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Be called Fire boy  作者: タブル
第二章
11/65

#5 ゴーストタイムⅥ

 

 それからはまるで駆けて行くように日々が過ぎていった。

 卒業式。私達には知り合いの上級生なんていなかったから、特には何もなかったのだけれど、何故リョウは号泣していた。

『だって、これ、超やべぇだろ』とのこと。

 そして、なんとなく人が減った感覚のまま過ごし、終業式。成績表を頂いた。私もリョウもいつも通りの成績といったところだったけど、一度目に入ったメイの青ざめた顔が頭から離れなかった。

 それて始まる春休み。

 私達はよく四人で過ごした。別に特別な理由があったわけじゃなく、ただ『幼馴染』で『友達』だから? とにかく、よく一緒にいたと思う。

 たまに誰かが欠けることもあった。まあ、個人の予定も色々。むしろそっちが一般的には自然なんだと思う。

 ……一般的?

 一般的に自然なことって、なんだろ。

 なんとなく、私達の関係が異質だっていうことは分かる。だって他に見ないから。だけどこれって、自然なことの様にも思える。事実、私達は自然な流れで、この様な人間関係―――ひいては『春休みの活動計画』というものまであるのであって。

 友達と一緒にいることも、いたいと思うことも自然な感情。私達はそれに従っているだけ。こちらから言わせれば、私達こそ普通で、他は……。異常とまでは言わないけど、変だ。私達を見る目は憧憬のような、畏怖のような、なんとも言えない形で映している。

 私達はおかしくないはず。決して周りから浮いているわけではない。

 なのに、どうしてこんなに不自然に見えるのだろう。

 どうして他人―――世間の人と違って見える?

 どこが違うのか。

 その答えは意外にも簡単なことだった。

「それは、俺達が友情っていう絆で結ばれているからさ」

「……そんな恥ずかしい台詞よく堂々と言えるよね、リョウは」

「ふっ、俺ともなりゃ、それすら褒め言葉さ」

「何の境地に至ればそうなるのよ」

 アホ全開のリョウ。手にシャーペンを持ってドヤ顔で言っていた。

 だけだ、それは正しいことのように思う。おそらく他の人は皆、それが続かなくて、私達と違っているんだ。

 今日は図書館で勉強会だった。勉強会といっても、実際自主的な勉強をしているのは私とカイだけで、勉強会の真の目的はメイとリョウの課題消化にある。

 私の学校は、一応進学校で春休みにもきちんとした課題が出される。計画的にやらないと、どんどんどんどん溜まっていくのだ。

 そして今日は春休み終了一日前。私とカイは既に片付けていたが。

「もーー! 終わんないよ、これ! 誰なのよ! 最終日一日で終わらない量の課題を出した奴は! 教師失格っすね。まったく……」

「何事もちゃんと計画的に行わなければならないということを教えてくださっている、素晴らしい先生とか思わないの?」

「計画性ゼロのコに対しては、この課題の量はもう虐待といっても過言ではない……」

 はぁ……と溜め息をつくメイ。

「あたし、このまま死んじゃうかも。もしあたしが死んじゃったらさ、友達達に『仲良くしてくれてありがとう。今まで迷惑ばっかり掛けてきてごめんよ』って伝えてよ」

「皆にとっては、春休みの課題が終わらない程度でメイが死ぬのが一番迷惑だから」

 縁起でもない。

「ちぇっ」

 舌打ちしてメイが再び作業に戻る。

 さてと。

 リョウはどのくらい終わっているだろうか。なんだかんだで、もう終えてしまっているかもしれない。

 リョウはいつも課題をやっていない筈なのに、提出する時には終えている。知らぬ間に終えているんだ。

 そのリョウは今。

「…………」

 静かに机に向かっていた。

 リョウは、やる時はやるんだよね。

 その後ろ姿に私は小さな安心と……大きな不安を得た。

 ―――そこにあったはずの教科書とノート、参考書の山が、漫画の山にすり替わっていた。

 ……見なかったことにしよう。

 …………リョウはやる時にはやるんだよね……?


