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その6

 舌打ちのひとつもしてやりたいところだった。油断は微塵もしていないつもりだったが、あまりにも男の技の入り方が特殊過ぎた。

 お陰様でこのざまだ。寝技の海にまんまと引きずり込まれてしまった。ただでさえ疲労が抜けきっていない俺には、なかなかタフな展開といえた。

 男はサメのような歯を剥き出しにしてニタニタ笑いを浮かべている。余裕の表情だ。俺としてはやつの出方を見て、対処していくしかない。


 俺の未熟なディフェンスをかいくぐり、やつは自らの両足で、俺の脚を挟むこむ状態へ持って行った。この状態はアキレス腱固めじゃないか。――アキレス腱固めなら、対アキレス戦で習得した急所突きがある。

 俺の脚はするすると、くの字状態に固定された。すかさず男は俺の足首を固めようとしている。まずい、こいつはアキレス腱固めではない。

 ヒールホールドではないか。


 悪寒が背筋を駆け巡った。この技は一瞬で極まる危険な技だ。名前こそヒールホールドだが、実際は内足靱帯を極められてしまう技である。ギブアップが間に合わないぐらい迅速に膝を破壊されてしまうので、元の世界じゃ使用を禁止している大会もあるぐらいだ。

 俺は必死に、技が極まる前に身を旋回させた。危機一髪のタイミングだった。男の技の完成が遅れたので、どうにか脱出ができたのだ。


「ちっ、しくじった」


 男の悪態も耳に入らない。

 一瞬の攻防で、全身がしとどに濡れていた。恐怖による発汗だ。


 もし、この男の技の完成度がもっと高ければ、勝負はそこで終わっていた。下手すれば、空手家人生すらも終わっていたかもしれない。ひとたび膝を壊されては、以前の状態に戻ることはできないだろう。

 

(この男は、アキレス並の遣い手ではないか?)


 そうそう、あれほどの寝業師がいるとは思えなかったが、この男の技の入り方、そしていきなりのヒールホールド。――すくなくとも、普通の敵ではない。

 寝技では勝機がない。さっさと立ち上がらなくては。

 俺はうつ伏せの状態から脱しようとしたが、それを相手に阻まれた。巨体というのは、それだけで武器になる。


 上から圧殺を狙っているのか、背中にのしかかられる状態になっていた。正直、よくない展開だった。この状態からならば、相手はどの展開も狙える。

 足、腕、首と、よりどりみどりだ。

 それにしても、こうもやすやすと上を取られるとは。3日も鍛錬を疎かにしたツケが回ってきたようだ。

 

「おい、どこをねじって欲しい?」


 などと、なかなか性根の腐ったようなことを言ってくる。軽口で応戦してやるつもりはなかった。声を発した隙に、関節を極められてしまう可能性がある。

 腕を取られぬように、足首を固められぬように、俺は貝のように身を縮こまらせている。しゅるしゅると、俺の腕を絡み取ろうとする気配があった。

 腕か――

 そう思わせておいての、首だった。

 

 フェイントからのチョークスリーパー。

 もっとも、そいつは俺だって読んでいた。顎を落として首を極めさせないようにしていたのだ。それでも男は、剛力で顎を上げさせようと、無理やりガードの上から締め上げてくる。

 そう簡単に顎を上げてたまるか。


 俺が踏ん張ろうとすると、男は巧みに横から打撃を加えてくる。ハードなダメージは受けないが、イラつく当て方だ。打撃の専門家なら、こんな下手な打撃をコツコツ当てられ続けることに腹を立ててしまう。そんな打撃で人を倒せるものかと、苛立ってしまう。

 苛立ってしまうと、力づくでこの状態を脱してやろうとしてしまうものだ。下手な動きをした瞬間に、顎に廻った手がするりと喉首にねじこまれる。――なかなか考えたな。幸いなことに、俺はフラットな精神状態を維持している。


 俺は、こう見えても大会優勝者だからな。これぐらいの修羅場は何度も味わってきている。無双して勝ってきたわけじゃない。泥臭く、ひとつひとつの階段を駆け上がってきたんだ。

 俺の身には、幾人もの男たちの技が刻まれている。

 そのすべてを味わっては、噛み砕いてきた。

 だから劣勢だって焦りはしない。必ず俺の技を叩き込むチャンスがあるはずだからだ。雌伏の時期は何度も経験した。むしろ、お前こそこの状態をずっとキープできるのか?


