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その6

 その日、レミリアには仕事がなかった。早朝から軽く剣の稽古をして、井戸水で身を清めると、傭兵ギルドへと赴いた。その途中の出来事だったという。


「おはようございます、レミリアさんでよろしかったでしょうか」


 その穏やかな声に、レミリアはふりむいた。

 ひょろ長いという形容が、ぴったりな男だったという。

 どこか異様な雰囲気を、漂わせていた男だったという。

 それが、数多の戦場を駆け巡ってきたレミリアの、ゾンバイスに対する第一印象だった。


「私の名は、ゾンバイス・バイパーといいます」


 男は名乗った。銀色の髪をしたその男は、村から出てきたばかりというような、素朴な服装をしていた。寸鉄も身に帯びていないことは、傍目からもよくわかった。


「それ以上、近寄るな」


 それでもレミリアは、男に対する警戒を解かなかった。ゾンバイスと名乗る男は、微塵も戦力を有していない。にも関わらず、レミリアは肌が粟立つのを抑えることができなかったそうだ。


「安心してください。危害を加えるつもりはありません」


 ゾンバイスは笑みを深くした。レミリアには、男から微風のように漂う、獣臭のようなものが感じられたという。このゾンバイスと名乗る男には、もうひとつの顔がありそうだ。彼女はそう見当をつけた。

 両者の距離は、およそ3歩ほど。会話をするには、あまりにも不自然な距離を保ったまま、ふたりは対峙していた。


「あなたに、お渡ししたいものがあります」


「近寄るなと言っている」


 レミリアは戸惑っていた。正確には、衝動と理性、ふたつの想いに身を引き裂かれていたという。機先を制して、剣で斬りかかりたいという衝動と、丸腰の相手に斬りかかってはならぬという理性である。

 俺はレミリアが理性的な人間でよかったと思った。

 もし彼女がラーミアのように感情的な人間であれば、凄惨な闘いに発展していた可能性が高い。いや、果たして本気になった人狼相手に、勝負になったかどうか。


 彼女の逡巡を解いたのは、ゾンバイスが放った一言だった。

 

「あなたの妹、ラーミアさんが、王都で事件を起こします」


「なに、ラミが? いや、貴様どうして妹の名を――」


「この手紙を読めば、もっと詳しいことがわかるかと思いますが」


 男は一葉の封筒を懐から差し出した。

 警戒心はあったが、その言葉は劇的な効果を彼女にもたらした。雷光もかくやというような速度で、レミリアは封筒をもぎとり、封を破り、その場で読み始めた。そして度肝を抜かれた。


「なにが書いてあったんだ?」


 興味にかられて、俺は尋ねた。

 レミリアはどこまで話したものかというような顔つきで、形のよい顎先に手をやり、


「……手紙は3枚あった。1枚目には、私とラミが交わした、ふたりだけしか知らない会話の内容が記されてあった」


「なるほど、それで――」


「その男に対する警戒心など、あっという間に吹っ飛んでしまった。私は貪るように2枚目の手紙に眼を通した。すると、そこには王都でラミが起こした――あるいはこれから起こすであろう事件が、詳細に記されていたのだ」


「信じたのか?」


「到底、信じられぬ。だが一笑に付すには、あまりに記されている内容が具体的で、生々しかった。特にラミがお前に示した態度は、いかにも直情的な、あの子らしい行動だと思わざるを得なかった」


 3枚目は、ある場所を記した地図だったという。

 それで俺は思いだした。メルンとソルダが衛兵を呼びに行っている最中のことだ。グルッグスは音もなく隠形で去ろうとした。衛兵に彼の存在を説明するのは、いかにも難しい。消えるのが手っ取り早い解決法であることは明瞭だった。

 だが、俺は訊かずにはいられない。


「お前がここに来たのは、偶然ではないのだろう」


 グルッグズは口の端をわずかに緩め、


「無論。すべてはヴェルダ様の指示通りでござるよ」


「お前はどうしてヴェルダの命令を聞くようになったのだ」


 おれには魔女狩りが、魔女に従う構図が、どうもしっくりこなかったのだ。

 グルッグズが答えるには――ある日のこと。かれが潜伏していた場所に、一羽の白い小鳥が舞い降り、手紙を落としていったという。その手紙を読んで、彼はすっかり感服してしまったそうだ。


