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凡人伝  作者: 峠 展望
4/5

1-3

 民よ。再び脅威にさらされし時は知恵の樹に聞け。知恵の樹は英雄が育てた叡智と勇気の結晶。ヘイトンの知恵が託されしこの樹は再び悲劇が訪れることを止めてくれよう。ヘイトンが育て、勇者さえ愛したこの樹はその時が来るまで眠り続けるだろう。(『セントルド神話 英雄伝終章』より)



 英雄伝の最後は英雄たちの後日談のあとにこの知恵の樹が脅威への対抗策であるとして締められている。今日このときまでただ決まりが良いから書かれていると考えていた部分だが、信じる価値があるのではないかと今では思う。

 知恵の樹で出会ったこの少年は初めて見た化け物を赤子の手をひねるように切り裂き、凡人たる俺を救った。この少年は英雄とするには未熟かもしれないが、凡人にはない突出した才能を持っている非凡な存在であることは間違いないだろう。少なくともホッポルンで武術の天才と呼ばれている人々ですら少年である彼の剣術に対抗できるものは何人もいないだろう。

「兄さん、さっきは蹴り飛ばしてごめんよ」

 先ほどまで化け物を刈っていた人間とは同じに思えない表情をした少年はやたらと刃こぼれのしている剣を収めながら駆け寄ってきた。

「いや、お陰で助かったよ。しかし坊主、一体何者なんだ」

「ああ、自己紹介まだだったね。オレはウルス。ヘイトンさんの知恵の樹の守人やっている」

「知恵の樹の守人?」

「そう、オレはここを荒らされないように代々守り続けているんだ。まああんな化け物は初めてだったけどね」

「代々ってもしかして坊主はヘイトンの子孫なのかい」

 そう問いかけると少年ウルスは笑いながら答える。

「そうだったら兄さんのハッタリで驚いたりしないよ。それより兄さんは何ていうの?」

「ああ、すまない。俺はラモン。魔術師ではなく旅の・・・・・・」

「旅のじゃなくてホッポルンの研究者さんでしょ」

 驚いて顔を上げるとウルスは懐からエーテの杖を差し出して続ける。

「これ、エーテの杖でしょ。世界の希望になる杖なんて二つしかないし、兄さんはこの杖を持ってエーテの歌歌ってたんだから誰だってわかるよ」

 有事とはいえ俺はとんでもない発言をしたものだ。しかし、彼に声を掛けられたときのような焦りは感じない。それは彼の知恵の樹の守人という役割からなのかもしくは・・・・・・。

 ふさわしい人の手へと渡る。神術研究所での一言を思い出す。もし、彼の元にエーテの杖が行ってしまったとしても下っ端の命を何とも思わない研究者や出世欲に任せて生きてきた凡人よりもふさわしい場所であると思えたのだろう。

「えーっと、兄さん安心してよ。この杖はちゃんと返すし、言いふらす相手もいないから」

 ウルスは少し困った顔をしてエーテの杖を俺の目の前に差し出してくる。

「ああ、すまない。ことがことだから自分のミスに動揺してしまってね」

 ウルスから杖を受け取り立ち上がろうとする。しかし足が思うように動かない。何とか杖を支えに立ち上がるもやはりこの状態で下山するのは少々厳しい。さっき命を救われたおかげでお礼という名分は失ったが、彼の先ほどの提案を受けさせてもらうべきだろう。

「すまないが坊主、さっきの泊めてくれるという提案、ぜひともお願いできないかい。下山をするのは厳しいみたいでね」

「それは構わないけど兄さん大丈夫? 足元もふらついているし怪我でもしたの?」

「いや、なれない魔術で体力を削ってしまったんだよ。ハッタリでも魔術は魔術だからね」

「そうか、なら安心した。ぜひうちにおいでよ」

 そう言ってウルスは知恵の樹に背を向け、俺を藪の奥へと案内する。知恵の樹の守人の家で何かつかめれば、あるいはこの少年を英雄の誰かの子孫と証明できれば世界に再び降りかかる異常への対策が進み、さらには俺はそれに一役を買った人間として名を残すことができるだろう。俺はウルスに従い歩き始める。


