#3 時間の道
2月14日。
世間が言う、所謂バレンタインというものだ。
いつ誰が始めたのかは分からない。少なくとも日本にバレンタインが訪れたのは最近のことだろう。そもそもこの国に元からそんな文化があるはずない。
現実的にいうと始めたのはどこかの企業ではないだろうか、と俺は思う。言うまでもなく、商品の需要増加のためだ。『外国にはバレンタインデーというものがありますよー。好きな人に愛を伝える素敵な文化ですよー!』などでも言ったのだろう。多文化無信教の多い日本人を対象として。
そうして、いつの間にやら日本も2月14日にチョコをあげる文化が出来上がってしまった。
文化の構造は大抵こんなもの。たいしたことは無い。
……しかしながらだ!
残念なことに、非常に残念なことに、チョコと一緒に想いが届けられるということは殆ど無いのだ。
昔は想いが一緒に届けられることも多かったかもしれない。儚い夢に思いを馳せ、気まずい空気の中ぎこちなくチョコを渡す。そんな光景も探せば見つかるほどのコトだった。
しかし今! そんな光景はドラマか漫画だけの世界だ。
現実はそうチョコの様に甘くない。むしろ苦い。どのくらいか、うーん……新鮮なゴーヤといい勝負だ。
新鮮なゴーヤはとにかく苦い。そのくらい現実も苦く厳しいのだ。
義理チョコ。
現代のバレンタインチョコシェア98%を占めている、男子諸君からの嫌われ者。こいつの存在が世界の男子への苦しみを助長させている。
まあ、普段の苦しみに加えてチョコを貰えない苦しみ。さらに恋愛0のチョコとは、モテない人間達からすれば『泣きっ面に蜂』というものだ。
……おそらくは『泣きっ面にスズメ蜂』級だ。
ま、俺は始めから期待などしていない。
そう、ここまでの思考に至りついているのだ。それも当然だろう?
けど、まあ、どうしても……どうしても……
というのなら、貰ってあげないこともないかな。
うん、それならしょうがない。しょうがないな。そういう時は相手の手間、場合によっては真意というものまで考慮して、貰わざるを得ないか。うん、それが礼儀ってもんだ。
うーん。しかし、なあ……。……貰うときは、普通にスッと何も考えず貰ったほうが相手も渡しやすいのかなぁ。
……まったく、女の子って難しいなぁ!
しょうがねぇ。しょうがねぇなあ‼ もう!
「おにぃーちゃーん‼」
ごふぅッ‼
俺の腹部が……重い……
せっかく今日という日を愛でるような夢を見ていたのに。
……重い。それより、腹部が痛い。
……飛び乗りやがったな、こいつ。
「俺はトランポリンじゃないんだぞ。毎朝は……つらい。毎日はやめてくれ、起きるから」
「お兄ちゃん。コレは1つの萌え要素だよ! 」
萌え要素は何でも許される魔法の言葉じゃねえ‼
ある意味コレは1つの萎え要素だ!
何故俺は毎朝毎朝命の危機に瀕せねばならないんだよ。
「そんな言葉、一体どこで覚えてくんだ?」
「……? ぷりりん」
ぷりりんって、まさかあの人気アニメ超能力少女ぷりりんか‼
あのぷりりんか⁈
「とにかくお前が乗ってたら起きれないし…… 下りろ」
バレンタインの朝。無邪気な妹により、いつもと変わらぬ朝を迎えた俺だった。
綾乃との一件の後、俺は平穏無事な生活を送ることができた。
美鈴曰く、『あたしが貴方の側にいるから大丈夫なのよねー。もし貴方1人だったら、貴方って雑魚で馬鹿なんだから敵に襲われたらイチコロよ。その点であたしは貴方と違って世にも珍しい心理系超能力者。やりようによっては心の無い最強傀儡軍隊だって作れるわ。敵の戦意を根こそぎ奪うこともできる。そんなあたしに挑む馬鹿はそういないわよ。あたしがいて良かったわね』ということらしい。
幽霊や妖怪から俺が襲われないのは、綾乃曰く、『この間のジョンさん……でしたっけ? 彼が強かったのです。先日の闘いそのものは両者痛み分けの相討ちという形で終わったらしいですが。その結果、真人さんを襲うと彼がやってくる、そう私達の方は認識したので今は安全だと思います。』ということらしい。
いずれにせよ、安全なのは今だけな気がする。力をつけなければ……
俺は普段から美鈴とともに登校している。なにせ友達がいないのだ。
だいたいこの間、新しく1人作ったがだいぶ苦労した(色々と……)
「なあ、美鈴」
「なによ真人」
「あのさ、俺にも何か超能力とか使えないのかな? なんか、こう……、『炎の超能力者』がハッタリじゃなくなるくらいのやつ」
ま、無駄か。
美鈴は二三歩俺の前に行き、振り返って言った。
「……できないこともないわよ」
そうそう、できるわけ……
……え?
