その4
万雷の拍手のあとの残り火が、今なお客席に燻っている。
王からありがたいお言葉を賜った俺は、静かに頭を下げ、地下へ戻っていくところだ。ほんのわずかな、戦士の休息というところだろうか。
額からしたたる汗も、今はただ心地いい。
暗い地下に眼を慣らすため、呆然とたたずむ俺の身体に、ある種の強い想いが次第に満ちてくるのがわかる。安堵感だろうか――それもある。
(あとひとつだ)
その想いが、俺の心を満たしている。
この長い闘いも、いよいよ終着点が見えてきた。五体の各箇所あちこちが、うるさいほど痛みを主張している。しかし、そいつの首根っこを押さえつけ、最後の勝負に臨まなくてはならない。
次に闘いを控えているアキレス、マクザクの両雄の姿が見える。アキレスは精神を集中させているのか、瞳を閉じてこちらを見ようともしない。
俺は彼らの集中を妨げぬよう、静かにそこを離れた。向こうの方で、ソルダとエルセラが待っている。
「師匠、お疲れ様でした」
頬を上気させながら、少年は俺に水筒を手渡してきた。
勝利の余韻、冷めやらぬという顔だな。俺は察し、渡された水をなるべくゆっくりと飲んだ。それでも乾いた喉を満たすほどではない。渇きがあった。
「――見てて冷汗かいたよ。危なっかしい仕合だったね」
「自覚はあるさ」
「それじゃ、次はもっと楽に勝ってほしいものさ。見てるこっちまで冷や冷やしちゃうよ」
「無理を言うな」
次はおそらくアキレスと当たることになるだろう。どう考えても、楽には片づけられない相手である。俺は水筒を逆さに振りながら、次の仕合は見逃すわけにはいかないと考えていた。
「エルセラ、頼む」
「わかった。そういうと思ってたよ」
少女はどんと胸を叩いて、頼もしく請け負ってくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「どうやら、まだ終わっちゃいないみたいだね」
「意外ですね、師匠」
俺たちが使われない仕掛け部屋の窓からアリーナを覗きこむと、アキレスとマクザクのふたりはファイティングポーズをとって対峙したまま、微動だにしていない。
先ほど闘ったグラハム・ヘンダーランドの評価によると、マクザクは簡単に勝てる相手だという。それがつまらないと考えたグラハムは、アキレスと闘う羽目になるリスクを承知で、入れ替えのクジ引きを提案し、なんとか俺との対戦をつかみ取った。
それが真実だとしたら、アキレスはマクザクを瞬殺していてもおかしくない。現にアキレスは、ここまで対戦相手を一瞬で仕留めてきている。
今回に限っては違う。アキレスは俺たちが到着するまで、攻撃を仕掛けることもなく、マクザクをじっと睨んでいる。最初はアキレスが、準決勝戦ということで、少し慎重になりすぎているのだと思った。
どうもその感想は、俺の見当違いかもしれない。グラハムのやつは、なにか見落としているんじゃないのか。そんな気がしてきた。
やがて、両者の間合いに変化があった。
アキレスが動いた。
彼が、ゆるりと距離を詰めた刹那だった。
そのはるか下のアリーナの砂地ギリギリを、滑るように突進する両の腕があった。――マクザクだ。
まるでアキレスの呼吸を読んだかのように、抜群のタイミングで遠距離の片足タックルを仕掛けたのだ。アキレスは片足を踏み出したばかりで、対応する姿勢になっていない。
このタックルは決まった。
巧い。俺は舌を巻いた。
すかさず残った軸足を、足払いで刈りにいくが、さすがにアキレスは簡単には倒れない。絶妙なバランス感覚で、地に根が張ったように立っている。
しびれを切らしたマクザクは、意外な手に出た。
取った足を軸に、身体を強引に旋回させたのだ。
危険なダイブだった。これは片足の状態で立っている、アキレスはたまらない。下手に踏ん張ってしまえば、筋を痛めてしまう。
それを防ぐためには、流れに身を任せるように、自らも同じ方向に旋回するしかない。瞬時の反応だっただろう。一歩遅れれば、ここで勝負がついてしまった可能性だってあるのだ。
見事にアキレスをテイクダウンすることに成功したマクザクだが、この技術の欠点は、折角キャッチした足のクラッチを離してしまう点にあるだろう。
もうアキレスは仰向けながら、足をマクザクの方へ向けたディフェンスの状態にある。マクザクがこの状態を崩すには、接近を阻むアキレスの足を、じっくりと剥がしていかなければならないだろう。
大変な労力を必要とする作業だ。
結局マクザクはそれ以上の攻防をあきらめ、間合いを開けた。俺としては、このマクザクの態度は意外だった。てっきり、寝技の展開のほうが得意な選手なのだと思ったからだ。
再びスタンド状態に戻るということは、立ち技のほうに自信があるのだろうか。俺としては現時点でのマクザクの狙いがよくわからない。
