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その3

 その日は、もう少し『月影亭』で酒を呑んで、そこでふたりとは別れた。

 なかなかいい店だったが、あまり酔えなかったのは仕方ない。やはり酒は気の置けない人間と呑むのが一番だ。気心の知れない人間と呑んで、そうそう酔えるもんじゃねえ。

 俺が宿の『太陽と真珠亭』に戻ったのは、とっぷりと陽が落ちてからだ。


「ずいぶん遅かったじゃないの。もうご飯も冷めちゃってるよ。おまけに酒の匂いなんてぷんぷんさせちゃって」


 メイの咎めるような声が、俺を出迎えた。


「お酒なら、ウチで呑んだらよかったのに」


「仕事の話だったんだ。こちらに選択権はなかった」


 俺はメイに、仕事で2週間ほどこの町を離れること。詳しい依頼の内容は職務に抵触するから言えないが、それなりにでかい仕事だということを告げた。

 メイはさっと顔色を変えて、

 

「えっ、2週間も? まさか、もう戻ってこないつもりじゃないわよね?」


「いやいや、俺はまだこの町でやり残したことがある。そんなつもりはねえさ」


「でも、お仕事、傭兵でしょ。相当危険なんじゃないの?」


「まあ、はじめてのでかい依頼だ。それなりに危険性は伴うだろうな」


 そうだ。これまでの薬草採りやドブさらい、力仕事の延長みたいなクエストではない。『流星』と名乗る盗賊集団との戦闘が予想される、護衛の仕事なのだ。

 当然、無傷ではすまないだろう。

 俺だって、まるで恐怖心がないといえば嘘になる。

 だが、それよりも自分を試したい欲求の方が上回ったというところだろうか。しかし、そういったことをメイに説明するのは難しい。任務だから、仕方ないと説明すると――


「……そう、そうよね。お仕事だから、仕方ないわよね……」


 メイはそう自分自身に言い聞かせるようにつぶやくと、ぎこちない笑みを浮かべて、厨房の奥へと姿を消した。でかい仕事をつかんだのだ。もっと応援してくれると思っていた俺は、少々拍子抜けした思いで、その背中を見送った。


「意外かい、メイの、あんな消沈した姿を、見るのは?」


 静かに杯を磨いていた人相の悪い店のマスターが、俺に声をかけてきた。相変わらず邪悪で残忍そうな笑みを浮かべて、こちらを見つめている。この店が繁盛しない理由を、いつか理解できたらいいのだが。


「そうだな、もっと励ましてくれるものと思ってたのは事実だ」


「そいつは、無理な、話だぜ」


「ほう、なぜだい?」


「メイの親父も、傭兵だった、のさ」


「――そりゃあ、初耳だな」


「そうだ。そして、ある日、大仕事がある、って言って、帰ってこなかった。二度とな――」


「…………」


「あの娘は、ずっと、待った。帰らぬ、親父の、帰りを……」


「そうか……」


「そうだ。だから、お前さんと、親父さんの、姿が、重なって、見えたのさ。多分な……」


 あの屈託のある笑顔は、そういう理由だったのか。

 ようやく彼女の複雑な心が理解できたような気がした。親父さんが還らぬ人となって、彼女は邪悪な面構えながら、実際は心優しいここのマスターに引き取られ、現在に至っているというわけだ。

 

 俺の親父は、手に負えない博打狂いで、借金をかかえたまま蒸発した。おふくろはどうにか債務処理を終えると、新しい男をつくって、そいつとともに消えた。

 以来、俺の通帳には、どうにかやりくりして生きていけるだけのゼニは振り込まれるようになったが、決して暮らしは楽じゃなかった。俺はバイトと喧嘩に明け暮れ、やさぐれた学生生活を送った。

 そんな俺を支えてくれたのは、空手だけだった。

 徒手空拳での強さだけが、俺の心の拠り所だった。

 いろんな家庭があり、それぞれの事情があるのさ。

 

 メイの場合、お袋さんは早く亡くなったらしいが、親父さんは子煩悩だったらしい。親子ふたり、それなりに幸福な家庭で育ったようだ。

 ただ、親父さんの選んだ職種が、傭兵だった。それだけだ。

――そして、還らぬ人となった。これもよくある話らしい。

 傭兵という仕事の重さと、現実。

 明日はわが身かも知れねえという重圧。

 そいつが今になって、俺の双肩にどしりと乗ってきたような思いだ。

 