「できるの?」
「ええ」
「まじで?」
「やりようによれば……」
まじで⁈
いや、マジで⁈
なんかさ、超能力ってもっと特別なものだと思っていたんだけど。もちろん超能力を馬鹿にしてるわけではないんだが、俺みたいな言っちゃ凡人の俺が使える代物だったなんて言ったら、超能力というものが大したものじゃなくなってくる。
そんな気がしてならないし、そもそも超能力ってそんな安いものじゃないだろ。
けど、まあ、目の前に超能力者本人がいる。
本人がそう言っている。
それなら、そんなものか。
今はそんなこと言っている場合じゃないのも分かってはいるしな。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「……貴方、今、心の中で結局超能力って意外と安いモノって形で結論をつけたでしょ」
「そっ、そんなコトはない! すげーなーって思ってるよ‼ そんなコトより、俺はどうしたらいいんだ?」
「そんなことよりって……。ええと、祈ればいいのよ」
お祈りか?
「そう、お祈り」
おい。
「さっきから会話の流れのような軽い感じで俺の心を読むな! 世界一高度で身近なプライバシーの侵害だぞ」
「なんでよ? バカの心くらい安いものじゃない。減るものでもないし」
「そういう問題じゃないだろ」
「そういう問題よ。例えば貴方が心を読む能力者だったとする。それで目の前に敵国の大統領とどうでもいい自分の友達がいたとして、」
ちょっと待った。
「おいおい。なんだよ、その例え! 何の関連が、」
「話は最後まで聞きなさい」
くそっ
「貴方は勿論大統領の心を読むでしょう? その時って、いつでも読めるしどこにでもいる友人の心は大統領の心と比べて安い安い。安過ぎて逆に金を渡すくらいよ。もともと貴方は馬鹿だから心の値打ちはその程度ってわけ。分かった?」
……。
「例え話はそれで終わりか?」
「ええ」
……。
「じゃあ、まず言わせてもらうが、何で自分の友達が敵国の大統領のそばにいるんだよ⁈ 状況がわけ分かんねぇよ‼ どこにでもいる友人って……どこにでも居過ぎだよ! そいつ‼」
「ああ、それは大統領の友達でもあるから」
なんなんだよ、その設定。
「じゃあ、敵国の大統領と対峙してる俺は何者なんだ?」
「勇者かしら」
いや、ある意味勇者だけどさ……
……そうじゃなくて‼
「とにかく! 貴方の心ってそんなモノだから読んでいいじゃない」
「……隣に敵国の大統領が居たら、な」
「おーい! 真人さーん! 美鈴さーん!」
綾乃の声だ。
いつもこの時間、綾乃とも一緒に学校へ行くことになっている。
「真人さん、どうしたんですか? なんか疲れている様な感じですよ」
やっぱりか。それは美鈴が……
「何? 真人……貴方、人のせいにする気?」
ばれた⁈
「どうせ美鈴さんが変なこと言ったんでしょう?」
「そうなんだよ」
「どこがあたしのせいなのよ! 貴方が細かいことにこだわるせいじゃない‼」
「まあまあ。この場合、大抵美鈴さんが悪いってことは分かってますよ」
決めつけではあるだが、よく分かってるじゃないか。綾乃。
しかし、よくよく考えてみると……。俺も確かに細かいことにこだわり過ぎていたかもしれない。
……美鈴が言うことも一理ある。
……かもしれない。
「綾乃、今回は俺も……」
「真人さん、何も言わなくても分かってますよ。その件は全部この女が悪いんですよね」
ちょっ
「何、なんで綾乃ちゃん、真人を必要以上に庇うわけ?」
「私はいつだって悪の敵で弱者の味方です」
弱者って言うなぁー‼
綾乃から言われると傷つく……
「それだけじゃないんじゃない? 他にもっと大きな理由が、」
「ありません‼ じゃあ逆に何で美鈴さんはそんなに聞いてくるんです?」
「なんでって……、 気になるからに決まってるじゃない!」
「なんで気になるんですか? 何が気になるんですか? どうしてなんですか?」
⁇
「それは……。それは……。……そう‼ 綾乃ちゃんが真人に加担すると2対1でいつも不利なのよ。気に入らないわね〜、それ」
「違いますよね、美鈴さん」
じーーーっと綾乃が美鈴の目を見る。
美鈴は思わず目を逸らす。
美鈴の顔が赤くなってる。……まさか‼ とうとう綾乃まで心理系超能力を⁈
「……やっぱり。美鈴さん、目を逸らしましたね。あなたは今、逃げたんです。ここで言っちゃいましょうか? 今分かったことを。美鈴さんって本当は……」
「わぁぁぁああああ‼ 真人‼ あたし、綾乃ちゃんとの用事思い出しちゃった‼‼ 先に学校行っとくね‼ バイバイ‼」
⁇
そう言って美鈴は綾乃を連れて走り去っていった。
一体どうしたんだ?