「こんな山道いつまで歩けばいいんだ?」

 知恵の樹から歩き始めて数十分、けもの道にさえなっていない山道に俺はこの子どもに騙されているのではないかと勘繰り始めていた。

「ごめんよ兄さん。もう少しだから我慢して」

 ウルスは軽快な足取りで前を進み続ける。

「しかしこんな山の中で暮らしているなんてよく守人一族が続いているな」

 山道を歩いている最中に聞いたところによるとウルスの一族は親族同士で集落を作ることなく山小屋で後継ぎの一家のみが生活をしており、人里に下りることは禁じられているらしく、とっくに血が途絶えてもおかしくないような生活をしている。

「一六になったら婚約者探しの旅に出るって掟があるんだよ。父さんも一七のときにホッポルンで母さんを見つけたらしいし」

「随分と不思議な伝統をよくこの国のこの時代で続けられるな」

ため息なのか呼吸の乱れなのかわからない吐息がでる。

「そうかな。オレは普通だと思うけどな。まあいいや、着いたよ」

 そうウルスが藪を掻きわけると少しだけ開けた草地が見え、その奥に小さな山小屋と倉庫らしき小屋がこじんまりと建っていた。草地を進むと小屋の横には土が盛られ木の棒が差さっている。いつのまにか移動していたウルスが祈りを捧げているところを見るに誰かの墓であるのだろうが随分簡素だ。

「もしかして坊主、ここで一人暮らしか?」

 祈りを終えたウルスに近づき声をかける。

「うんそうだよ。父さんも母さんも何年か前に死んじゃったからね」

 ウルスは相変わらずの幼い笑顔で答える。

「小さいのに大変だな」

「まあ小さい時に父さんから剣術と狩りをしこたま教えられたからね。料理とかは手を出させてくれなかったからそっちは大変だったけどね」

 そう言ったあとウルスは何かを思い出したような表情にかわり口を開く。

「兄さんさっきから坊主とか小さいとか言ってるけど、もしかしてオレのこと子どもだと思ってる?」

「子どもじゃないのか?」

「オレもうすぐ一六になるんだよ。婚約者を探す年齢だよ」

「そうなのか、悪かった。まあ一六といってもまだまだ子どもだと思うけどな」

 そう笑いかけてみるとウルスはますます子どものような顔を浮かべる。

「それよりもそろそろウルスの家へ案内してくれないか。もうクタクタでね」

「あ、ごめんよ。こっちだよ」

 笑顔を取り戻したウルスは小屋の前へ駆けだしささくれた木の扉を開ける。俺はウルスに続き知恵の樹の守人の山小屋へ入って行った。


 小屋に入るとウルスは俺を一〇数畳ほどの大部屋へ案内した。ウルスは埃をまきちらしながらホッポルン製であろう椅子に南方の国の肉食獣の毛皮を掛けて俺に座るよう促す。小屋の中を見渡すとこの椅子のように様々な地方の家具や装飾品が埃をかぶって所狭しと並んでいる。

「これ、婆ちゃんがよく作ってくれた薬湯。疲れが取れるよ」

 ウルスがそう言い緑色の飲み物を渡してきた。飲んでみるとどうやらこれは東方のトウナ大陸でよく飲まれているリューチーという薬草を濾した飲み物のようだ。

「トウナのリューチーか。随分あちこちの国から婚約者を見つけてきてるもんだな」

「あれ? よく婆ちゃんがトウナの出身ってわかったね」

「見習いで分野も違うとはいえ研究者だ。ほかの国の文化くらい常識として知ってる。それでも専門分野であるヘイトンの知恵の樹に守人がいるとは知らなかったがな」

「まあオレ等って一応存在隠しているからね。今回も化け物が絡まなきゃ兄さんに教えてないよ」

 笑顔でウルスが答える。

「そうか、だったらなおさら俺が何を聞きたいかわかってるな」

「え? オレ等のことについて聞きたいの?」

 今度は驚いたような困ったような顔を浮かべている。知恵の樹でのやり取りから山小屋に来た目的まで勘が働いていると思っていたがさすがにそこまで少年に期待するのは酷だったようだ。

