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その3

 アキレスの澄んだ笑顔に触発され、俺も自然と笑顔になる。


「ああ、本当に久しぶりだ」


 アキレスは無言で右手を差し出してきた。こちらも何も言わず、その手を握った。不思議な気分だった。こうして握手をかわすと、何やら数年前からの知り合いのような気すらしてしまう。

 いざ真剣勝負となれば、一個の殺気の塊となって向かってくる男だが、こういう場で会うと、実に気さくな男なのだ。


 俺と彼が拳を交えた時期は、うだるように暑い、夏まっさかりの頃だった。あれから季節は少しだけ移り、風はやや涼気をまとうようになっている。

 確か現在は、コルダン暦218年の10月と聞いている。

 ざっと闘技大会から2ヶ月ぐらい経過しただろうか。それほど闘って間もないと思っていたが、こうして顔を合わせると、随分と久しぶりに感じられる。


「あれからどうしていた?」


「あんたにやられた怪我のあちこちが、ようやく癒えた処さ。ちょっとした謹慎期間のようなものだ。その間になまった身体を少しづつ慣らして、最近、仕事に復帰したというわけさ」


「――そいつは悪い事をした」


「お互い様さ。俺もあんたを散々痛めつけた」


「ああ、痛かったな。お前の技は」


「いい気味だ」


 アキレスはふたたび風のように爽やかに笑った。

 俺もつられて笑いそうになり、ふと笑顔が凍り付いた。考えてみればアキレスと、この最果ての町コンバッシで遭遇したのは、単なる偶然だろうか。そうではない気がした。

 俺は王国主催の徒手空拳の闘技大会、優勝者だ。そのことをアンジェリアが調査し、俺をスカウトした。――決闘代理の闘士として。

 このアキレスは準優勝者である。競争相手であるクロノル・トワイントが、こんなに腕の立つ男を放っておくわけがない。


 当然、この男とコンタクトをとっている可能性が高い。とすると、俺はこの短期間で、ふたたびこの強敵と拳を交えることになるのか。それも、トワイント家の家督と爵位めぐる騒動に巻き込まれる形で――


「アキレス、質問がある」


 わからぬことなら、尋ねてしまえばいい。


「なんだ、答えられることなら」


「お前の今受けている仕事だが――」


「師匠、ダメです」


 すかさず、ソルダが俺たちの会話に割って入った。俺はハッとした。決闘代理の依頼を受けた者は決闘日当日まで、その事実を厳粛に秘匿するべしという話を、馬車でアンジェリアから聞かされている。

 さすがに契約違反はまずい。

 無論、アキレスにもそれを破らせるわけにはいくまい。


「いや、なんでもない。ちょっと口が滑ったんだ。忘れてくれ」


 俺は慌ててそう言った。気まずい沈黙が流れ、アキレスは静かな眼差しで俺を見返した。その双眸からは、何の情報も読み取ることができなかった。

 

「俺はしばらく、この宿の270号室に厄介になる。無事に依頼が終わるまで滞在するつもりだ。それまではご近所づきあいをよろしくな」


 アキレスは最後にそう言いおいて、背を向けて去っていった。

 強敵と仕合うという願いは達成されそうだ。

 しかしこの気の重さはなんだろう。どうにもやりきれない想いで、俺は階段を昇っていくアキレスの背中を見つめていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

 あれから俺とソルダは210室に戻り、アンジェリアから話の続きを聞かされた。

 決闘は今日から3日以内に行われるが、まだきっちりとした日時は決定していない。

 決闘は剣による闘いではなく、徒手空拳にて行う。

 どちらも決闘には代理を立ててよい。だが、この場合、どちらも各々が雇った闘士の名前は当日まで伏せておくように。そして、対戦相手の闘士の名前を探ってはならない。


 こうしたルールを聞かされたのだ。すでに聞いた話ばかりだが、まあ再確認という意味合いもあるのだろう。

 闘士の名前を伏せておく理由は、その代理闘士を買収したり、暗殺したりといった工作を防ぐためであるようだ。

 とはいっても、間抜けなことに、代理闘士どうしはすでに互いを識ってしまったわけだがな。なんというのか、取り決めそのものが漠然としていて、あちこちに不備があるようにも思う。


 まあ、俺としては今回、何も口出しする権利はない。ただ一個の闘うマシーンとして、ここに来ている。

 しかしなんという気の乗らなさだろう。あんな強敵を相手に戦えるのだ。もっと気持ちが浮きたってもよさそうなものだ。

 だがいくら心を鼓舞しても、無理なものは無理なのだ。

 アキレスと最後に別れたとき、かわした会話を今も明確に憶えている。


「願わくば、再会するときは――」


「再会するときは――?」


「ゆっくり話そうじゃないか。アリーナの上以外の場所で、な」


「ああ、また逢おう」 


 そういって、互いに別れたのだ。

 あの約束は、今でも忘れてはいない。

 あのときの言葉。殺し合うことなく、拳をかわすことなく、互いに笑って話そうという、アキレスの本心が確かに感じられた。だからこそ再会する日が楽しみだった。


(結局、闘士というのは血塗られた生き物か)


 そう考えると、気が滅入った。

 アリーナ以外で会おうと言いながら、結局のところは決闘場で仕合うという事態になりそうだ。これはこれで不本意なことだった。

 判断が間違っていたのかもしれないな、と俺は思った。

 アコラの町の騒動から脱するべく、俺はこの依頼を受けた。その判断のことだ。強い奴と仕合いたいという気持ちに嘘はなかったが、反面、やけくそのような気分で受けた依頼ではなかったか。


「――ここに酒はあるかな?」


 俺はおもむろに問うた。

 ソルダ少年がぱちくりした瞳で俺を見つめた。その両眼に籠められた無言の圧に耐えかねて、俺は階下へと降りた。受付か厨房の誰かに尋ねれば、酒の1本ぐらい入手できるだろう。そう思ったのだ。

 俺としても、真昼間から酒を呑みたくはない。

 だが、時として男には、呑まずにはやってられないときもあるんだ。


 1階へと降りると、ちょうど昼食の準備をしているところだった。使用人たちが忙しく立ち働き、丸テーブルを置き、椅子を並べている。ありがたい。俺は滑るようにして椅子に座り、酒を注文した。

 怪訝な顔をされたが、気にしてもしょうがない。

 俺は酒を呑み、かつ呑みながら、決闘のことを完全に脳裏からシャットアウトした。できれば来てほしくはないし、考えたくもない。そんな心境だった。

 

 そして昼食時が終わるころ、すっかり俺はできあがっていた。

 昼飯を摂るために1階へ降りてきたメルンは、さすがに呆れた顔で、


「ボガード、酒臭ーい」と、ぼやいた。


「まあ」と、アンジェリアもつぶやく。

 

 俺は無言で自室へ戻っていった。いい気分を台無しにされたくはなかったのだ。こうして俺のコンバッシでの滞在の1日目が無意味に過ぎた。その後、トアイント家の執事からの使者が俺の部屋に訪れ、決闘の日取りを告げていった。決闘はきっかり3日後と決まったが、俺はこうした生活を改める気はなかった。

 昼食時に酒を呑み、そのまま呑みつづける。

 ちょっとした飲んだくれの出来上がりだ。


――そうして、決闘当日を迎えた。


『新たな町で』その3をお届けします。

次話は翌月曜日を予定しております。

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