 しばらくして、私は息抜きがてら、図書館を歩いてみることにした。新書コーナー、今日のお勧め、児童書一覧。たくさんの本が並んでいた。

 本は好きなので私はよくここに来る。

 図書館って便利。

 無料で本を読めるから。なんて言い方をすると、私がとてもケチな人間みたいになってしまう。何と言い換えたものか。私は図書館で本をよんでいるだけだ。そんな貧乏臭い考えなんて微塵もない。うーん。なんと表現しよう。

 ―――町の優しさを享受している。

 なんてどうだろう。

 なんかそれっぽい!

 もう何の話か分からなくなっちゃってるや……

 とにかく、一つの本が多くの人に読まれるのだ。買うと、その本はその人にだけ。

 図書館だと、その本はたくさんの人に。

 本のリサイクルみたいで、……なんか、すごくいい!


 しかしちょっと皮肉な話。

 ここにある本は、存在しているだけで、内容があるだけで、誰にも読まれず終いの本もある。……たぶん。これだけたくさんの本があるのだ。結局誰からも手に取られることなくボロボロになる本があってもおかしくない。

 というか常識的に考えて、そんな本が無いとおかしい。

 人になかなか気付かれず、いても周りに影響を及ぼすことがない。そういう人を世間様では『影が薄い』という。

 本にも、影が薄い本があるのかな。いや、ある。決めてかかっては悪いが、絶対にある。

 だからこそ。

 私はこの図書館という場所が好きなんだ。

 ……私も皆と負けず劣らず変なコなのかもね。


 歩いていると、ふと知り合いの後ろ姿が視界に入った。

 いや、知り合いという言葉は不適当かもしれない。なにせ私が一方的に軽く知っているだけ。彼女からすれば限りなく他人に近いかもしれないから。

 うん。やっぱり、考えれば考えるほどに知り合いとは呼べないかも。言うなれば、顔見知り? それ以下かもしれない。私が知ってるだけだから。

 だから話しかけることもないだろう。話題も無いし。

 そう思って何も言わず私は後ろを通り過ぎようとした。

「……あら? 白木さん? ねぇ、白木隣さんだよね!」

「……え? ぁあ、はい……」

 不意打ち。

 彼女は私の方を向いていた。

「今日は本を読みに?」

「いや、ちょっと、勉強を……はは」

「そう。それはとてもいいことじゃない。頑張ってね」

「ああ、はい。……ははは……」

 普段使わない愛想笑い。私の表情も引きつっていることだろう。だって突然だったもん。

 それに、まさか私のことを知っているなんて。しかもフルネーム。清宮さん、恐るべし。

 彼女は清宮さくらさん。カイと同じクラスの女の子。そういえば、生徒会執行部をしていて、今は副会長を務めている。私達と違って働き者だ。えらい。

 そんなお偉い副会長さんは、今、私の前で奇怪な本を読んでいた。タイトル『超常現象と超能力の相対性』。

 あぁ、なんかオカルト本だ。

「……どうしたの? 隣さん。あっ、隣さんって呼んでいいよね? この本は、私のちょっとした趣味みたいなものなの。気にしないで」

「いや、その……」

 さっきから、隣―――『となり』さんって呼ばれてる。

「あっ、もしかしてスルーできない? そんなにこの本が気になるの? 別に悪い趣味じゃないとおもうんだけどなぁ」

「いや、そうじゃなくて、名前」

「名前?」

 清宮さんはきょとんとしていた。

「隣って書いて、りんって読むんです」

「あっ、……あぁなるほど、そっか、そうだったのか。ごめんね間違ってて。悪気はなかったんだけど」

「いえいえ、いいのいいの。よくあることだから」

 そんな間違い方は滅多にない。

 だけどなんだかんだ言って、なんか、いい人だった。

 それこそ持ってる本は不思議系丸出しだけど、軽く話しただけで、口調から何やらから優しさみたいなものが滲み出ていた。

 今、まともに話すの初めてなのに、既にそこまでの印象がついていた。

「いやー、リンさんのことは先生の手伝いで生徒名簿に目を通している時に知ったんだよね。それで、たぶんフリガナがなかったから勘違いしてたみたい。うん」

 そうなんだ。本当に働き者だなぁ。

 リョウにも見せてあげたい。

「だけどもう大丈夫! 私って人の名前覚えるの、自信あるから。もう忘れない。忘れてもきっと思いだせるよ」

 清宮さんは笑ってみせ、本に目を戻していた。



 一つ。清宮さんの社交性の良さには驚いた。生徒名簿でチラッと見ただけの私のことを覚えてて、それでいてあの話し方。あんな性格の人も今時珍しいと思う。

 二つ。彼女がいた場所。彼女の持っていた本。それはその時偶然そこにいて、また偶然それを持っていたわけではないということ。自分からオカルトコーナーに入って、自分からオカルト的な本を取っていた。……よく分からない。