「魔女というものは、ワシにとって単なる狩りの対象に過ぎませなんだ。しかし指定された場所に現れた魔女ヴェルダの存在感は、このワシを圧倒しました。あのような計り知れぬ御仁を殺めようとしていたとは、いやまったく、我が身の不明でござった」


――そう、グルッグズも、おそらくはメルンも、すべてヴェルダの指示通り動いていたというわけだ。ヴェルダは言った。予知も万能ではないという旨のことを。

 メルンとグルッグズは、俺とソルダを護るという指示を受けて、先に王都へとやってきた。彼らは詳細な命令を受けていたわけではないのだろう。

 もし予知が完璧なものであれば、未然に事件は防げたはずだ。 


 おそらくその時点では、まだ、ラーミアの起こす犯罪の全容はわからなかったのだ。ラーミア本人とて、具体的な計画があってやったことではないだろうから、当然だ。

 おそらく時間の経過とともに、予知は具体的な形を取り始めた。この事件を解決するには、もうひとり鍵となる人物が必要だ。そう判断したヴェルダは、レミリアに白羽の矢を立てたのだ。

 

 レミリアは話をつづける。


「それでこれは誰の差し金だと聞くと、予言の魔女『ヴェルダ』の使いというじゃないか。いま冷静に思い返すと、あまりにも胡散臭い話だったが、もう当時の私には落ち着いて考える余裕などなくなっていた。私はゾンバイスから、まず最初にボガード、お前の宿を訪れるように言われていた――」


「俺の宿へ? 随分、迂遠なことだな」


「無論、最初は直接倉庫へと向かうつもりだった。だが馬車に揺られているうち、私は次第に冷静さを取り戻していった。ばかばかしい。こんなことが現実に起こるはずがない。そう思った私は、お前に文句のひとつもぶつけて帰ろうかと考え直していたんだ。王都へ着いてすぐ、私は『栄光の担い手』へと向かった――」


 そこで彼女は、宿の受付から、俺が円形闘技場へと出かけたと伝えられた。仕方なくレミリアは、次に円形闘技場へと出向いた。

 俺の仕合は、よりによってトーナメント初っ端のAブロックだ。遅れてやってきても間に合うものではない。――しかも俺は、仕合の直後に姿を消している。

 その時点の俺は、ラーミアからの手紙を受け取っているから当然のことだ。エルセラの助けもあり、馬車で飛ぶように倉庫へと向かっていた頃合いだ。

 

「……その時点で、ようやく私は事態を重く考えはじめた。ちょうどそのときだった。現場に残されていたという紙片が、騒動を読んでいた。『――少年はあずかった――』という手紙だ」


 俺の顔には、さぞかし苦いものが浮いていただろう。その手紙は、うんざりするほど記憶に残っている。お陰で俺は平静さを失い、勝利も失うところだったのだ。


「衛兵たちが、その紙片がいたずらか否か、議論を重ねていた。あまりにも漠然とした内容だったので、いたずらではないかという意見が大半を占めていた。しかし私にはわかった。その紙片がだれが書いたものか。見覚えある乱暴な筆跡。ラミが記したものに相違なかった」


「その後、倉庫へ――?」


「ああ、場所はわかっていた。最初から向かっていれば、ラミを犯罪者にせずに済んだのに――すべては、私のつまらぬ猜疑心が招いたことだ。もっと(さかのぼ)るならば、私がお前の悪口を、ラミに吹きこんだせいだ。今回の事件の全責任は、私にある……」


