HENTAI×HUNTER
冬眠から目覚めたベア系オジサンが村を徘徊し始めたのは3月初旬の事だった。
自治会は猟友会にベア系オジサンの討伐を打診したが、「さすがに人は撃てん」と一蹴され、結局何の対策も取られないまま一月が経過した。
最初は1名しか目撃されていなかったベア系オジサンであったが、日を重ねるにつれてその数は増加し、現在ではおよそ10名ほどのベア系オジサンが確認されているという。
目撃者の一人、Aさんはこう語る。
「妻かと思ったらベア系オジサンでな……」
奇妙な気配を察知したAさんが、納屋の方を確認しに行くと、2名のベア系オジサンが沢庵を咥えて出てくるところだったという。
「一本丸ごと喰っとってんぞ……塩分取り過ぎや……腎臓悪するで、ホンマ……」
Aさんはベア系オジサンたちの健康を気にしつつ、村の駐在に通報した。
しかし駐在は「熊と見間違えたんでしょう。猟友会に連絡しときますね」と話しただけで、なんら具体的な対応は行わなかった。
この話を聞いた村長は大変憤慨し、
「よろしい、ならばHRNTAI×HUNTERを呼ぼう」
と息巻いたという。
かくして召喚されたのが、プロのHRNTAI×HUNTER、痒人である。
四月初旬、痒人は、自治会からの立会人権三郎を連れ立って、新緑の芽吹く獣道を行進していた。
二人とも、短パン&タンクトップという圧倒的軽装であった。
権三郎「こんな軽装で大丈夫ですかね」
痒人「大丈夫ではない。虫に刺され放題だからな」
権三郎「ならば、どうして?」
痒人「囮だよ」
権三郎「はい?」
痒人「俺達自身が、囮になるのさ」
権三郎「そんな、困ります。私には妻も子もいます! もしもナニカがあったらどうするのですか!」
痒人「そのナニカが起こらないようにするために、自治会は俺を呼んだんだろ? 心配するな。危機管理はすべてプロに任せておけ」
そう言って、痒人はタンクトップを襟元から臍のあたりまで豪快に引き裂いた。
バキバキに割れた腹筋と、ほんのりピンク色のTKBが露わになる。
それを見て、権三郎は思った。
――なるほど、圧倒的ハンサムルックである。ベア系オジサンは自分より先に、痒人をターゲットにしてハッスルするだろう――。
権三郎の中で、イケナイナニカ――somethingBAD――が目覚めかけたそのとき、背後から気配がした。
しかも、徐々に気配は近付いている
はぁ
はぁはぁ
はぁはぁはぁ
はぁはぁはぁはぁ
はぁはぁはぁはぁはぁ
「やばいですよ、痒人さん! なんか、ハァハァ聞こえます!」
「早速喰いついたな……この、食いしん坊め」
言うや否や、痒人は背負っていたギターケースを開く。
途端、悪臭が立ち込めた。
「クッサ!」
「これは、ホンオフェという韓国の食い物だ」
「イカクッサ!」
「とても、イカ臭いだろう? でもこれ、エイなんだぜ」
「どうでもいいです! 臭過ぎます! 死んでください!」
権三郎の暴言を無視して、痒人はホンオフェのヒレをブチブチと引き千切る。
そして、断片化されたホンオフェを、次から次へと手当たり次第投擲し始めた。
「何しているんですか? 脳味噌にアンモニアでも湧いたんですか? てか、クッサ! 顔に飛沫が!」
「こうやって周囲一帯にホンオフェをばら撒くことで、俺達の居場所を特定できなくする」
「はい?」
「いいか、ベア系オジサンの嗅覚ってのは結構いい加減で、イカ臭さと男臭さの区別がつかないんだ」
「なるほど」
「わかったらさっさと身を隠せ。鼻は誤魔化せても、目視されればそれまでだ」
「わかりました!」
二人は慌てて草むらの中に身を隠した。
痒人は隣でうつ伏せになっている権三郎にテーザー銃を手渡す。
「いいか、ベア系オジサンが近付いてきたら、気付かれないうちにこのテーザー銃で気絶させろ」
