その5
隊長と呼ばれているシュロイヤは、中肉中背の男である。
身長、体重ともにおれと大差はなさそうだ。かれはごく自然に、半身の姿勢をとった。
その立ち姿は意外とさまになっている。なるほど、でかい口を叩くだけのことはありそうだ。構えからして立ち技主体のスタイルのようだった。
キックボクシングだろうか。そんな雰囲気がある。
しかし、フランデルにキックボクシングがあるだろうか。
200年前から、カミカクシの情報が遮断された世界である。あのトーナメントに参加した有力な大会出場者は、ほとんどがゼーヴァ帝国で技術を学んだ奴ばかりだった。帝国にはフランデルと違い、カミカクシがかなりの頻度で落ちてくるものらしい。
堕ちてきた連中が、格闘技術を現地人に教え、技術はかなりのレベルに達しているようだ。俺は元の世界で、多種多様なバックボーンを持った連中と対戦してきたものだが、トーナメントの出場者は、かれらと比較しても、相当にハイレベルな技術の持ち主ばかりだった。
グラハム、ケリドアン、バーダック、そしてアキレス。
いずれも劣らぬ強豪ばかりだった。
もし、この男がその連中と並び立つほどの強敵だとしたら、いや、それ以上の達人だったとしたら、あのトーナメントはなんだったのかということになる。決して負けるわけにはいかないな。この闘いは俺だけのものではない。もっと多くのものを背負っている。
あの灼熱のアリーナ。
己のすべてを賭して闘った連中のすべてを、俺は背負っているのだ。俺はアップライトに構えながら、相手の出方を窺った。
果たして、シュロイヤは蹴ってきた。
横蹴りを主体とした、多彩な蹴り技だ。その脚は器用にするりと高く上がり、さらに下段へと分岐し、俺はその対応に追われた。しかも、それだけではない。パンチもしっかりと放ってくる。俺にはこの男の技術のなんたるかが、おぼろげにわかってきた。
こいつの技術は、サバットに似ている。
サバットとは、フランス語で靴を意味する言葉だったと記憶している。名前のとおり、靴を履いて蹴りを見舞う格闘術だ。この技の歴史は古い。
俺が識っているサバットは、こいつがいま使っているようなボックス・フランセーズと呼ばれるキックスタイルだ。体系化されたのは18世紀だが、もともとの形は違うと聞いている。
古式サバットは、遠くの間合いではステッキで闘い、中間距離ではキックボクシングを使い、近距離では投げを用いるという――今でいう総合格闘技に近かったと聞いている。
キックボクシングに転向し、キックでチャンピオンになった選手も多数存在している。この技術を使いこなすというのなら、かなりの強敵には違いない。
この男は堅そうな靴を履いている。
その靴で、こちらの肉を蹴ってくるのだ。ガードの上からでも、かなりの衝撃だ。これほどの技術の遣い手なら、大会に出場すればそこそこの活躍はできたかもしれない。
多彩な足技だけではない。しっかりとパンチも放ってくる。パンチからキックの流れが見事だ。シュロイヤが口だけではない技術を持っているのがわかる。
だが、認めるわけにはいかないな。俺の矜持は、こいつを認めるわけにはいかないと言っている。傲慢な笑みを口許に浮かべたまま、シュロイヤは打撃を見舞ってくる。ずいぶんと遠慮なく蹴ってくれるじゃないか。
俺は頭をガードしながら前進した。
こちとらフルコンタクト空手出身だ。胴体を殴る蹴るされるのは慣れている。お前さんが考えているより、ずっと泥臭い闘いをやってきたのだ。毎日、苦痛とにらめっこをしながら這い上がってきたのだ。
俺が靴での蹴りに一向にひるまないのを見て、シュロイヤの表情が訝しげなものに変わっていく。お前の打撃はなかなかのものだ。だが、ケリドアンほどの圧力は感じない。
ケリドアンなら、己の全体力を使い果たそうと、徹底的に手数を繰り出してきたはずだ。シュロイヤはケリドアンと違い、スマートな闘いを好むようだ。
今度は、拳の間合いに入った。
そこからパンチの連打を放ってくる。
いい拳だが、グラハム・ヘンダーランドのそれとはほど遠いな。やつのフリッカージャブは、見切るのにかなりの苦労をしたものだ。やつの長いリーチから繰り出される手技は、ほとほと手を焼かされた。
――こんなふうにな。
俺は見よう見まねで、左手でフリッカージャブを放ってみた。半身の姿勢から腕を振り子のように左右に揺らし、そこから一気に相手の顔面に拳を撥ね上げる。
シュロイヤの顎先が、一瞬見えた。
