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その10

 さて俺は、ダラムルスをリーダーとする『白い狼』に所属することになった。

 当然のことだが所属チームが決まって、それでめでたし、めでたし、ということにはならない。

 まるで剣というものを扱ったことのない新人が、トップグループの傭兵集団に属するということはどういうことか。

 もちろん、それなりの腕になるまで、猛特訓を重ねることになる。 

 俺は剣道の経験者ではない。片手剣はおろか、竹刀すらろくに握ったことなどない。盾ときたら尚更だ。現代の日本人で盾なんて使っているのは、機動隊員ぐらいのものじゃねえのか。


「とりあえず、まずは基本からだな。素振りをするのがイチバンだ」


 とはダラムルスの弁だ。

 それは当然のことだ。空手だって何だって、基礎は素振りから始まる。

 剣をあらゆる角度から、ひたすら振り続ける。何度も、何度もだ。


「もっと速く。もっと疾く!」と、ロームの声が飛ぶ。


 俺の指導を担当しているのは、だいたいは4人いる幹部のひとりである彼だ。

 だいたい、といったのは、決まっているわけじゃないということだ。ロームがクエストを請け負い、担当できない場合もある。そのときは手の空いている傭兵が代わりを受け持つ。

 白狼傭兵団は、100人前後の精鋭部隊だ。特別、兵が多い傭兵団じゃない。ただ数を恃むなら、千人規模の傭兵団だって存在するらしい。 

 しかし『白い狼』団は、伝説の傭兵と謳われたダラムルスが選抜した特別な傭兵ばかりだ。実力もあるし、忠誠心も高い。俺は傭兵なんて高い報酬につられて、あっちへ移籍したり、こっちへ鞍替えしたりと、多少のゼニですぐ裏切るようなイメージしか持っていなかったが、ここの連中は違うらしい。


「――それはやはり、団長の人徳でしょうね」


 と、誇らしげに語るのは銀の長髪が印象的な男、ロームだ。

 身長は俺と大差ないが、体の厚みは俺の方がある。一見、優男ふうだが、剣の冴えはすさまじい。彼は団の初期からいる古参だそうで、別の傭兵団から引き抜きの話も来たくらいの腕を持つ。しかし彼はダラムルスに固い忠誠を誓い、彼の命令をソツなくこなすことを生きがいにしている。


「そんな団長が、自身の眼でスカウトしたのが貴方なのです。たとえ腕に覚えのないクソ雑魚野郎でも、絶対に一人前の傭兵になっていただかなくては困ります」

 

 そんなわけで、俺への指導にも熱がこもろうというものだ。

 

「動きが鈍い。もっとシャープに剣を振りなさい!」


 ああ、わかっているさ。我ながらいやになるぐらい、剣の動きが鈍い。

 ハンドルが馬鹿になった蛇口のように、とめどなく額から汗が噴き出てくる。トラックの運転手も、かなりの重労働の仕事であることには間違いない。それに仕事の合間にも、腕立てやスクワットなど、俺なりに基礎トレーニングは継続してきたのだ。

 だが、闘いの第一線で活躍する連中との運動量の差は、比較にもならない。

 

 俺の身体は、こんなにも衰えていたのかと思い知らされる。

 とにかく疲労感がすさまじい。否が応にも、過ぎ去ったもの、置いてきたものの重さが、俺の全身を蝕んでいく。

 もっと動けたはずだ。もっとパワーがあったはずだ。

 そんなもどかしさだけが、俺のなかで黒いヘドロのように蓄積していく。

 俺は眼を閉じ、ロームが手本に見せてくれた剣さばきを脳内に蘇らせる。その太刀筋を追いかけるように剣を振る。――てんで駄目だ。イメージと、現実との乖離が甚だしい。

 闘争の場から背を向けた空白の10年間が、俺を単なる木偶の棒に変えちまったようだ。もちろんトラックの運転手となったことは、メシを食うために仕方なかったという言い訳ができる。


(でも強さを維持するための仕事なら、腐るほどあっただろう?)

 

 あのギルドでの喧嘩が、長丁場にならなくてよかったと思う。

 

(でなければ俺は、すぐに顎を出していただろうぜ)

 

 それから人体を模した木製の人形相手に、木剣でひたすら斬りつける。

 この練習に真剣は使わない。俺の持っている数打ちの剣なんざ、たちまち刃先が潰れちまうか、ヘシ折れちまうからだ。

 そうした基礎練習が終わってから、ようやく実戦形式の練習がはじまる。

 こいつが特につらい。とにかく動かない標的を相手にするのと、さまざまな技術を駆使してくる人間相手では、天と地ほどの差がある。

 俺は何度も地を這わされ、木剣で嫌というほど殴られた。

 ギルドで簡単に叩きのめしてやった、キケロ、ズイーガという荒くれ者ふたりにも、手も足も出やしねえ。奴ら、この前の鬱憤を晴らせとばかり、特に厳しく当ってきやがる。剣というものが間に入っただけで、このざまだ。