「あの化け物を見たからわかるだろう。魔王の再臨とまではわからないが神話にあった脅威が現実問題として現れつつあるんだ。そのために対策を打つ必要があるんだ」

「それはわかるけど・・・・・・うーん・・・・・・・・・・・・」

 ウルスは相変わらず困った顔を浮かべている。何百年も人里離れて掟を守り続けた一族だ。そう簡単に素性は明かせないのかもしれない。

「ウルス、君たちは何のために知恵の樹を守り続けたんだ? 再び脅威が迫っても対抗できるようにするためじゃないのか?」

「そう言われてもなあ・・・・・・」

「ヘイトンの知恵や想いを無碍にしたくないんだ。頼む、協力してくれ」

 まさか自分がこんな物語の人物のようなセリフを吐く日が来るとはと我ながら驚く。ウルスはそれでも考え込んでいたがやがて首を少し縦に動かしこちらに視線を戻す。

「決めたよ。オレ、兄さんに協力するよ」

 俺は思わず立ち上がりウルスの手を握る。

「よく決断してくれた。ありがとう」

「いやあ兄さんの言葉に感動したよ。たしかにヘイトンさんの想いを無駄にしたらご先祖様に顔向けできないからね」

 どうやらこの少年は純粋な心をもった騙されやすい人間のようだ。全く本心に反したセリフというわけではないとはいえ少し心が痛む。

「では、さっそく聴かせてくれないか。君たちの一族について、君たちが守り続けた知恵の樹の秘密について」

 するとウルスはキョトンとした後にハッとした顔を浮かべる。

「あ、そういう話だったね。忘れていた」

 どうやらこの少年は若干天然気質もあるようだ。


「ごめんごめん。兄さんの言葉を聞いてるうちに化け物退治に行く話と思いはじめてたよ」

「君の一族が英雄の子孫ならそれもお願いしたいところだけど、今日会ったばかりの少年にそんなことを頼まないよ・・・・・・」

 ウルスは再び困ったような顔を浮かべる。

「うーん。兄さんに協力してあげたいのは山々なんだけどなあ」

「何百年も守り続けた秘密を明かすの大変なことかもしれない。けどそれ以上に大切なことがあるんじゃないか」

 そう言うとウルスは頭を掻きながら口を開く。

「そういう話じゃないんだ。実はオレ等にも大した話が伝わってないんだ・・・・・・」

「え・・・・・・いや、とりあえず話して見てくれ。君たちにとっては重要でなくても実は世間に知られていない重要な話かもしれないし」

 ウルスは再び頭を掻きむしってからゆっくりと口を開く。

「多分本当に大したことない話だよ。ヘイトンさんが脅威討伐隊の一人として戦ってその後、この地に来て知恵の樹を植えた。これが英雄伝だよね。で、オレ等一族に伝わっているのはガラド山の頂上はヘイトンさんのお墓でヘイトンさんの大切にしていた知恵の樹を友人であったオレの先祖がヘイトンさんのお墓に植えた。以来英雄であるヘイトンさんのお墓を荒らされないようにオレの先祖が代々守り続けようとこの地で暮らし始めた。これがオレ等一族に伝わる伝承。大した話ではないでしょ」

 ウルスが口にした伝承は研究者としてはそれなりに名をあげられる新事実でここに来る前の俺にとっては重要となった話だ。しかし今の目的からすればウルスの言うように大したことはない。それ以前にウルスの話は本当であるのだろうか。この少年が嘘を言ってごまかす人物には思えないがそもそも何百年も存在を隠した一族の伝承とはとても信じがたいものがある。

