その9
図らずも、という言葉があるが、この状況はまさしくそうだった。
見知らぬ小兵の男、無頼の男ども、そして俺。
ギルドの一階は、日ごろから結構な数のパーティーが集合するために、それなりの広さになっている。そこで派手な乱痴気騒ぎが展開されていた。
俺の拳は大気を割って、名も識らぬひとりの男の顔面を叩いていた。かなり効いたようだ。俺はひるんだ男を追撃するべく、そのまま歩を進めて肘を顎先にぶちこんだ。そいつは詫びるように、ぐにゃりとその場に崩折れ、沈黙した。
俺はアップライトの姿勢から、ひとつひとつの動作を確認するように技を繰り出している。良い調子とはいいがたいが、それほど悪くもない。こないだの、領主の城での乱闘でのダメージはほぼ抜けているようだ。それにしても、俺はこの町にのんびりするべく帰ってきたつもりなんだがな。結構な連戦になっているじゃないか。
この皮肉な事態を、シニカルに笑っているほどの余裕は、俺にはなかった。そうさせてもらえなかったといってもいい。次々と男どもの手が俺に迫ってくる。まったく、むさくるしい男にばかりモテるというのも辛いものだ。
ひとつだけ幸いしているのは、俺を引きずり倒そうとするような動きが、ほぼないということだ。
前回の乱戦は、城兵の面目をかけた闘いといってよかった。とにかく手段を択ばず、俺をぶちのめしたという事実さえあればよかったのだろう。だから連中は寄ってたかって俺にしがみつこうと必死だった。
今回はそうではない。この連中は一斉に向かってきているが、仲間ではないのだ。単に俺へ挑戦するタイミングが重なっただけのライバル同士だ。当然、連携プレイなどはなく、我先に俺を倒そうと競争を始めるような人間の集まりだ。
城兵の闘いのときほどの焦りは、なかったといっていい。ただひとり、小兵の男だけはあなどれない相手だったが、それもさほどの心配はしていなかった。
連中の標的に、この小男も入っているからだ。
だからこの強敵も、俺に向かってくるだけの余裕はなかった。むしろ俺との対戦を邪魔する競争相手として、積極的に周囲の男どもの排除をしようと動いているように見えた。
自然と、輪はふたつになっていた。
俺と、小男を囲む輪だ。
その小兵の男と、俺の眼が一瞬だけ合った。それで充分だった。俺はそのまま前へ進み、小兵の男の背後から襲いかかろうとした男のどてっ腹に前蹴りを埋めこんだ。男は吐瀉物とともに後方へと弾け飛び、無様に床を汚した。
俺の背後に廻った男は、小兵の男が「ハッ」という気合とともに投げ飛ばしていた。輪は一つになった。俺と小男は絶妙な連携を見せ、俺が隙を見せた瞬間には小男が投げ、その男の隙を埋めるように、俺が打撃を放った。
みるみる周囲の包囲の輪は、真夏のかき氷のように溶けていった。ろくな格闘経験のない連中には、俺と男の連携に、弱点などを見出すことなど出来はしなかっただろう。
俺はその男の動きを、冷静に観察するだけの余裕があった。
彼は合気とも柔道とも違うような動きをみせた。もともと柔道とは、加納治五郎が自らの体得した天神真楊流と起倒流柔術を編纂し体系化したものだったはずだ。有名な講道館が創設されたのは1882年のことだと記憶している。
それ以前は様々な流派の柔術が鎬を削っていた、と聞いている。かれはその諸流派のひとつの柔術を学んでいるのではないか。おれはそう察した。
彼の動きは洗練されていないし、かつ荒っぽかった。俺は横目で彼の動きをそっと観察していたが、頭部から相手を真っ逆さまに落とすような、えげつない投げ方を何度もやっていたものだ。畳の上でも危険な落とし方を、こんな堅い木製の床でやっている。
死人が出やしないかと、俺はひそかにヒヤヒヤしていた。
