その8
俺は今、小さなメモ帳にペン先を滑らせている。
その後の俺たちの身に起こった出来事について、いろいろ書いておかねばならないと思ったのだ。
「こういう事態になるとは思わなかった。これは我が部下の暴走である」
などと、アルリ・マルローヌ伯はその後、必死になって弁解した。本来ならば、口封じをしたいところだっただろうが、男爵である俺を生かして返さないなどという選択肢はない。さすがにこれ以上の、恥の上塗りをする愚を避けたといってもいい。
むろん、俺に対し、「どうかこのことはご内密に――」などと釘を刺すことは忘れなかった。命令ではなく、懇願のようなものだ。俺は無言で頷いた。
指導という形ではあったが、ほぼだまし討ちのような形であったこと、俺の仲間を危機に追いやったこと――腹立たしいが、それでも納得せざるを得ない。マルローヌ伯はこのアコラの町の領主であるし、この地で平和に暮らしていくには、この人物を敵に回す事態だけは避けねばならないからだ。
だが、事実ってのは、どうしても漏れちまうものだ。
アルリ・マルローヌ伯爵の護衛兵士30名、ひとりの闘士によって崩壊――。この報が王都まで届いたのは、一週間も経たぬうちだったという。
当然のことながら、俺がそれを話したというわけではない。この世界のネットワークというものを、俺は少々舐めていたのかもしれなかった。
娯楽の少ないこの世界では、会話も立派な娯楽である。
噂の出どころはおそらく、マルローヌ伯の使用人だろう。人の口には戸は立てられぬというが、ことスキャンダラスな話題などは、特に人々の好むところだ。
SNSみたいなツールがなくても、会話というネットワークはひとたび誰かの口の端にのぼると、燎原に放たれた火の如く燃え広がるものらしい。
俺としては、今更こうしたニュースの主人公になるのは、うんざりだった。もう俺は、この王国において強さの証明をしたと思うし、これ以上は蛇足というものだ。
というか、それどころじゃない。
俺を倒して一旗揚げんとする輩が、『太陽と真珠亭』の門をひっきりなしに叩くようになったのだ。ハッキリ言って、これには閉口した。俺が天空寺塾に所属していた時代にも、そういう身の程知らずの道場破りみたいな連中は、けっこうな頻度で訪れたものだが、これは少々度が過ぎる。
面倒という一言に尽きる。
ソルダが応対をして、素直に帰ってくれるやつならばまだいいが、どうしても俺と勝負をしたいという連中は、そもそもそんな素直な人間ではない。俺に勝って、王国1の称号を手に入れたいという山師ばかりなのだ。
「やれやれ、アコラへ帰ってきたのが間違いだったか」
俺は天へ向かってぼやき、ペンを措いた。ぼやかずにはいられない。そんな気分だった。王都での、毎日のような酒宴の誘いに辟易していた俺は、そういった類の世界から決別したくて帰郷してきたのだ。
しかし待っていたのは、俺と決闘をしたいという野暮で粗野な男どもの群れときたものだ。まったくうれし涙で前が見えなくなりそうだ。
宿側に迷惑がかかるので、仕方なく、幾度かお相手をしてやったのだが、これがまたてんでお話にならないレベルの奴ばかりだった。
こんな腕前では闘技場の門すらくぐれまい。その資格すらない。あのとき召集されたメンバーは、やはり選ばれし強豪ばかりだったのだ。
こんな具合だったので、宿に居ることもできない。
気晴らしと仕事探しをかねて、久しぶりに傭兵ギルドへと赴くことにした。てっきり懐かしい連中に囲まれると思ったが、真っ先に勢いこんで走ってきたのは、顔なじみの受付嬢、ソーニャ・なんとかさんだ。
「ソーニャ・アルファラオンです」
彼女は真剣な眼差しで訂正してきた。
「これはまた失礼した。王都暮らしが長くて――」
「イイワケは後で結構です。それよりも、一刻も早くここから出て下さい」
「そこまで怒らなくてもよくないか?」
「違います。名前の件でなく――ああもう!」
彼女とそんな短いやり取りをしているときだった。俺は前から、後ろから、むさくるしい男たちの群れに囲まれていた。すでに慣れていたので、特に慌てることもない。俺はゆっくりと男どもを見渡した。そこに懐かしい顔を見つけることはできなかった。
まず頬に鋭い傷の走った男が、俺にこう尋ねた。
「あんた、噂のボガード男爵だな」
「まあ、そういうことになっている」
「それなら結構だ。さっそく俺と立ち会ってもらおう」
「断る。俺には闘う理由がない」
「どうした、臆病風に吹かれたかい」
「そう捉えてもらっても結構だ」
俺は手を振り、連中をかき分けて進もうとした。
「おおっと、逃がすわけにはいかないぜ」
連中のひとりが、俺の行く手を阻むように立った。
「ギルド内の暴力沙汰は、ご法度じゃなかったのか」
「そいつは武器を用いた場合の話だ。素手での私闘は認められている」
そういえばそうだったか。俺は初めてこのギルドの扉をくぐった時のことを思い返していた。随分遠い昔のことのように思えるが、まだ一年も経っていないのだ。
「確かに徒手空拳での闘いを禁じてはいませんが、でも……」
いつのまにか輪の外に弾き出されていたソーニャが口を挟む。それでお墨付きを得たと思ったか、男ども一斉にはわっと笑い出し、
「そういうことだ、もう逃げる理由も失ったな、男爵殿?」
「そうか。なら、それでいい」
俺は静かに殺気を放った。
戦闘で殺気を漏らすような奴は、正直に言って一流ではない。敵が相当なレベルなら、その気配を悟られてしまうからだ。だが俺はわざとそうしたのだ。
案の定、俺を取り囲んでいた連中は、鼻白んで無言になった。それだけ俺の殺意が露骨だったのだ。正直にいって、腹が煮えていた。まったくどいつもこいつも、俺の安住の地を、平然と土足で踏みにじりやがる。
まず目の前の男の眼を潰し、金的を蹴り潰し、背後の男を裏拳でよろめかせ、投げで倒してスペースをつくる。それから――
おれがこの連中をぶっとばす算段をしているときであった。
「待て、そこの連中――」
いつのまに現れたのだろう。輪の外から、小兵の男が俺たちに声をかけた。背は大きくないが、凛と響く声をしている。俺はほう、と感嘆の思いで男を見た。
こいつは、できる。
少なくとも、俺の周囲の連中よりは。
「その男と立ち会うのは、俺だ。すっこんでいてもらおうか」
「なんだこのチビは」
「舐めた口を叩くと、お前から潰しちまうぞ」
俺の包囲を解いて、2人ほどの男が、その小柄な男の傍へと近寄った。
「近寄るな――」
小柄な男は、無頼漢のひとりが無造作につかもうと延ばした手をとり、瞬く間に投げ飛ばした。最小限な動きだが、洗練されている。
柔道か、いや、それとも合気か――?
おれはこの男のもつ格闘のバックボーンを推し量っていた。そうこうしているうち、先ほどまで委縮していた、俺の周囲の男どもの身から、怒りの炎がほとばしっていた。名も知らぬ男に、獲物をかっさらわれようとしていることに憤慨しているのだろう。
「舐めやがって、このガキ」
「構わねえ、ふたりともぶっ飛ばしちまえ」
おやおや、妙な成り行きになったものだ。
小柄な男、無頼の男ども、そして俺――
三つ巴の闘いが開始されようとしていた。
『故郷へ凱旋』その8をお届けします。
次話は水曜日を予定しております。




