その4
「まずは俺から指導してもらいましょうか」
ひとりの男が、俺の前に立ちはだかった。
俺より身長は5センチほど高い。身体の厚みもある。
しかしその両眼には、俺に対する敬意など、これっぽっちも浮かんではいなかった。強い闘士であればあるほど、互いにある種の信頼関係が生まれる。ある領域にまで達したもの同士の尊敬の念というやつが、嫌が応にも湧いてくるのだ。
俺は思わず苦笑を浮かべていた。
拳を合わせることもしなければ、礼もしない。――なるほどな。それならそれで、俺にだって相応の心構えがある。
俺は無言で、男の両足を払っていた。
両足が揃っている。臨戦態勢というにはほど遠い。
男は無様に後頭部をしたたかに強打したようだ。
俺はお構いなく、その顔面に踏み蹴りを叩き込んだ。
男の頭はバウンドして、それっきり動かなくなった。しばらくは堅いものが食べられなくなるだろうが、まあ命があるだけマシというものだろう。
「――次」
俺は無造作に言い放った。残った29人の男たちの口許から、嫌な笑みが消えた。その代わり、彼らの表情には明確な怒りが浮いていた。
それでいい。舐めた態度で向かってくるような奴を、まともに指導してやる義理はない。
「次は私が指導していだたきます」
「ザムラ、やってやれ!」
俺は頷き、今度は構えを取ってやった。
ザムラという男は無言で拳を振るってきた。
速度がぬるい。グラハム・ヘンダーランドの拳が弾丸なら、こいつの拳は野球のスローボールのように見える。俺はカウンターでザムラの顔面にストレートを置いてきた。
痛快なほど拳が顎先にめりこんだ。
しまったな、今の俺には拳に巻くバンデージもない。拳を痛めるから、掌底で叩けばよかった。その部分が、俺にとっての反省点だ。
ザムラは膝から崩れ落ち、中庭の地面にしたたか頭を叩きつけた。それがとどめとなったようで、微動だにしなくなった。要するに失神KOだな。
周囲の連中が、あわててザムラに群がる。
「おい、起こすのはいいが、頭は揺らすなよ」
俺は冷静に忠告してやった。ただでさえ俺の打撃で脳が揺らされているのだ。これ以上追い打ちをかけるのは素人のやることだ。
「――師匠、両手を出して下さい」
ソルダが、俺の両手にバンデージのようなものを巻き付けはじめた。万が一を想定して持ってきていたという。用意のいい子だ。
こいつは、先のトーナメントでも使用したやつだ。こいつがあるとないとじゃ、拳の痛めかたが違う。拳というものはどれだけ鍛えても、ふとした拍子で傷ついたり、折れたりするものだからな。
俺は敵前、ただ暢気にバンデージを巻いてもらっていたわけではない。油断なく周囲に眼を配っていた。だが、連中はザムラの方にかかりっきりで、俺のほうなど見向きもしない。
「ここはどこだ、何が起こった?」
やがてザムラが眼を醒ましたようだ。かれは周囲を見回し、きょとんとした顔つきをしている。何が起こったか、完全に記憶が欠落しているらしい。
「――死んだ爺ちゃんに会ってきた」
ザムラはそう言った。川向うで爺ちゃんが帰れと怒鳴ったので、眼が醒めたという。俺はもうひと勝負やるかと声をかけた。かれは力なく首を左右に振った。何が起こったのかわからなくとも、精神の奥底にはダメージが刻まれているようだった。
「次は俺がやる、ぶっつぶしてやる!」
大男の群れの中でも、ひときわ巨きな男が吠えた。大きな歓声が上がった。
「メガロならやってくれる!」
歓声がやつの背中を押しているようで、男は奮い立った。髭面のメガロという男は、身長が2メートル近くあるだろうか。岩を人型にくりぬいたような体躯をしている。
男は吠えながら突進してきた。大岩が音を立てて転がってくるようなものだ。まともに食らえば、さすがに俺とて軽々とぶっ飛ばされるだろう。
俺はやつの突進をサイドステップで回避した。メガロはたたらを踏んで立ち止まり、方向転換して再突進してきた。
