よくあるラブコメのあれ
「……あ」
「……お」
行った本屋に弓削がいた。
「奇遇だな、衣川。気が合う奴なんかいたことなかったから嬉しいぜ。でもな、手を離せ。それは俺のだ」
「それはこっちのセリフよ。手を離せ。それは私が買う」
しかも、私たちは同じ一冊の本を取ろうとしたところだった。やっすいラブコメみたく二人の手指が重なるが、どちらも手を引くことなくバチバチと睨み合っている。
「おいおいよく見ろよ、俺の手の方が下にあるだろうが。俺が先に取ったんだよ」
「それが何か?無意味にヒョロヒョロ長いせいで生まれたハンデに私が屈すると思う?」
なお、この本屋には「バイオレンスコーナー」という穏やかでない名前の一角があることを示しておく。私はまっすぐこの耳慣れない場所へやってきた。
バイオレンスもの大好き。読書も大好き。そしてよさげな本を見つけて手に取ろうとしたらこれだ。
「口が悪いな。衣川、お前友達いなかったろう」
「お生憎様、あんたと違って5人いたわよ。譲り合いの精神ってものがないの?友達がいない理由がわかったような気がするわ」
「それはそれは、後学のためにぜひお聞かせ願いたいね……この本を買った後で」
「だったら一生無理ね。この本は私が買うのだから」
私が買いたい本の題名は、「屍食教典儀」という。で、これを弓削はがっちりホールドしている。何をする。取れないではないか。ヒョロガリの身体のどこにこんな強烈な握力が秘められていたのか。
「大体、あんたにこの本に記されているであろう崇高な思想が理解できるの?理系でしょ?歌の歌詞を図解しちゃう無粋な下郎の集まりでしょう?」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ……お前にフィボナッチ数列の美しさがわかるか?理性から遠すぎる文系脳が、この本に記された深淵なる理論を理解できるとは思えねーな。どうだ?自分の脳に聞いてみろよ」
「それを言うなら自分の胸に聞く、ね。さっそくあんたの理解力の底が見えたわ。大体フィボナッチがどうしたっていうのよ。わかんなくても生きていけるのよ」
「底が見えたのはお前の方だな」
ぐぎぎぎぎ。双方一歩も譲らない。譲るものか。これは戦いなのだ。本を入れるための闘争なのだ。
「あ、あの」店員がおずおずと話しかけてきた。私たちは寸分違わず穏やかな微笑で返す。「もう一冊あるので、その辺で……」
私たちはそれで手を打つことにした。大人げない弓削に代わって私がもう一冊を手に取る。
「命拾いしたわね、クソ理系」
「聴き飽きた捨て台詞だぜ、カス文系」
途中からただの理系と文系のディスり合いになっていた?そんなことないよー。お互いを尊重した穏健な話し合いだったのよー。
それからしばらくして入学式があって、私は隣町の私立高校に通うこととなった。一人暮らしにも慣れて、料理もだいぶうまくなった。フローリングの染みはあまり気にならなくなってきた。
どちらも嬉しい変化だ。片方は人間としてどうかと思うが。
学校では変わらず浮いたままだ。弓削くらいしか喋る相手がいない。あいつはわかるとして、何で私は浮いているのだろう。納得がいかない。
教師すら授業で私を無視する始末だ。一度授業中に教室を抜けてみたが反応なし!どこに目をつけているんだと教育委員会にでも殴りこみたい気分だった。これだから最近の若いもんは。
そんなある日、「合宿のお知らせ」なるプリントが配られた。四月から早速合宿とは。何とも気合が入ってますなあ。おお、おおお。持ち物は普通だ。泊まるところが汚そうなのが唯一の……ってあれ?
なんじゃこりゃ!
「……」
何も言えずにひたすら口を半開きにする。一番下に驚愕の一文が添えられていたのだ。
え。
えーとえーと、「なお、弓削壮二・衣川依は参加しません」とか書いちゃってるんですけどッ!?いいのか!?そりゃあないだろ!ダメだろ!人としておかしいだろ!
いや事故物件で特に何も感じず生活してる私が言えたことじゃないけどね!
「では、終礼を終わります。起立。礼。解散」
終わってんじゃねえええええ!解散するなああああ!
問い詰めても無駄なのはわかっている。多分無視だ。くそう。合宿それなりに楽しみにしてたのに!一人寂しく山を登って家に帰る。
この時登る坂はなだらかなほうじゃなく、距離と言い角度と言い、そう呼ばれるために生まれてきましたと豪語してはばからない心臓破り上等の激坂だ。
もう二週間はここを使って学校に行っていて、もう三週間はここを行き来して本屋に行ったりしているのだが、いまだかつて私か弓削以外でこの坂を人力で行き来するものに出会ったことはない。
用事がなかったら降りたくも登りたくもないんだろうなあ。
弓削は電動アシストで半分までは上がって、途中から顔を真っ赤にして手押しで上がっているのをよく見かける。車は上がってくるがもれなくアクセルをべた踏みしている。
そこを徒歩で登る成り立てほやほや女子高生!どんな運動量だよ。私が長距離極めてなかったら、それから一時トライアスロンに浮気してなかったら死んでいたぞ。
良かったな、JK衣川!
ありがとう、JC衣川!
いやちょっと待てよ?女子高生はJKだよな?だから女子中学生はJCなんだよな?……正しくはJTなんじゃないか?なんだかジェット関係の何かに聞こえるけど……Jってついてるから。はっ、ロボは女子だったのか!?そんなばなな!
「ふふっ」
「……何笑ってんだ衣川……」
何かが通り過ぎた。弓削の自転車が上がっていく後姿が見える。くそっ、まだ半分に達していなかったか!この辺りならまだ奴の方が速いっていうのに!うかつだった……こうなったら口止めだ。
一度足を止めて、ぐっと地面を踏む。蹴った。
「ゆうううううううげええええええええええ!!!!!!」
「うげっ!?」
陸上部には入っていないけどこっそり練習に参加している。設備を無断で使用している。だって皆話しかけても無視するんだもん。仕方ないよね。短距離も練習してはいるけどうまくならないんだよなー。
だが走り込みは十分!よってこの脚は飾りではない!電動アシストなるからくりのついた程度の自転車で私を引き離せると思うな!
「まああああああてええええぇぇぁああああああああああああああっ!」
「き、衣川……なのか!?なんか禍々しいぞお前!右腕の封印でも破ったか!?」
こいつの中で私はどういう人間なんだろう。
「ンッだぁうるるるるるぁああああらぁああああああ!」
「く、来るなー!化け物めー!」
この日、弓削は初めて坂を登り切った。電動アシスト付きだけどな。へばってたけどな。ふん、もやしめ。炒めてやろうか。しかし私もちょっと疲れたな。さすがにあの坂をダッシュは辛い。
5キログラムのコレジャナイ感で作りました。