「やっぱり、大したことなかったでしょ」

「よくそんな理由だけで友人である君の先祖ならともかく子孫まで掟を守り続けれるな」

「まあ父さんや爺ちゃんたちはわからないけど、オレはご先祖様の意思を守りたいと思えたからなあ。友達の墓を汚されたくないってだけでこんな山の中まで来たご先祖様ってカッコいいじゃん」

 そう語るウルスに多少の疑念が生まれるここまで露骨に純粋だとさすがに疑いたくもなるものだ。しかし、ウルスは少し考えたあと再び純粋な提案をしてきた。

「兄さんはこの話じゃ満足できないだろうし隣にある倉庫とか調べてみなよ。オレが知らないだけで何か残ってるかもしれないし」

 ウルスの思考はつかみきれないがこの提案には逆らう理由もなさそうだ。俺は少し休んだ後色々探索することにした。


「兄さんなんか見つかったかい?」

 小屋の大部屋に戻るとウルスが食事らしきものを並べていた。あれから数刻の間この小屋や倉庫中を探ったが世界各地の伝統工芸品が並んでいるくらいでコレクターは喜べど研究者が喜べるようなものすら見当たらず。隠し部屋や魔術で利用する術紋らしきものも見つけることができなかった。

「何もなさ過ぎてますます君たちの厳しい掟の意味がわからなくなったよ」

 俺はため息交じりに腰を下ろす。

「そうか、兄さんの言うように英雄の子孫だったらもっとカッコいいと思ってたからちょっと残念だな」

 ウルスはいびつな円盤に黒い塊が乗ったものを俺に差し出す。

「これは何だい?」

「野鳥の丸焼きだよ。黒いところは削って食べるといいよ」

 そう言って野草の根だろうか白く細い塊が乗った円盤も差しだす。

「……悪いね。食事まで用意してもらって」

「いやいや、家に招待したんだからこれくらい当たり前だよ」

 黒い塊にナイフを入れる。一センチほどの焦げの塊の奥には硬く白い塊が隠れており、恐る恐る解体する。予想には反して中から黒い塊などは出てこず、しっかりと湯気も見える。安心して肉を口に運ぶ。生臭いような不快な香りが口の中にうっすらと広がる。

「明日の朝は俺に用意させてよ。一泊のお礼がしたい」

「お礼なんて気にしないでよ。兄さん学者さんで料理あまりしないでしょ」

「これでも町宿場で育ってる。料理はできる。それに礼をしないと気が済まない」

「わかった。じゃあ期待してるよ」

 倉庫を見たときに気づくべきだったが、刃こぼれした剣をはじめに埃の被っていないものは基本的にボロボロの状態でどうもこの少年は剣術や戦闘における勘に才能が偏りすぎている傾向にある。

 何とかぎりぎり食べられる食事をのどに通しそのあとウルスに色々探りを入れてみるが何の成果もなく、明日また知恵の樹とエーテの杖の研究に戻ることにして眠りに着いた。


「兄さん本当は料理人なんじゃないの!?」

 翌朝下処理と味付けをしただけで昨夜と同じ献立を出すとウルスは目を輝かせて食事を口に運んでいた。よほど散々なものを食べていたのだろう。知人には出せても客には出せないと言われた俺の料理に賞賛を浴びせていた。

「じゃあ世話になったな」

 ウルスの一族の発見は十分な成果とも考えられるし、ウルスを軍に引き入れればそれなりの報酬も期待できる。しかし、ここで依頼を達成させずに帰宅するのは宝の山から小銭を抱えて下山するようなものだ。もう少し知恵の樹で粘ってみることにし、大荷物を抱える。