その後の美鈴達は、わりと普通だった。
世はバレンタイン。ソワソワしてる男子、チョコを渡し合い喜ぶ女子、それぞれたくさんいる。
しかし、俺の教室は少ないみたいだった。変人奇人の集まりだからだろうか?
だいたい予測できたことなんだけど、俺と美鈴はそれでも浮いていた。
俺が浮く理由は言わずもがな、だろう。
そんな俺に転校生(という設定)である美鈴は初日からくっついていた。しかも美鈴本人の性格にも難あり。
美鈴も浮くのは当然の流れだ。
しかし、美鈴はそれが不満のようだ。
イライラしている美鈴を気にしつつも、いつものように平和な6限とホームルームが終わる。
俺は、いつも通り帰宅の準備をする。俺の最近できた習慣が正しければ、もうそろそろ美鈴が何か言ってくる頃。
「ねぇ、真人ー」
「なんだよ」
やっぱり。
いつもこの時間には美鈴は超能力を使い切ってて、人の心が読めない。
つまり、安心して接することができるのだ。
「今度はどうしたんだ?」
「なんであたしは誰からもチョコを貰えないわけ?」
「はぁ。俺は、なんで女の子のお前からその発言が出るのかが不思議だ」
俺は再びゆっくり自分の席に着く。
「だって当然じゃない。バレンタインデーというものは、お友達同士で手作りチョコを交換して絆を深め合う日なのよ!」
なんか、違う。
いや、きっと俺の本音は『違っていて欲しい』なのだろうが。
美鈴が真剣な顔をして俺の前の席に座る。
「俺はバレンタインデーというのは、恋愛的に好きな男性にチョコを渡し、愛を確かめる日だと思っていたんだけど」
「真人って、馬鹿のくせに理想論ばかり唱えるのね。それって最悪の組み合わせよ」
「理想論じゃない。これは事実だ!」
そうであって欲しい。
「事実が真実であったとしても、その真実が理想に終わることだってあるのよ。恋愛絡みだとむしろそっちが多いの。それくらいは分かるでしょ?」
「分かりたくねぇよ」
「馬鹿。分かりなさいよ」
認めねぇ。男として。
「……じゃあ真人、義理チョコでもいいんだけど、今日何個貰った? チョコ」
「まだ……0だけど」
俺は手元に目を逸らした。
「貴方、『まだ』って……。もう放課後よ? 夢を見るのもいいけど、何事にも加減が必要ね」
「うるせーよ! なんだよ、美鈴、ネガティブだな」
「貴方がポジティヴ過ぎるのよ。楽観的なだけ」
楽観的……かもしれない。
「何を話してるんですか?」
綾乃が来た。
綾乃は俺たちと違い、友達がいる。と思っていたのだが、違った様だ。
生徒会長とはよく仲良くしている所を見かけるが、生徒会長のアレは万人に対する優しさだ。友情ではない。
いつも本を読んでて教室の雰囲気に馴染んでいたから気づかなかったが、いつも綾乃も友達がいない。
「ああ、バレンタインの話をしてたんだよ」
「そっか。真人さんも1人の男子ですものね。ふふっ」
綾乃は俺の隣の席に座る。
「それで今日は何個のチョコを収得できたんです?」
「それが……」
「この馬鹿に誰もあげるはずないじゃない。このあたしでさえ、義理の一つも貰ってないのに」
美鈴はフンッと手を組んで横を向く。
それを見て少し微笑み、綾乃は俺を向いて言った。
「美鈴さん、友チョコを貰うために絶対に必要なモノが欠けてますね」
その通り。欠けている。
本人が気づいているかすら怪しいのだが……
美鈴には、女の友達がいない。まずはそこからだ。