 自分が情けなくて、泣きたくなったのは何十年ぶりのことだろう。


 もちろん、剣の練習だけに時間のすべてを費やす余裕はない。

 ギルドへ通い、クエストも請け負わなければ、たちまち素寒貧だ。

 日々のゼニを稼ぎながら、剣を学ぶという毎日が一ヶ月ほども及んだ。

 宿に帰ってからも、反復練習のくりかえしだ。

 へとへとの身体に鞭打って、ひたすら剣の素振りをする。

 その日、学んだ技術を反復して練習し、身体に浸透させていく。その作業に没頭していると、どかんと威勢よく部屋の扉が開かれる。


「コラ、ボガード! メシだよ! 個人の部屋まで配達なんて、本来ウチじゃ受け付けていないんだからね!」


 と、メイが木製の盆の上に料理を乗せ、明るい笑顔とともに部屋へ入ってくる。練習の邪魔にならぬよう、部屋の隅に置いていた一人用の小さなテーブルを引き出し、てきぱきと料理を並べていく。これもメイが、なかなか部屋にこもったまま降りてこない俺のために、物置から持ち出して置いてくれたものだ。

 一ヶ月にわたって滞在してくれるような上客は久しぶりだから、だそうだ。この宿の行く末が心配になりつつ、俺はテーブルの前に腰を降ろした。


「何から何まですまないな、メイ」


「すまないと思ってるなら、ちゃんとメシ時には顔をだしなよ。それに何! このむせかえるような汗の匂い! ちゃんと換気しないと駄目じゃないの!」


 と、彼女は窓を大きく開き、パタパタと持ってきたお盆で湿気のこもった室内の空気を追い出そうとしている。まるで世話焼き女房だな、と俺は苦く笑いつつ、彼女の持ってきてくれた料理にスプーンを伸ばした。鶏のいい香りが鼻孔をくすぐる。


「しっかり食べてよね。それ、私が調理したんだから」


 俺は思わず、眼を瞠って彼女の方を見た。料理はすべて、あの人相の悪いおやっさん担当だと思っていたが、そういう取り決めはないらしい。


「私たち、どっちも料理はできるの。でもおじさんはあの悪相だから、お客相手の仕事は不向きでしょ? だから自然と厨房担当になっただけよ」


「ふうん」


 と俺は適当に相槌をうち、目の前の皿に盛られた鶏料理を眺めた。


「なあ、メイ。お前さん、悩みはあるか?」


 俺はふと、思ったことを彼女に尋ねた。


「なによ、藪から棒に。そりゃあるわよ、人並みに」


「もし、お前さんに目指すモノがあったとする。いくら努力しても、自身が望む位置にまで到達できなかったら、お前さんはどうする」


「――えっ、何の話?」


「たとえば、の話だ」


「そうねえ。月並みだけど、できるまで頑張るしかないんじゃないかしら」


「本当に月並みだな」


「だって、他に方法がないじゃない。天才じゃないんだから。お料理だって何だって、最初から上手には作れないわ。だから、良くなるまで試行錯誤のくりかえし」


「愚直だな」


「そうね、でも、上達の道なんて、他には知らないわ」


 私は天才って柄じゃないしね。と、舌を出したメイに微笑を返し、俺は料理を口に運んだ。

 美味い。

 鶏肉をハーブと共に煮込んだだけの簡単な料理だが、味は一級品だ。この一ヶ月、メシの美味さに支えられて、ここまで頑張れた部分も大きい。ここの料理は、単調なコンビニ弁当の味付けに慣れた俺の馬鹿舌に、新鮮な感動を与えてくれる。

 これがメイの、愚直な練習の成果というわけだ。

 

「……確かに、いい味だ」


「そうでしょ、涙と汗のスパイスが効いてるからね」


 俺は料理に舌鼓をうちながら、この味に到達するまで、メイはどれだけの情熱と歳月を費やしたのか、と考えていた。上手くできずに、葛藤した日々もあっただろう。悔しさに歯噛みした日も、あったかもしれない。

 俺も、年齢を言い訳にしてる場合じゃねえな、としみじみ思った。

 もう徒手空拳で最強を目指していた頃のキレは戻ってこない。

 だから、どうしたって話だ。 

 誰だって、苦悩する日々はある。前途は茫漠たる霧で見えない。

 誰だって、この道で果たしてよかったのかと懊悩するものだ。だけど傭兵という道へ、俺はすでにハンドルを切ったのだ。行く手がどんなにガタガタ道でも、目指すゴールが見えるまでは引き返すってルートはねえのさ。

 ひたすら道をまっすぐに。

 ひたすら愚直に、な。

だいぶ間が開いてしまいました。

次は来週中にお届けできるように頑張ります。

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