男老いてなお狂うがごとし
おじいちゃんが現実に戻ってきます。人間キャラよりSAN値がピンチな旧支配者て。
――また、ここじゃ。
無理やり引き戻されたらしい。何となく、意識がはっきりせん。こういう状態を、前の依代は、二日酔いと言っていたか。
夜なのか、真っ暗じゃな。聞こえない耳の奥では何かが割れるような音が陰々と響く。音など聞けない耳だが、それでも希望が潰えるときはこういう音がするものだろうか。
諦めるな、と言ったか、依。
それが正しかろう、だがそれはとても難しい。ぬしは知らんのだ、200万年という時間の重みを。
儂はもう疲れた。いっそのこと諦めてしまいたいよ。このまま、この赤い闇から出ることもないし、だから外などないと思いきってしまいたい。
諦めさえしなければ助けてくれるぬしはもう、どこにもおらんのじゃから。
妻は人が好きだから殺しはしない。きっと人を離れた部分を封じられて、何もかも忘れているだけじゃろう。しかし、この場合、だけ、というのが一番恐ろしい点なのじゃよ。
ただ封じられているなら、それを解けばいい。だが封じられていることも忘れているとなれば、解こうともするまい。忘れているだけだから特に不都合はない。気づくこともない。
解かないまま、解こうともしないまま、人として尋常に年を取って、どこぞに嫁に行き、子供を産んで、死んでゆくだろう。
きっとそれが、あの娘にとっての幸せなのだろう。
なのだろうが……嫌だな、それは。
それが当たり前で、許婚でも親でもない儂は何も言えないのはわかっておるが、依がどこぞに嫁に行くのか、どこかの男の子を産むのかと思うと、嫌で嫌でたまらん。どれほど愛し合っていてもそれは関係ない。
そんな姿は見たくない。が、結局気になって見てしまうのだろう。さほど難しい想像でもなければ、遠い未来の予想でもない。いっそ殺してくれていればとすら思う。
あさましいと笑うだろうが、この考えは最初に思いついたときから儂の中に太い根をおろして住み着いてしまった。
最初に思いついたとき、か。
夢から醒めて、どのくらい経った?一秒?一時間?一日?一年?もっとか?わからん。暗いのは目を閉じているからか、それとも。
みじめな意識は完全に覚醒するのを厭い、いかがわしい不定期な浮沈を繰り返す。
駄目だ、それでは。起きろ。起きるのだ。目を開けて周りを見ろ!
――まあ開けても、赤一色か真っ黒なだけで何も見えんのだがな。
今回は黒のほうだった。夜らしい。夜だということしかわからない。何時だ。何日だ。あれからどのくらい経った?
わからん。考えようにも判断材料すらない。何も感じない。感覚がないという感覚。それはやがて苦痛へ変わっていく。
考えたくない。もう何も考えたくない。ただぼーっとしよう。そのほうが時が経つのは早い、はずだ。無がすり減る心を蝕んでいく。痛い。痛い?何が。足?ありもしないが。これが幻肢痛というやつなのか。
どれくらい、そうしていただろう。視界は黒いままだったから夜も明けていないだろう。しかし千年くらい過ぎたような気もするし、ほんの一瞬だったような気もする。
あるいはその間かもしれぬ。比喩表現ではなく、そのように感じた。
――また別の感覚も。
気持ち悪い、触るな!
状況を飲み込むより先にそう思った。何のことはない、また妻が儂の体で遊んでいるのだが、嫌悪感がすさまじい。しかし手も足もない儂に何の抵抗ができようか?
吐きそうになって口を開けようとするが、唇がわずかに動くだけ、胃にも何も入っていないからあの一種の爽快な感じは得ることができなかった。
どうして、と思った。