「兄さんまた知恵の樹に行くのかい」

「ああ、国宝手にして手ぶらで帰るわけにはいかないからね」

「じゃあオレも行くよ。協力するって言って何もしないわけにはいかないからね」

「ああ気にしなくていいよ。頭使うのは学者の仕事だから」

「頭使うのは得意じゃないけど、また魔物が出たら守ってあげるからさ」

 それは全く考えていないかった。少年に守られるのは癪だがウルスを護衛に再び知恵の樹へ向かうことにした。

 

 藪を抜けて知恵の樹に着く。ホッポルンで渡されたメモを再び開く。忘れかけてたが実験とはとても呼べない馬鹿馬鹿しい遊戯の羅列に久々にため息をつく。下山口に目を向けるが隣の少年の真っ直ぐな眼差しを背にする勇気はない。気乗りはしないがエーテの杖を構え、手始めに祈りをささげる。

――ここですか

 突如男の低い声が不気味に響き渡った。いきなり成功か? ウルスを見ると明らかに知恵の樹とは別の方向から声を探っている。

「おやおやサイバルさんが帰ってこないと思って様子を見に来たら人間が二人もいらっしゃった」

 再び聞こえた声に振り向くと甲冑を着込んだ男が藪の奥からゆっくりこちらへ前進している。右手には剣を携えている。

「そんな物騒な格好してどうしたんだい?」

 ウルスが鋭い目つきを男に向けて尋ねる。しかし、男は意に介さず左右に散らばった切り株の残骸を見つめている。

「ふむ。こちらは切り株どもの残骸で間違いなさそうだね」

「おい、あんた聞いてるのか」

 ウルスはゆっくりだが強い口調で再度尋ねる。

「おっと失敬。つかぬ事を尋ねますが昨日こちらに動く切り株が参りませんでしたか」

「来たけどそれがどうしたっていうんだ?」

 ウルスは剣に手を掛ける。

「おいおい、ウルス落ち着け」

 俺はウルスを片手で制止する。

「セントルド騎士団の方ですね。この子が失礼しました。化け物なら安心してください。何とか二人で倒すことができましたから」

「ほう、そうですか」

 そう言うと男は鉄仮面に手を掛け、面の中身をのぞかせる。

「申し遅れました。私脅威攻略隊隊長のテロイと申します。残念ながらあなたの言う化け物というのは私の味方でね」

 背筋が凍る。面の中には何も入ってなかった。


「まあ彼のような下っ端には興味がないのですが、我が軍のホープだったようでね。責任はとらないといけないわけですよ」

 テロイと名乗った化け物はゆっくりと剣を構える。

「ふむ、見たところ青年は隠し玉か警戒に値しない人物でしょうね。少年、来なさい。躾けて差し上げよう」

 テロイが左手でこまねくや否やウルスはすぐさまテロイの目の前で剣を構える。

「ほう、まるで猿ですね。サイバルさんも運が悪い」

 いつの間にか振り下ろされていたウルスの剣をテロイの小手が止める。ウルスはすかさず左足でテロイの腹部を蹴り飛ばす。テロイがよろけるとウルスは縦横無尽に剣を振る。テロイは小手や構えた剣で捌くが捌き切れずにいくつもの斬撃を受けている。

「ふむ、これはこれは中々の剣速だ。手も足も出ないとはまさにこのことでしょうね」

 確かにテロイはウルスに一切手を出せずにいる。今も何度か斬撃や蹴りを食らいふらついている様子が見れる。しかし、なぜだろうかこの化け物から焦りというものを一切感じない。

「そろそろ反撃しましょうか」

 そう言うとテロイはウルスの剣撃に構わず上に大きく剣を構える。

「さよなら。猿のような少年」

 その言葉を言いきるころにはテロイの剣は右へ払い終えていた。何十メートルも離れた位置に居る俺のところへテロイの剣が起こした衝撃が届く。縦に二本、立て続けに横へ二本およそ四本もの剣撃が目にもとまらぬ速さで繰り出されていたようだ。

「ウルス!」

 雲の上のようなレベルの戦いに気を取られていて、今更ながら少年の身を案ずる。テロイの起こした土煙りに祈るような気持ちで目を凝らすと小さい影が大きな影の横に居るのが見える。

