表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/145

その6

「――降伏しろ」


 俺は全身から、汗を滝のように流していた。

 冷や汗かもしれないし、単なる苦痛の脂汗かもしれない。

 完全に極まった腕ひしぎ逆十字から、逃れる方法などあるのだろうか。アキレスが身体を後方に倒すだけで、俺の腕は、マッチ棒のように容易くヘシ折れてしまうだろう。

 

 俺の腕は一度、ゾンバイスとの死闘で折れた。

 あのときはたまたま、治療魔法に特化したラーラがその場に居合わせたから事なきを得たのだ。この医療技術が遅れたこの世界で、まともな手術ができるとは考えにくい。下手をすれば一生、腕が曲がらない状態で生きていかなければならないのだ。

 いや、それよりもこの苦痛から逃れる方が先だ。


「ぬううううっ――!」


 俺は両手のフックが外されたのとほぼ同時に、全身の力を振り絞ってアリーナを走っていた。むろん仰向けにされた状態のままである。

 仰向けに固定された状態でも、足は地についている。そのままばたばたと不格好に地を蹴り、延ばされた腕に対し、身体を縦方向にしようと足掻いた。

 腕と身体の方向が同じになれば、いくら腕を延ばしても極まるものではない。もちろん腕ひしぎの使い手であるアキレスも、そのことは熟知しているだろう。

 当たり前のように、彼は十字になっている状態を維持すべく、砂塵に背を滑らせている。


 俺たちの身体は、まるで巨大で不格好な時計のように、くるくるとアリーナのなかで時を刻んでいる。観客席から見れば、さぞかし滑稽な見世物に映っただろう。だが、当の本人である俺たちは、これ以上なく真剣な攻防をしていたのだ。

 一瞬たりとも止まれない。

 俺が動きを止めた瞬間、腕が折れるだろう。

 ゾンバイスと闘ったときは、腕は折られたわけではない。転倒した衝撃で偶発的に折れたのだ。腕を逆方向に極められ、関節ごと破壊されたら、どうなるだろうか。戦闘続行は見こめまい。痛みのあまり、失神する選手だっているのだ。


 火事場のクソ力とでもいうのだろうか。濛々とたちこめる砂塵のなかで、俺は死に物狂いで、うつ伏せの状態に移行することに成功した。こうなると、足を動かすのがかなり楽になる。

 うつ伏せ状態になっても、アキレスのとる行動は変わらない。ただの腕ひしぎが、裏十字固めに変わっただけである。

 まだ技は解けていない。やつは不十分なこの状況からでも、腕を極めようと力をこめる。俺の腕が、やつの腹の真下でごりごりと悲鳴を上げている。


「うがあああ――っ!」


 俺は猛獣のような呻き声を発して、身をよじった。足がかろうじて、やつの胴に届く。不格好な態勢だった。なんてざまだ。だが、間違いなくさっきより痛みは減少した。

 アキレスは意に介した様子もなく、さらに力をこめてくる。裏十字で極めようという、やつの強い意志を感じた。

 痛みは電流のように全身を苛む。食い縛った歯が折れそうなほどだ。

 この状態を脱する寝技の技術を、俺は持たない。


 打撃だ。それ以外はない。

 俺の脚は、やつの胴に絡んだままだ。その足を延ばした。

 延ばした先に、ちょうどやつの顔面がある。俺は踵でやつの顔面を蹴った。ただでさえ硬い、踵の部分でひたすら蹴られては、タフなアキレスもきついだろう。

 ここから先は、我慢比べだ。

 俺は速射砲のように、やつの顔面を蹴り上げた。

 やつはひたすら俺の腕をネジ折ろうと力をこめる。


 永遠に続くように思われた攻防は、唐突に終わりを迎えた。

 アキレスが諦めて、裏十字を解いたのだ。

 やつの顔面はボコボコだが、大きな損傷を受けたようには見えない。解放された左腕をかばいつつ、俺はアキレスから距離をとった。仕切り直しだ。


 時間にして、わずか5分ほどの攻防だっただろうか。

 それだけの時間で、俺は致命的ともいえるダメージを負ってしまった。左腕がまともに言うことを聞かない。筋を痛めた可能性もある。無論、折られるよりはマシだが、この腕はあと数度しか使えまい。