 それと、これは私の感想でしかないんだけれど。

 彼女はどこか正しかった。正し過ぎた。なんというか……教科書の例文を読んでいる感じ。もちろん話し方、言葉の内容、全て今風であり、現代語である。そこに間違いは無い。だけどなんだか、どこまでも普通なのに、正しいのに、その声は感情がこもっていないような気にさせる。そう。持っている本と相反して、個性が全くない。まるで清宮さんが正しくて、他の全てがおかしいと思わせるよう。変な感覚だった。

 そして最後に。後から思ったこと。これは本当に気のせいなのかもしれないんだけど。正しい彼女は影が薄いどころか、彼女本人に『影』が無い気がした。

 そんなことはあり得ない。気のせいのはず。

 しかし私は彼女に背を向けると、もう振り返ることはできなかった。



 リョウ達の元へと戻る。相変わらずリョウは漫画ばかり読んでいた。彼にやる気はあるのだろうか。

 メイもメイで、カイから勉強を教えてもらいつつ、頑張っている。……が、一教科も終えていない。

 どうやら、課題完全消化までの道のりはまだまだ長いようだった。



 そして来たる登校日。

 いつも通りに四人で登校。リョウは自分の手にある、全てにチェックマークのついた『春休み活動計画』を眺めながらニヤニヤしていた。

「どうしたんだ、リョウ。気持ち悪いな」

「いや、だってほら。春休みにやりたいこと、全部できたんだぜ。これ、すごくないか?」

 言って、リョウは活動計画を見せる。

 確かに春休みに私達のしたことが全部書いてある。漫画新シリーズ読破。映画のハシゴ。近所の飲食店のメニュー制覇。桜の花が散り、その花びらが流れることにより綺麗なピンク色に染まる川を眺めにも行った。

 そして最後には恒例の(課題消化のための)勉強会。

 今年も楽しかった。

「しかし予定に海を入れてなかったのは失敗だった」

「いや、まだ寒いから」

 しかし海はいいぞー、と言っているリョウを余所にカイ達を連れてクラス発表の貼り出しへ急いだ。

 リョウも追いつき、四人で眺める。結果は、なんというか。まぁ、ね。まあ、あえて。

 あら、不思議! 皆同じクラスだ!

「……わぁ! 四人で同じクラスじゃん! やったね! リン、リョウ、カイ」

「メイ、ちょっと黙ってて。……ねぇ、リョウ。何かした?」

「? なんのことだかさっぱりだ」

 リョウは、あくまで知らないフリをする。

 その態度が、私達の質問に一切の興味を示さない姿勢が、それを嘘だと教えてくれる。

 ……絶対何かしてる!

「今度はどんな手回しをしたんだ? まさか教師の誰かの弱みを掴んで……」

「おいおい、まるで俺を悪人扱いしないでくれ。俺はまだ刑務所に引っ越すには早いぞ」

「まだ取り調べ段階だ」

「カツ丼は?」

「ない」

 何を言ってるのかな、この二人は。

 とはいえ、リョウの計らいだとしても、これは私にとって嬉しいものに変わりはなかった。去年と比べたら、カイが入っただけ。たったそれだけでも、私達の景色が大きく変わる。

「よし、じゃあ教室に行くか」

 リョウが私達の前を歩き、教室へ。


 教室で新しいクラスメイトと顔合わせ。流石に三年目だから知り合いも多かった。新しい担任とその自己紹介。

 課題回収。これは思ったより円滑に進んだ。というのは、リョウもメイも課題を終わらせることができていたから。



 さて、―――と、まあ、こんな具合に日々は過ぎ去る。




 五月のある日。

 それは突然のことだった。いや、違う。何も突然なことなんてなかった。ずっと予兆は起こっていた。起こり続けていた。

 今思えば。

 ずっと。

 まるで地震。鳥が飛び、魚が揺れ、小動物が敵も無く逃げる。そんな怪しげな予兆をずっと繰り返され。みて見ぬフリをしてきた。感じないように。知らないフリ。それが正しいと思っていたから。