「ちょっと、何2人で話してんの?」
美鈴が不機嫌になってきた。
なんて面倒な奴だ。
そういえば今日、美鈴、早起きして何か作ってたな。薄々見当はついてたんだけど、やはりチョコだったか。
こういう状況になると少し不憫な気もする。
美鈴は器用にも拗ねている状態と落ち込んでいる状態の合わせ技を繰り出している。
俺は彼女に聞こえないよう、小声で話した。
「なあ、綾乃。ちょっといいか」
「なんです? 」
「あのさ、チョコを渡してくれないか?」
「真人さん、意外と大胆な頼みをするんですね。それはひたすら待つべきです。 人に優しくしていれば、きっとすぐに真人さんも貰えますよ」
俺にじゃねえ‼
……欲しいけど。
「美鈴にだよ。あいつ、あれはあれで楽しみにしてたみたいなんだ。俺の一件のせいで俺のそばに居なきゃいけないみたいで、まともに友達もいないし。頼めないか?」
普段喧嘩ばかりだからなぁ、この2人。
無理か……?
「いいですよ。元々そのつもりです」
「えっ、そうなのか」
「なんですか? その意外そうな顔は」
「いや、別に」
正直、意外だった。
美鈴は誰に渡すかも決めずにチョコを作っていた。それと比べ綾乃は美鈴のために作ってきたなんて。
俺の友達とは思えないくらいだ。
「あーもー、あたし帰る‼」
そう言って美鈴が立ち上がった。
「美鈴さん」
「なによ、綾乃ちゃん」
「チョコ、美鈴さんの靴箱に入れておいたからね。忘れないよーにしてください!」
ニコッと綾乃が笑った。
こいつ、こういう時はすごいな……
美鈴の曇っていた顔もみるみる明るくなり、
「綾乃ちゃん、ありがと! 貴方って思ってたよりずっといい奴ね。ゴキブリより生きる価値無いと思ってたのに」
と暴言を吐いて去って行った。
気がつけば、美鈴が居なくなったあと、教室は俺と綾乃の二人きりになっていた。
「なんか、すまないな」
「なにがですか?」
「……さっきの」
「あ、いえいえ。友達にチョコあげるのは普通のことでしょう?」
「そうなんだが……、そこじゃなくて」
冷たい風が吹いてきた。
風が冷たい。
なんだ、また窓が開けっ放しだ。どうりで寒いわけだよ。
「綾乃、寒くないか?」
「別に大丈夫ですよ。私は氷結系の霊ですから」
そういやそうだったっけ。
綾乃は霊……なんだ。
……霊⁇
「なあ、俺は霊ってのは死んだ人の魂だと思っていたんだけど、違うんだな。綾乃は生きてるし」
「ふふっ。私、一度死んでるんです。そこは真人さんと同じですね」
「そうなのか⁈」
「ええ」
俺は窓に手を掛けたものの、その手を離し、綾乃に駆け寄った。
とりあえず脚を見てみる。脚はある。
「真人さん、教室で堂々と女の子の脚を凝視するものではありませんよ。ますます変態に見えちゃいます」
「あ、すまん。つい……」
その言い方だと、俺は普段から変態だと思われているのか?
これは聞かない方が幸せそうだ。
俺は再び冷静に窓を閉めた。
「ま、真人さんが教室でも凝視してしまうような美脚ってことで……」
「いや、そうじゃなくて、幽霊なのに脚があるのかなって思って」
「そこ、否定しないで下さい‼ 私は人間なので脚もあります‼」
俺の脳内イメージ。幽霊。
第一に半透明。そして脚がなく、全身の力が抜けたような立ち姿。そして、
「恨めしや〜ですか?」
そうそう。
「そんな幽霊今どき居ません!」
昔は居たのかよ!