「でもこの銃、一発しか打てませんよ……残りのベア系オジサンはどうするんです?」
「残りは、混乱に乗じて俺が狩る。お前は切っ掛けを作るだけいい」
痒人はニヒルに微笑むと、丸めた雑誌で作ったヌンチャクを短パンから取り出した。
――この男、文字通り、ベア系オジサンを狩る気である。
そう思った権三郎は痒人の覚悟に敬意を表し、
「了解しました」
と厳かに応えたのであった。
かくして準備が整った。
しかし、次の瞬間、想定外の脅威が痒人を急襲した。
「アウッ」
鋭い牙が、痒人の尻に突き刺さる。
ベア系オジサン陽動のための軽装が仇となった瞬間であった。
突然の事態に気が動転した権三郎は、思わず痒人の尻に喰らい付く獣にテーザー銃を発射した。
テーザー銃は見事ヒットし、獣を気絶させることに成功した。
「こ……これは……」
倒れているのは警察犬であった。
「ふっ、いいHENTAIってのは、動物に好かれるんだ」
痒人は余裕そうに言っているが、その顔面は蒼白で、冷や汗に塗れていた。
とてもベア系オジサンを討伐できるコンディションには思えない。
――しかし、何故警察犬が?
そんな権三郎の疑問に答えたのは、背後からヌッと姿を現せた警官隊であった。
「下仁田痒人、《乳首おじさん》の容疑で逮捕する」
焦ったのは権三郎の方であった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 今、村の存亡にかかわる重大なミッション中なんです!」
警官は痒人に手錠をかけながら
「何を訳の分からないことを言っているんだ?」
と言った。
「すぐそこまで、迫ってきているんですッ! ベア系オジサンの群れが!」
「ああ、そのことか。奴らは既に確保済みだ」
「何ですって?」
事態が呑み込めないでいる権三郎に、警察官が説明する。
「今朝早く匿名での通報があったんだ。『短パンにタンクトップ姿の変態が、森の中で怪しいことをしている』ってね。
べつに実害は何も生じていないので、普段なら無視する内容だったが、その変態の人となりが指名手配中の《乳首おじさん》に酷似していた。
そこで急遽捜索隊を編成し、山狩りに乗り出したんだ。
ところが道中、突然イカ臭くなったかと思うと、獣道から10数名の毛深い中年男が現れた。
奴らは『我々の得物を横取りするな』などと訳の分からないことを口走って、警官隊の行軍を阻害したんだ。
それで止むを得ず公務執行妨害の現行犯で逮捕したという訳さ」
警官の説明を聞いて権三郎は理解した。
おそらく、最初に通報をしたのは痒人自身だろう。
指名手配犯の自分が森に潜伏しているという情報を自らリークすることで、警官隊が出動せざるを得ない事態を作り出したのだ。
全てわかったうえで、ベア系オジサン達の関心を集めつつ、ホンオフェで警察犬を呼び寄せた……。
かくしてベア系オジサン達と警官隊が遭遇する状況を演出し、彼らにベア系オジサンを確保させた……。
全部、痒人の思惑通りだったということだ。
――まったく……。
警官隊に連行される痒人を見て、権三郎は思った。
――すげえ奴だよ、あんたは……。
○ ○ ○
その日の午後、《乳首おじさん逮捕》の報道が全国中を駆け巡った。
夜のニュースではコメンテーターが適当なことを息巻いている。
テレビの電源を落として、権三郎は言う。
「三卜さん……俺、HENTAI試験、受けてみようと思うんだ」
権三郎の育ての親である彼女は、あえて素っ気なく、
「そう……勝手にすれば」
と言い、それ以上は何も言わず、夕飯の席をたった。
しかし、権三郎は見逃さなかった。
電源の落ちたテレビ画面に反射した彼女が、ひどく悲しそうに沈んでいたことを。