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その2

 爽やかな涼風が俺の頬を撫でていく。

 早朝から蒼く澄み渡っていた空は、いつのまにか雲が多くなっていた。正午過ぎの厳しい太陽は、雲間から恥ずかし気に顔を覗かせるだけだ。

 円形の砂漠には、ふたりの男が立っている。

 俺と、グラハムだ。


「――最初から、狙っていたのか?」


 俺はアップライトに構えながら、尋ねた。


「さて、なんのことさ?」


「とぼけるな。クジ引きの件だ」


「ああ、その件か。まあ、ほとんど博打みたいな強引な手だったけど、やってみるものさねえ」


「なぜ、そんなに、俺と闘うことに執着する?」


「マクザクと闘えば、普通に俺が勝つだろうさ。仕合を見てればわかる。ただ、闘っても面白そうな相手じゃないのさ。つまんねえ仕合より、魅力的な相手と闘いたい――そういうことさあ」  


「アキレスと当たったら、どうするつもりだったんだ?」


「まっ、普通に負けただろうさ。俺とアキレスとの相性は最悪だからさ。でも俺の相手はあんただ。博打をするだけの価値はあったってことさあ」


「なめられたってわけか」


「舐めたわけじゃないさ。冷静な戦力分析ってやつさあ」


「言ってろ――」


 俺は構えたまま、ゆるりと右足を踏み出した。

 グラハム・ヘンダーランドはそれを見て、かなり変則的な構えを取った。半身の態勢から、左腕のガードを極端なまでに下げている。

 右手は、不十分なディフェンスを補うように、顎の前へ持ってきて、急所である顎先をピンポイントで護っている。こいつはデトロイト・スタイルといわれるやつだ。このスタイルで5階級を制覇したトーマス・ハーンズの二つ名を取って、ヒットマンスタイルとも呼ばれている。


 強風に揺れる小枝のように、やつの左肩から下がゆらゆらと左右に揺れる。

 俺の顎先に、鞭のようなしなる打撃が飛んできた。

 素早いパンチだ。まるで毒蛇が鎌首をもたげるように、それは威圧的で俊敏だった。乾いた打撃音とともに、俺の顔が上を向いた。

 まともに正面から被弾しちまった。

 

 朝から体調はよかった。キレもある。

 その自覚があるだけに、俺は戸惑っていた。なぜこの男の打撃は、俺の顔面を的確に射抜いてくるのか。奴の動きはよく見えている。おかしい。どこかに齟齬が生じている。

 その戸惑いから醒めないうちに、やつのフリッカージャブが襲ってきた。

 しなるような打撃が、さらに俺の顔面に叩きつけられた。

 

 ジャブとはいえ、もらい過ぎだ。

 これ以上、追撃を許してはいけない。

 俺は前に出て距離を詰め、ジャブを放とうとした。しかし、グラハムは軽やかなステップワークでサイドに廻り、ふたたびフリッカージャブを放ってくる。

 また頬に被弾した。俺は舌打ちしつつ、反撃のジャブを放つが、届かない。

 どうしてこんなに、パンチの軌道が読めないのか。

 俺はようやく、それに気づいた。


(こいつのリーチは、極端に長いんだ)


 身長は俺よりわずかに低いグラハムだが、腕のリーチは俺よりも長い。そのことを、この男は巧みに隠してきた。そういえばこの男が、まともに腕を伸ばしている姿をおれは視たことがない。後ろ手に組んだり、腕組みしたりと、自分の武器である、その手の長さを悟られまいと工夫していたのだ。

 

 さらにこの男のデトロイトスタイルというのも、俺は慣れていない。いや空手出身者で、初めて見るデトロイトスタイルに対応できる人間が、どれほどいるというのか。

 対峙してわかったが、デトロイトスタイルはオーソドックスな構えの拳の位置より、はるかに低い。視点を中段に向けなくてはならないほどだ。

 そこから、こちらの顔面めがけて、拳が跳ね上がってくる。

 かといって、中段に意識を集中していれば、今度はオーソドックスな位置からジャブを入れてくる。変幻自在なジャブだ。

 

 俺が被弾を覚悟で、自分の距離まで詰め寄ると、グラハムはすかさず足を使ってサイドへ回り込む。自分の距離をキープしつつ闘う、典型的なアウトボクサーだ。

 この男が、俺がカモだと思う理由がわかる。

 俺たちのようなフルコンタクトに慣れた空手家というのは、基本的に打撃の距離が短い。素手による顔面攻撃が禁止されているため、極端な接近戦になることが多いからだ。

 それゆえ、相撲空手などと批判するやつもいる。

  

