前-B
三日後、依は確かに御神輿に乗っていた。えっほえっほで地元の青年団が担ぐあれだ。
装飾が多くない素朴な御神輿の中には4,5帖ほどの広さの空間があって、床に厚みのある絨毯が敷かれている。おかげで薄っぺらい座布団でもお尻が痛くならなかった。障子が四方に貼りまわされていた。あれを開ければ外だ。
依代の少女は他に7名、つまり依自身を含めて8名である。
全員が麻混の白い浴衣のような衣で人種特有の黄ばんだような皮膚の色がよく目立った。中心に軽い食感の煎餅が置かれていて、時々つまんだ。会話はしなかった。
他の7人はきゃらきゃらと楽しく話している。依の知り合いはこの中に誰もいない。隣町。物理的な距離は大したことないのに心理的な距離は大きい。気まずいとはこういうことを言うんだろう。小さく伸びをした。状態異常空気。
隣にも同型の御神輿があって、そっちは男子の依代だ。この神社に祭られているのは夫婦の神だとかで、縁結びや夫婦仲を願う人が多いようだ。ふーん。
数センチほど、障子を開けてみた。ちらっ。屋台も少しだけだけど出ている。人が多いな。中より、外をのぞいているほうが楽しい。
どのくらい乗らされるんだっけ?思い出せないな。そのままどのくらい覗いていただろう。不意に気付いた。お母さんに手を引かれた小さい子が歩いている。
目が合った。小さい子がうれしそうに手を振ってきた。反射的に小さく振り返す。子供がきゃきゃと笑う。依は少し顔をしかめた。高い音は耳に障る。母親がぴたっとその子の手を取った。その視線の先――依を見た。
その瞳からぶわっと涙があふれ出す。両手をこすり合わせて、拝む。ぶつぶつ何か唱えている。崇める。何を。
――私を?
少女が感じたのは恐怖だった。浅瀬に集まって口をパクパクしている魚群を見ているときのような恐怖だ。ぴしりと障子を閉めた。
閉めた障子の向こうから、喧騒に混じってあの低くも高くも変化するヒステリックな声がじりじり追いかけてくる。
鼓膜が焼けるようなおぞましい感覚だ。外国のニュースではたまに聞いたけど、この日本であんな狂信的なタイプに出会うなんて、と心のうちに言い訳を作ってみる。落ち着かない。
どこかリズミカルにゆさゆさと神輿が揺れる。進んでいるのだ。声が遠ざかる。駄目だ。まだ聞こえる。
落ち着け。素数を数えろ。1、2、3、……頭が痛くなってきた!もう嫌。嫌だ。どうしてこんなわけのわからない仕事を引き受けてしまったんだろう!
見慣れた街並みは一度だって外を見ている右の目に飛び込んでこなかった。何度も言うようだが隣町とはそう遠くないところに住んでいる。一度くらい見えたっていいじゃないか。だって、さっきの景色は二回目だ……!
何が地域のお祭りだ。隣町限定じゃないか。終われ。早く終わってしまえ。依は土気色な顔色をして耳を塞いだ。
しかし御神輿が終わっても彼女の受難は終わらなかった。依代は、御神輿が終わった後、衣を着替えてその夜社に泊まるのである。今の彼女には季節的な問題からわずかに冷たい床すらおぞましく感じられた。ここに布団を敷いて、寝る。
横たわってみると、気のせいか布団を一枚隔てて無数の毒虫が這い回っているような感じがした。ぶる、と震える。それでも眠気が押し寄せてきて、依は目を閉じた。
数十秒後には眠りに落ちて、無意識に寝返りを打った。あれほど警戒していた割に寝顔は存外安らかなものだ。
この少女が、私が確認したところでは、最後まで起きていた依代だった。
題名をクトゥルフベースで解釈するとろくなことがない……っていうのはこの後の話ですが、題名は当てにならないものですね。特に最近の小説。