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神の使いエーテは天にて命を受けた天女であった。体に光を宿すとその美しき姿は無数の光の矢へと代わり魔王の鱗を打ち砕く。だが、その体は現界に留められるものではなくエーテは別れの言葉とともに勇者へ最後の神術をかけ、天界へと消えていった。血のにじむほど強く剣を握りしめた勇者の片手には聖なる光を放った杖が握りしめられていた。(『セントルド神話 英雄伝第二十三章』より)
4大英雄のひとり天女エーテはホッポルンの小さな教会で勇者を待ったとされている。その教会は現在のホッポルネーテ教会と考えられており、そこには英雄伝第二十三章に記されているエーテが残した聖なる杖「エーテの杖」が保管されている。
ホッポルネーテ教会には学校施設が併設されており、魔術書が発見されてからは研究者を目指す若者の登竜門としていくつもの研究所がひしめきあうように増設された。中でも魔術書を発見した魔術研究所やエーテの杖の管理・研究をしている神術研究所が有名で秀才でも天才でなければ入れないといわれるほど移籍や弟子入りの志願が絶えない。
俺はそのホッポルネーテ教会付属のヘイトン研究室で昨年から研究者見習いをしている。ヘイトンとは4大英雄のひとり賢者ヘイトンのことでいくつもの魔術を扱い、世界一の大樹『知恵の樹』を育てたともいわれる人物である。しかし、ヘイトンも知恵の樹もホッポルンと数年前まで戦争していたセントルドに伝わるもので国内での評判は低く、ヘイトン研究室はヘイトンを否定する研究以外は予算が下りないという噂さえある。
それゆえに平均より少し上の学力しかない俺でも所属でき、逆にそのために出世街道からは縁がなくなったと周囲から同情の目で見られたものである。そしてさらに情けないのはこの研究室に入れた理由も能力を評価したのではなく、魔術研究の被検体となったときに世話になった研究員の紹介があってのことだったので肩身の狭いものである。
そんな小さな研究室で雑用の日々を過ごしていた俺に転機が訪れた。なんとホッポルネーテ教会が誇る神術・魔術の二大研究所から研究協力の依頼が届き、協力者として俺が派遣されることになった。そして今日、詳しい内容を聞きに神術研究所に訪ねることになっている。
俺は東端にあるヘイトン研究室からホッポルネーテ教会大聖堂のすぐ西の神術研究所に向かった。大理石で組み立てられたとても研究所とは思えない神術研究所の扉をノックすると初老の男が顔を覗かせた。
「ヘイトン研究室のラモンです。先日いただいた研究協力依頼の件について詳しいお話を伺いに参りました」
そう挨拶すると初老の男は深くしわの刻まれた額により一層深くして、こちらを睨みつけながら口を開く。その口から発せられた言葉は突拍子もないものであった。
「ヘイトン研究室に何かを頼んだ覚えはない」
「え? ロジュム先生がニーム先生に直接依頼されたと聞いていますが」
「大方ニームの爺さんが夢でも見たんだろう。所長がヘイトン研究室になんて一体何を頼まれるって言うんだ?」
浮き上がっていた気持ちを一気に奈落へ落とす返答にどうしようもなく言葉をなくした。初老の男は顔と比べてしわのない手で眉間の皺を伸ばしながら少し考え込み、口を開く。
「一応所長に話は伺ってやる」
初老の男はそう言うとこちらに背を向け、扉を閉めずに奥へ歩き始める。
「何をしている」
3、4歩進んだところで足を止め、初老の男は振り返る。
「客を外で待たせる不躾な研究所と噂させる気か?」
この男の良く分からない言動に戸惑っていると、初老の男はこちらに歩み寄り鋭い目つきのまま顔を近づける。
「・・・・・・公にするなと聞かなかったか? 話は通っている。所長がお待ちだ。さっさと来い」
