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その5

 遠い声の波濤が、たえまなく、虚ろに俺の耳に響いている。

 酒場のざわめきが、どこか俺の心に安心感を与えてくれる。いつもの日常に回帰したという実感があった。

 円形のテーブルをさしはさんで、俺はひとりの人物とサシで酒を飲んでいる。その、俺の対面(トイメン)に座った女性は、まっすぐに俺の眼を見て、


「――すまなかった……」


 と、謝罪した。

 

「顔を上げてくれ、レミリア。あんたに罪はない」


 本心だった。あれだけ俺の仲間を傷つけてくれたラーミアとは、とても共に酒を呑む気分にはなれないが、その感情を姉のレミリアにぶつけるのはお門違いだ。

 連座制というシステムは、嫌いだった。

 罪は犯した人物のみが負うものであって、その家族がとばっちりを受けるというのは、俺としては馴染めない考えだ。だが、レミリアは続ける。

 

「しかし、お前の仲間を、私の妹が傷つけてしまった事実には変わりない。ラミがここにいない以上、罪の償いは私がしなければ――」


 そう、ラーミアはこの場にはいない。

 俺たちは衛兵を呼んで、事件のあらましを語り、彼女を突き出した。

 さすがに内輪で済ませるには、ラーミアのやったことは派手すぎた。巻きこんだ人間も多い。そもそも依然として彼女の狂気に仲間が巻き込まれる危険性がある以上、放置しておくわけにもいかなかったのだ。お陰様で、この俺も事情聴取を受ける身となり、しばらく兵の詰め所で長話をする羽目になった。解放されたのは、一刻と半ほど経過してからだ。


「罪の償いとは、どういうことだ」


 レミリアは無言でうつむくばかりである。

 俺は面倒になって、こう言った。


「だったら、ここの支払いを頼む」


「――――?」


「それだけでいい」


「そういうわけにはいかないだろう」


「それよりも、俺にはあんたに聞いておきたいことがある」


 俺はエール酒の満ちた杯で唇を湿すと、本題に入った。


「どうしてラーミアは、あんな凶行に及んだのだ?」


 当然の問いだ。ラーミアの口から出る言葉は、憑かれたかのように「姉さん、姉さん」ばかりだった。なにかそこに深い理由がなければならないと、俺は思ったのだ。

 レミリアの口は重かった。容易く語れることではないのかもしれない。だが、俺は識っておかなければならない。――そう思った。

 それはレミリアが3杯目のエールを干した時だった。 

 酒の勢いを借りて、彼女はようやく語り始めた。


「私たちは、このフランデルの生まれじゃない」


「ほう、そうだったのか」


「この眼、この肌をみればわかるだろう」


 なるほど、言われてみれば、彼女の容姿は確かに他の連中と違う。黒髪黒瞳という特徴といい、顔立ちといい、どちらかといえば俺たちアジア人に近い。

 そういえば、フランデル王国で出会った人々は、ほぼ欧米人の特徴を備えていた。黒髪といえばメルンもそうなのだが、彼女の顔の彫りの深さは、やはり日本人離れしている。

 

「私たちは、はるか南のバグラという地方で生まれた。そこは文化というものとはかなり無縁でな。私たちは食うや食わずの暮らしに耐えきれなくなって、北へ逃れることにしたんだ」


「頼るあてはあったのか?」


 レミリアはかぶりをふり、


「そんなものがあるわけないだろう。私たちは親の顔も憶えちゃいないんだ。幼い頃、知らない男に売られて、それっきりさ。それからの毎日は辛いものだった。ラーミアは毎日泣いてね、一緒に逃げようと提案したのはあの子なんだ」


「それで、どうやってフランデルまでたどり着いたんだ?」


「この世界は、見た目ほど美しくもなければ、素晴らしいものでもない。お前だってわかっているはずだろう? 善意だけじゃ、生きていくことはできないっていうことは」


「――そうだな」


 おそらく、ラーミアの言ったことは事実だったのだろう。彼女たちは泥水を啜るような日々を送りながら、どうにかこのフランデルまで渡ってきたのだ。

 しかし、このフランデルが文明国であるにせよ、楽園ではない。簡単に子供ふたりが、生きる糧を得ることは可能なのか――そう思った。

 それが顔に出ていたのだろう。レミリアは微笑を浮かべ、

 

「私はアコラへ着いて、すぐに職を探した。子供で出来る仕事など限られていたけどな。それでもどうにか、女給仕の仕事を得ることができた」


「よかったじゃないか」


「ところが、その酒場は、裏で人身売買の組織と関わっていてね」


 俺はそこで、ようやく先程のレミリアの笑みの意味を理解した。

 彼女が浮かべたのは、自嘲の笑みだったのだ。


「子供ふたりを騙すことなど簡単なことだ。私は仕事を得られたことに舞い上がり、自分たちがなぜ雇われたのか、その真の意味を理解していなかった――」


「なるほどな」


 その、与えられた女給仕の仕事というのも、裏でどこかへ売り飛ばす算段で放った撒き餌にすぎなかったというわけだ。幼いふたりはまんまと騙され、またしてもどこかへ売り飛ばされる寸前だった。


