その1
「ようし、この辺で休憩としよう」
半刻の休憩が言い渡された。
護衛の傭兵たちは、おのおの手頃な場所へと腰をおろした。
水筒の水を飲んで、とりあえず喉の渇きを鎮めると、俺は腰剣の手入れをはじめた。
誰から強要されたことでもない。商売道具を大事に扱うのは、どんな仕事に就こうが当然の心構えだろう?
背嚢から取り出した金槌で、ガンガン叩いてヒルトの金止めを外す。
俺は慣れた手さばきで、剣をばらりと分解させる。
傭兵稼業を一年もやってりゃ、こんなもんだ。
ブレードの部分を抜き出し、タングを分厚い布切れごしに握り締めると、フラーをごしごしと布を巻きつけた棒でこする。フラーとは剣身の面に彫られた溝で、剣の強度を損なうことなく重量を軽くするための工夫だ。
構造上、当然ながら、ここには血や肉がたまりやすい。
こまめな手入れはかかせないというわけだ。
木でこしらえたヘラで、こびりついた汚れを落とす。
ここに汚れが溜まると剣をぶっ刺したとき、かなり抜きにくくなる。
一日の終わりにもやるのだが、道中で一度、遭遇戦があった。
少しでもリスクは排除しておきたい。なにせ、こちとら剣での戦闘はたったの一年しか経験していないのだ。
「おい、ボガード、まめなことだな。そんなに大事に扱っても、折れちゃ終わりだぜ」
傭兵仲間のスヴェンが、陽気に声をかけてきた。
俺は作業を続けながら、出来るだけ陰気に聞こえるような沈んだ声で、
「折れないように祈るしかないな」
と、返した。
相変わらず愛想のねえ野郎だ、とつぶやいて、スヴェンは背を向けた。
すまねえな。できるだけ馴れ合いはしない方針なんだ。
知己を増やせば、それだけ財産になる。
偉そうにそう薀蓄をたれる傭兵仲間もいたが、俺にとっちゃ、もう、そういうのはまっぴら御免だった。
傭兵稼業に身を落としてからというもの、独りの自由さがどれほど得難いものか、俺は痛切なほどに理解していた。
作業と言うのは、慣れれば慣れるほど雑念が混じる。
効率がよくなると、要らざる考え事をする余裕ができるからだ。今の俺がまさにそれだ。
俺がこの世界に来てから、どれだけ経過しただろう?
死んだ子の歳を数えるような行為だが、どうやら脳は考えることをやめてはくれないようだ。どうだ、どれくらいだ?
脳は回答をよこした。
およそ1年と3ヶ月といったところか。
最初の方は、まめに手記など書いていたが、半年も持たずにやめちまった。
この世界では、紙は高価だし、おいそれと傭兵が手出しできるものじゃない。かといって羊皮紙は書きにくくて仕方ねえ。今じゃ胸ポケットに入っていたメモ帳は、ちょっとした財産だ。
この世界という言い方をしたが、実際、俺のいる地は異世界ってやつだ。
ライトノベルっていうのか。
そういうので流行りなんだろう、異世界転移。
おれは小説といえばアガサ・クリスティかヘミングウェイ、レイモンド・チャンドラーぐらいしか読んだためしがなかったので、まるで理解不能だった――。
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なにせ、それが起こったときの俺は、カーラジオのボリュームをガンガンに上げ、眠そうなまぬけ面をさらしてトラックの運転席に座っていたんだ。
狭いが俺だけのスペースが、いきなりだだっぴろい草原に変化したんだ。驚くなという方が無理だ。俺がちょっとした恐慌状態に陥っていると、馬鹿のようにはしゃいだ声が耳朶をうった。
「――ついにやった! 異世界に転移したぞ!!」
学生服を着たガキどもが、飛び上がってはしゃいでいる。
どうやら突然起こったこの怪奇現象の正体を、この連中は知っているようだ。この眺めが、トラックの運転席で居眠りをこいて見ている夢でない限りな。
理解を超えた出来事は、誰かに教えてもらうに限る。
