1-終
煙を放つ黒く禿げた草地、地に刺さった柄のない剣、水が滴り落ちる衣類、利き手に握られた種類のわからない枝。やはり先ほどまで確かに俺は鉄の鎧と対峙していたようだ。しかし、その鎧はどこにもいない。神話の様な出来事を目の前にし先ほどからすでに一〇回も記憶と景色を比べたがやはりこれが現実なのだろうか。
――あの・・・・・・大丈夫ですか?
どこからともなく声が聞こえてきた。やはり神話のように神に命を救われたのだろう。
「いえ、あなた様のお力に感動していた次第です。つかぬことをお尋ねしますがあなた様は神様なのでしょうか。それとも天の使い様なのでしょうか」
――そんな・・・・・・恐縮なさらないでください。私は神や天女などではありませんので・・・・・・。
「ではあなたは一体・・・・・・?」
「兄さん!」
天を見上げていた顔を下ろすとウルスがこちらに駆け寄って来ていた。
「ウルス、逃げてなかったのか」
「そんなことよりさっきのは何? 兄さんがやったわけじゃないよね」
ウルスが尋ねる。こんなときに考えることでもないが俺がやったものではないと断定するウルスの発言は少々癪に障る。
――ウルス? ウルスというのはその子の名前でしたか。
声が再び聞こえるとウルスは肩を一瞬すくませ四方八方を見渡し、やがて知恵の樹に視線を落ち着かせる。
「もしかして知恵の樹が語りかけてるの?」
ウルスの言葉に合点がいく自分が嫌になる。俺も知恵の樹へ視線を移す。
――知恵の樹・・・・・・ですか。お二方の視線から考えると私のことのようですね。
やはりウルスの勘の通り声の主は知恵の樹であったようだ。
「ウルスという人物がどうかしたのですか。知恵の・・・・・・ではなくて、えーと・・・・・・」
――知恵の樹で構いません。ウルスという名がケウルスという私の恩師のような方の名ににていまして。
「ケウルス? ヘイトンではなくて?」
――ヘイトンを御存じなのですか? ケウルスというのはヘイトンの家名です。
驚いた。セントルドにおいて家名は貴族のみが名乗れるもの。そしてケウルス家といえばセントルドで一、二を争う大貴族であるのだ。
「そうでしたか。ヘイトン様は各地に伝わる神話で英雄の一人『賢者ヘイトン』として崇められているので知らない人はいないと思いますよ」
――ヘイトンが神話に?・・・・・・賢者というからには彼に間違いないのでしょうが・・・・・・
知恵の樹の言葉が急につまる。
「どうなさいました?」
――いえ、知らない内に随分と時間がたっているようでして・・・・・・すみませんが色々と説明願えませんか。
「わかりました。こちらも化け物対策であなたの知恵をお借りしたいと考えていたので喜んで説明いたします」
知恵の樹の巨大な力は先ほどの一件で十分以上に証明されている。その力があれば例え脅威の再来があろうとも十分な対策がとれる。それにもしも協力を得られずとも当時の正確な情報だけでも十分価値がある。ここは説明役を買いつつ情報を聞き出すべきだろう。
しかしエーテの杖ではなくヘイトンの知恵の樹を味方につけるとなると、ホッポルンの安全な場所から手柄をあげようとする神術学者を出し抜いてヘイトン研究者としての大手柄になる。そう考えると気分が高揚せざるを得ない
――ええ、魔物対策ならできる限りお力添えいたします。ただ・・・・・・
昨日のやり取りが頭に浮かぶ。
――長い眠りの中で記憶がほとんどなくなっているようでして・・・・・・申し訳ないことに知識面ではご期待にお応えできないかもしれません。
――そうですか、ヘイトンは脅威を打ち払ったのですね・・・・・・
神話の知識を伝えると知恵の樹は何とも表現しがたい声色で感想を漏らす。まさかとは思っていたが知恵の樹は英雄たちの戦いは全くと言っていいほど知らないようであった。
「本当に記憶がなくなっているようですね」
――ごめんなさい。ヘイトンから習ったいくつかの術やその他の知識しか記憶になくて・・・・・・
「いえ、その術のおかげで命を救われていますので・・・・・・」
とはいうものの知恵の樹の力を覚醒させたところでこの巨大な樹を持ち帰るわけにもいかないし、先ほどの術も強大すぎて術を習うにしても扱える術者がいない可能性もある。奇跡的な大成果でも今後に軌跡も残せない奇跡ではまるで意味がない。
「ねえ、この杖のことはわかる?」
ウルスがこちらへ来る際に拾ってきたのかエーテの杖を掲げる。たしかに知恵の樹に気を取られていたがこちらも神具だ、力を引き出せれば大きな成果になるだろう。
――この杖は・・・・・・?
