その7
太陽が地平線から身を起こした。
鋭い朝陽が窓から投げかけられ、その欠片が目蓋ごしに俺の瞳をちくちくと痛めつけてくる。
おや、こんなはずはない。俺は抗議の意をこめて、そちらを睨みつける。寝る前に遮光用の布を下ろしておいたはずだが、そんな事実はなかったといわんばかりに、そいつはくるくると丸められて窓の上に留められている。
「……なにをやってる」
「朝ですから、窓を開けています」
少年のきびきびした声が返ってきた。
やれやれ、あんな目に遭わされた翌朝だというのに、元気なことだ。ソルダはいつものように、部屋の掃除を始めた。ここは『太陽と真珠亭』のように、ほとんど借主がすべての雑務をこなすような安宿じゃない。
『栄光の担い手』のサービスは完璧だ。俺たち客が、宿側の仕事を奪うべきじゃないのさ。
「そんなこと言ってないで、師匠も起きて下さい」
「そんな義務はない」
はっきりと言ってやった。
俺は仕合が終わった後、フケちまったので詳細は知らなかったが、この日は王の一言で休みになったということだ。正直に言って助かったとしか言いようがない。王の気紛れも、たまには役に立つこともあるんだな。
連戦に次ぐ連戦で、俺の身体は悲鳴をあげていた。番外戦として、もうひと仕合やったのが途轍もなくキツかった。その報復措置として、おれはまる一日、寝こけてやるつもりだった。
コンコン、という遠慮がちなノック音がひびき、俺は不機嫌にドアを睨みつけた。ソルダがさっそく応対に向かう。
俺はどうしても寝てやるという気持ちで、ベッドに頭をうずめた。それがいかに無駄な抵抗だとしてもだ。
「あの、師匠……お客さんです」
メルンのことをソルダはお客とは捉えていないから、正真正銘の来客なんだろう。まったく、こんなタイミングの読めない客は誰だ。俺はあくびを噛み殺しながら、椅子へと向かう。
「やあ……」
客というのは、アリウス・マクガインだった。『蒼き獅子』の一員で、俺とメルンとはかつてパーティーを組んで、共に戦った仲間だ。彼は勧められるまま、ソルダが持ってきた来客用の椅子に腰を降ろし、俺と向かいあう形で茶を飲んでいる。
それにしても、ずいぶんと屈託のある笑みを浮かべている。曙光を受けて、王冠のように輝く金髪も、まるで萎びて見えるほどだ。
「ボガード、おまえには、かなり迷惑をかけてしまったようだ。団を代表して謝罪するよ」
「そんな詫びはいいさ。それよりも、ラーミアはどうなった」
「王国が主催し、国王陛下が最前列で観戦されているトーナメントをすっぽかした上、児童誘拐を行い、出場選手と私闘を行ったんだ。本来ならば、打ち首も視野に入れなければならないほどの罪だ。だが――」
「それほどの罪にはならないんだろう?」
「まあ、そうだ。それも決定ではないが……」
「そうか」
それだけ聞けば充分だ。軽い笑みが、口の端に浮いてくる。
「ボガードがあまり重い罪にならないように、働きかけたんだろう? ありがとうよ」
「ラーミアを衛兵に突き出したのは、俺の身内が害されるという危惧があったからだ。――そいつもレミリアがどうにかしてくれるという。ならば、俺としちゃそいつを信じるしかないさ」
「本当に今回は迷惑をかけた」
アリウスはぺこりと頭を下げた。俺としては、その謝罪を受け取るつもりはなかった。事件はラーミアが起こしたもので、アリウスの罪ではない。どうしても謝罪をしたいというなら、ラーミアが直々に謝罪に来るべきだと思う。
もっとも、あの女と親しく茶を飲むなんて、ちょっと想像もできないが。そんなことより、俺はアリウスに訊いておくべきことがある。
「この先、『蒼き獅子』はどうなる?」
「――正直、今回の件で受けた団のダメージは、計り知れない。大衆の眼は、ときに残酷なものだ。人々は、ラーミアの犯した罪を、そのまま『蒼き獅子』が起こしたこととして見るだろう。団のイメージは地に堕ちる」
「やはり、そうなるか」
「ああ、彼女を追放処分にしたところで、それは避けられない」
「どうするつもりだ?」
「どうもこうもないさ。1から出直しだ。コツコツと仕事を受けて、そいつを完遂させる。それを積み重ねることでしか、失われた信頼は戻ってこない」
「茨の道だな……」
「ああ。それでこそ突破しがいがある」
アリウスと俺は眼を合わせると、どちらともなく笑いだした。俺たちの会話を聞いていたソルダは、驚きに眼を瞠った。どこに笑うポイントがあったのか、理解できない様子である。
俺たちは、あの巨大漆黒狼との対決から命を拾った、いってみれば同志だ。今後『蒼き獅子』は、信頼回復のため、さらなる高難易度の依頼をこなし続けねばならないだろう。
