そうだ、先達に聞いてみよう
今回はあまりSAN値が減りません。
駄目だ、もうどこにも行けない。私はその場にしゃがみ込んだ。町中だけど誰も話しかけてこない。
そういうものなのだろう。病院でだって話しかけてきたのは隣の病室の誠一さんくらいで。
「あ」
そうだ、誠一さんがいた。
おそらく誠一さんは、弓削の前任だ。そして、中身がおじいちゃんだった時の記憶もある程度持ち合わせている。もしかしたら私には開示されていない連絡方法を知っているかもしれない。
行先は定まったから、歩き出す。
もしかしてもう退院しちゃってるのかな、と思った。もしそうだとしても、住所を聞けばいいだろうと思いなおす。どうせほかにやりようはないのだ。
そんな私の決意をあざ笑うように、誠一さんはまだ入院していた。すべては杞憂だったわけだ。家族と連絡が取れないから具合の悪いふりをして入院を長引かせているんだー、と笑っている。笑っていいのかなあ。
やっぱり廊下の端っこの目立たない病室だ。隣には私がいた病室もさながら残っている。よかったというか何というか、複雑な心境である。
「神社に連絡したいって?社務所に電話したらいいんでないの」
常識的な返答をしながら、またバターボールが出てきた。大阪のおばちゃんみたいだ。あれから好みが変わった私は、丁重にお断りしておいた。
「あ、そう……。そんなことでわざわざこんな気分ばっかり若い爺さんのとこに来るなんて、君も物好きだなあ」
「うーん……ちょっと説明が難しいんですけど」こういう時は視覚情報に頼るが早い。私は誠一さんに背を向けて、項辺りの髪をかき上げた。「これを、見てください」
そこの皮膚を押し割って、ぬるりと触手を外に出す。蛸のような、二列の吸盤が並ぶモデルだ。いろいろと考えたけど、最初にこれが生えてきた身としてはこれ以上にインパクトのあるオブジェクトを思いつかなかった。
誠一さんは何も言わないが、髪をかき上げている右手の甲に目立たないよう配置した目から表情が――表情がないのが見て取れる。そりゃあ反応に困るでしょうね。
でも、誠一さんは弓削よりは適合率が高かったはず。あの弓削ですらおじいちゃんが操っているときは触手を生やせるんだから、誠一さんが触手を覚えていてもおかしくない。
すごく今更だけど覚えてなかったらどうするのかしら?うー……見た本人の側で、夢だったとかそういう風に解釈してくれたらうれしいなって。
無理か。無理だわね。
もちろん誠一さんは覚えていたから、安心なさい?
「君は……まだ、依ちゃんなのか?」
手の甲の目からは凝視されているのが嫌でもわかる。それで、なんだか恥ずかしくなってきて、もう戻そうかなっと思ったところで誠一さんが言った。おうふ。
「はい。奥さんが逃げちゃったみたいで、実質、私は依代として機能していません」
真っ赤になりながらも答える。背を向けているから私の顔は見えない。勝った、とこっそり安堵して、完全に触手をしまうタイミングを失った。
「逃げる……彼女が?まずありえないね……寧ろ彼女から彼が、逃げたいはずだ。でも彼は逃げられない……手も足もないから」
「知ってるんですね、やっぱり」
向き直るタイミングも逃した。背を向けたままの会話……私は誠一さんの表情がわかるから問題ないけど、いつまで触手を出していたらいいのかしら。
「おじいちゃん……彼は、私の友人に憑依していたようなんです」
「僕の後任のことか。見たよ。これなら僕のほうが動くって恨み言を言ったら、だからこうなったのじゃ起こして来いって叱られたんだよね」
起こしに来てくれる元イケメン、おじいちゃんの指示だったのか!
「だからこうなったって、どういう意味ですか?」
「きっと適合率だね。よくわからないけど、彼の依代の適合率が高すぎると、彼女が困るらしい。僕は35パーセントだったから、ギリギリってところだったみたいだ……腰を悪くするや否や代わりを用意して、ポイさ」
両手を広げた外人首すくめポーズでニヒルに笑うのが見える。相手の私が背を向けているのにわざわざ、ジェスチャーの多い人だな。
相手もこっち側となれば、私に躊躇はない。
「適合率、なんですけど。……私は、50パーセントです」
外人首すくめポーズが瞬間冷凍された。ニヒルな笑みも冷えていく。
「……嘘だろ?」
本当ですよ。見てのとおり彼女が宿ってなくても触手を操れます。でもおじいちゃんに神獣への進路を進められたことは言わなかった。何でだろう。
「50か……そうか……抜かれちゃったかあ。ずっと僕が一番だったのに」
「すいません」
「いや、謝ることじゃないよ。彼女の手に君が渡るかもしれないのは少々業腹だが、だって依ちゃんのままなんでしょ?なら問題ないよ。彼の話し相手にでもなってあげて」
「ええ。でも、問題はこのあとなんですよ」
おじいちゃんに、助けを求められたこと。すぐには返事できない、と言ったこと。それから一度も、友人――弓削が、おじいちゃんに変わっていないということ。だから連絡も取れないこと。もちろん包み隠さず話したわ。
誠一さんは渋い顔をした。
「君に助けを?……いや、信じてないわけじゃないよ。ただ、だとしたら、彼はとてつもなく参ってるなって」
やっぱり?
「私が彼女に勝てるわけがありませんしね」
「それもそうだけど、……君が彼女に勝つ必要は、必ずしもない。ただどうにか彼の封印さえ解ければ、あとはあっちで解決してくれるはずだ」
でしょうね。でしょうけど、あの方々がちょっと顔を出しただけでこの辺が砂漠になるのよね。どっちにしても困るのよ。
「で、すぐには答えられないって言ったら出てこなくなっちゃって、お盆に手伝ってって言われたからまずそっちをどうにかしたいんですけど、確認も取れないという困った状況なんです」
引きこもってるんです。どうしたらいいですか。
「ああ……こりゃまた参ってるね。最早まいっちんぐだね」
「マチコ先生ですね」
私たちはハイタッチを交わした。通じ合っている。魚類とも分かり合えた私にとって、最早人間との対話は難しくもなんともないのだ!コミュ力ダダ上がりだぜうははは。