 俺はマスターとの立ち話を終えると、自分の部屋へと引き上げた。

 部屋に戻ってすぐ、いつものトレーニングを開始し、ついでに空手のシャドウをくりかえした。心の中の葛藤を振り払うように、見えない敵に向かって、ひたすら技を繰り出す。

 左のリードジャブから右ストレート。フック、アッパー。

 ローからミドルキック。関節蹴りで膝を崩して後ろ回し蹴り。肉体に記憶しているコンビネーションを、虚空へ向かって次々と放つ。汗が全身からしたたり落ちる。

 ニセのお姫様を警護する任務まで、三日ある。

 それまでに、肉体と、心の準備を整えておくさ。


・・・・・


 三戦サンチン立ちの状態から、俺は大気を切るように息を吐いた。

 臍下丹田に意を集中し、肺のなかの空気を搾りだす。

 鼻からゆるりと酸素をとりこみ、もう一度息を吐き出していく。

 息吹と呼ばれる呼吸法だ。

 もう、そろそろ出発の刻限だろう。

 

 精神集中をすませると、俺は出立の支度をはじめた。

 といっても、すでに荷物はあらかた背嚢に積んである。あとは装備を身につけ、盾と剣を持てば完了だ。盾は木製のラウンドシールドから、新たに鉄製のバックラーに変えてある。

 でかいラウンドシールドより、小さなバックラーのほうが、俺には合っているようだ。防御面積を考えたらラウンドシールドのほうがいいのだが、俺の場合、機能性を重視したほうがいいと考えたのだ。それはロームから指摘されたことでもあった。


 部屋を出て、階下へと降りる。


「よう、よく、眠れた、かい?」


 声をかけてきたのは、人相の悪いマスターだ。酒場である一階はからっぽだった。マスターひとりが、いつものように、杯を磨いているだけだった。メイの姿はない。

 俺は「まあな」と応えながら、彼女の姿を眼で探していた。

 そういえば、大仕事の話をしてから、急に彼女は部屋にこもりがちになった。この三日間、俺の部屋に一度も押しかけて来なかった。やはり、同じ傭兵だ。メイは自分の父親と、俺を重ねて見ているのかもしれない。


「メイなら、早朝から、どこかへ、行ったよ」


「――そうか。なら仕方ないな」


「なにか、伝言が、あるかい?」


「いや、大丈夫だ。そろそろ約束の刻限だからな。俺は行くよ」


「精一杯、気を、つけな。気を、つけすぎる、てえ事はない」


「ああ、ありがとうよ」


 そういって出口へと向かった俺の目前で、店の扉が大きな音とともに、唐突に開かれた。俺は思わず半歩後退して身構えると、そこには額に汗の球を浮かべたメイが立っていた。

 息を切らしている。かなり急いで走ってきたのだろう。

 その両手には木製の、小さな小箱が握られている。

 

「――ちょ、ちょっと、待っていてね。まだ行っちゃ駄目よ」


 彼女は肩で息をしながら、慌てて自分の部屋の方向へと駆けていった。

 しばらくその場で待機していると、バンと扉が開かれる音が聞こえ、彼女が何かを手にして駆けもどってきた。


「遅くなったけど、これ。本当はかなり前から頼んでいたんだけど、今朝になって、ようやく届いたから――」


 そういいつつ、彼女は俺の手に何かを握らせた。

 開いてみると、掌のなかには曇ったガラス球のような美しい石が、緑の鈍い光彩を放っていた。これが先程、メイが持ってきた箱の中身のようだ。

 それを頑丈そうな紐で細工をし、ネックレスにしてある。


「――これは?」


「教会から貰ってきた、アミュレット。細工そのものは昨日には終っていたんだけど、肝心の中身がなかなか到着しなくてね」


「最近、部屋にこもっていると思っていたら、これを作っていたのか――」


「まあね。それ、大事に持っていてね。効果があるみたいだから」


 まだ、息を弾ませながら、彼女は言った。


「なぜ単なる傭兵の俺に、ここまでしてくれるんだ?」


 そう聞くと、彼女は暫時、息が詰まったように呼吸を止め、


「……だ、大事な上客だから。死んでもらったら困るから!」


 俺はじっと、彼女の汗まみれの顔を見つめた。

 こんなろくでもない異世界でも、俺を心配してくれる人が居る。

 それだけで、生きている甲斐があるってものだ。

 俺は、彼女の汗ばんだ手を取って、こうつぶやいた。


「大丈夫だ、俺は死なない……」


「そうよ、死んでもらったら、宿が困るもの」


「そうだな。この宿のためにも、死ねねえな」


 俺は少し笑い、彼女は黙って、俺の手をぎゅっと握り返した。

 そうだ。俺には戻るべき場所がある。

 俺はその場で護符のネックレスを首にかけると、それを革鎧の内側にしまった。

 また、美味い料理を喰いに、還ってくるさ。

 


「大きな仕事」その3をお届けします。

あまり進展はありませんが、次回は動きがある…と思います。

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