「アリウス、くたばるなよ」
「ああ、せっかくあの修羅場から生き延びたんだ。意地でも生き残るさ。あの世でラルガイツの奴に、何を言われるか分からないからな」
「違いない」
アリウスは去った。俺はやつが出て行った扉を、じっと見つめていた。まるでそこに、やつの背中があるように、俺は心の裡で語りかける。安心するがいいさ、アリウス。お前たちを非難する声は、ほどなく鎮火するだろう。
俺が優勝を勝ち取って、アコラの町へ凱旋すればな。
そうなれば、移ろいやすい世間の関心は、おれと、『白い狼』へと注がれるだろう。決意を新たにした俺は、杯に残った茶をすべて飲み干すと、ふたたびベッドへと身を横たえた。
それは明日以降のはなしだ。
いまはただ、ひたすら睡眠が欲しい。
ソルダが俺に対して、何事か言おうと口を開きかけたときだった。ふたたび、部屋の扉がノックされた。なるほどな。神様の野郎は、どうしても今日、俺に惰眠を貪らせる気はないらしい。
「どちら様でしょうか」
「私はケリドアンと申すものです。本日、王都を発つのですが、その前に是非、ボガード殿にご挨拶しておきたいと思い、伺った次第です」
「でも、師匠は――」
「その男を、奥へ通してくれ」
ケリドアンという名には、心当たりがあった。記憶違いでなければ、俺とAブロックの最後の椅子をかけて闘った相手だ。果たして扉から現れた人物は、燃えるような赤い長髪の男だった。身長は俺より10センチほど低い。そのときには俺はすでにベッドから身を起こし、差し出された彼の手を取っていた。敗者が勝者の許にやってくるのは、勇気がいることだ。
改めて見ると、やはり彼は小さい。こんな体格の彼が、仕合では俺と五分に渡り合ったのだ。俺は彼に先ほどまでアリウスが座っていた椅子を勧めた。
「――いや、高慢の鼻をへし折られました」
そういって、快活に笑う彼の顔に、翳はひとつもない。
「そいつはこちらこそだ、ケリドアン。あんたの克己心には感服した。あの連打。あの無限かと思われるような体力――常人の何倍も練習を積んでなければ、とても可能な動きではなかった」
「それでも、あなたには及ばなかった」
「そいつは俺が、ちょいとしたずるをしたからだ」
「ずる――?」
「投げと関節技で、あんたのスタミナロスを狙ったんだ。まともに打撃でのみ闘っていれば、勝負はわからなかったかもしれない」
「それも、あなたの技術ではないですか。私には、あの投げと関節技に対抗できる技術がなかった。それだけです。しかもその後、しっかりと打撃で気絶させられている。あの蹴り――本当に見事でした。あんな、相手の死角を衝くような蹴りがあったのですね」
「ああ、簾という技だ」
「憶えました。次に闘うときには、あなたの遣った技は私のモノになっていますよ」
「そいつは怖いな。だが、俺の引き出しの中には、まだ色んなモノが残っているぜ」
俺たちは笑って握手を交わし、別れた。彼の故郷はプロメタという町だそうで、そこの代表選手としてやってきたそうだ。まあ、俺も彼の研鑽に負けぬぐらい練習を積む必要があるだろうな。
それはそれとして、疲れた。もう休んでもいいだろう。
俺がふたたびベッドへと身体を沈めた瞬間だった。
ドアのノックする音が響いたのは――。
「バーダックさんがお見えですが」
応対に向かったソルダの声は、どことなく笑いを含んでいるように聞こえた。俺の思い過ごしかもしれないが。――もういい。誰だろうが相手になってやる。俺は不貞腐れて、半ば自棄になっていた。
そうして俺の、せっかくの休日は、あっというまに過ぎていった。体感としては、煙草一本分の長さだぜ。
――だが、最後の来客で少しだけ救われた。
「エルセラさんが見えました!」
ソルダの弾んだ声とともに、元気そうなエルセラが手を振りつつ現れた。結構な時間、あのゴリラ女から首を締め付けられていたので心配だったが、一時的な窒息状態になっただけで、どこにも怪我はなかったという。
「そいつはよかった」
「そんなに良くもないけどね」
「なぜだ?」
「昨日、今日と稼ぎがパーだよ。お陰様で、メシ代にも事欠く有様さ」
「だったら、そいつは俺に奢らせてくれ」
「……お恵みかい?」
「いいや、優勝の前祝いってのは、どうだ?」
「ずいぶんと、大きく出たね」
苦笑とともに、少女は片手を差し出してきた。俺はナイトのように、うやうやしくその手を取った。こうしてこの慌ただしくも何の身もない一日は、ちょっとだけ豪華な食事と、笑顔で幕を閉じた。
まあ、こんな日もあっていいさ。
『羨望と憎悪』その7をお届けします。
次話は翌月曜を予定しております。




