その3
さて、『太陽と真珠亭』で、俺の祝賀会が行われた翌日のことである。ひとりの下僕が俺宛に手紙を届けてきた。この町に入るとき、俺たちの護衛をしてくれた騎士たちから耳にしていた、招待状が届いたのだ。
差出人は無論、アルリ・マルローヌ伯である。
「……ついにきたか」
そういう想いである。俺は寝ぼけまなこをこすって、その手紙を陽光に透かした。このまま書いてある内容ごと、陽に溶けてくれぬものかと願いながら。
傭兵としての、最初のでかい仕事。
あの頃の俺は、まるっきりうぶな子供のようだった。裏で描かれている絵図も識らず、ただ偽のお姫さんを護ることだけに必死になっていた。あの時点でくたばっていたら、どうなっていただろうな。
――どうもなりはすまい。たんに一介の傭兵が、初陣ではしゃいで死んだ。それだけだ。
ふと俺は、ヘルメヒトのことを思った。
俺のことをやたらと信頼していた、人懐っこい傭兵だった。最後におれに、給金を家へ届けるように依頼して、世を去った。俺はその願いを聞き届けた。
遺された、やつの家族は元気でやっているだろうか。
ヘルメヒトの奥さんから、いつか墓参りに来てくれと言われていたが、その依頼はまだ果たしていない。彼の遺族に会うのも辛いし、空の墓に両手を合わせるなんざ、もっと辛い。
そういう経緯もあり、俺はまだ見ぬマルローヌ伯には、あんまりいい思いを抱いていない。もっとも、こいつは完全な逆恨みというべきことかもしれない。
なにしろ当時の俺は傭兵の基本も識らないオールドルーキー。小遣い稼ぎに命を張るような末端の存在だったのだから。
「――あ、師匠、まだ着替えてないんですか。急がないといけませんよ」
事情を知らないソルダが、てきぱきと俺の礼服を整えてくれている。まあ、この子には何も話していないんだし、俺の屈託を悟られない方がいいのかもしれない。
「ボガード、私も連れて行って」
反射的に、俺は大声をあげそうになった。黒いぼさぼさの髪の隙間から、ふたつの眼が覗いていたからである。ちょっとしたホラー映画のような絵面だった。
「なぜだ? 招待されているのは俺だけだぜ」
「あんまり、よくない予感がするから」
「……ふうん」
俺は考え込んでしまった。メルンの言葉をキッパリ突っぱねなかったのは、どこか弱気な部分がある証拠かもしれなかった。
「あ、ずるい。それなら僕もお供します」
すかさずソルダが口を挟んできた。
「うーん、そいつはどうかな」
俺は即答を避けた。仮にメルンの発言が事実であったなら、ソルダを危険に巻き込みたくはない。だが、目の前の少年はそういう事情よりも、仲間外れになるという事実が耐えられない様子であった。
「お忘れかもしれませんが、そもそも、師匠はもう男爵なのですよ。供の者のひとりもつけないのは逆に恥になると思いませんか」
と、ソルダは巧妙に説得してきた。
それは確かにその通りだし、弟子のひとりも護れないのは師匠としてどうか、という思いもある。俺は決断した。
「――よし、使者はまだその辺にいるな、すぐに追いかけてくれ。城には3人で伺うとな」
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アコラの町の内部には城が存在する。領主のための城であり、門の前には護衛兵が詰めている。そこに一台の馬車が停まった。御者と門兵との間で二言三言のやり取りが交わされ、俺たちは馬車を降りて門の奥へと通された。アコラの町に住んで長いが、ここへ来たのは初めてだ。
正門を抜けると目の前には巨大なキープが見える。日本で言えば、天守閣に当たる部分だ。俺たちは応接間へと通され、領主マルローヌ伯と面会することになった。
爵位が違うとはいえ、俺とて男爵である。一介の傭兵と接するように座したまま会話するわけにはいかないというわけだ。
さて、初めて面会した第12代マルローヌ伯アルリは、白髪の目立つ50半ばの小太りの男だった。身長は俺よりもやや低い。あまり闘いに向いているような体躯とは見えず、どうやってこの身分にたどり着いたのか不審だったが、彼は世襲制でこの身分を手に入れたという。