「なあ、マクザクという男は、タックルが得意なのか?」
俺はエルセラに尋ねた。予想屋の彼女なら、大雑把な選手のデータは頭に入っているだろう。
「いや、この大会じゃ使った事がないよ」
なるほど、これがマクザクの隠し玉か。
再び両者は、立った姿勢のまま対峙した。
先ほどと同じ状態のようだが、少し違う。さっきと違うのは、マクザクは1枚、カードを切った状態だということだ。あれでアキレスには、マクザクがタックルを使うという心構えができた。
彼の優位な状況が、ひとつ崩れたと考えていい。
今度は、立ち技の攻防となった。アキレスが打撃を仕掛け、マクザクが応じる。なるほど、マクザクは立ち技主体の選手のようだ。ブラフかもしれないが、そのように見える。
「マクザクは、どうやって勝ってきた?」
「もう――、お金を取るよ!」
と、やや不機嫌そうに応えた少女は、ポケットから沢山の紙切れを紐でまとめたメモ帳を取り出した。そいつをペラペラとめくりながら、
「全部立ち技で勝ってきてるよ」
「なるほど、それでグラハムは――」
「まあ、グラハムの提案前の下馬評じゃ、決勝はアキレス対グラハムが確実視されてたね。あいつの余計な発言のお陰で、賭けの方は大混乱になっちゃったけど」
今回の大会では、公然と賭けが行われている。賭けは大きく二つに分かれており、どちらが勝つか、マッチメイクそのものに金を投じる部門と、選手個人に金を賭ける部門である。
マッチメイク部門は、対戦相手が理不尽に変更されたため、今回に限り、払い戻しの措置が取られるようである。一方で選手個人に賭ける部門は、まだ生きている。こちらの方は、ラーミアのような仕合そのものとは関係ない、アクシデントで消えた選手に賭けた場合であっても、払い戻しの措置は取られない。
「今回はマッチじゃ稼げなかったけど、あたしは個人でも、ボガードに大金賭けてるからね。次も頼むよ」
「微力を尽くさせてもらうよ」
満足げな笑みを浮かべたエルセラを放置して、俺は視線をふたりに向けた。打撃の攻防では、ややアキレス優位に進んでいる。サンビストであるにも関わらず、打撃も一流か。これでは確かに、グラハムでは勝てまい。寝技の展開になれば、あっという間に勝負がついてしまう。
アキレスの左のジャブが入り、マクザクは後ろに下がった。――瞬間、マクザクは距離を胴タックルで詰めている。
すでに予期していたのだろう。すかさずアキレスは冷静にガードを下げて、これに両手であしらおうとした。胴タックルはこれで死ぬ――。
だが、マクザクの狙いは違うところにあった。
マクザクが最初に見せたタックルは、アキレスのディフェンスを誘う撒き餌だったのだ。
ガードを完全に下げたアキレスの顔面に、マクザクのまるまった背中の後方から、遅れてやってきたものがある。
死角からのオーバーハンドブローだ。
これはかわしようがない。
最初から、こいつが狙いだったのか。
よく練られた作戦だ。最初にタックルで倒されたアキレスは、ずっとその対応を考えていただろう。そして今度は、まんまとタックルは防がれた。
しかし真のマクザクの狙いは、タックルではない。死角から放つ、見えざるオーバーハンドブロー。これはさすがに、俺も予想していなかった。
だが、それを読んでいた者がいる。
アキレスだ。食らったように見えたが、それは錯覚だった。
すでにアキレスは、その打撃をキャッチしている。そして跳んでいる。まるで蜘蛛の糸に飛びこんだ哀れな蝶のように、マクザクはなすがままだ。
彼の身体が一転し、仰向けに転がされたとき、すでにその技は完成している。
飛びつき腕ひしぎ逆十字――。
そいつが今まで、アキレスが相手を一瞬でねじ伏せてきた技の正体だった。
マクザクの撒き餌は完璧なように見えた。
だがすべてを読み切ったアキレスは、その上をいった。
アキレスの口が何事か動いた。それは「降伏しろ」という言葉だったかもしれない。マクザクの首が左右に振られたからだ。
アキレスは一切の躊躇もなく、折った。
彼が手を離すと、マクザクはアリーナをまるで芋虫のようにのたうち、転げまわっている。誰がどう見ても、戦闘続行は不可能に見える。
「勝者、アキレス殿――!」
やがて、静かになった場内に、勝者のコールが響き渡った。あっけにとられた観衆は、その声で我に返った。沈黙を埋めようとするかのように、大きな喝采で勝者を讃えている。
番狂わせは起こらなかった。
ただ、アキレスの底知れない強さが光っただけだ。
「あれを、どう凌ぐ――?」
いまの俺には、その解決策が見いだせなかった。
『強敵乱舞』その4をお届けします。
次話は水曜日を予定しております。