「で、どうするつもりだ?」


「私は幹部の座を降りる。――いや、『白い狼』そのものも辞するつもりだ」


「つまらんことを言うな。誰がそんなことを望んだ」


「だが私には、他に責任の取りようがない」


 レミリアは、そうつぶやいて瞳を閉じた。沈痛な顔だ。

『白い狼』に所属し、ダラムルスに恩返しをする。それがレミリアの人生の目的そのものだったはずだ。しかし彼女は、志半ばでそいつを放棄するという。

 まったく、責任感の強い人間は、面倒くさいな。


「あんたを幹部と見込んだのは、ダラムルスなんだろう? そんなあんたが幹部の座を放棄したら、彼はどう思うだろうな」


 俺はそう尋ねた。これは堪えるはずだ。

 案の定、見開いた彼女の黒瞳には、迷いの光が浮かんでいる。俺は畳みかけるように言葉をつづける。


「大切な人に砂をかけて去っていくのが、あんたの言う責任の取り方なのか」


「違う、そんなつもりでは――」


 彼女はひたすら首を横に振るばかりだ。どうしたらいいのかわからない、そんな顔をしている。そうかと思えば、彼女は形のよい柳眉を寄せて、また何かを思い悩んでいる。


「そ、それなら……」


「それなら、なんだ?」


「私の身を、お前に捧げる」


 俺は思わず、杯の中身を彼女の顔に吹きかけそうになって、かろうじてそれを回避した。なにがどうなって、そんな結論に達したんだ?


「お前も識ってのとおり、私はすでに清らかな身ではない。気にくわぬかもしれんが、この身体、好きに使ってもらって構わないんだぞ」


 やれやれ、それが自分に課した罰か。レミリアは俺を、一体何だとおもっているんだ。飢え乾き、涎を垂れ流している狼とでも思っているのか。

 しかし、張りつめた顔で俺を見つめているレミリアの表情は真剣そのものだ。確かに彼女は美人だが、わが身を犠牲にするつもりの女性を抱いても、楽しくもなんともない。

 さて何と言って断ったものか。思案に暮れていると、思わぬ方向から助け船がやってきた。


「だめー。ボガードは、私が先約」


 いつのまにか黒髪の魔女、メルンが颯爽と――でもないが現れて、俺の横に仁王立ちしている。いつもは面倒な世迷言をいうやつだが、今回ばかりは本当に助かった。

 俺も彼女の言葉に乗って、


「そういうわけだ。残念だが、その提案は却下だ」


「しかし、そうしたら私の責任が……」


「わかったわかった。あんたに対する俺の要求は、ふたつある。そいつで、チャラにしよう」


「ふたつの要求……だと?」


「そうだ。まずひとつ。ラーミアが出獄したら、全力で彼女の暴走を止め、俺への――あるいは俺の周囲への――攻撃をやめさせること。できるか?」


「で、できる! いや、やってみせる!」


「もうひとつは――」


「もうひとつは、なんだ?」


「少しは、俺を好きになる努力をすること」


 この言葉に、レミリアはぶっと噴きだした。


「……そ、そんなことでいいのか?」


 笑いをこらえている顔で、彼女は念を押してくる。だが、こいつは笑いごとではなく大事なことだ。そもそも今回の騒動は、彼女の、俺に対する反撥心が端緒となっているのだ。つくづく、敵は作らないようにするに限るぜ。


「それでいい」


「わかった。努力しよう」


「頼む」


「――だが、ボガード。お前も変わった男だな」


「そうか?」


「そうだ。『白い狼』の幹部を抱けるチャンスなんて、もう二度とないかもしれないんだぞ?」


 そういって微笑む黒真珠のような瞳には、もういつもの、芯の通ったレミリアらしい、強い光がよみがえっている。内心、俺は安堵していた。どうやら普段の調子をとりもどしたようだな。

 俺は杯を置いて、ゆっくりと立ち上がった。バランスは思ったより取れている。闘いの後のアルコール摂取なんて、医者が見たら卒倒するだろうさ。


「……俺はこう見えてもおっさんなんだ。今日はすでに王国の強豪と2連戦をやって、そのあとラーミアとも闘っている」


「つまり?」


 妖しく輝くふたつの黒真珠へ、俺は小さく手を振った。


「4戦目は、身が持たねえってことさ」


『羨望と憎悪』その6をお届けします。

次話はできれば金曜日にお届けしたいと思っております。

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