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第八首 誰をかも

【藤原興風】

(たれ)をかも しる人にせむ 高砂(たかさご)の 松もむかしの 友ならなくに 

                           

==============================================


 君彦(きみひこ)は、錆びた門を全身で押し開けると、玄関へは行かずにいつものように庭へと回った。やはりいつものように、一人の老人が庭先で盆栽の手入れをしている。

「玄じい!」

 大きな声で名前を呼ばれ、玄ノ介(げんのすけ)は顔を上げた。まだ小学校低学年ほどと思われる少年が、右手を振りながら駆け寄ってくる。秋の足音も近づき日中でもやや肌寒く感じる今日、だか少年は薄手のトレーナーに半ズボンという格好だった。

「おお、君彦。今日も来たのかい。お友だちと遊ぶんじゃないのかい」

「今日はみんなお稽古や塾なんだ」

 つまらなさそうに唇を尖らせると、だが次の瞬間にはパア、と顔を輝かせ「ねえ、玄じい。今日も何かお話聞かせてよ」と詰め寄るように老人に顔を近づける。

「わかったわかった。もう少し、待っておくれ」

 笑いながら少年を諌めた老人は、休めていた手を再び動かし、松の盆栽を丁寧に切り終えると少年とともに縁側へ向かった。座布団二枚を仲良く並べ、玄ノ介が切ってきた梨を皿に盛り二つの座布団の間に置く。「いただきます」と礼儀正しく両手を合わせた少年は、一口サイズに切った梨をフォークで刺すと、そのまま口に運んだ。

「ん。美味しい」

 にかっと無邪気な笑みをこぼす少年に、玄ノ介も「そうか。よかったな」と微笑み返す。

「ねえねえ、玄じい。今日はどんなお話をしてくれるの? この前聞いた神話の話、クラスでみんなに聞かせたら『すごい、物知り!』って言われたんだ」

「そうか。君彦は記憶力がいいんだな」

 君彦は、玄ノ介の孫にあたる少年だ。電車で一駅離れた地元に、両親と共に住んでいる。彼は、妻に先立たれ年老いて一人静かに暮らす玄ノ介の元に、週に一度は電車に乗りやって来る。そしていつしか、玄ノ介が物語るさまざまな話――あるときは日本の歴史、あるときはギリシア神話、あるときは星座の物語、またあるときは童話などを、好んで聞くようになったのである。ときには、友人との遊びの約束を断ってまで電車に飛び乗って玄ノ介のもとに駆けつけることもあるのだから、玄ノ介本人は嬉しさ半分、不思議半分といったところだった。だが、君彦がつぶらな両目をキラキラと光らせながら自分の話に聞き入ってくれることは、独り身の玄ノ介には何よりの楽しみとなっているのもまた、事実なのであった。

「ようし。それじゃ今日は、百人一首のお話をしようかな」

「ひゃくにんいっしゅ?」

 どうやら初めて聞く言葉らしい。君彦少年は首を大きく傾げている。

「なあに、それ」

「百人一首というのはな、昔々の日本人がつくった歌なんだよ。君彦は、俳句というのを知っているかい」

「うん。五、七、五の文字数で作るんだよね。季節の言葉とかを入れるんでしょ」

「そうだ。よく知っているね」

「ときどきお父さんが俳句つくるんだ。そのときのお父さんは、機嫌がいいってことさ」

「そうかいそうかい。百人一首はな、俳句に似た形の歌なんだよ。五、七、五の後に、さらに七、七と十四文字が加わるんだ」

「ふうん。少し長い俳句ってこと?」

「まあ、そんなところだな」

 頷く玄ノ介に、少年は「へえ」と頷き返す。

「百人一首はな、その名の通り百人の人が一人一つずつ歌を作ったものなんだよ」

「百人!」

 少年は目を丸くすると、小学校に入学したてのときに一年生全員で合唱した「一年生になったら」を思い出す。友だち百人だなんて、そんな大人数できるはずかないと妙に現実的に考えていた少年にとって、百人という規模はとても大きなものに感じたのだった。

「すごいね。百人の人から歌を集めるの大変そう」

「そうだな。でも、ちゃんと記録にも残っているんだよ」

 へえ、と少年は素直に驚きの表情を見せる。

「君彦は、かるたというものを知っているかい」

「うん、聞いたことはあるよ。読まれたものと同じことが書かれている札を取り合うんだよね」

「そう。そのかるたに使われているのが、百人一首なんだ」

 なるほど、と首を縦に振る少年。その真剣な表情に、玄ノ介は微笑ましい気持ちになる。

「玄じいはな、その百の歌の中でも、特に好きな歌があるんだよ」

「なあに、その歌って」

 問われ、玄ノ介は縁側から秋の空を見上げる。千切れ雲がぽつぽつと浮かんでいるものの、澄んだ青空が広がる綺麗な秋晴れだった。

「誰をかも、しる人にせむ、高砂の、松もむかしの、友ならなくに」

「どういう意味?」

 おそらく一つ一つの単語の意味すら曖昧なのだろう。君彦は気難しそうに眉根を寄せている。

「そうだな。簡単に言うと『自分には友だちがいない。一体誰を友だちと呼べばいいんだろう。長生きをすることで有名な松の木だって、昔からの友だちではない』ということだ」

「どうして、その人にはお友だちがいないの」

 切なげな顔で問いかける少年に、玄ノ介は空を見上げたまま答える。

「人間はな、歳をとっていくと友だちが少なくなってしまうんだよ。特に、長生きすればするほどだな。玄じいも、今はあの松だけがお友だちだ。一人きりなのさ」

 庭の奥に並べられた松の盆栽を指差し、玄ノ介はぽつりと呟く。横一列に並んだ盆栽は、縁側に座る二人を見守っているかのようだ。

「僕だって、まだお友だちたくさんはいないよ」

 百人どころか、あと半年でクラスの全員と仲良くなることだって難しいだろう。そう考えながら、君彦は腕を組む。

「君彦はまだ小学生だろう。これから、たくさんのお友だちができるんだよ」

 だから安心しろ、というように、玄ノ介は少年の頭にぽん、と皺の深く刻まれた手を乗せる。その温かさに安心したのか、少年はふんわりと笑うとこくりと首を縦に動かした。

「でも」

「でも?」

「玄じいだって、友だちいるよ」

 言った瞬間、少年は縁側から飛び降りると勢いよく庭を駆けていく。そして、松の盆栽の並ぶところに辿りつくと、くるりと玄ノ介を振り返って叫んだ。

「僕だって、玄じいの友だちだよ! この松と一緒。毎週遊びに来てるじゃない。だから」

 だから、一人だなんて言わないで。最後のその言葉は、小さくて玄ノ介の耳にははっきりとは届かなかった。だが、少し泣きそうな顔で、それでも必死に笑顔を見せている少年に、玄ノ介は胸の底から何かがこみ上げてくるのを感じた。唇をきゅっと噛みしめると、「そうだな」とやっとのことで言葉を口から吐き出した。

 そうだな。一人じゃないんだな。

 その呟きは、玄ノ介の口から何度も洩れた。自分に言い聞かせるように。心に刻み込むように。忘れることのないように。

 もう少し、生きたいな――妻亡き後、玄ノ介が初めて強く感じたことだった。

 千切れ雲が、秋の空を流れていく。青空の下に並ぶ松は、二人の友人をじっと見守っているように見えた。


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