俺は歓声をあげているガキをひとり捕まえて、今どういう状況なのか説明を求めた。
そのガキはふんぞり返って、得々と語り始めたものさ。
「うーん、説明が難しいけどね……。こういうのの定番ってのは、大抵はトラックに轢かれたり、通り魔に刺されたり……要は非業の死を遂げた人間が、神様のイキな計らいで別世界に転送してもらえるというものなんだ。だけど、今回はケースが違うようだね」
「――すまんが俺は、おまえが何を言っているのかサッパリわからん。もう少し理解できるように説明してもらえねえか?」
そこで、臨時の説明会が開かれた。
俺は学生たちから、異世界ファンタジーの基礎知識ってやつを学ばせてもらったというわけだ。
「――異世界転移、あと異世界転生というものもあるけど、ようするにここは地球でない中世ヨーロッパ風の異世界さ。僕らが住んでいた場所より、はるかに文明が遅れている」
「――そこに僕らは、召還されてやってきたというわけさ」
おいおい、なんだそれは。こちとら、抑圧された社会に不満を感じつつも、それなりに慣れた暮らし、退屈な日常に愛着はあったんだ。
それが異世界転移だと。まったく意味がわからねえ。
――そんなことより、彼らの言葉にひっかかる部分があった。
「召還された、だと――?」
俺は首をひねった。
先ほどガキ共から受けた授業が正しいとするならば、異世界に召還された場合、召還した張本人が傍にいる必要があるのではないか。
魔術師なり、神官なりだ。
だが、見渡す限り、ここは単なる高原だ。
あたりには丈の低い緑の下草が、風になぶられてさわさわと音を立てているだけで、空を横切る鳥の影もない。
ここには俺たち7人以外、誰もいない。
敢えて俺たちと言ったが、全員が顔見知りですらない。赤の他人が雁首並べて立っているだけという状況である。
えらそうに高説をぶっていた少年たちも、急に不安になったようだ。
ウィンドウが出ないとか、スキルが発動しないとか、俺がまだ説明を受けていない、意味不明な用語を並べたて、たちまちパニック状態に陥った。
知ったかぶりの連中の知識がまるで役に立たないとすれば、俺たちはその中世ヨーロッパ風の異世界とやらに、裸同然で投げ出されたってわけだ。
まず、リーマン風の男が、会社に遅れるからと言って(ここから会社まで何百年かければたどり着けるんだ?)足早に立ち去っていった。
ライトノベルに詳しいらしい4人の少年少女たちは、蒼白な顔を並べて、それぞれ読んだ本の内容を語り合い、意見交換をしている。
どうやらこの状況、どの本にも似ていないらしい。
「ねえ、あなた――」
ひとりの女が、俺の傍らに立っていた。
長い黒髪が印象的な、青いスーツを着た美人だった。目つきがきつい。
人を差配するのに慣れている、独特の雰囲気がある。
あんまり関わり合いたくない種類の女だ。
「あなただけ、やたら落ち着いてるのね。体格もいいし。サバイバルの経験があるの?」
「――いや、別に」
言葉少なに、俺は言葉を返した。
実際、サバイバル経験なんてゼロに等しい。過去に気まぐれで、バイクに乗ってひとりキャンプをしたぐらいのものだ。体格がいいのは、俺が肉体労働を主体とするブルーカラーで、身体を鍛える必要性があったからだ。
それと、幼少期から親から無理強いされて通わされた、空手道場のせいも多少はあるだろう。
「愛想悪いのね。――名前聞いてもいい?」
やたらと絡んでくる女だ。だが、知らない土地に投げ出され、不安に駆られて会話をしたがってるのかもしれない。それを言ったら、俺もそうだ。このクレイジーな状況下で、タフガイのふりをするのは限界に近い。
「俺の名は、海道簿賀土」
「――ボガド? 変わった名前ね。私は御木本かすみ。ねえ、あなたはこれからどうすればいいと思う?」
「まず、人と会う。そこから情報を得ないと話にならんだろうな」
記念すべき1話目となります。
宜しくお願いします。