「そこを救ってくれたのが、まだ年若かったダラムルス団長さ」


「――そうか」


 彼女の崇拝にも似たダラムルスへの信奉は、その幼い頃に受けた恩によるものだったわけだ。その後、レミリアはダラムルスの斡旋で、信頼できる酒場での仕事を得ることができた。

 そこで彼女は成長しつつ、願っていたのだ。

 いつか恩人であるダラムルス団長の役に立ちたいと。

――だが、華奢な女性の身で、しかも剣など握ったこともない彼女が、どうやって『白い狼』の一員になれたのか。


「そのへんはお前と大差ないよ、ロームのやつはシゴキが半端なくてね。ついていくのは大変だったけど、落ちるわけにはいかなかったからね」


「なるほどな、俺と同じように、ロームの剣の指導を受けたというわけだ。あいつは厳しい男だとは思っていたが、子供相手でも容赦しない奴だったのか」

 

「そこは団長の意思が働いていたと思っている。女で、ガキだった当時の私は、多少強くしごけばすぐに音を上げて逃げ出すと思っていたんだろう。――でも、私は一歩も譲る気はなかった。文字通り、命がけで試験に臨んでいた。あの人へ大恩を返すためには、絶対に譲る気はなかったんだ」


 レミリアはそうして、『白い狼』への入団切符を、命懸けでつかみとった。ロームのシゴキは、結果的に彼女にプラスに働いた。幼いうちから徹底的に剣の修練を積まされたレミリアは、自分の活きる道を見出したのだ。

 力では男どもには劣る。ならば敏捷さでは、どうか。

 身の軽さを重視した彼女の剣速に、及ぶものはいなくなった。レミリアの実力は、誰もが認めるところとなり、頑なだったダラムルスも、彼女の存在を無視するわけにはいかなくなった。

 彼女は、やがて団の幹部へと昇進する。彼女は現在のポジションに、この上ないプライドを感じていたのだろう。


 そこから先は想像がつく。そこまで苦労して勝ち取った『白い狼』へ、団長自らのスカウトで入ってきたオールドルーキーがいる。ましてそいつは、昨日今日この国に現れた異世界人ときた。さぞかし、むかっ腹が立っただろうぜ。

 レミリアが、俺へやたら強く当たってきたのは、この団への思い入れが人一倍強いせいだったのだ。そしてその怒りは、彼女のみが抱くに留まらない。


 妹のラーミアも、毎日のように、その愚痴を聞かされていたことだろう。

 そうやって伝播した怒りが、俺と、俺の仲間へと注がれてしまったのだ。思えばラーミアがしょっちゅう口にしていた「コネ野郎」という罵声は、『蒼き獅子』の所属である彼女が、俺に対して発するには、かなり奇妙だと思っていた。


「……お前の考えている通りだ。私はお前に対する愚痴を、妹にこぼしていた。それをずっと聞かされていた妹が、どういう感情を抱くかも考えずにな」

 

 聞けば、かつてラーミアも『白い狼』の入団試験を受けたのだという。しかし、彼女は落ちた。ロームのシゴキに耐えられなかったのだ。俺は、団長から誘われた時点で、入団はほぼ決まっていた。そのあたりの嫉妬もあったんだろうな。

 その後『蒼き獅子』に入団できたことは、彼女にとって幸いだった。だが、比較すれば『蒼き獅子』は実力、人気ともに『白い狼』より一枚落ちる。

『白い狼』への未練を断ち切れないまま、ラーミアは今回のトーナメント参加依頼を受けた。その道中だ。彼女は、俺を乗せた馬車と遭遇した。


 羨望を憎しみに変えて、彼女は俺にぶつかってきた。 

 文字通り、馬車をぶつけてきたのだ。

 あとは俺がこの身で受けてきたことだから、承知している。

 確かにこれは、レミリアの影響が大きいと言わざるを得ない。


「わかったか、ボガード。私は無罪ではないんだ。私が散々ラミに愚痴ったから、あの子はこのような凶行に及んでしまったのだ」


「わかった。だが、わからないこともある」


「わからないこと――?」


「ああ、例えば、あの倉庫にあんたが現れた理由だ。かなり早い段階でアコラを離れなければ、あんなタイミングで現れることはできなかったはずだ」


「それは、お前の関係者のお陰だ」


「俺の関係者――?」


「ああ、お前とラミが王都へと旅立ったあとのことだ。痩せぎすの男が、ふらっと、一葉の封筒を携えて私の前に現れたんだ」


「そいつの、名は?」


「奴の名前は――たしか、ゾンバイスと言ったか」


「何、ゾンバイスだと?」


 懐かしい名前に、俺はぎょっとした。


ラーミア編が思いのほか長くなってしまったので章タイトルを変更しました。

『羨望と憎悪』その5となります。

その6はできれば水曜日にお届けしたいと思っております。

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