その2
俺とレミリア、ダラムルスの会話は、まだ続いている。
「どうしたボガード、まだ納得がいかないって顔つきだな」
「ああ。まるで納得がいかないな」
ふたりが俺を見る眼は冷ややかだった。
だが、俺の裡は活火山のように熱く煮えたものを含んでいた。胃の奥から、焦げついた硫黄の臭気がこみあげてきそうなほどだ。
ダラムルスの、強硬なものいいもひっかかっていたが、この『大きな仕事』そのものに対し、まったく得心がいかなかったのだ。俺は問うた。
「そもそもの話、将来、隣国に輿入れするというお嬢様だったか――その護衛に、なぜアコラの領主は自らの私兵を投じないんだ? 俺はかつて、この町を警邏する騎士たちを見た。この町にもちゃんとした自治組織はあるはずだろう」
「そのとおりだ。このアコラの町を護る、マルローヌ騎士団は存在する」
「そこが理解できないところだ。俺たちのような傭兵集団に、自らの令嬢を護らせようというのは、俺には愚策にしか思えねえ」
「ほう、言うじゃないかボガード。ではお前は、どうすれば正解だと思う?」
「隣国のお姫様になろうかという人物を護衛するのだろう。俺たち傭兵に任せるより、騎士団が直接護衛したほうが確かだ。装備も違うし士気も違う。だいいち貴族の眼から見れば、俺たち傭兵なんぞ、そこらのゴロツキと大差ないんじゃないのか」
「貴様、わが『白い狼』をそこらのゴロツキよばわりするか――」
レミリアが顔色を変え、反射的に立ち上がろうとした。
それを、すっとダラムルスが手で制す。彼は静かな眼で俺を見ている。
「なかなか冷静だな、ボガード。大きな仕事の前だというのに、お前はまったく慎重な姿勢を崩さない。そいつは傭兵の資質としては大事だ。そういう男は、なかなか死なない」
彼はニッと笑い、合格だと告げた。
「真実の話をしよう。『白い狼』団は、あくまで囮だ」
「囮だと?」
「そうだ、真実はお前が想像しているより厄介でな。このアコラ近辺には少し前から、『流星』と名乗る野盗集団が横行しているのは識っていたか?」
「いや、初耳だ」
「奴らは俊敏で、ひと仕事終えるとすぐにばらばらに逃亡し、追っ手にアジトの位置を掴ませない。これには領主アルリ・マルローヌ伯も辟易としてな、何度も斥候を放つものの、無事に帰ってきた者がいない」
『流星』の始末に手を焼いているところに、国王から勅命が届いた。
内容は、かなり希薄な縁だが――一応は王家の系譜に連なっているマルローヌ家の娘を、王都ダーリエルまで護送してほしいというものだった。
どこからか、マルローヌ家には、まだ娘っこが残っているという話を聞きつけたものらしい。その子に徹底的に王宮作法を叩きこみ、隣国のアナンジティ王国へと嫁がせる、という。
ただでさえ盗賊の退治にてんてこ舞いなのに、この報せだ。マルローヌ家はちょっとしたパニックに陥ったそうだぜ。
上のふたりの娘は、すでに結婚し、子を儲けている。
残ったのが末娘のエミリーで、歳はまだ16歳という。
さて、その子を王都まで運ぶのに、大きな不安要素がある。もちろん『流星』の存在である。もし道中で娘を奪われでもしたら、単なる失態ではすまないだろう。外交問題にまで発展しかねない。
そこでアルリ・マルローヌ伯は、腹心たちと案を練った。
まず、豪華絢爛たる意匠を施した馬車を先発させ、そこに偽者のお嬢様を乗せる。
俺たちは、その馬車の護衛をするわけだ。
その馬車に遅れること数刻、周囲を少数精鋭のマルローヌ騎士団で固めた質素で小さな馬車に、本物のお嬢様を載せる。
こうして部隊をふたつに分け、行軍するというのだ。
「――そういうわけだ、納得したか? ボガード」
「ああ。ようやく理解したよ」
ここまで聞いて、俺はエール酒の杯を傾け、咽喉をうるおした。
真実を識って、いかなる得があるのかと言う奴もいるだろう。だが、これは必要なことだ。いざという時の立ち回りに関ってくる。ニセのお嬢様を必死に守護して、命を落としたんじゃ割に合わねえ。
