その5
先ほどまで沈黙に包まれていた小高い丘の上は、ちょっとした賑わいを見せている。それもそうだろう。人口が俺ひとりから、一気に5人に膨れ上がったんだ。
俺はふたりの男子学生の顔をまじまじと見つめた。
考えてみれば、俺は彼らの名前を識らない。学生という身分だけで捉えていたのだ。俺の遠慮ない視線で、彼らは俺が何を求めているのか察したのだろう。
「僕の名前は、大木樹といいます」
少し華奢で、肩まで髪を伸ばした少年が言った。
「俺の名は、後藤光夫。あらためて宜しく」
大木よりは少し体格のいい、短めの頭髪の少年が言った。
「ああ、こうして名前を聞くのは初めてだな」
「どうせ俺たちのことは、学生AとかBとかって考えてたんだろ」
スポーツでもやっていたのだろうか、後藤は日に灼けた肌に、皮肉げな微笑を浮かべた。まあ、彼の言うことも否定はできない。俺は彼らを、学生という身分でまとめて考えていた。
「それで後藤、大木だったか。ふたりは現在、王国でどういう立場にいるんだ」
「僕は新商品開発の部門の長って立場にいますよ。知識がいくらあっても、それを開発するだけのノウハウがなければ意味がないからね。何人かの部下をつけてもらって、彼らとともに、研究に没頭する日々です」
「俺のほうは、新競技開発かな。いや、もともとあっちの世界にあった競技を、こっちの世界へ浸透させていく部門っていったほうがいいか」
「つまり、野球とかサッカーとかか」
「野球は難しいな。ルールは複雑だし、何より一般市民が、バットとボールとグラブを揃えるのはなかなか難しい。けっこう高価だし。サッカーはその点、単純だし、ボール1個で出来るという点で、急速に浸透しつつあるな」
「ふたりとも、それなりに活躍してるというわけか」
「活躍というほど、華々しいものでもないですけどね」
大木樹は、自嘲気味に笑った。どうも自らの仕事に行き詰まりを感じているらしい。俺がさらに踏み込んで尋ねてみると、
「そうなんですよ。僕はもっと新技術について、こちらの世界の人間は貪欲だと思ってた。これまでの生活が飛躍的に快適になるわけだから。でもそれは僕の幻想だった……」
「どういうことだ」
「僕らが新技術をもたらすことに、否定的な人間もいるということです。抵抗派っていうんでしょうか。それは旧来の手法で利益を得ていた商人だったり、ギルドだったりします」
「なるほどな」
俺は俺なりに、ことの顛末を理解した。革新的な技術を導入すれば、誰もが諸手を挙げて喜ぶというわけではない。旧いやり方で利益を享受していた商人たちは、新しいシステムが導入されたから、お前らはお払い箱だ。そう言われたら、どうなるだろう。
彼らのささやかな生活はすべて破綻する。
むろん、肯定的に流れに乗る商人もいるだろうが、すでに旧来のシステムで経済が回っている以上、それに抵抗する人が出てくるのも当然だろう。
「理想と現実は違うというわけか」
「そうですね。僕が読んできた異世界ものじゃ、みんな新技術に眼の色を変えて飛びつくような感じだったんだけど……、実際の人々の反応は想像より希薄だった。既得権益を破壊するというのは、想像より困難ですよ」
苦い顔つきで、大木はつぶやいた。少しやつれて見えるのは、俺の気のせいだっただろうか。
「森田妙子は、どんな役割を担っているんだ」
「私? 私は食べるの専門かな?」
そういって独りでけらけらと笑ったあと、
「冗談よ。実際は、新しい調理法とか調味料とかの開発をしてる」
「そっちは、うまくいっているのか?」
「んー、どうかな」
森田は変わらず笑っていたが、眼に少し苦いものが走ったのを俺は見逃さなかった。彼女は彼女なりに、苦労があるということか。