 俄然、やつは勢いづいて、打撃を仕掛けてきた。


 左ジャブからの右ローキック。

 膝を上げて受けると、おれはすかさず反撃の右ストレートを放つ。浅かった。そのため、遠慮なく距離を詰められ、腕を取られた。

 すぐさまアキレスは、この状態からスクリューのように回転し、巻き投げを放ってくる。俺の身体は重力を失ったかのように軽々と宙を舞い、背中から落とされた。

 すぐにアキレスが関節を狙ってきたら、やばかっただろう。彼の反応は若干にぶく、遅れて俺の身体にのしかかってきた。


 俺はすでに足をやつの方向へ向け、ディフェンスの態勢をとっている。やつの反応速度が一瞬鈍ったのは、偶然じゃない。投げられる直前、膝をやつの腹部にめりこませていたのだ。

 まともに受けてやる義理はない。

 アキレスは俺の準備が万端なのを見て取るや、深入りを避け、距離をとった。奴が突進してこないかを警戒しつつ、俺はすっと立ち上がった。

 

――しかしどうしたんだ、俺は。

 一方的に、アキレスの技術に押されているじゃないか。

 その原因はハッキリしているように思う。俺はビビっているのだ。奴の飛びつき腕ひしぎ逆十字に戦々恐々としているのだ。

 そのため、さっきの右ストレートも伸びが悪かった。

 腕を掴まれないか警戒していたからだ。

 

 腰抜けもいいところだ。先制された関節の恐怖に縮み上がって、いつもの打撃が放てなくなっている。かつて俺が、こんなにも腰砕けになったことがあっただろうか。

 勝負の前に、自分に負けてどうする。


「かあっ――!」


 おのれの迷いを断ち切るように、俺は右の前蹴りを放った。

 煩悩を払うように力をこめたつもりだが、動きが固い。

 自分でもわかってしまうぐらい雑な蹴りだった。アキレスからは、起こりがはっきりと見えたことだろう。

 それどころか、前蹴りに合わせられた。サイドに回り込んで、カニ挟みを決められたのだ。足を絡めとられた俺は、仰向けに転倒した。この状態で最も警戒すべきは、膝十字固めだ。高専柔道から生まれたこの技は、のちの高専柔道でも禁止となった危険な技だ。

 

 するすると、やつの腕と足が、大蛇のように俺の身体をからめとっていく。左脚はやつの両膝に挟まれ、稼働領域の反対方向へ延ばされようとしている。腕ひしぎの脚型といってもいい。靱帯損傷はざらにある、怖ろしい技だ。

 この技のディフェンスは、すぐに背を向けるように、身を翻すことだ。一瞬でも遅れれば、極まってしまう。間一髪だった。

 なんとか俺はやつの仕掛けに対応して、逃れることができた。しかし、やつは諦めない。俺の脚を崩そうと、足を下から触手のように這わせてくる。


 俺は惨めな気持ちで、奴から距離をとった。 

 悔しかった。歯を食い縛りすぎて、つうっと血が口の端から滴った。

 こうも一方的に攻められるのは、これまでなかった。アキレスの野郎は、無尽蔵のスタミナと多彩な関節技をもつ、人間の城塞のようであった。

  

「ボガード、もう諦めたらどうだ?」


 突きと蹴りの届かない、適度な距離を保ったまま、奴が言った。


「……そいつはねえな。それだけはない」


「これ以上続ければ、大きな怪我をすることになるぞ」


「そいつは、こっちの科白だよ」


「――そうか、残念だ」


 もうアキレスは、これまでの仕合を見て、俺の戦力のすべてを見極めたつもりでいるのだろう。だが、俺はまだ終わっちゃいない。まだ出していない技が、俺にはある。


 アキレスは仕合を決めるべく、突進してきた。

 俺もそれに呼応するように、歩を進めた。

 ふたりの打撃が交錯した。


『強敵乱舞』その6をお届けします。

次話は翌月曜を予定しております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