「じゃあ、なんだ。綾乃も世界のナントカで?」
中心なのか外れなのか知らないが。
「違います。簡単に言うと、私は一度死んで霊となりました。そしてちょっと事情があって死神の親分から人間の肉体を再び作って頂いたんです」
へぇ
「その事情って?」
「それは教えられない。というか、言いたくありません」
綾乃が嫌な顔をした。
これは聞かれたくないことなのだろう。
人には誰しも聞かれたくないことの1つや2つあるものだ。
俺にだってある。俺が先生をつい『お母さん』って呼んでしまったことや、チャック全開で卒業式の日泣いていたこと、思いだせば色々でてくるものだ。
綾乃にとってのそれがたまたまコレなんだ。
一度死んだ後の事情……
「そっか」
「はい」
「じゃあ、今は生きてるんだな」
「はい!」
「なら良かった。でも綾乃ってある意味では妖でもあるよな?」
「……はい」
やっぱりか……
それからはずっとくだらない話ばかりした。
『くだらない』というのは、あくまで俺の見解で、もしかすると綾乃にとっては苦痛のひと時だったかもしれない。もしくは至福のひと時。
……それは無いか。
気がついたら意外と時間が経っていた。
俺は慌てて帰宅の準備をする。
楽しい時、時間が速く進むように感じるというものだ。だとすれば、俺は楽しんでいた、ということになる。
特に否定もしない。
なんで楽しいと時間が経つのが速いのだろう。どうせなら長く続いて欲しい。嫌な時間ほど短く、幸せな時間ほど長くなって欲しいのは誰でも同じじゃないか。
問題は人間の脳の感じ方だ。
どうして俺の脳はそういう仕組みにしなかったのだろう。
「それは、ちょっと違うのではないでしょうか」
「どういうことなんだ」
「違うというか、今の真人さんは、今日の美鈴さん並にネガティブですよ!」
俺がネガティブ?
俺達は互いの家へ話しながら歩き出した。
「ネガティブでも無くないか?」
「いえ、ネガティブです。嫌な時間が長く感じるのは、そこにまだ幸せさを見出してないからです。幸せを見つけると、時間もあっという間ですよ!」
そりゃ分かってるけど。
「そもそも嫌な時間が長く感じるのが問題なんだ」
「そうですか? 私はいいと思いますよ」
陽が傾いていく。オレンジの光が差してきた。
なんか今日は家までの道が、長い。
「嫌な時間が長いのって、嫌を嫌のまま終わらせたくない、苦しい中からも幸せを見つけたい、そういう人達に与えられた幸せを見つける猶予時間が長くなるみたいじゃないですか?」
「ふぅん。今日の綾乃はポジティブなんだな」
「じゃあ真人さんと2人でノーマルですね」
2人でって……
「俺はお前のポジティブに釣り合うほどネガティブじゃないぞ」
「じゃあネガティブに……、もういっそネガティビストにでもなってください」
「そんなに悲観的になれねぇよ‼」
しかし、その論はどうだろう。
いつでも通用する話ではなさそうだ。
「じゃあ、例えば勉強はどうなんだ? やってもやっても長く感じるし、幸せなんて無いぞ?」
「ふっ、真人さん。甘いですね。苦味が足りて無いです」
苦味!
「苦痛がいつの間にか快感に変わる、そこまで努力しないと、勉強なんて努力した内に入りません。解ける幸せです!」
「綾乃……まさか、お前、その境地まで至りついたというのか!」
「ふふ、今頃気付きましたか」
その成績で……
確かこの間話した時、綾乃の成績は良く言って下の上だった気が。
「うーん、苦手な奴と対峙している時とか。アレはアレでなかなか希望はない」
「だから、その人を苦手じゃ無くなるポイントを見つけられる時間が長くなるだけじゃないですか」
「そうだよな……」
何か、何か他に例えは……
「じゃあ、教室で1人でいる時! 友達が殆ど居なくて、人がたくさんいるのに、心は一人ぼっち‼ どうだ! コレはどう解釈しても幸せなんてどこにも無いはず!」
もはや半分自虐。
笑うなら笑え。
「きっとその人は孤高の精神の持ち主ですね」
なんかカッコいい‼
「それにそれはずっと耐えるべきです」
「綾乃らしくないな。耐えるのは良くないだろう」
いえ、そう言って綾乃は俺の目を見つめた。
「きっと、一人きりでも、嫌な時間が待っていて、それを待つ一人の時間そのものが苦痛でも。放課後1人で本を読んでいるしかなかったとしても。たとえ兄が居なくて1人でも。きっときっと幸せは来るんです。こんな私に話しかけてくれるヒーローみたいな人が」
夕日が沈む。冬だから沈む時間も早い。
太陽の一日の中の最後の輝き。
太陽も沈む時こそ、消える時こそ1番美しく輝く。
その、今日1番の輝きが俺達を包む。
そうして太陽は静かに消えていく。
「ねえ、真人さん。今日が苦痛の中でも幸せは掴めるんです」
「俺は別に苦痛の中に入ったことは無いし、幸せは十分にあるさ。たとえ俺が少しネガティブでも大丈夫さ」
「そうですか? 今どき義理チョコも本命チョコも0個は正直ダサいです。ネガティブになっても仕方ないというか」
うっ、痛いとこ突きやがって……
「幸せを掴むどころか、今日に限っては、今日という日が苦痛になった気が……」
俺はぼんやり下を向く。
するといつの間にやら、綾乃は俺の正面に立っていた。
「そんなチョコ0男さんにプレゼントです。はい♪」
綾乃は綺麗にラッピングされた小さな小包を両手で丁寧に取り出し、俺に見せる。
「可愛いでしょ? 」
「ああ。そうだな」
「はい♪ たとえ義理が0でも本命が1だとそれだけで自慢できますよ」
俺の伸ばしかけた手が止まる。
住宅街の途中。夕日が横の家の窓ガラスで反射して眩しい。
夕日のせいだろうか、綾乃の顔がオレンジっぽい。俺もオレンジか?