 だけど、それは、もう。見なければ、認めなければならないものとなった。

 ―――目の前に起こったこととして。


 メイの家は複雑だ。とても、とても複雑。

 とても一言では言い表せない。彼女の住んでいる地区(近所なんだけど)は、明らかに町の人々に避けられていた。ただ避けるだけではない。

 その地区は恐れられている。

 何故か理由は知らないけど、おかしいっていうのだけは私にも分かった。

 最初、私はある種の部落差別だと思っていた。しかし現状。差別ではない。その様子は明らかに差別ではなかった。人々の視線は蔑視ではない。まるで違うものに見えた。

 メイの家は、昔から代々続く大きな土地の地主らしい。その上、たくさんの著名人を輩出している。戦前が全盛期、それから衰退の一途を辿っているが、まだまだ裕福で、伝統を守り続けているらしい。メイはその後継ぎになることは決まっていた。

 どうやらメイの親戚は全員社会的権力者。だから誰も近づかない。警察さえも近寄り難い場所となっていた。


「よう、リン。カイ」

「おはよ、リョウ」

 今日もいつものメンバーで登校。……と行きたかったんだけど。

「あれ、メイは?」

「ん、俺は知らないが……」

 どうしたんだろう。

「今日は早めに家を出たんじゃないのか?」

 カイが当たり前のことのように言った。

 カイの言うとおり。別に私達は約束して、一緒に登校しているわけではない。よく誰かが欠けてたり、時には一人の時だってある。

 だけど、何か嫌な予感がしていた。

「どうしたんだ、リン」

「ううん。行こっ」


 教室に着く。メイはいなかった。

 ホームルームが始まり、担任がクラスに告げた。

「―――ということで、メイさんは今日家庭の事情によりお休みらしいです。以上―――」

 家庭の事情?

 メイが?

 更に不安が私の中で大きくなった。心がざわつく。


「今日は休みだってよ。変に風邪とかじゃなくてよかったな」

 リョウが来た。

「メイは風邪なんてひかないよ。だってメイだもん」

「そりゃそうか」

 リョウは私の近くに腰をおろした。

「ところでさ、今日、購買に新メニューが―――」

 楽しげに話す。

 やっぱり私の気にし過ぎかな。話すことで少し気を紛らわせることができた。


 次の日。

 またもメイは休みだった。理由は家庭の事情。

 なんか家庭の事情って言葉はズルいと思ったことがある。家庭の事情は色んなものを含んでいて、他人に知られることがない。そのため、何をしているのか一切不明なため、私も使ってみたいと思うことはしばしばだった。テストの前日、家庭の事情使えないかなぁ、なんて。