最悪の場面じゃ、命惜しさに逃げる事も傭兵には必要な心構えだ。
俺はこの三ヶ月で、いやというほどそいつを叩きこまれてきたのだ。
「だが、ダラムルス。俺の役割は理解したが、なぜ俺を抜擢したのかの回答はまだだ。そこは聞かせてもらえないのか?」
「やれやれ。おまえさん、こだわるなあ」
さすがのダラムルスもあきれたような表情を浮かべている。
彼に代わって応えたのは、レミリアであった。
「団長殿はな、それより以前に、別口のでかい依頼を受けている。そちらに団員のほとんどが就き従うことになっているのだ」
「別口とは、どんな?」
「おい、ボガード」
ダラムルスは、ちっちっと指を左右に揺らしてみせ、
「さっきまでの分は、お前が受ける仕事だった。だから俺も詳細を話して聞かせるつもりになった。だが、これから先は俺が受けた依頼だ。そいつをお前が詮索する必要はあるのか」
「……ねえな」
「だろう。受けた依頼内容を他人に吹聴して回る傭兵は、信用されない。――だから、この話はここまでだ」
めずらしく、ダラムルスの両眼に鋭い光がちらついている。
確かに俺は、野暮なことを訊いたのかもしれねえな。彼の言うことはもっともだ。口が軽い奴は、何処の世界でも重く用いられることはねえ。
「まあ、そういうことで、ロームをはじめ、団の腕っこきのほとんどは俺の仕事に協力してもらうことになっている。だが、護衛の任務も名指しで受けた仕事だ。『白い狼』にとっては名誉に関わる」
「――で、私が護衛のまとめ役に任命されたわけだ」
レミリアが、エール酒の杯をきれいに干してから、そういった。
「たとえ主力メンバーが欠けているにしても、団の平均よりはるかに腕の劣る人間を連れて行くわけにはいかない。私はそう思っている。――だが、団長殿は少々お考えが違うらしい」
レミリアはちらりと横目で団長を見やり、つづける。
「ボガード、お前は入団してまだ3ヶ月。どの団員よりもはるかに日が浅い。だが、団長はそんなお前を護衛メンバーに加えるよう、私に命じてきた。しかしこれは飽くまでお前自身が決めることだ。もしお前が無理だというなら、嘲りはしない。すみやかに別の奴に入ってもらうだけだ。――どうする?」
この話。どうも感触としては、レミリアは断ってほしそうだ。
それも仕方ない話だ。人員不足とはいえ、入団してまだ日の浅い中年の新人を、このような重要な任務に就かせるなどということは、間違いなく異例なことに違いない。
ダラムルスは何故、俺を推薦するのだろう。
そこのところはまだ、謎のままだ。俺のなかに何かの可能性を見たのだろうか。そう彼に問うたとしても、答えをはぐらかされそうな気がする。
だから俺は、決めた。
「やらせてもらおう」
「おお、そいつはいい。きっといい経験になる――」
ダラムルスが大いに頷き、酒の残った杯を俺に突きつけてきた。
俺は自身の持つ杯で、それを弾きかえした。
乾杯だ。
ただひとり、レミリアだけが、それを苦い顔つきで見つめている。
(初仕事で死んでも、知らないぞ)
そう言いたげな眼だ。現実を識っている傭兵の、シビアな眼だ。
だが、俺はこいつをひとつの挑戦だと受け止めることにした。
たしかに新たな技術を身につけていく毎日は楽しい。だが、傭兵で生きていくと決めた以上、鍛えた腕を実戦で試したいと思う感情が、俺の裡に確かに存在している。
自分の現在地が知りたい。そうだ。もしも実戦で実力不足が露呈し、命の危機に晒されたとしても、とりあえず、そこからトンズラすればいい。
逃げて、また鍛えなおせばいい話じゃねえか。
俺はこの時点まで、どこか気楽にそう考えていた。
――こいつが、搾りたての蜂蜜より甘い考えだと思い知るのは、もうちょいと後の話しになる。
どうにか更新いたしました。
来週中には次の更新をお届けできると思います。