「それ、どういう意味だよ」
「……もしかして本命チョコの意味も知らないんですか?」
「それくらい知っている。知っているから聞いているんだ。綾乃、渡す相手とか間違えてないか?」
「貰えない……んですか?」
貰えない、わけではない。しかし、ここの選択一つで人生が大きく分かれる気がした。
すんなり受け取れない。受け取れるはずがない。
朝の夢を思いだした。実に愚かな自分である。
「……いいのか?」
「はい」
そして、俺は『小包』を手に取った。
「開けていいか?」
「はい」
中には明らかに手のこんだ手作りチョコとメッセージカードが一つ。
メッセージカードにはひと言。
Thank you!
and I love you.
そうハッキリ書いてあった。
嬉しそうに微笑む綾乃。
しかし、どうしてだろう。こんな時にも頭の片隅に美鈴の顔が、声が浮かんでくる。
『何をしてるの? 早く帰って来なさいよ‼』 想像するだけで、まるでその声が聞こえてくるようだ。
夕日が沈み薄暗くなっていく。
「真人さん。あの……」
「綾乃……」
その残りの帰り道、俺は綾乃と手を繋いで帰った。
とても、とても、時間が長く感じた。
幸せらしきものは俺の右手の中にあるのに……
結局のところ、俺は綾乃と付き合う……ということにはならなかった。
色んなプロセスが飛んでるという説明をし、それを踏み、綾乃の中の気持ちを整理してもまだ、俺が好きだと言えるのなら……
というふうに話をした。
俺に相応しくない答えだ。
本当に相応しくない。そんなことを言っていい人間では無いのは分かっている。
だけど、こう言うしか思いつかなかった。
本音は言うまでもなく問題を後回しにしただけだ。
別に綾乃のルックスも性格も全く問題はない。
しかし、あのチョコは受け取った時に心にモヤモヤとしたものがあったんだ。これではいけないのは俺でも分かる。
それこそ、心の整理をつけないといけないのは俺自身だ。
後のために、
力をつけないと……
帰宅した俺を待っていたのは、
美鈴によるチョコレート。
誰にも渡すことのなかった義理チョコの入った袋の山が俺のベッドの上にあった。
「美鈴、なんだ? これ」
「あら、おかえり。遅かったじゃない。これ? チョコ」
「それは見れば分かる。それがどうして俺の部屋にあるんだ?」
「しょうがないじゃない。誰にも渡せなかったんだから。しょうがないから食べていいわよ」
「じゃあ、1個」
美味い。綾乃のチョコも美味しかったんだろうが、それどころじゃなかった。
「一個と言わず全部食べなさい。邪魔だから」
「おい、俺をゴミ処理に使うな。じゃあ、腹も減ったし2人で全部食べるか」
そう言ってチョコを挟み、俺と美鈴はベッドの上に座った。
俺は口から大きな溜息。
「しかし、この量、全部は大変だな……」
「あっ、バカ真人! 1個は残しなさいよ」
?
「何でだよ。 記念に取っておくのか?」
「貴方、どこまでバカ? そんなの決まってるじゃない」
美鈴は新しい袋を開けながら言った。
「……お返しに、綾乃ちゃんに渡すためよ」