 その弱点を克服するため、俺の師匠である天空寺猛虎は、大岩流を離れた。独自に顔面アリのルールを採り入れた、天空寺塾を興したのだ。

 俺はその門下生なのだ。顔面アリのルールには慣れている。路上でも、幾度となくボクサーくずれの男と闘ってきた。

 だが、競技自体が顔面に打撃を入れることに特化したボクサーから見ると、まだ俺の打撃は甘いのかもしれないな。

 しかし、そもそも俺はボクサーではない。

 空手家なのだ。

 相手の土俵で闘う必要はない。


「――シッ!!」


 奴がふたたび、ジャブを放った瞬間である。

 俺はそれに合わせて、ミドルを放った。

 相打ち覚悟の攻撃だったが、これは俺に分があったようだ。

 奴はディフェンスが追いつかず、もろに胴へ入った。


 グラハムの顔が、初めて苦悶にゆがんだ。

 どうだい、俺の蹴りの味は。

 やつのジャブは、俺の頭部をかすめたが、それだけだ。蹴りを放てば、自然に頭の位置は後方へと下がる。それが自然とディフェンスになるという寸法だ。

 

 奴がジャブを入れると同時に、蹴りを放つ。

 グラハムのパンチは速いし、遠いが、相打ち覚悟なら、こちらの打撃力が勝る。いくらやつのフリッカーのリーチが長いと言っても、蹴りの間合いには及ばない。


「やるねえ、ボガード」


 奴は口笛でも吹きそうな笑顔で、そう言ってきた。

 

「まだ、プレゼント交換会を続けるかい」


 こっちも笑顔で、そう言ってやった。おれはお前の計算通りに仕留められるような、単純なインファイターじゃないぜ。 

 

「それじゃ、もう一つギアを上げようか」


 再び、やつはステップを刻みはじめた。

 空間が揺らめき、グラハムはその場に残像を残して俺へと接近していた。たしかに疾い。速度は今まででピカイチだ。

 それとも、今までの速度は、俺の眼を慣れさせるためのブラフだったのだろうか。その可能性もある。

 奴は電撃のような踏み込みと同時に、凄まじい左ジャブを放った。

 どれだけ速くても、ジャブでは――


 猛烈な悪寒を覚えた俺は、カウンターの蹴りをやめ、防御に徹した。だが、頭部を覆うようにガードした、そのわずかな隙間を狙って、それは飛んできた。

 拳の上スレスレを通過して、やつのフリッカージャブが――

 違う、これは左のロングフックだ。

 今までの攻撃は、この一撃への布石に過ぎなかったのだ。

 脳が揺らされた。まずい、平衡感覚が消失している。


「勝ったさああああ!!」


 勝利を確信したのか、やつはラッシュに入った。

 左右の連打が、無数の蛇の群れのように俺に食いついてきた。削られている。このままでは、ダウンを奪われる。倒れたら負けだ。

 どこからか、少年の絶叫が聞こえたような気がした。そうだ、ここで負けるわけにはいかない。ソルダに約束したのだ。エルセラに約束したのだ。絶対に勝つと。


 こういう時にものを言うのは、とびきりの奇策じゃない。

 今日まで、どれだけのものを積み上げてきたかだ。馬鹿のひとつ覚えのように繰り返してきた、日々の鍛錬がものを言うのだ。

 俺には、なにがあるのか。

 ひたすら自分を追い詰めた先に待っているものは何か。


 無意識に俺は、打撃を放っていたようだ。

 誰かの絶叫が、鼓膜を叩いている。ソルダか?

 いや、グラハムだった。

 俺を一方的に攻撃していた、グラハムがなぜ――


 やつは、胸を押さえて、呻いている。

 俺の攻撃が、奴に痛手を与えたようだ。

 これは好機だ。俺は思考する余裕すらなく、次の一撃を放っている。むろん、相手も棒きれのように突っ立っているわけじゃない。反撃のパンチを返してきた。


 タイミングはほぼ同時だった。奴には長いリーチがある。俺の拳より、先にグラハムの打撃が炸裂すると思ったが、そうではなかった。

 グラハムは、今度は喉を押さえて、後方へとはじけ飛んだ。同時なのに、なぜ俺の打撃が先に当たったのか――?

 

 不思議だったが、その理由がわかった。

 俺は拳を握ってはいなかった。

 貫手で、やつの急所を射抜いていたのだ。


『強敵乱舞』その2をお届けします。

次話は金曜日を予定しております。

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