これが大会優勝者の貫禄か。
この男の眼には、オレがどのように映っているのか。
わからない。だが、オレはこのままで終わるわけにはいかない。この男に認められたい。この未知なる技の遣い手に、オレのすべてを出し尽くしたい。
オレはなおも突進し、技を仕掛けた。
それも、この男はいなしていく。なんて懐の広い男だ。
オレの技のすべてを受け入れ、そして打ち砕いていく。
強いなあ、こいつは強い。
そこには美醜は存在しなかった。
貧乏も、金持ちも関係なかった。
ただ強さを追い求めた、ふたりの男が立っているだけだ。いつまでも、この瞬間が続けばいい。オレは不思議とそういう気持ちになっていた。
だが、オレのスタミナは無限じゃない。
もっとこの時間が続けばいいのに。
もっともっと、オレは闘いたい。だが、そろそろ楽しい時間は終わりのようだ。男はうなずくように、オレを見た。オレは歓喜の声を上げるように、雄叫びを上げて突進した。
衝撃が、オレの顎先から脳天を突き抜けた。
膝か? わからない。
俺の意識は暗い闇に呑みこまれ――
「――気が付いたか?」
眩しい。暗闇の中から差し込む光が強烈で、俺は思わず目を細めた。オレはどうやら、仰向けに倒れているようだ。
仰向けの状態で、世界を見ている。
あの強い男が立っている。笑顔で。
「いい勝負だったな」
男はそういって、オレに手を差し伸べてきた。
「ああ、楽しかった」
オレは素直に、そう応えていた。
「なあ、チャンプ、ひとつ聞きたいんだが?」
男は、不思議そうに俺を見つめた。
「なんだ?」
「オレは、強かったかい?」
「ああ。強かった。お前ほど強い奴は、そういないだろう」
「……そうか」
そう言ってくれるのか。
オレの頬を、何か生ぬるい液体が滴っている。どうやらオレは泣いているらしい。いいトシをして恥ずかしい。だが、オレの涙を見て、男は俺をさげすんだり、罵ったりはしなかった。
「ペルセベ、お前は強かった」
もう一度、男は言った。それだけでオレは嬉しかった。
ツラいだけのオレの人生が報われた気がした。
万雷の拍手が降り注いでいる。
生きていてよかった。オレは心からそう思った。
『新たな町で』その7をお届けします。
次話は水曜日を予定しています。