「ハッ!!」という気合とともに、またひとりの男が床に叩きつけられた。俺は咄嗟に、空中で男の襟首をひっつかんで、脳天が床に叩きつけられるのを阻止した。
男は悶絶したが、死ぬことはない。あのまま手をつかねて傍観していたら、間違いなくこの男は死んでいただろう。
「……なにをしている?」
不審げに男が尋ねてきた。
「ここでの殺しはまずいな」
俺はそう答えた。
「意味が分からない。勝負とはどのみち、殺し合いではないか」
「単なる喧嘩ならそれでいいが、さすがにこの人数を殺すのはまずい。過剰防衛にもほどがある。俺に貸しがある領主は、大抵のことなら口をさしはさむことはないだろうが、さすがに領内での大量殺人となれば、黙っているわけにはいくまい。傭兵ギルドも看過するとは思えない」
これは至極まっとうな判断だと思う。俺としても、実力が劣るとハッキリわかる相手を嬲り殺す趣味はない。多少の手加減は必要ではないか。
「闘いとは殺し合い。それ以外の道があるとは思えない」
やはり現代人の俺とは思考法が違うな。空手道も道ならば、柔道もまた道である。やろうと思えば、柔道でも殺人的な投げというのは出来るだろう。だが、実際にはやらない。未熟な相手をわざわざ死に至らしめる理由がないからだ。
「――では、敵も少なくなってきたことだ。そろそろ頃合いだろう」
俺はこの男と共闘しつつ、さて、いい仕合になるかどうかと思っていた。俺はこの男に恨みがあるわけではないし、この男を倒して得るものもない。いい迷惑なのだ。
すでに包囲の輪は解けている。
俺たちとの隔絶した実力差に気付いたのか。それとも、殺人も厭わぬというこの男の発言に怖気づいたのか。その両方かもしれなかった。
男はゆっくりと俺に向き直った。
本格的に仕合う構えだ。俺もこれには反応せざるを得ない。俺は静かにアップライトに構え直した。相手が命の奪い合いのつもりで向かってくるならば、いなすほどの余裕はない。
「推して参る――」
男はすいっと前に出てきた。
まるで滑るような足取りで、両手で俺の左腕を掴んだ。投げられた。
いや、俺が自分で跳んだのだ。
立ったままだと、腕が極められる――瞬間的にそれを悟った俺は、男が腕をねじろうとする方向へと跳んだ。男はすかさず連続で掴みかかってきた。
相変わらず、滑るように接近してくる。ジャブで迎撃するだけの間合いはもうなかった。俺は肘で迎撃しようと、ひそかに腕をショートに畳んだ。
互いの技が激突しようとしたときである。
「待ってもらおうか、これ以上の乱闘は――」
俺たちの間に、ひとりの男が割って入った。
闘いに没頭していたとはいえ、寸前まで気配を感じさせなかった。さっきまで相手にしていた無頼漢どもとは、腕前がまるで違うようだ。
「あんたは――?」
「私の名はガルシュ。ここの傭兵ギルドのマスターをしている。お会いするのは初めてだな、ボガード男爵よ」
ピンと毛先が上を向いた、立派なカイゼル髭の男だ。身長は俺より若干高いぐらいだろうか。細身であり、筋肉量はそれほどでもなさそうだ。だが、その服の下に鍛え抜かれた鋼鉄のような肉体が隠れているのを、俺は見逃さなかった。
「決闘の邪魔をしないでいただきたい」
白けた様子で、小兵の男が口を挟んできた。
「決闘の邪魔はしない。どうぞ、どこでも勝手にやってくれていい。路上だろうと、郊外だろうと。傭兵ギルド内以外ならばな――」
「いやだと言ったら?」
ガルシュは無言で腰剣を抜いた。
瞬時に、周囲に切れるような殺気を放っている。
「私が相手になるよ――」
遅くなりまして申し訳ありません。『故郷へ凱旋』その9をお届けします。
次話は金曜日を予定しております。




