桶狭間 接触
-丹下砦
丹下砦へ入場した織田勢はそのまま、善照寺を経由し、中島へと入城する予定であった。
-義元は鳴海を目指すのか、沓掛に入城するのか
信長は今川勢の動きを読み切れていなかった。
-今川が向かうは沓掛
その情報を届けたのは先年出仕停止とした前田又左衛門利家であった。
信長の面前で弟である拾阿弥を惨殺した罪人である。
無言で鯉口をきった信長を制したのは森三左衛門可成であった。
「大事の前の小事です。又左の頸を落とすのは三河守の頸を取ってからでも遅くはないかと」
森可成という男は実直な男である。
常に先陣に立ち、信長の尾張征討にその忠誠心を以って応え続けている。
一門を切った罰を破った家臣を赦す、それが家中にどう影響するか解らぬ可成ではない。
-それでも赦せ
という。
信長自身、利家を赦す気はある。
しかしそれは明確な手柄を得たうえで、である。
無論今川の動向が今一番重要であることには違いない。
ただ、それで諸将が罪を赦すことになるかというとそうもいかないのが織田家の現状であった。
「・・・三佐、好きに使え」
-甘い
とは信長自身思うところであるが確かに今は一兵でも欲しい状況でもある。
-陣借り
という形で利家の帰参を赦すことにしたのである。
「すぐに出立する、準備せい!」
こうして前田利家主従は森勢に預けられることとなる。
-善照寺砦
鳴海城への向城として築かれた善照寺砦、守るは梶川平左衛門尉高秀である。
鳴海城は要害である。
東には谷あいがつづき、西は深田である。北東には山が連なり、北方には黒末川の河口が迫っている。
まさに
-難攻不落
である。
西方にその要害を臨みながら高秀は決意を固めた。
「鳴海の兵には指一本手出しはさせん」
今、善照寺砦には信長本隊より派兵されてきた軍勢が躰を休めている。
率いるは織田造酒丞信房と千秋加賀守季忠であった。
入れ替わりに佐久間右衛門尉信盛が手勢の半数を率い、信長本隊へと合流している。
彼らが沓掛よりの援軍阻止を命ぜられていることを聞かされたのはつい今しがたである。
沓掛の氏真率いる三千余を阻止するのにわずか五百余で当たれ、と言ってるのだ。
善照寺の兵はこれ以上動かせない。
善照寺が落ちれば織田本隊は退路を断たれ、たとえ今川本隊を撃破しようとも沓掛と鳴海より挟撃されることとなる。
「なに、一当てすれば今川の小倅なんぞ。小豆坂での借りを返すまでよ」
高秀に事の仔細を伝えた信房はそういって頬の槍傷を撫でた。
その隣には蒼褪めつつも、覚悟を決めた眼差しで季忠が控えている。
「我々が沓掛を落とす。御屋形様が本隊を叩く。なに、簡単なこと」
信房のその顔は小豆坂の勇者に相応しいものだった。
-この者らを死地に送り込むことこそがいますべきこと。
天命を得る、とはこのことかと高秀は思った。
高秀は己が内に臆病さが潜んでいたのを認めた。
慎重さも度が過ぎれば臆病へと変わる。
「造酒丞殿、ならば後背はお任せくだされ」
高秀の宣言通り、今川と織田の決戦に鳴海の一宮出羽守宗是は何ら寄与することができなかった。
-今川本隊
意外なことであるが、今川家中に一軍を率いることのできる者はすくない。
-紫衣の宰相
と呼ばれた太原崇孚雪斎を置いては、朝比奈備中守泰能、一宮出羽守宗是くらいである。
無人斎道有という巨人もいるが、一軍を預けるほど義元は信頼を置いていない。
では当主である義元はどうかというと、自身に軍を率いる才はないことを本人はよくわかっていた。
花倉の乱より今川の軍旅を指揮してきたのは須らく雪斎であった。
大将として戦陣に臨んだこともあるが、その傍らには常に雪斎が在った。