 だけど、これは本当に家庭の事情なんだろう。たぶん本物。事情があるんだ。メイのことだから、よっぽどその辺の信憑性が強い。

「今日も休みか、あいつ」

「どうしたんだろうね」

「メイもメイで忙しいんだろうさ。俺たちは……ここで遊ぶことにしよう!」

 ニヤニヤしながら、リョウはエアーガンを取り出す。

「……ねぇ、リョウは気にならないの?」

「何が」

「メイのこと」

「家庭の事情なんだろ。俺達が気にしてもしょうがないじゃないか」

「そうだけど……」

 そして、くだらないことばかりして(今回はエアーガンに細工してあった)、一日が終わった。


 翌日。

 メイは―――普通に学校に登校していた。普通の人と同じように、メイは教室に着くと、筆記用具と提出物を取り出しバッグを片づける。

「ほらっ、来たじゃねーか。元気そうだぞ?」

 リョウが言う。

 指さす方向でメイはいつものように居た。

「おはよ、メイ」

「おはやー、リンちゃん。なんか久しぶりって感じだよ、ははは」

「どうしてたの? 二日も」

 うーん……。

 と、メイは左上を見つめ、

「風邪かなー」

 と言った。

「あたし、油断しちゃったよ。やっぱ季節の変わり目には弱いみたい。つい体調崩しちゃってさー。もう、いやんなるねー」

「……うん、そうだね」

 言いながらメイは、チラチラと私の顔と自分の手を交互に見ていた。

 視点が定まっていない。

「大丈夫?」

「うん、もう、へーき」

 いつもの調子で変なポーズをとるメイ。

 変わらず、メイだ。

「あたし、ちょっと、職員室に用事あるから行ってくるね。では、さらば! アディオス!」

「うん」

 メイが駆け出す。

 急ぎの用事だったのかな。あっという間に見えなくなる。

 残された私は、つい声に出してしまった。

「風邪って、嘘じゃん」


 メイ本人は、休みの理由を風邪だと言った。

 先生は、休みの理由を家庭の事情と言った。

 先生も風邪と聞いていたら、風邪と言っていただろう。しかし連絡では、家庭の事情。

 どっちかが、というか明らかに、メイが嘘をついている。

「リンが何考えてるか当ててやろうか?」

 知らない間にリョウが私の後ろに立っていた。

「えっ、ちょっ」

「メイに何かあったんじゃないか。じゃなきゃメイがここで嘘をつくことはない。そうだろ?」

「……すごいね、リョウは。なんでもお見通し」

 リョウは首を振る。

 私の言った言葉は的外れでもあるかのように。

「俺は何にも分かっちゃいないさ。何にも見えていない。…………で、今日はこんな企画があるんだが」

 切り替えて、リョウが大量のプリントを私の前に置く。

「紙飛行機を作ろう。そして、いかに遠くまで飛ばせるか。男のプライドを賭けて勝負だ!」

「ごめん、リョウには悪いけど、私、賭けられる男のプライド持ってない」

 結局、リョウ達と紙飛行機を楽しんだ。紙飛行機一つに、いやっほぉぉと叫ぶリョウが忘れられない。

 四人で遊んでいる間、メイはいつものメイだったけれど。どこか心から遊んでいないというか、なんというか。心ここに在らず。ずっと上の空だった気がする。

 盛り上がりもそのまま、どこまでも消えるまで飛んでいく紙飛行機を私達は見つめていた。隣を見るとメイも同じように眺めている。眺めているはずなのに、何故かその瞳には映っているものは紙飛行機とは別のもののような感じがした。

 遠くに去っていく何か―――紙飛行機のようなものを。



 そして、また『家庭の事情』でメイは休みだった。

 メイが休み。今週三度目。

 何かおかしい。私はそう思わざるを得なかった。

「ねぇ、リョウ。メイ、今日も休みだって」

「家庭の事情なんだろ? 放っといてやれよ。メイだって好きで学校休んでるわけじゃないだろうしな」

「そうだけど……リョウは気にならないの?」

 一昨日と同じ質問。私は繰り返す。

「ねぇ、リョウは気に―――」

「気になるさ! そりゃあさ。けどできることなんて一つもねぇしな。このまま待った方がいいんじゃないか?」

「……うん」

 リョウのいうことは正しい。

 だいたい間違ってなくて、最善策だ。信じよう。


「ねぇ、カイ君ってさぁ、彼女いるって本当?」

 訊いてきたのは、同じクラスの女子だった。

「いや、聞いたことないけど」

 やっぱりガセじゃん!

 後ろの女子が騒いでいた。

 数日、細かいことばかり考えてて周りが見えていなかった。

 ええと、なんだっけ。カイが……

「……カイに彼氏⁈」

「白木さん、誰も彼氏だなんて言ってないよ……」

 つい大声をあげてしまった。

 だって、さっきは流れで普通に応えたが、内容は想像できないビッグニュースだった。

 周りをビックリさせてしまったが、私もビックリだ。質問内容だけでビックリ仰天だ。

「……ね、ガセだよね? それ!」

「白木さんが訊かないでよー。まあ、いつも一緒にいる白木さん達が知らないんじゃ、ガセネタっぽいねー。目撃情報も見間違いかー」

「目撃情報⁈」

 さらに信憑性が高まった。

 なに、目撃されてるの? 