突進力はあるが、旋回能力が欠けている。言ってみれば直進しかできない飛車のようなものだ。俺はさらに、やつの突進をサークリングでかわしていく。
「男爵! 逃げ回ってちゃ勝てませんぜ」
周囲の連中が無責任に囃し立てる。俺としても、この男の体力が尽きるまでかわし続けるという、面倒な策をとるつもりはない。徒手空拳で勝てないと思う連中は、自らの体躯を活用しようと、こういう乱暴な手段に打って出ることが多い。
対抗手段はすでに出来上がっている。
メガロがさらに猛り狂った雄牛のように、俺に突進してきた瞬間である。俺は十分な距離をとって、逆にやつに突進をかけた。
中庭のほぼ中央付近で、おれと奴が交錯した。
それも一瞬のことである。メガロの身体はすでに俺の頭上を通過している。俺はやつの足元へ跳び蹴りを放ったのだ。プロレスでいう低空ドロップキックみたいなものだ。慣性の法則にしたがい、やつの身体は砲弾のように宙に投げ出された。車は急には止まれないというやつだ。
奴は頭から地面に滑りこんだ。ろくな受け身すら取れていない。どれほど凄まじい突進力があったとしても、大地と力比べしては勝てない。
それでもふらふらと立ち上がってきたのは見上げた根性であった。俺はそのタフネスに敬意を表し、渾身の上段回し蹴りで止めを刺した。
こめかみを的確に射抜いてやった自信があった。もっとも、相手が防御姿勢もとっていないのだから、試割りよりも容易い行為だった。
男は地響きを立てて地面に崩れ落ちた。
「おやすみ。チントワ橋の醜い老婆によろしくな」
俺は残身の姿勢をとりつつ、そう声をかけた。
男たちの眼には、もう敵意を超えた殺意が満ちてきている。上等だ。こちらだって簡単に返すつもりなど微塵もない。
「おぬしら、何をしている」
中庭の外れ、キープの方角からひとりの男が現れた。残った27人の群れはどよめき、男のために後ろへと下がった。割れた群れの中央を横断し、男は睥睨するように左右へと視線を走らせた。
その精悍な顔つきの男は、そのまま俺の許へと歩み寄ってきた。けっこう使えるな。俺は一瞬でそう判断した。その歩調はよどみなく、真っすぐだ。
「失礼した、ボガード男爵。我が部下が貴殿に対し、敬意を欠いていたことはお詫び申す」
男は素直に頭を下げた。どうやら背後の連中と違い、会話が通じる男のようだ。
「――ボガードで結構。あんたは?」
「この守備隊の隊長を任されている、シュロイヤと申す」
「要するに、あんたがここで一番強いというわけか」
「そういうことになりますかな」
「それなら、話は早いな」
「――――?」
「今からあんたに稽古をつければ、後はすべて、あんたに任せれば大丈夫というわけだ」
「ははは。そういうことにはなりますまい」
「うん、どういう意味だ」
「せっかくの王国1の地位を、ここで失うことはありますまい。そう言っているのです」
「大層な自信だな。ではなぜ、大会に出場しなかった」
「私はここの守備隊長を申し使っております。そのような立場の私が、お役目を離れ、気楽に王都へ出向くわけにはいきますまい」
「出ていれば、優勝できた。そう言っているんだな」
「そう捉えてもらって結構です」
「よくわかった。お前が井の中の蛙ということがな」
「どういう意味でしょう」
「井の中の蛙、大海を知らず。これは俺の世界のことわざでな。偏屈者が狭い場所に閉じこもって、広い世界のあることを知らないで、大言壮語を吐くことをいうのさ」
「男爵の言葉といえど、聞き捨てなりませんな」
「聞き捨てなくていいさ」
「では、その大海とやらを見せてもらいましょう。くれぐれも、私を失望させないでくださいよ」
俺とシュロイヤの間の大気が、重さを孕んでゆく――
『故郷へ凱旋』その4をお届けします。
次話は翌月曜日を予定しております。