「ぐ・・・・・・。小僧、よくも・・・・・・」

 土煙りの中から見えてきたのはウルスがテロイの腹部を切りつけている様であった。

 テロイは後方へ跳ね下がり、構えを直す。しかし、その隙を与えずにウルスはテロイにいくつもの斬撃を浴びせる。

「くっ・・・・・・少年、予想以上ですよ。我々の計画に大きく障害をもたらす危険な存在だ」

「降参しろ。そうしたらあんたの命までとらない」

 もはやだれが見てもウルスの勝利は歴然としている。テロイは動きを止める。

「降参? なかなか面白い冗談だ」

 ウルスは再び大きく振りかぶり腹部へ狙って一線を描く。しかし、線を描いた後のウルスの剣は刃先がなくなっていた。

「あなたの敗因は3つ。一つは剣の手入れの粗さ。二つ目は少々のダメージさえ腹部にしか与えられない非力さ。最後に三つ目は二戦目にして軍最高幹部の私を相手にしてしまった運のなさ。もっと経験を積んでから出会えば私も危なかったことでしょう」

 テロイは腹部に構えていた剣を構えなおし刃先をウルスに突きつけていた。


「思わぬ敵に中々楽しませてもらいましたよ」

 テロイは悠長に語る。ウルスはというと逃げ出すそぶりもない。

「無駄な抵抗をしないとは少年の身にして良い覚悟だ。ウルス君といったね、新たな英雄伝にあなたの名前を加えておくので死後自慢なさるとよいでしょう。では」

 テロイが剣を上に構える。だがその瞬間、動くそぶりのなかったウルスが突如後方へとび跳ねる。それに対しテロイもまた少し遅れるように大きく後方に下がる。二人が元いた場所には棒状の物体が倒れていた。

「ふむ、思った通り警戒の必要はなさそうだ。戦士の戦いに邪魔はいけませんよ青年」

 テロイの面はこちらを向いている。気がつくと俺の手元には構えていたはずの短槍が消えうせていた。

「味方に当てかねないコントロール。相手の動きを考慮しない狙いの甘さ。地に刺さることすらない非力さ。興がそがれましたよ」

 テロイは相変わらず悠長に語る。武器を失った俺は辺りを見渡す。エーテの杖は力が目覚めておらず杖としても鉄の鎧を相手ではあまりにも心もとない。魔術はハッタリしかできず、加えて調子も悪い。

「武器がなければ成すすべもないでしょう。おとなしく勇敢な少年の最期を見届けなさい」

 そう語ってテロイはウルスの元へゆっくりと歩き始める。ウルスは倒れた槍のすぐそばにいる。

「ウルス、その槍を使え」

「無理だよ兄さん。オレ、剣しか使えない」

「剣でも突きがあるだろ。その要領だ」

「こいつにそんな付け焼刃通用しないよ。オレのことはいいから逃げて」

 たしかに逃げられるものなら逃げたい。しかしテロイの動きを見るからにウルスを失えば俺が生き残る手段はなくなる。

「ご安心を。彼のような凡人は我が剣の錆にするつもりすらありませんから」

 砂埃が舞う中、テロイは日の光を反射し続けながら一歩また一歩と足を踏み出す。先ほどの言葉を信じるほど俺は楽観的ではない。理由もなく襲いかかった化け物のことだ。本当に命が保障されていたとしても何らかの不幸が待っている。いや、むしろ普通に殺された方がましな最期を迎えるかもしれない。

 エーテの杖を握り、ロジュム先生のメモを取り出す。俺がとった手段は愚かにも神に縋るだった。メモを見渡す。祈り、歌、知恵の樹との接触・・・・・・どれも昨日大体を試したし望みも薄い。エーテの杖で術紋を描く・・・・・・これだ。