「先ほど説明しました天女エーテの残した杖です。何か思い出せることはありますか?」
――いえ、天女様のことは記憶には全く・・・・・・ですがその杖には何か力を感じます。
「本当ですか?」
語気に力が入る。
――確証はありませんが見たことのある力かもしれません。試しに杖を持って何か術を使っていただけませんか。術は・・・・・・そうですね、風術をお願いします。
知恵の樹の声に従い風術の紋を描く。風が頬をふれるが先ほどの戦闘で体力がなくなっているようだ、先ほどの戦闘よりも威力が落ちて杖先の紋の光さえなければ術を使っているかわからないレベルだ。
――・・・・・・
「すみません、魔術もかじってる程度で疲労もあって・・・・・・」
あまりにも弱弱しい風に言い訳を自然と口にしてしまう。
――いえ、確かに戦闘後で強い術は使えないとは思いますがこの威力は不思議に思いませんか。おそらくその杖は術紋に反応して術者の活力を奪う力を持っています。
「術者の活力を奪う?」
エーテの杖を足元に置き小指を立て再度同じ紋を描く。紋の光から音を立て砂ぼこりと焼けカスが舞い上がる。誰が見ても威力の違いはあからさまだった。
――やはりその通りだったようですね。
「他に力は?」
――感じられません。それにこれは強大な力です。力の質を考えても残念ながら他の力との共存はないでしょう。
よく考えればエーテの杖を手にしてからおかしかったのだ。才能がないとはいえ凡庸な力は備えた俺の魔術があそこまで弱小なわけがなかったのだ。身体中の力が抜け、目の前が暗くなる。俺の任務は終わったのだ。
目を開けるとそこは朝見た景色と同じボロボロの木造の部屋が写っていた。夢であったのか。右頬をなでるウルスが処置したのだろうわずかに痛みを感じる頬の上に歪な布切れがあてがわれている。頬を撫でつつ深く息を吐き出し周囲を見渡す。ウルスは外出中のようだ。
もう一度深く息を吐き出す。そして中身がはみ出している大荷物を見つけ、手を差し込み安物のペンとボロ紙を探り出す。
神具は呪いの術具でしたとでも書いてやろうか。身を危険にさらして無駄足をかかされたのだ、皮肉の一つでも言ってやらないと気が済まない。そもそもあの程度の効果を何百年と見抜けなかった名ばかりの人間にまともな報告はいるのだろうか。しかし、逃げ出したところで国賊扱いを受けるだけである。研究者を選んだ自分の選択ミスさえも恨みが沸き立つ。
「兄さん目が覚めたんだ。大丈夫かい?」
声の方向に振り向くとウルスが立っていた。
「ああ、また世話になってたみたいだな。エーテの杖に奪われていると知らずに活力を使いすぎただけで、体も問題ない」
「そっか、良かった」
そういうとウルスは俺の手元に目を遣る。気が付けば紙には文字が埋め尽くされていた。
「それ報告書?」
「ああ、そうだよ」
「じゃあもう行っちゃうんだね」
「そうだな、これ以上下っ端の俺ができることもないし結果は出ちゃったしな。それよりその恰好はどうしたんだ」
ウルスの身なりはもともとボロボロであったがテロイとの戦闘後と比べてもあからさまにその汚れ方に磨きがかかっていた。
「兄さんって魔物対策のための研究をしているんだよね」
「まあそういうことになるのかな。それがどうした?」
「オレも連れて行ってくれないかな」
ウルスの言葉の意図が理解できずしばし回答に困る。ウルスを見ると彼は期待と不安の眼を真っ直ぐにこちらに向け、黙って答えを待っている。こうしてみるとやはり幼い。彼はまだ子供なのだ。
「連れていくって言ったってホッポルンに帰るだけだぞ。まああんだけ化け物を見たら戦えるウルスが道中いてくれると助かるが・・・・・・。それに守り人の仕事はいいのか?」
「明日オレ一六歳になるんだ」