初老の男の早歩きに後れを取らぬよう研究所の中を進んでいく。この研究所はかつて神具を保管する倉庫であったらしく、研究所の中は実験室として使われている大部屋でさえ純白の壁に黄金の装飾があしらわれ、とても研究所と思えない荘厳な造りになっており、さすがは神の術である神術を研究する施設だと感心する。そしてそれゆえに先ほどの初老の男の態度があるのだろうとすでに諦めかけていた出世欲も更に萎んだものだ。
そんなことを考えていると初老の男は俺を地下室まで案内し、赤くつやのある木製の扉の前で足を止める。
「タタです。例の男を連れてきました」
「御苦労さま。どうぞ入りなさい」
ゆったりとした口調の声に従い、タタと名乗った初老の男は扉を開ける。
部屋の中には整った白髪の老人、くせ毛の目立つ中年男性、やたらとがたいの良い男がロの字型に並べられた机を囲んでいた。
「ラモン君だね。ここまで御苦労さま。どうぞそこに座りなさい」
白髪の老人は先ほどのゆったりとした口調で目を細めながら目の前の椅子を差す。
「はじめまして、ロジュム先生。この度は先生の研究に携われて光栄です。どうかよろしくお願いします」
白髪の神術研究所所長のロジュム先生に挨拶をし、椅子に腰かけると右に座る中年男性がなじみのある人物であることに気付いた。
「ニックさんお久しぶりです。その節はありがとうございました」
「やあラモン君。うちのニームが世話になってるね。今日はよろしくね」
ニックさんはヘイトン研究室のニーム先生の弟で魔術研究所の副所長であり、俺をヘイトン研究室に紹介してくれた人物だ。ニックさんはにこやかに続ける。
「こちらの強そうな兄ちゃんは知らないよね。なんとホッポルン軍最強と名高い二番隊隊長さんだ」
「ネフという。よろしくラモン君」
「ラモンです。有名な二番隊隊長に会えて光栄です」
「一通り挨拶は済んだようですね」
ネフ隊長に挨拶をすると穏やかな口調でロジュム先生は声をかけてきた。正面を向くといつの間にかタタはロジュム先生の右奥に座っていた。
「お話をうかがう前に一つ質問よろしいでしょうか。神術研究所と魔術研究所の合同研究への協力と話をうかがっているのですが、なぜこの場に国軍の二番隊隊長殿がいらっしゃるのですか」
そう尋ねるとロジュム先生は顎鬚をさすりやや考えたあと、ゆっくり口を開いた。
「・・・・・・そうですね、それも今回の話に関係があるので順を追って説明しましょうか。今、我々がエーテの杖の研究をしていることは知っているね」
「はい、エーテの杖は天女エーテが残した神具。その力を具現化することで神術の存在を明らかにするという研究ですね」
「その通り。今回君に頼みたいのはこの研究について。とはいっても当然君にエーテや神術に関する知識は期待していないよ。君には知恵の樹まで行ってもらいたいのです」
「知恵の樹ですか?」
「そうです。君にエーテの杖を持って知恵の樹まで行き、杖を調査してもらいたいのです」
「・・・・・・冗談ですよね」
俺はロジュム先生の言葉に耳を疑った。エーテの杖は神話にも出てくる神具で教会外持ち出し厳禁のホッポルンの国宝だ。そして、知恵の樹があるのはホッポルンと停戦中とはいえ敵国であるセントルドだ。停戦中に民間人を襲う野蛮な国ではないにしてもあまりに無茶苦茶な話だ。
ネフ隊長を見る。ネフ隊長は目を閉じたまま微動だにしない。ニックさんに視線を移すと先ほどのにこやかな顔とは打って変わって腕を組んで下を向いている。ロジュム先生に目を戻す。ロジュム先生は真直ぐな眼差しをこちらに向けていた。
「君の言いたいことはわかってる。ただ、エーテの杖の力を引き出すには同じく神聖な存在である知恵の樹で実験することが近道なのですよ」
「ですが平和協定も結んでいないこの時期にやらなくても・・・・・・」
「そうしたいのは全員同じですよ。しかし、そうは言っていられない状況なのです」
「そうは言っていられない状況とは? 」
「脅威の再来・・・・・・といえばどういう状況かわかりますね」
ロジュム先生の目は相変わらずこちらを真直ぐと向けていた。