閑話 駿府そして大高
-府中(駿府)
安城松平家は駿府館の北方に居所を構えている。
この地は元康の初陣、三河寺部城での松平勢の働きを賞して氏真が与えたものであった。
「竹千代も随分大きくなったな」
氏真は広縁に座り浅間山を眺めていた。
浅間山は僅かに色づき、江風は穏やかな春の息吹を感じさせている。
釜炒り茶を啜りながら元康も庭を眺めた。
氏真がここを訪ねるのは久方ぶりであった。
以前は機を見ては来訪していたのだが、瀬名が臨月に入ってからはぱたりと来訪が途絶えていた。
これはたちまち、今川家中の噂するところとなった。
「御屋形様はなにゆえ蔵人の屋敷に立ち寄らないのか」
伝え聞いた朝比奈泰朝は氏真に直接尋ねたという。
譜代と新参の対立というのは今川家中にも存在している。
譜代筆頭である朝比奈、三浦などの重臣達が何も言わず、むしろ新参家臣にも隔てなく接していることから不満は表面化はしていないが、放置できる問題ではなかった。
なにより泰朝自身が疑問に思っていたのだ。
「弥五郎よ、瀬名や竹千代に一番会いたいのは誰だと思う」
氏真は浅間山の方を見ながら楽しそうに笑い語ったという。
「小さな竹千代が病などになってはいかんからな。冬を超えるまでは我慢しておる」
それから最後に
「それにな奥がな、拗ねるのだよ」
と付け加えた。
この話もまた駿府中の噂となったという。
そんな市中の噂も落ち着いたころ、氏真は久方ぶりに瀬名を見舞い、竹千代を抱きあやしに訪れたのである。
ところが、である。
「竹、仲睦まじきはよいがあまり瀬名に負担をかけるのではないぞ」
氏真は元康のほうに向きなおると忠告するようにそう告げた。
ただその顔にはなんともいえない曖昧な笑みが浮かんでいる。
「何と申しますか、その、相性が良いのでしょうか」
そう、このとき既に瀬名は第二子を妊娠していたのである。
元康が真面目な顔をしながらそう答えるものだから氏真も笑うしかなかった。
そうしてひとしきり笑うと、氏真はその笑顔のまま元康に問いかけた。
「竹、竹よ。おぬしは岡崎、大高、どちらが欲しいか」
元康は思わず隣にいる氏真を見やったが、しかし言葉は見つからなかった。
「おぬしが本当に欲しいもの。いや、答はすぐにはいらぬがよく考えてくれ」
それはまるで明日の天気を聞くような、本当になんでもない口調であった。
「では失礼するかな。また来る」
元康にできたのは立ち去る氏真をただ見送ることだけであった。
「殿、水野下野守を降せば、あるいは」
梅が香り始めた陽春、献策したのは九歳年長の股肱である石川伯耆守数正であった。
あれから数日、元康はこの年長の友に氏真の言を相談していた。
「母上か」
水野下野守信元は元康の生母於大の兄である。
元康がその実、最も気にかけているのが
-瀬名と竹千代
であると気付いているのは数正を含めてごく少数である。
-殿が後顧の憂いなく力を振える
数正が折に触れそういう態度で献身してくれていることを元康は承知している。
一方で三河の譜代は元康に在りし日の安城松平を再び、と期待を抱いている。
-視野が狭い
と数正など駿河衆は常々口に出しているが、元康はその遺徳をまた利用してもいた。
高祖父掉舟院、祖父善徳院はまごうことなき三河の英雄であった。
-善徳院様の再来
安城松平家中でそう呼ばれているのを元康は承知の上で利用してもいた。
三河の旗頭、安城松平の棟梁として在るならば、岡崎以外の返答はないのである。
しかし元康はそう決断しなかった。
数正はその意を正しく察しているだろう。
-瀬名
の存在である。
元康はこの一歳年上の妻を慈しんでいる。
初めて言葉を交わしたのは、いつだったか。
一つ年上の彼女は、教養はもちろん、名門特有の大らかさを持っている。
戦国の世にあって今川一門の子息には人に憎まれない平らかさ、憎まない尊貴さとが不思議と備わっていた。
-府中は平らかである
元康は府中を想うたびにそう感じる。
花倉の乱以後、府中で戦火の臭いがしたことは一度もない。
岡崎、清州とは別世界なのだ。
元康にとっての故郷とは府中である。
安城松平家中でそれを理解しているのは駿河衆のみであるが。
今川・織田の最前線であった岡崎、今川・斎藤から圧迫され続けていた清州で暮らした竹千代は荒んでいた。
父母との離別と織田での人質生活は忍耐強さと一歩引いた視座を竹千代に与えたが、それはまた世への諦念と嫉視も育んでいた。
-竹千代は弟も同然
それを溶かしたのは五郎、すなわち氏真であった。
氏真がそれを言葉にしたことはなかったが、今の元康はそれを微塵も疑っていない。
府中に来て以来、七歳年上の氏真は実の弟である芳菊丸と変わらぬ扱いをしてくれている。