理想郷と信じてやってきた異世界。だが、当然ながらこの世界の住人も生きていて、日々の暮らしを守るために必死になっている。よそ者のカミカクシが、ぬけぬけと現れて、さあ新技術でございと未知のものを提供して、容易くそれに飛びつくなんて幻想もいいところだ。
それこそ、開発と同じぐらい、いやそれ以上の歳月をもって浸透させていかなければならないだろう。それぐらい、無学な俺にだってわかろうというものだ。
「カミカクシとは、何なんだろうな……」
俺はささやくようにつぶやいた。
「それは、俺たちも謎さ。てっきり召喚の儀でも行われて、求められたこの世界に来たんだと思って、喜々として王都にいったけどさ――結果はこの塩対応。どうも、俺たちの想像とは違ったようだな」
「それは僕も感じてた。僕らはこの世界を変えるという崇高な使命を帯びて、転移してきたんだと思ってた。だけどさ、思ったけどカミカクシなんて、いい意味では使われないよね」
「私もそう思う。多分だけど、私たちって間違えてこの世界に落ちてきちゃったってことはない?」
「間違って? つまり本当に求められていた人材は別にいるってこと?」
「そういう意味じゃなくて、アクシデント的に落ちてきちゃったっていうか」
学生たちは議論を始めた。俺はそれを横目に、傍らに座ったままの御木本かすみの横顔を見た。彼女は風でたなびく髪を手でおさえ、まるで景色でも眺めるような気のない風情で、彼らの議論を見つめている。
「ずいぶんと冷静だな」
「あなたもね」
「御木本には、何か私見はないのか?」
「ないこともないけどね」
「聞かせてくれ」
「……私が、あっちの世界、いえ日本での暮らしに不満を抱いていたのは確かだわ。こんな世界は嫌だ。もっと違う世界に行きたい――そんな想いをずっと引きずって生きてきたような気がする」
「そいつは興味深い話だな。つまり、御木本は俺たちの意思が介在して、異世界転移が行われたと考えているわけか?」
「んー、それについては自分でも半信半疑なの。それならもっとカミカクシは多くておかしくない。だって、現世に不満を抱いている人がことごとくこの世界に落ちてきたら、この世界の住人はカミカクシで一杯になっちゃうもの」
「なるほどな、それほど単純な話じゃないということか。考えてみれば、俺はそれほど現世に不満を抱いてはいなかった。トラックの運転席は、それほど居心地が悪いことはなかったしな」
「つまり、私たちがこの世界に来るためには、もう一つのトリガーが必要だということかもしれないわね」
「文明を発展させるのはいいことかもしれない。だけど、文明というものは、理性とともに発展するべきだ――」
「驚いたわ。ずいぶんと理知的な言葉を吐くのね」
御木本かすみが、驚きの眼を以て俺を見た。考えてみれば結構失礼な言葉だ。だが、これは俺の発言ではない。誰から聞いた言葉だろう。
「そうだった、こいつはヴェルダの言葉だ」
「ヴェルダって、あの未来を見通すことができるという、大魔法使いヴェルダのこと?」
「なに、ヴェルダのことを知っているのか?」
俺はおどろいた。まさか、御木本かすみが彼女の事を識っているとは夢にも思わなかった。こいつは迂闊といわれても仕方がない。
「これでも私は国王の秘書を務めているのよ。王が血眼になって獲得に躍起になってる彼女のことを、私が識らないわけがないでしょ」
「……そうだったな」
「さあ、聞かせて。彼女とあなたは知り合いなの?」
気が付けば、他の3人も議論をやめて俺のことをまじまじと見つめている。俺は完全に追い詰められてしまった。余計なことを言っちまったな。失言っていうやつだ。
4人から追及された俺は、たちまちジリ貧になった。俺は口がそれほどうまくないんだ。
追い詰められた俺は、とうとう彼女との経緯を話した――
『懐かしい顔ぶれ』その5をお届けします。
次話は水曜日を予定しております。