「一六歳? それはめでたいが関係あるのか?」
「前も言ったじゃん。一六才になったら婚約者探しの旅に出ないといけないって。それに兄さんが寝てる間に知恵の樹さんには許可もらったよ」
思っていた以上に話が先へ進んでいて少々自分の情けなさに恥ずかしくなる。
「ダメかな・・・・・・?」
彼の期待に添えた結果になるとは思えないが、子供だということ以外に断る理由がない以上、証人として戦力として彼は必要になるだろう。
「そういうことならむしろこちらから頼みたい話だ。よろしくな」
こちらの答えを聞くや否やウルスは満足そうな表情を浮かべ準備してくると倉庫へと駈け出して行った。整理の知らない大荷物を見る。手伝わなければ日が暮れる気がした。
案の定倉庫へ行くとただでさえ整理されていないほこりまみれの倉庫が大地震にあったかのような様相であった。その中心でウルスは小さな体格にかろうじて見合わない大きめの袋をパンパンにはらしてさらにその中に荷物を詰め込もうとしていた。
「そんなに詰め込んで何を持ってく気なんだ」
物で溢れた倉庫内のわずかな踏み場を探しながら声をかける。
「あ、兄さんもう少しで終わるから待ってて」
「いや、手伝うよ」
「大丈夫だって」
ようやくウルスのそばに近づいた俺は入りきらない袋に詰め込もうとするウルスの手をつかむ。
「待っていたら日が暮れる」
「大丈夫だと思うんだけどな・・・・・・」
「大体馬車も持たない長旅にその大荷物は不向きだ。いったん整理するぞ」
そう言って荷物を袋から取り出す。案の定着替えや食料などの調度品はほとんど入っておらず旅には不要な置物が詰め込まれていた。
「こんなもの一体何に使うつもりなんだ」
ホッポルン製の工芸品を手に取って尋ねる。
「外ではお金ってのが必要だからこういうのを売れって言われてて・・・・・・」
たしかに山籠もりの一族だから資金はほとんどないかもしれないし、ここにあるものを売ればそれなりのお金にすることもできる。だが、管理もまともにできていない品は一般の商人が買い取るわけがないし、世間知らずのこの少年なら高価なものも安値でだまし取られるのが目に見える。
「なるほどな。でもお金の心配ならいらないぞ。研究協力者としてついてくるんだからホッポルンまではこっちで出す。その後は傭兵として稼げばいい。門前払いを受けない程度の紹介はできる」
「そんな、悪いよ」
「こっちにとっては証人兼護衛として雇ってるようなものだから気にするな。というか大荷物を増やされるよりましだ。売り物は最小限に選んでやるから旅に必要なものを準備しろ」
そう言って売れそうなものを仕分け始める。ウルスは納得したのか観念したのかやや不満げな表情で作業を始める。改めて荷物を見るとよっぽどうまく交渉しないとはした金にしかならないガラクタと化しているものばかりで、彼がひとりで旅立ってるはずだったことを考えると他人事ながらもぞっとする。
「あ、兄さんそれは売り物じゃない大事なものだから袋に入れといて」
懐中時計のような金属の塊を手に取るとウルスが慌てた声をかけてきた。
「これはなんだ? 中に危ない物でも入っているのか?」
不自然に溶接された金属の淵を指さす。
「中身はわからないけど代々受け継がれてる旅のお守りなんだって」
見るからにガラクタだが神樹を守り続けた一族だ。何かとてつもないものが眠っているのかもしれない。
「大事なものなら鎖でもつけてやるから身に着けとけ」
「兄さんそんなこともできるんだ」
「それより必要な荷物はそれだけなのか?」
すっかり座り込んでいたウルスの横には一着分の着替え、一本のナイフ、少量の薬草が置かれるのみであった。
「うん。これだけだよ」
「服はそれだけなのか」