「殿には軍才はないのでしょうな。不得手なものは任せてしまうのも君主の心得なれば」
雪斎の言葉通り、今川の軍旅は雪斎と泰能とによって催されることとなる。
しかし、両者ともに既に入寂して久しい。
-代替わり
の時期なのだ。
「残ったのは義就くらいか」
雪斎、朝比奈泰朝、三浦義就、義元草創を支えてきた者も残るは一人であった。
「禅師も弥太郎もきちんと遺していったではないですか」
その呟きに返答できたのは三浦義就だけであった。
渡河前ということもあり、諸将は自陣で準備を進めている。
「うむ、元康も泰朝もよくやってくれている」
此度の軍旅は今川を担う次代が率いている。
鷲津より中島を窺う朝比奈備中守泰朝、大高を堅守する松平蔵人佐元康、そして沓掛より進発した嫡子氏真。
雪斎、泰能、義就に育てられた義元が、次代を育てるべく設けた場でもあるのだ。
本隊の先手衆である井伊家、前備の松井家なども当主とその後継者が参陣している。
「そういうお前は何も遺さなんだな」
「何をおっしゃいます。殿を育てしはそれがしかと」
ニヤリと笑む義元に義就は快活に答えるとその表情を改めた。
「殿、我らはどこまで行けるのでしょうな」
花倉の乱から10余年である。
駿甲同盟から発展した駿甲相の三国同盟締結。
遠江の反義元派を屈服させ、三河から織田を駆逐。
そして織田の牙城である尾張を扼せんとしている。
今川家は今まさに過去最大の版図を描いている。
「それがし、いや、我らは十分に遺せてますかな」
義元はそれには答えず、笑んだまま東北を見るばかりだった。
丘陵の先には沓掛が変わらぬ姿をしているはずである。
義就も自然、口角が緩むのを感じるのだった。
-氏真勢本陣
善照寺砦を進発、鎌倉往還より来襲した織田信房勢は速度を緩めることなく、氏真勢右翼との戦闘に入った。
丘陵を越えてきたこと、新野左馬之助親矩率いる右翼勢との兵力が拮抗していたことの二つが重なり、氏真勢は押し出されることとなる。
-喰い破る
がごとき猛攻にて右翼を突破した信房はその勢いのままに本陣に喰らいつこうとし、が、果たせなかった。
「なんじゃ、存外不甲斐ないのぅ」
騒然とする本陣においてその嗄れ声は不思議と諸将の耳に届いた。
-無人斎道有
そこには獰猛な笑みを浮かべる虎が在った。
「爺、任せても?」
混乱する本陣にあって、只一人、西方を見つめていた氏真は右翼を一瞥しそう尋ねた。
「旗を立てい!」
一喝、号令を返答とし、道有は配下に下知した。
-武田菱
今川赤鳥の隣に屹立するは住吉大神より下賜されし、割り菱、見まごうことない甲斐源氏嫡流の証である。
「人間五十年、とはいうが、還暦を越えた儂はいったい何であろうな」
仰ぎ見、道有は満足げに頷くと傍らの老武者に問いかけた。
「越後の長尾は毘沙門天の化身を自称しとるようですな。ではわれらは畢舎遮と称しましょうか。」
付き従うは加藤丹後守虎景、甲斐にて武田晴信の下、兵法指南、武者奉行を務めていたが、先年嫡子景忠に家督を譲り隠居すると道有の幕下に加わっていた。
「儂は持国天か、織田を足蹴にするのも悪くない」
道有主従が言葉を交わす間にも、武田勢は信房勢に指向していた。
右翼では陣立てを割られた水野勢を新野勢、小原勢が懸命に支えている。
「孫にかっこいいとこの一つも見せぬとな!」
その言葉を合図とするように武田勢は猛烈な勢いで前進を開始した。
陽は登ったばかりである。
「母衣衆!本陣は動かぬものだ、しかと頼むぞ」
横目で武田勢の動きを認めた氏真は、そう号令をかけると自ら下馬し床几にどっしりと構えた。
その傍らでは今川赤鳥が陽光に煌めいていた。