 エーテの杖で術紋を描く検証、これはすでに研究所内で行われていた実験だが知恵の樹との相乗効果で目覚めるかもしれない。それに目覚めずとも極限状態の今なら普段よりも高い集中力で大きな魔術を偶然使うこともできるかもしれない。

 テロイを見る。完全にこちらへの警戒は解いているようでウルスに何やら語りかけながらゆっくりと歩み寄っている。俺はエーテの杖でまず土石術の術紋を描く。土石術は土や石を操る術だが極めれば物体も操ることができ、知恵の樹の下に何か眠っていればそれを掘り出し打開策になるだろう。術紋を描くとわずかな光を放ち砂埃と小さな草が舞うが何も起こらない。昨日もそうだがやはり調子が悪いのか威力が心もとない。

 次はどの術を試すか。魔術は弱くても力を込めた分だけ活力、いわゆる体力が消費される。術選びは慎重にならないといけない。先ほどの草が僅かに吹く風に乗り目の前を横切る。随分とここの草は軽いものだ。衣服にもテロイが起こした砂埃と共にあちこちに緑の模様ができている。その内の一つを手に取る。パリパリと良い音を立てて粉々になる。乾燥しているのか。

 俺はエーテの杖を脇に置きしゃがみこむ。最近の快晴続きの影響だろうどの草にも湿り気が少ない。俺は周りの土をあらかたかき分け、四本の指に力を込める。

「ウルス、知恵の樹は燃えないんだよな」

 ウルスとテロイの距離はあと数歩、ウルスは俺の手元を見るとすぐさまテロイから離れる。俺は目の前の草地に術紋を描く。先ほどよりも強い光と共に瞬く間に眼前は炎に包まれる。

「ほう、随分と派手な目くらましだ。それで焼身自殺でもするつもりでしょうか」

 テロイは魔術ごときではひるまないようだがむしろ好都合だ。俺は小指を立て声のする方角に向かい円、波線、V字を二つ描く。円は光を放ち円の目の前の炎が揺らめく。そしてテロイのいる方角へ向かって炎の道を作る。

「風術か!? しかしなぜこうも勢いが!?」

 テロイは瞬く間に炎に包まれる。想像以上の火の手にウルスの姿は見えないが、彼の足なら何とか逃げ切れるだろう。しかし、燃やした後のことは考えていなかった。燃えきるまで待つには火の手が強いし、水を操る水術は術紋が複雑すぎて基礎もできない。水術の術紋はこうだったかと術紋らしきものを描いていると水滴が手に落ちる。上を見上げると大量の水が降り注いできた。

「いやはや、鉄の体で良かったですよ」

 徐々に消えていく炎の奥に黒い影が映る。

「火炎術も風術も凡庸以下なのを環境で補うとは少しだけ見直しました」

 黒い影はテロイで左手を斜めに上げ人差し指を天に指している。

「まあ、君の敗因も相手が私であったことでしょうね」


「とはいえ、この私に凡人の身で少々のダメージを負わせた事実には敬意を表する必要がありますね」

 足もとが震える中辺りを見渡す。ウルスはテロイと数十メートル離れた位置に移動していた。テロイはこちらに向きを変えて剣を突きだす。

「風術と投擲の指南をして差し上げよう」

 そう言うと複雑な術紋を瞬く間に描き術紋は大きな光を放つ。そしてその光から風が渦を描きながら一気にこちらへ迫ってきた。

「こちら、お返ししますよ」

 テロイは短槍を手に取り風の渦の中に放り込む。短槍を巻き込んだ風の渦は俺が構える間もなく眼前にまで迫る。思わず目を閉じると前髪が風に持ちあげられる感覚がする。目を開けると風の渦は俺の目の前で垂直に上昇していた。そして風がやむと短槍が目の前の土に刺さり、一本の樹の枝が傍に落ちる。