「まあ、たぶんガセだよ、ガセ。気にしないでー」

 軽く私の顔を見やると、彼女達はそそくさと何処かへ行ってしまった。


 私は学食に来ていた。

 私達の学校は大きく、とにかく何でもかんでも詰め込んでいる。当然、学食も完備している。メニューはその辺の定食屋と大差は無い。

「二人は何食べる?」

「俺はA定食」

「じゃ、俺もそれでいいか」

 カイには特に食べたいものは無いらしい。

 受付に歩く。

「じゃ、リン、カイ、頼むな」

 リョウはテーブルの方へ。

 席をとっておいてくれるのだ。ここは食に飢えた学生達の戦地。うかうかしていたら、食べ物があっても、座れないことがしばしば。だからリョウが先に行ってくれた。

 カイだと逆に人を集めてしまう。主に女性を(カイに集まる女子目当ての男子もいる)。

「おばさん、A定食三つ」

「はいはいな」

 返事するなり、おばさんは注文したA定食三つを持ってきた。

「おばさん、早いですね」

「そりゃねー。あたし達も、もう忙しくて。注文を受けてから作ってると間に合わないのよ。ほら、受け取ったなら、早くテーブルにお行き。リョウくんも待ってるよ」

「ああ、はい。ありがとうございます」

 私は私の分。カイが二人分を持って歩いた。


「……ん。そういやさ」

 リョウが食べながら話す。

「カイ、最近変わったことないか?」

「俺か?」

 少し突飛な質問にカイの手が一瞬止まる。

「……別に、何もないぞ」

「そうかぁ? ここ最近、お前の様子がおかしいってのはもっぱらの噂だぜ?」

「そうなの?」

 噂、なんだ。じゃあ、さっきの話も知ってるのかな。

「どこの噂だ、それは」

「俺の高貴なる近所のおばちゃん方の立ち話だ。今日の朝聞いた」

「うわぁ、微妙な信憑性」

 それって根拠は大抵、そういう場面見ちゃったとかそういうのじゃん。しかも、かなりの(想像と偏見による)尾ひれを付けて話す、あれ。

「で、そのオバ様方が何と言っていたんだ」

「『ねぇ、知ってる、あのカイ君っていう、あの大っきくてカッコいい子。そうそう、あの家の。その子がねぇ〜、この間。車に轢かれそうな子犬がいてねぇ、その犬を助けようとしたの。ばぁ、とトラックが来ているのに道路に駆け出して。あたしゃ、うわっと思って手で両目を覆ったんさ』」

「分かった。それ以上は言わなくていい……」

 リョウの上手すぎるモノマネをカイが遮った。

 ……んだけど、リョウは続ける。

「『それでねぇ、もうあたしはダメだ! と思ったんだけど。あの子すごいねぇ。チラ〜とその走っていった方を見てみたの。それがね! 彼、見事に反対側の歩道に犬を抱いて飛び込んでて無事だったの。すごいわよねぇ。最近の若者とは思えないわぁ〜。……すごいんだけど、その犬。縫いぐるみだったのよ! ははは、そう、縫いぐるみ。もう目も当てられない立ち姿でねぇ〜』」

「うぅぁぁ……」

 完全にカイ手が止まっていた。思い出しているのだろうか。

「『人通りの多い道でね、助けた瞬間は拍手喝采。カイ君が、大丈夫か、って行って縫いぐるみをさすった時にね表情が固まって。周りも人も苦笑いだったのよ。イイ子なのにねぇ。それでその後カイ君、彼女に手を引かれてその場から颯爽と去っていったのよ。顔真っ赤にしちゃって。かわいいわよねぇ』らしいじゃねぇか!」

