やさしさ
またおじいちゃんがのろける回です。しばらく更新さぼったと思ったらこれです。のろける以外にやることないのか貴様は。
「もう四時間にもなるよ。遅いんじゃない?」
最初、何のことかわからなかった。四時間?遅い?はて?首をかしげて、枝豆を口に放り込む。
「あのさあ」
ホログラムなのに声を発するように口が動くのは、何度見ても芸が細かいとしか言いようがない眺めじゃな。
「俺ね、眷属を人間と混血させてみたり、漁船で特攻かけられたり、核ミサイルを神殿に落とされたりで人間と関わりが多かったの、知ってるよね?」
「何じゃ?繰り言なら聞かんぞ」
いやーそういうわけじゃーないんだけどさーとか何とか、ほつれたみづらを指先でいじくる。珊瑚が胸元で揺れた。相変わらずぐにゃぐにゃと、要領を得ぬクソタコじゃ。
「その経験によるとね、長いみたいなのね。四時間」
「何を言いたい」
「依ちゃんだよ」背筋が震えた。名を聞く端から体の芯が熱を持つ。
「外の空気を吸ってくるって言ってさ、出たじゃん。もうすぐあれから四時間が経つのー……ひょっとして数えてなかった?ねー四時間だよ?四時間って長いよ?長いんだよ?
漁船で特攻かけるのにはともかく、ミサイル落とすにも長いくらいだよ?外の空気を吸うのにさ、そんなに時間がかかるかな。そうだねー……どっかさあ、違うとこに入り込んでたり、出れなくなってたり……しててもおかしくない時間じゃないかなーって、思ったりしてー」
まさか、という言葉が出なくて呼吸を止めていたことに気づいた。一人で感覚のない闇に突き落とされたように、手足が先から冷えていく。
「ねー、探しに行ってあげた方がいいんじゃないのー?」
息を吸って、吐く。それだけの動作がこんなにも重い。
「こ、このクソタコ……最初からそう言わんかッ!」
「えー、だってさー喜ぶよ人間の女の子は。自分で気づいてくれたっていうのをさぁ。一応うちの眷属用のマニュアルにもある必勝法なんだけどー……いる?」
ついと突き出されたのは人皮装丁の本。汚らわしい。背を向け、走り出す。向かう先などまだ決めておらぬ。今から探す。
「会議はー?」
「中断じゃ中断!」
どこだ。どこにいる。近くには見当たらぬ。もっと広く、感覚を広げるのじゃ。遠くへ、遠くへ。肩に分厚い手が落ちて思索が途中で打ち切られる。誰ぞ。叩き切ってやる。
「おっさん涙目ワロタ。今のお前じゃ雑音多くて無理だろJK」
「じょ、じょうこう?」
生臭い息を吐いて、でっぷりと腹を揺らしながら若者が笑う。脂ギッシュ、と依は言っていたかな。
「こっちだって。来いよおっさん」
「助かる!もうぬしを脂ギッシュな豚とは呼ばん!これからはA4牛の霜降り肉じゃ!」
「A5と違うとかワロリンヌ。つかデブ消えてねーし。無能。マジ無能」
褒めたのじゃがあまり届かなかったらしい。残念じゃ――行った先には一種の結界が張ってあったらしいが、儂は気づかなかった。壁は何の障害にもならずに砕け散り、その音で初めて存在を知らせたのじゃから。
「結界……?なぜ、このような場所に」
わけがわからないが、今はそれより、依だ。もう見つけている。白いワンピース姿でポツンと立っていた。
呼ぶが、返事がない。呆然としているようにも見える。何があったのだろう。たまらなくなって駆け寄る。
「どうした、依」
つとめて静かな声で聞く。儂まで動揺して――はいるが、表にそれを出したなら誰が収拾をつけるのじゃ。冷静でいなくてはならない。冷静に、冷静に問え。
「おじい、ちゃん」
今にも溶けだしそうな声だった。顔を覗き込む。無表情だがひどい顔だ。目の焦点も合わず、見事に血の気が失せている。
こんなに震えて……何を恐れている?抱き寄せてやりたかったが、そのまま組み伏せてしまいそうな自分に気づいてやめる。落ち着け、落ち着け。深く息を吸って、吐け。
「どうした?」
徹底的に装ったはずの声は意味をなさず、焦点の合わない目から涙がこぼれだす。
「やっちゃった……私……やっちゃったよ……どうしよう……ねえ……どうしたらいいの……?」
「な、何を」すぐに辺りを見回した。特に何もない。「ぬしは何を言うておる?」
貧弱な表情筋が最大限に動いて、愕然とした顔になった。わからないの?と言いたげだ。わからない。首を横に振る。
がっくりと依の体から力が抜けた。平常心、平常心。今こっちを見てくれるな。駄目だ、そんな顔をされては、こちらが――。
「神様たちなら生きてるよー」
すぽーんと音を立てて、依の背後にホログラムが現れた。え、と依が振り向く。
「この俺がいてそう簡単に死なせるわけないじゃあん。あれ呪いの箱?マップ攻撃ってやつ?すごいけど殺傷能力には長けてないねー誰一人として死んではいなかったよー」
これでも奴にしてはかなり早口じゃ。
「ほ、んと……?」
「うんほんとー。ちゃんと回復しといたから心配しないでー」
もう依の顔は見えないが、ホッとしたのが後ろ姿からもわかる。タコ、ナイス。ところで何の話じゃな?
「おっさん節穴。下見ろ、下」
そして儂は、言われて初めて見た地面のあまりに赤いことを知った。この隙に、依はタコグラムとともに消えていた。否、何もなかったらしいから心配するな。