「これで少しは実力差がわかりましたか。君に関しては殺しはしないので少年の最期を見届けなさい」

 テロイは先ほどよりも早足でウルスに歩み寄るウルスは黙って腰を下ろす。

「何やってるんだウルス。逃げろ」

 ウルスは動かない。

「逃げたら兄さんが殺されるだろ? 兄さんの方がみんなに役立つし兄さんが逃げてよ」

 どう考えたらそんな結論になるのか。変な掟を守り続ける奴だ、よっぽど頑固なのだろう。俺は目の前に突き刺さった短槍を抜く。そして小指を立て少し肩より高い位置に術紋を描く。巻き起こった微風に乗るように短槍を投げつける。

「いい加減にしていただけませんか。できないものを真似しても仕方がないでしょう」

 テロイは二,三歩後退し短槍をかわす。しかしその瞬間、面に重い音を立ててエーテの杖が衝突する。

「動きを考慮すると上手くいくもんだな」

 手元から二つの武器をなくした俺はテロイを挑発してみる。

「君は馬鹿かね? かなわない相手に何度も喧嘩を売りますか」

「馬鹿はおまえだろ? 油断してあちこち無駄な怪我をして。普通に考えて子どもが殺されるのを黙って見る薄情者はいないだろ」

 俺は少し非現実的な時間にハイになっているのだろう。かなわない相手に何度か一撃を与えたおかげで気分はすっかり神話の勇者のようだ。

「わかりました。こう何度も邪魔されては鬱陶しいのでその覚悟を買って差し上げましょう。まあ蛮勇としか思えませんがね」

 俺は目の前にあった樹の枝をせめてもの武器として構える。テロイは剣をゆっくりと構えこちらに向かって駆け出す。

「兄さん、何やってるんだよ。研究者なんだから戦えないんだろう」

 俺だって武術を学んでる。それを戦えないとは天才はやはり価値の違う存在なのだろう。

「お前は戦えるっていうんだったら逃げて実力付けてこいつを倒せ」

「それは困りますね。あなた相手でも手を抜くのはやめにしましょう」

 墓穴を掘った。テロイの動きが一段と速くなる。

「行け、ウルス。ヘイトンや先祖の意思を無駄にする気か!?」

「ご安心をヘイトンとやらのこの樹も私が切り倒して差し上げます」

 テロイはもう目の前だ。樹の枝と剣は交差するだろうが確実に枝ごと切りつけられる。

――・・・・・・・・・・・・ス・・・・・・ルス・・・・・・

 突如構えていた枝に光が走る。テロイは振りかぶった剣を下ろさず。後方へとび跳ねる。

「今度は何ですか?」

――・・・・・・・・・トン?・・・・・・ヘイトン?

 光が大きくなるとともに先ほどから聞こえていた音が声のように聞こえてきた。

――ヘイトン?・・・・・・ここは・・・・・・

「まさか・・・・・・知恵の樹か!?」

 テロイはそう叫ぶと再びこちらに枝をめがけて切りかかる。

――・・・・・・魔物? ・・・・・・・・・・・・そこの方、力を貸して下さい。

 俺は声が聞こえるがままに枝に力を込める。しかしすでに切りかかってきているテロイの姿が目に映る。テロイの剣は弧を描きその切っ先は枝から俺の首元へ向かう。唯一の武器である枝を強く握りしめたまま体をのけぞらせ、目をつむる。頬に何かがかすめる。目を開けると振り切ったであろうテロイの剣先は切りかかる前の半分の長さしかなくなっていた。

「な・・・・・・おのれよくも!」

 テロイは今までにない荒げた声を上げ、折れた剣で殴りかかる。

――今から私の言うとおりに術紋を

 声に従い描いた術紋は奇妙な形をしていた。術紋は普通円の中に様々な記号を入れることによって作られるがこの術紋は説明の難しい虎のような龍のような形を描いていた。

――・・・・・・最後にそこに点を入れてください。

 声に従うと術紋は強い光に包まれる。その光はテロイを包み、光が消えた頃にはテロイはどこへともなく消えていた。


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