1-2 噂話
1-2
小高い丘の上にある宿舎の一室。
その部屋の中には、二人の女性がいた。一人はドレッサーの前に座り、寝る前の髪の手入れに勤しんでいる。もう一人はベッドに横たわり、静かに本を読んでいた。既に夜も遅く、周囲の部屋からも廊下からも物音は聞こえてこない。時折、窓ガラスに強い風が当たってギシギシと震える音が部屋に響いた。
「……そういえば、<星攫い>って、あなた会ったことある?」
そう話を切り出したのは、ヴィンスという名前の女性だった。ヴィンスは櫛で自分の髪を梳きながら、鏡に映るもう一人の女性、ファンに声をかけた。ファンは急に話しかけられて驚いたのか、一瞬きょとんとした顔をした。
「うーん、まだ会ったことはないね。話はよく聞くけど……」
「そうなの?……そもそも私、<星攫い>ってどういう仕事なのか、今一知らないのよね」
「私もよく知らないけれど、こういうものを作っている人なんでしょ?」
ファンはそう言って、枕元に置いてあった小さな杖を手に取った。大きな赤い宝石と細かい金装飾が施された杖は、橙色の光の下で怪しげな光沢を放っていた。
「この杖は、私たちにとっては必需品。こんなものを作ることができるなんて、きっと凄い人よね」
ファンはそう言うと、金色の杖を愛おしげに眺めた。
「確かにねえ」
ヴィンスは気だるげな相槌を打って、ベッドに横たわった。それと同時に、先ほどまで静かだった廊下からパタパタと忙しい足音が聞こえてくる。
「ああ、トルネが帰ってきたみたい」
ファンの予想通り、この部屋のもう一人の同居人であるトルネが部屋に入ってきた。
「ああ、疲れた!……ねえ、ヴィンス聞いて?ジョルジュさんがね、こーんなにいっぱいの書類を私に押し付けてきて……もう!私は奴隷じゃないんだっていうのに。それから隣の部署のカーミンさんが……」
「ああ、トルネさん。少し落ち着いて、ね?」
大げさな身振りを交えて早口でまくし立てるトルネをヴィンスは微笑みながら宥めた。
「そんなにいっぺんに話されても訳が分からないわ」
ふと、ファンはあることを思いついてトルネの方を向いた。
「ああ、そうだ。トルネさんなら<星攫い>のこと、詳しく知っているんじゃない?」
ヴィンスとファン、そしてトルネの三人は、皆王宮で働く女役人である。ファンとヴィンスは最近役人として働き始めたが、トルネは二人よりも長く王宮勤めをしていた。
「<星攫い>?」
「ええ。今日、王宮はその話で持ち切りだったので、さっきまでヴィンスとその話をしていたのです。私たちは入ったばかりだからよく知らないけれど、トルネさんなら何か知ってるかなと思って」
「そうねえ……」
トルネは少し困ったような顔をして首を傾げた。
「私もそんなに詳しいわけではないけれど……。でも、二回だけ会ったことはあるわ」
「へえー。どんな人だった?」
「あなたたちと同い年くらいかしら?一回目に見た時は、王宮に来た時だったかしら。その時には、ただの街の青年にしか見えなかったけど。まあ、格好は少し変わった感じだったけどね。もう一回は、港の市場で。仕事に使う船を修理していたみたいだけど」
「<星攫い>って、船がいるの?」
「……あなた何にも知らないのね」
トルネは面白そうにはにかんで、彼女の話を目を輝かせて聞いているファンとヴィンスに<星攫い>のことについて語り始めた。
「あなたたちが普段使っているその杖、<星攫い>が作ったものだって知ってるわよね」
「はい!……まあ、それしか知らないんですけど」
「<星攫い>の仕事は、本当はその宝石を作ること。不思議な力の宿った、バイネの石を」
トルネはファンの杖の先端で輝く赤い宝石を指さして言った。
「バイネの石があるおかげで、私たちはその不思議な力の恩恵を受けているのです」
「でも、石と船に何の関係が?」
ヴィンスが不思議そうに尋ねた。
「バイネの石は、実は天然には存在しないの。星片石という原料を鍋の中で溶かして、結晶化させることで得られると言われているわ。<星攫い>の仕事は、光片石を集めてバイネの石として再結晶させること。その星片石は、ここらへんだと海の底にしかないらしいの。だから<星攫い>は、時折船で沖に出て、その光片石を集めてくる必要があるみたい」
「なるほどー。だから、<星>攫い、なのね」
納得顔のファンと対照的に、ヴィンスは何やら腑に落ちない表情を浮かべている。
「……でも、それくらいなら王宮の人出を使えば簡単に出来そうですよね。わざわざ高いお金を払って依頼しなくても」
「星片石を集め、精錬し、バイネの石を作り出す方法は、<星攫い>の家系にしか伝わらない特別な方法らしいわ。もちろん、王宮の研究者たちが死に物狂いでその方法を探しているみたいだけど、まだまだダメみたい」
「ふーん」
夜の話が終わり、部屋の中に静けさが戻ってくる。トルネは疲れ果てていたようで、寝間着に着替えるとベットに倒れこんでそのまま眠ってしまった。
ヴィンスはしばらくもやもやとした感情を抱いたまま天井を眺めていたが、流石に眠くなってきたので部屋の明かりを消そうと思った。と、彼女はファンが、まだ起きていることに気が付いた。物音を立てないから寝てしまったものだと思っていたが、彼女はうれしそうな顔をして、窓の外を眺めている。
「明かりを消すよ、ファン?」
「ねえ、ヴィンス。<星攫い>は、夜に海に出ていくってトルネが言ってたじゃない?」
「そう言っていたね」
「じゃあ今日も、彼は海に船を出しているのかしら?」
ヴィンスは窓の外を眺めた。窓からは強風に煽られて、宿舎の前の木々が激しく揺すぶられているのが見える。
「この部屋からだと音がしないから分からないけど、今日は随分天気が悪いよ。こんな日には、流石に船は出せないんじゃないかなあ?」
「そう。うーん……」
ファンは物憂げにそう言うと、視線を天井に向けて目を閉じた。ヴィンスはそれを見て、自分の寝間着から銀色の杖を取り出してヒュッっと振った。部屋の明かりが一斉に消えて、暗い影が部屋の中に立ち込めた。ヴィンスは杖を枕元に置いて、布団を頭から被った。