「お呼び立てして済まぬな、男爵。ぜひ王国1の勇者の姿をこの目で見たくてのう。して、その傍らにおられる美女は、男爵の奥方かの?」
「そうです」
「違います」
ほぼ同時に、俺とメルンの口から正反対の言葉が放たれ、マルローヌ伯を苦笑させた。かれは愛嬌のある顔つきで、俺に目配せをしてきた。どうも俺をやり手のプレイボーイか何かと思っているようだ。
「男爵もお盛んじゃのう。うらやましい限りよ」
「ボガードで結構ですよ。マルローヌ伯。俺はこの間まで、単なる一介の傭兵であったにすぎません」
「わかった、そう呼ぶことにしよう。――実はな、ボガード卿。おぬしに頼みがひとつあるのじゃが」
「……お聞かせ願えますか?」
何となく嫌な予感がする。
「ぜひ、我が方の部下と手合わせをして、その技術の凄さを体験させて欲しいのじゃ」
「そういう話なら、お断り致します」
「ほう、なぜじゃ。まさか怖気づいたわけではあるまいな?」
先ほどまでの和やかな口調とはうってかわって、挑発的な発言をしてくる。俺を怒らせることが目的なのは明白だった。
「どう捉えてもらっても結構です。指導ならば可能ですが、仕合うのはお断りするということです」
「その理由を聞かせてほしいと――」
「俺が軽々とここで仕合うということは、命を賭して闘った好敵手たちを侮辱するようなものですから」
そういう気持ちもあったが、それだけではなかった。単に、俺の技術が見世物のようにされるのが気にくわないという部分も大きかった。それはやはり、この領主に対する不信感が、俺の心の底辺に横たわっているからかもしれない。
「なるほどな。確かにこれは、わしが無礼だったかもしれぬ。つい先ほどまで、王国最強の戦士たちを相手に戦ってきた闘士に向けた言葉ではなかった」
意外なことに、マルローヌ伯は素直に頭を下げた。
「しかし、指導ならば構わぬ、そういう話でしたな」
「まあ、それならば――」
「ならば善は急げですな。ただちに、部下のものに命じて支度をさせましょう」
マルローヌ伯はうきうきとした様子で、手を叩いて部下を応接間へと呼んだ。彼と会話を交わしていた最中、俺はどうやら言葉を誤ったらしいという思いでいた。指導をつけるとかこつけて、俺と戦闘に持ち込もうとする肚じゃないのか。そういう危惧が頭をもたげた。
メルンがそっと、俺の膝に手を置いた。
(いざというときは、私がどうにかする――)
メルンはそうささやいた。俺には頼もしいというより、慄然とする発言だった。彼女を放置しておけば、マルローヌ伯含めた全員を、魔法で華麗に消し炭に変えてしまうかもしれない。
自らの身の安全のために、そしてこの町で俺が平和に暮らすために、あんまり伯爵はつまらぬ策を弄せぬようにしてくれないかな。――などと、俺はうんざりした面持ちで考えていた。
果たして中庭に通された俺は、自分の嫌な予感が的中したことを識った。けっこうな数の大男たちが横一列にずらりと均等に整列している。その数、およそ30人ほどだろうか。おそらくは、マルローヌ伯の騎士の中でも、力自慢の連中をかき集めてきたと見える。
侍従として部屋の外で待機していたソルダは、ここで俺と合流した。かれは不安そうな顔つきで俺を見上げている。
俺はすっと片膝をつき、彼の頭に手を置きながら、
「さあ、俺の動きをちゃんと見ているんだぞ」
と、笑みを向けて言った。
彼の不安そうな顔は、ようやく解けてきたようだ。
俺は無性に腹が立ってきた。俺は動きづらい上半身の礼服を脱ぎすてて、傍らのソルダに持たせた。袖のない、簡易で防御力のない薄着だけの姿になる。
軽く柔軟運動をこなす。心のエンジンが静かに廻りはじめる。
「さて、指導を受けたいのは誰からだ?」
俺は薄笑いを浮かべている、30人の大男に向き直った。
『故郷へ凱旋』その3をお届けします。
次話は金曜日を予定しています。