俺のフリッカーが、やつの顔面を捉えたのだ。
驚愕に凍り付いた顔の中央から、つうっと一筋の赤い線が引かれた。やつが鼻血を流しているのだ。驚きに見開かれた顔は、やがて怒りの形相に変わった。やつは接近し、俺に投げを放とうとしてきた。
だが、お前の仕掛けはバーダックほどの意外性に富んでいないな。真っ向から組み合って、ほいほいと投げられてやるほど、俺はお人よしではない。
組み付こうとしたシュロイヤの右腕を、一瞬早く捕らえた俺は、すかさず腕をねじりこみ、その腕を下敷きにする格好で真下へと全体重を浴びせた。関節を極められたやつも、そのまま引きずり込まれるように地面を這いつくばった。
バーダック直伝の、腋固めだ。
大地と熱烈なキスをするんだな、シュロイヤよ。
ぐうううううと奴は猛獣な呻き声を発するが、ここから脱出する手立てはあるのか。あるはずがない。腹ばいに倒されて、腕を逆方向にねじられているのだ。ここから放てる打撃も投げもない。
「まいったをしたらどうだ」
「うぐぐぐぐ、だ、誰が――」
やつはこの攻撃から脱する唯一無二の方法をとった。すなわち俺がやったように、頭を起点にして仰向けに転がったのだ。
当然ながら、俺はこの逃げ方への対処法を識っている。すかさず腕ひしぎ逆十字に切って取った。完全に腕が延ばされている。俺はガキのような悪あがきでどうにか脱することができたが、果たしてお前はそんな無様な真似をしてまで、勝利に執着することができるか?
「があああああああっ」
「参ったと言え。があああじゃわからん」
「だ、誰が――うぐぐぐぐぐ」
どうやら、ここまでのようだ。俺は完璧に極まっていた、やつの腕を放してやった。さすがに隊長の腕をへし折ってしまうのは、指導の行きすぎというものだろう。そう考えたのだ。
「勝負あったようだな」
俺はそう言った。
だが、やつの口から放たれたのは、意外な言葉だった。
「敗けたとは一言もいっておらぬ。今のは貴殿が勝手に技を解いたのだ。――勝負はこれからだ」
なるほどな。こういう手合いはいる。
勝負の場で悪あがきをするのではなく、仕合後にいろいろと難癖をつけてくるタイプだ。俺のいた世界でも、そういう奴らは一定数いたように記憶している。口で勝負がひっくり返るなら安いものだ。
「いいだろう、もう一戦やろう」
再戦となった。展開としては、最初の流れと大差はない。俺はやつの打撃のパターンをあらかた見切っていた。だから、わざと俺は近距離の展開に持ち込んだ。
もともとフルコン派は、近距離の攻防に適している。接近戦で威力を発揮する打撃技術は、他の追随を許さぬほどだ。
やつは苦し紛れに、両手で俺の身体を突き放そうとした。
その間抜けな一瞬を見逃す俺ではない。
空中でその片腕を捕えた。
もちろん捕らえたのは、最初と同じ右腕だ。
アキレスの遣っていた、飛びつき腕十字を極めてやった。本家よりは、圧倒的に不格好な入り方だったがな。奴が見たら、鼻で笑いそうだ。
「うぎゃあああああ」
「どうだ、こんどは参ったか?」
「うぐぐぐぐ、誰が――!」
あきらめの悪さだけは天下一品だ。俺はまたも、逆十字を解いてやった。そこからの展開は、先ほどとまるっきり同じだった。やつは負けを認めず、俺が勝手に技を解いたという理屈の一点ばりだ。やれやれだ。口だけで天下を制するつもりでいるのだろうか。
「いいぜ、もう一度やろうか」
俺は再戦を快諾してやった。
今度は赦してやるつもりは微塵もなかった。もともと関節技は、俺の専門外というものだ。俺は俺の流儀で、この男を仕留めるつもりでいた。第一、散々痛めつけてやったやつの右腕は、もうほとんど使い物にはなっていない。
構えこそどうにかとっているが、右腕からの打撃はほとんど見られない。好機だな。俺はローキックを放ちつつ、やつの動きを見計らっている。
奴は俺の下段蹴りに意識が集中している。
サバットには、ない技がある。
それは、肘と膝の打撃だ。それはサバットにおいては、禁じ手となっている。だからこそ、この技が生きるというものだ。
俺は視点を下段に固定しつつ、跳んだ。
鋭利な膝が、やつの顎先を貫いた。
「こいつが、真空跳び膝蹴りというやつだ。憶えて帰っていくといい」
だが、俺の言葉は奴の耳には届いていないようだった。
シュロイヤは、完全に白目を剥いていたからだ。
『故郷へ凱旋』その5をお届けします。
次話は水曜日を予定しております。