 男の荒い息が、俺の背中で響いている。

 明らかにペース配分を間違ったようだ。なにしろ、これほどの巨体だ。ちょっとした運動で、ものすごい量のカロリーを消費してしまう。前転からの足関、上を取ってフルパワーのチョーク。そこに打撃の連続攻撃だ。この世界の審判は、展開がいくらグダグダになろうが、お構いなしに仕合を続行させる。

 当然だ。これはエンターティンメントの試合じゃない。どちらの雇用主が爵位を継ぐかを賭けた、デスマッチなのだ。 

 

 逆に、顎のフックが、汗で滑ってきてるじゃないか。

 俺はそれを利して、ちょっとずつ頭を前に倒している。ある程度効かせられるぐらいの隙間ができたところで、俺は頭を思い切り上へカチ上げた。

 俺の後頭部へ回された手も、汗で濡れた髪のせいでずるりと滑った。ごつっと鈍い音がした。顔面への頭突きが炸裂したのだ。

 距離が短いから、一発で仕留めるほどの威力はなかったが、それでもフックは外れた。至近距離で鼻先を硬い石で小突いたようなものだ。


「うぐむっ!!」


 俺は巨漢の両腕から脱することに成功した。

 鼻から血を滴らせている男の下から這い出て、立ち上がる。俺の息も、かなり上がってきているが、こいつはもうしょうがない。

 強力な一撃を叩き込まなければならない。

 巨漢を屈服させるような、強烈な一撃を。

 

 男はダラダラと鼻から血を垂れ流しながらも、闘志は失っていないようだ。鼻をやられたら、大抵は戦意喪失するものだが、この男はなかなか見掛け通りのタフガイのようだ。

 

「敗けるか――っ!!!」


 雄叫びをあげて、男は突進してきた。

 タックルに合わせて、カウンターの膝。

 そいつで倒せれば理想的な展開だが、俺にはその自信がなかった。一撃で仕留められなければ、また相手の下になってしまう。それは御免だった。

 確実に倒す一撃を見舞いたい。


 俺はタックルを回避するように、下がった。

 幸いなことに、ここは道場じゃない。リングでもない。限られた空間ではなく、広い競技場だ。与えられた環境は十分に利用しなければ――。


「どうした、逃げの一手か!」


 甲高いクロノルの嘲笑が響き渡る。

 だが、相手にしてはいられない。

 俺は奴の追い足がどこまで続くのか、それのみを注視している。これだけの巨体の持ち主が、ずっとタックルの態勢を続けられるわけがないんだ。俺の鈍った肉体が音を上げるか、お前のエネルギーが底を尽くかの勝負だ。

 案の定、大男は水面から顔を上げて息継ぎをするように、がばっと身を起こした。


「ぶはあっ!!」

 

「それだ――」


 汗の海で溺れかかった奴は、俺の技が見えたろうか。

 前転じゃない、本物の胴廻し回転蹴りを。

 やつの顎先に、確実に俺の踵が突き刺さった。

 大男は一瞬、ぶるんと身を震わせた。

 そして、臓腑まで響くような大音を立てて崩れ落ちた。まるで巨大なビルディングが崩壊するように。ここが闘技場であらば、勝負ありの言葉が聞こえそうなものだが。


「こ、この木偶の坊――さっさと立ち上がらぬか!!」


 クロノルの叫び声が、虚しく競技場の大気に流れる。それが合図だったかのように、観客席を埋めていた人々は、どっと歓声を上げて俺を祝福する。


「すごい、あれはどういう技だ!!」


「逃げていたチビが、大男を仕留めちまったぞ!!」


「なんて大逆転劇だ!!」


 観客席の騒乱も、俺の耳には届かなかった。俺は残身の姿勢を取ったまま、倒れた巨漢を見つめ続けていた。男には、まだ意識がある。自らの血の海に沈みながら、まだ男は立ち上がる姿勢を示していた。


「まだだ、まだ終わらん――」


 ぶるぶると身を震わせながら、腕立て伏せのような状態で、大男は無理に立ち上がろうとしている。そんな彼を制するような、少年の悲痛な叫び声がここまで届いた。


「も、もうやめてください――ペルセベ様」


『新たな町で』その6をお届けします。

次話は翌月曜日を予定しております。

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