表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
110/145

その8

 最後の攻防がはじまった。

 アキレスはガードを固め、さながらアクセルしかないトラックのように突進してきた。いかなる打撃が来ても、受け、キャッチして極める。その目的に特化した構えだ。

 やつの覚悟に、俺も乗った。

 この突進から逃れてはならない。そいつは悪手だ。

 少しでも逃げの姿勢に入ったが最後、たちまちこの男の間合いになってしまうだろう。


 逆に俺は前に出た。カウンターの右膝だ。

 烈しい衝撃が、俺の膝に伝わった。

 奴は姿勢を低くし、額で俺の膝を受けたのだ。骨と骨がぶつかり合い、下半身が軋んだ。凄まじい痛みの残滓が右脚に散っている。

 アキレスは笑った。額から血を流しながら。

 俺の右膝を、奴が両手で抱え込んでいる。あの自動車事故のような衝撃から、足を掴む執念が怖ろしかった。


 当然のように、彼は右足を引きずりこもうとしてきた。寝技の泥沼に。その流れに素直に応じてやる義理はない。俺は足を踏ん張って、猿臂(ヒジ)を入れた。

 会心の一撃だったが、奴は倒れない。

 アキレスはまだらの紅に染まった顔に、不気味な笑みを浮かべている。こいつが効いてないのか? 俺の顔には、さぞかし驚きの表情が浮いていたことだろう。

 ぐいっと足がやつの方向へ引きずり込まれる。


「これはどうだ――」


 テイクダウンを奪われる寸前、貫手を肋骨の下へ突き刺した。かなり強烈な攻撃だが、アキレスは止まらない。いったいどういう身体の構造をしているんだ、この男は。

 痛みで動きが確実に止まる技だ。

 しかしこの男は痛覚を置き忘れてきたように、怒涛の勢いで俺の上にのしかかってくる。まだしっかりとしたマウントを取っていないにもかかわらず、狂ったように、上から拳の雨を降らせてきた。

 

 颶風のようなパウンドの雨を、俺は冷静に受け流している。まだクローズドガードの状態だ。やつは完全に上を取れていない。俺は足を使いながら距離を取り、アキレスの焦りを誘っている。

 やつのパウンドはさらに勢いを増している。

 もうペース配分も何もない、最後の残り火を燃やすような連打だった。この攻撃が尽きるまで、俺は防御に徹すればいい。

 しかし、それでは勝てないという気がしていた。アキレスの闘志は異常なほどだ。こいつの勢いを止めることができるのは、奴の想像を超える一撃しかない。

 

 アキレスは鉄槌を振り下ろしてくる。

 その振りぬいた瞬間を狙って、腕を掴んだ。もう片手を振り下ろしてくる。そいつも掴んだ。両手の攻撃手段を失ったアキレスが選択した手段――

 頭突きだった。

 これしかないという攻撃だった。

 この距離で炸裂すれば、間違いなくおれの頭蓋骨が砕ける。俺が戦闘不能になるのは確実だった。


 ごつんという鈍い音がした。

 すごい音だった。もしかしたら、観客席まで届いたかもしれないほどの衝撃だった。血が黄色い砂塵を紅色に塗り替えた。


「うぬぐうううううっ!」


 悲鳴を上げていた。アリーナをのたうち回っていた。

 これ以上の戦闘は不可能のように思えた。

 アキレスは、瀕死だった。


 俺は静かに立ち上がった。

 アキレスの頭突きは、読んでいた。

 否、そうなるように誘導したのだ。両手を封じられたアキレスが、最後のカードを切ってくるように。俺はやつの頭突きに、カウンターの頭突きを合わせたに過ぎない。

 

 アキレスの顔面は、無残に崩壊していた。

 鼻骨が折れ、無残に右方向を向いている。おびただしい血がアリーナに流れている。どう見ても、戦闘続行は不可能だ。

 しかし、奴も立ち上がる。

 強い男だ。俺は攻め手を緩めることなく、追撃の蹴りを入れた。狙いあやまたず、蹴りは顔面に炸裂した。俺の脚にやつの血が伝った。

 

「もう、降参しろ、アキレス」


 今度は、俺が言う番だった。


「黙れ、まだだ―—」


 当然のように、奴は屈服をしない。この男は獅子の心を持った、真の闘士なのだ。ならば俺も全力でそれに応えるしかない。

 アキレスは愚直に突進してくる。俺は最高の打撃を以て、これに応じるしかない。

 最初に痛めた左腕も、限界に近い。

 だが、そんなことはもうどうでもいい。

 ありったけの打撃を、ここに置いていく。

 

 アキレスの顎先に、体重を乗せた左猿臂(ヒジ)を入れた。

 奴は、倒れない。さらに踏み込んでくる。

 アキレス。すごいな、お前は。

 その瞬間には、俺は旋回している。


 ぐしゃっという鈍い音がこだました。

 

 やつの顔面に、左の回転肘打ち(ソーク・クラブ)が炸裂していた。俺の出せる最高の一撃だ。

 

 俺を掴もうとしていた両手が、大気を抱きしめるように収斂した。最後まで微塵も闘志を失わない、恐るべき男だった。

 アキレスはアリーナを抱擁するように倒れた。地表にやつの血が染み込んでいく。

 俺はまだ、奴がひょいと立ち上がってくるような気がして、最後まで残身を解かなかった。

 そのまま、どれほどの刻が経過しただろうか。


「――そこまで! 勝者、ボガード殿!!」

 

 進行係のアナウンスが響いた。

 俺はふうっと吐息を漏らした。


「――以上を以て、全仕合終了いたしました。この大会の優勝者は、ボガード・カイドー殿!!」


 アリーナが激しく振動している。興奮した観客が床を踏み鳴らし、地面を、大気を揺らしているのだ。その熱気はアリーナの俺にまで届くほどだった。疲労困憊の極にあった俺だが、この熱気に応えぬわけにはいかないだろう。


 俺は客席に向かって、両手を上げて見せた。

 返ってきたのは、万雷の拍手だった。


「最高の勝負だった、ボガード!!」


「お前は最強の闘士だ!!」


「いい闘いをありがとう、ボガード!!」


 観客席から、温かい言葉が降ってくる。

 頬を濡らす液体が、鬱陶しかった。

 やれやれ、俺はいつからこんなに軟弱になったのだろう。思春期の女の子じゃあるまいし。たかだか観客の声援くらいで、大粒の涙を流してるじゃないか。


 腕で涙を拭ったが、焼け石に水のようなものだ。

 次々と涙があふれ出て、どうにもならなかった。


――俺の名は海道簿賀土(ボガド)

 空手以外、何の取り柄もない男だ。

 37年間、砂を噛むようにして生きてきた。


 そんな男にも、どうやら輝く瞬間があるらしい。

 愚直に生きていくしかできない男でも、栄光を掴むことがあるらしい。こいつがトラックの運転席で見ている夢でなければな。


「ありがとう」


 俺の口から、自然と言葉がほとばしっていた。

 誰に向けての感謝なのか分からない。

 いま、喝采を送ってくれている観客に対してなのか。俺をここまで鍛え上げてくれた師匠に対するものか。この異世界で、俺を援けてくれた人々に対してだろうか。わからない。

 だが、自然とこぼれおちた言葉だった。


「ありがとう」


 もう一度、俺はつぶやいていた。


トーナメント編最終話『強敵乱舞』その8をお届けします。

次話は金曜を予定しております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