「そうだよ。これしか持っていないんだ」
「食料は?」
「その日とれたものを食べてるから家にはないよ」
「護身用の武器は?」
「剣が折れちゃったから・・・・・・」
「予備もないのか?」
「うん」
この子はよく今日まで生活してこれたものだと感心する。しかし、この様子だと資金もぎりぎりになりそうだ。せめて武器くらい替わりはないか見渡す。
「この立派な剣は少し小さめだが錆を落とせば使えるんじゃないか」
倉庫の奥に立てかけてあった錆に包まれた剣を指さす。
「ああ、あの剣は無理だよ」
「無理って何かあるのか?」
「いや、どうやっても錆が落ちない剣なんだ」
「そんなにしつこい錆なのか?」
「いくら錆を落としても一振りもしないうちにまた錆に包まれるんだよ」
「それってまるで呪いの剣じゃないか・・・・・・。仕方ない、剣もどこかで仕入れよう。それまでそのナイフで何とかしてくれ」
正直この状態で山を下りるのは少々怖い。挨拶も含めて知恵の樹に簡単な術か助言をもらう必要がありそうだ。必要最低限でスカスカになった大袋を見つめ、立ち上がる。
「よし、じゃあ知恵の樹に挨拶して出発するか」
「あ、兄さんすっかり忘れてたけど知恵の樹さんから伝言があったんだ」
「伝言?」
「うん。知恵の樹さんの枝を持ってこの紋を描いてくれって」
ウルスは紙と知恵の樹の枝を差し出してきた。紙を開くと紋というより落書きが書かれていた。
「ウルス、このメモじゃ意味ないよ」
「え?」
「これは直線か? 曲線か?」
「えーっと・・・」
「魔術っていうのは活力だけじゃなくて紋の正確さも重要なんだ。線の太さからわずかな歪みまで少しでもずれたら効果が薄くなるか術自体発生しないことさえある。だから正しい紋を見せてくれないと意味ないよ」
「そうなんだ・・・・・・あ、でも知恵の樹さんはそーまじゅつを知っていれば大丈夫とか言ってたよ」
「操魔術か?」
操魔術とは活力の流れを操作する特殊な術である。魔術は体内にある活力をペンのインクように滲ませて紋を描き特殊な現象を起こす技であり、本来は術者が触れられる位置にしか術紋は刻めない。しかし、この操魔術で活力を遠くに飛ばせば遠方に術紋を描くことができ体に触れてない場所からも術を発生させることができる。だが、それは術を同時に二つ発生させることと同義なため高い活力と集中力・正確性が求められる高度な術でもある。俺を含めた大半はこの術を発生させることはできるがそこから術を起こすことができない。
「確かによく見れば線が一本多いが操魔術の術紋だな。やってみるか」
知恵の樹の枝を持ち円を描き中に正方形、ひし形、上向きの矢印、そして斜線を描く。すると手元から光が放たれ、その光は枝全体を包む。
――どうやら、うまくいったようですね。
どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「知恵の樹様ですか?」
――ええ、そうです。意識を体の一部であったこの枝に転送させてもらいました。これで先ほどの術紋を描けばどこからでも私を呼び寄せることができますし、威力は劣りますが術も使えます。微力ながらも皆さんに協力させていただけませんか。
「ええ、断る理由もありません。非常に心強いです」
――ありがとうございます。それと、私からも何か思い出せればそちらに報告したいのでこの枝に先ほどの術紋を刻んでいただけませんか。
「はい、わかりました。今後ともよろしくお願いします」
こうして神具「知恵の樹」と英雄の卵ウルスが仲間に加わった。
恐らく今後も俺にできることは数少ないだろう。だが得体のしれない事件で彼らは確実に名を残す。俺は歴史書の片隅に研究者その一として位は名を残せるかもしれない。