「兄者は竹千代の兄者ではない!」
同列な扱いに激した芳菊丸と取っ組合いの喧嘩をしたのはいつの頃だったか。
困惑した氏真に連れられ、三人ともで雪斎禅師に滔々と諭されたのも今ではいい思い出である。
そんな日々の中だった、瀬名と出会ったのは。
それも今考えれば、義元父子の掌上であったのだろう。
「委細任せてもよいか」
気付くとそう零していた。
胸中に去来するのは瀬名の微笑と竹千代の泣き顔であった。
今思えば
-三河の旗頭
という意識もその時零れたのかもしれない。
平伏する数正の背は大きかった。
-竹が本当に欲しいもの
そう言った氏真は笑ってはいたが、その眼には僅かな不安が宿っていた。
ふと思う。
兄は一体何を逡巡していたのだろうか、と。
-大高城
伊勢湾は凪いでいた。
重く湿り気を帯びた風が吹いている。
朝比奈備中守泰朝は己の心情を託しかけ、やめた。
-五郎様ならここでなにかお詠みになるのだろうな
足利一門にして、長く駿河守護に任じられてきた今川家は公家との付き合いも深く、京の文化・公家の教養にも造詣が深い。
特に義元は京都五山第三位の建仁寺、さらには林下随一の妙心寺で修業しており、非常に高い教養を備えている。
府中には、冷泉派(歌道)の冷泉権大納言為和や、飛鳥井流(蹴鞠)の飛鳥井権大納言雅綱も訪れ、今川家中を指導していた。
自然、氏真とともに太原雪斎より教えを受けた泰朝も水準以上の教養を備えている。
「五月雨に物思ひをれば郭公夜深く鳴きいづち行くらむ」
諳んじたのは一時大高城代を務めている松平蔵人元康である。
-中島を陥とす
泰朝の来訪目的を元康は正確に見抜いていた。
「話が早いな。清州のホトトギスは風雨か宵闇か、鳴くのだろうよ」
「それで備中殿」
「弥太郎でいいといっているだろう。酒井か吉良、どちらか出せぬか」
地の利は間違いなく織田方にある。
寡兵で以って大敵を打ち破るには奇襲しかない。
義元本隊が沓掛に移動すると聞いたとき、それが
-誘い
であると、この二人は悟っていた。
「大殿は焦っておられる」
泰朝の囁きを元康はしっかりと聞き取っていた。
-武田は織田と結ぶ
それは氏真が出立する前、雪斎の墓前で語ったことだった。
三国同盟成立後、武田は北信及び東美濃へと地歩を進めている。
義元・氏真父子の見立てでは二、三年のうちに北信は武田の領するところと読んでいた。
今は北信を巡り越後の長尾と争っているが、長尾は越中・下野方面にも戦線を抱えており北信に張り付くことができない。
風聞では関東管領が越後に向かったともいわれており、それが事実ならば長尾は関東遠征をおこなうだろう、とは氏真の弁である。
泰朝、元康共に氏真の見解と雖も
-まさか
との思いは強い。
一方で、三国同盟が続けば遅かれ早かれ武田が北信を領するだろうことは二人ともが強く同意するところである。
今川が向かうは美濃である。
-南より今川が窺い、東より武田が侵す
それが雪斎の書いた絵図だった。
ただ、これは今川が尾張を領し、武田が北信を制するのが同時期になった場合である。
もし今川が尾張を抜けず、織田がそれなりの実力を示せば、そうなれば美濃斎藤を軸に武田織田間での妥協が成立する。
「中島は最低陥とさねばならぬ」
泰朝は敢てそれを言の葉に乗せた。
この状況下、信長が坐しているとは二人とも考えていない。
村木砦の時のように積極的に打って出てくるのが信長という男である。
今も中島か善照寺か、虎視眈々とこちらを窺っているとみていた。
狙いはわかっている。
-義元の頸
である。
分派しているとはいえ、義元本隊は多勢である。
肥沃な織田家といえども全力を以て当たらなければならない。
ならば中島は手薄となる。
中島を落とし、織田の退路を断つ。
「三河勢を、大久保勢をお連れいただきたい」
元康は一つ頷くと決意を込めてそう告げた。
大久保勢といえば松平家の主力である。
率いるは大久保五郎衛門忠俊、五十余年にわたり松平家を支えてきた驍将である。
大久保一門には偉材が揃っている。
「蟹江七本槍か、いいのか」
「弥太の兄上にならばお任せできます」
まっすぐ向けられた元康の視線を泰朝は受け止めた。
しばし受け止め、ついっと顔を背けると泰朝は
-任せろ
と呟き再び伊勢湾に視線を向けた。
-そういえば、軽薄ぶる割に存外照れ屋だったな
昔日の泰朝を思い出し、元康も伊勢湾を眺めやった。
「我らは」
風がごうっと吹き抜けたのを感じた。
「そう、我らは三河の松平ではなく、今川の松平とならねばならんのです」
口に出せば、すとんと在るべきモノが在る処に収まった気がした。
それを泰朝は聞いたのか聞かなかったのか、盗み見た横顔は何も語らなかった。