「リョウ、物まねお疲れ。上手かったよ」

「そりゃ、どーも」

 カイは黙りきっていた。きっと状況を思い出しているのだろう。その光景を、ありありと。

 その結末を。

 ……結末。…………ん。

「すまんが、忘れてくれ……あまり思い出したくない。滑稽すぎる」

「とは言ってもなぁ。なかなかある話じゃないぞ? 縫いぐるみを本物と見間違えて命懸けで助けるなんて。俺には真似できねぇよ」

「ぐぅぅ……」

 リョウが味噌汁をすすりながら続ける。

「しかも恥ずかしさを隠すためか、颯爽と彼女と共に去っていくお前の姿。見てみたかったなぁ。その二人で歩く去り様。二人で……二人で? ん? 彼女と??」

 調子に乗り始めていたリョウの頭にハテナが浮かぶ。混乱して、エラーに。

「…………なにぃ!! カイが彼女だとぉ!」

 すすっていた味噌汁を噴き出した。

「俺というボッチの親友がありながら!」

「こらこら、そんな発言すると、一部の人達が喜んじゃうよ?」

「おっと、こりゃ失敬」

 リョウの背中をさすり落ち着かせた。気付けば学食のざわつきの色が少し変わっていた。恐らくリョウのせいだ。

「えー、カイ君って彼女いるのー……ひそひそ……」

「ちょっとショックー。タイプなのになー……ひそひそ……」

 みんな好き勝手言っている。

 無駄にリョウが叫ぶから私達は注目を集めていた。

「なあ、答えてくれよ。おい!」

 必要以上にリョウがうろたえている。

 さっきまでの仕返しか、カイは無言で食事を続けていた。


「ご馳走様。リン、盆を持っていくが、ついでにお前の食べ終えた食器も持っていこうか?」

「あっ、じゃあお願いできる? ありがと、カイ」

「ああ」

 カイが席を立つ。

 リョウは数分カイに無視をキメられてダウンしていた。

「まあまあ……」

 今度はリョウの頭を撫でてみる。

「こんなに俺はカイに対して……。何故だ⁈ 何故俺の思いは届かない!」

「こら、口を慎む」

 アレ系の人達が喜んじゃう。一応はリョウもモテるタイプなんだから。

「こりゃ、調べる必要がありそうだな」

「うーん。まあ、そうだねぇ。なんとなくカイが状況を使って上手くはぐらかしている様にも感じるし」

「……待て。その言い方じゃ、そういう状況を作った俺が、まるで墓穴を掘ったみたいじゃないか」

「たぶん掘っちゃったんだよ、それが墓穴になると知らずに」

「なんてこったい!」

 両手で顔を覆う。

「……まあ、墓穴なんてどうでもいいな。今、俺は俺が置いてけぼりなのが辛いだけだ。くそぅ、どうすれば……」

「カイをこっそり観察するとか」

 でもこっそり観察なんてカイには無理そう。

「しかし、噂集めてそれしかないな。よし、工作員リンよ! 作戦名は『平穏な生活を取り戻せぃ!』だ!」

 出た! リョウのテンションが上がった時よくあるやつだ。

 しかも作戦名が、どこか他力本願な気が。

「俺達の作戦の目的は他でもない。カイの秘密を探ること。ただ……それだけだ。他意はない」

 おおーっ!

 と歓声があがる。学食のミーハー達が私達を囲んでいる。リョウは学校では有名人だから、何か行動を始めるとすぐにこうなる。

 カイが片付けに行って帰ってこないのも、この人の壁に道を阻まれているからだろう。

「よし、リン。この作戦におけるお前のコードネームは『LOVE BREAKER』だ!」

「この作戦の真の目的がありありと伝わってくるんだけど」

「カッコいいからいいだろ」

 カイがやっと戻ってきた。

 額に汗。そんなに距離はないはずなのに疲労感。この人の壁を乗り超えてきたからだろう。

「なんだってんだ、この人だかりは。何かあったのか?」

「別に」

 そっけなくリョウが言う。

「さ、俺達も片付けたら行こうぜ」

「どこに行くんだよ」

「教室」


 ―――作戦開始。

 教室はメイはいないけど。

 いや、あえて今日なのかもしれない。もしかしてリョウはメイのいない今日、この話題を持ち出した?

 いや、それはない。まずこの噂はまだ出回りはじめたばかりで、リョウが聞いたのも、つい最近らしいし。

 じゃあ、なんでこんなタイミング良く、メイがいない?

 ……偶然、だよね。


 放課後。

 リョウのいうには、俺達的活動は今日は休み。皆各々のすべきことに時間を使え! ということで、リョウとカイがそれぞれ別行動を取り始めた。

 もちろん私とリョウはすぐに合流する。

「よし。見つからないように追跡するぞ」

 私達はカイを追いかけ始めた。見つからないよう、こっそりと。

 ………。

 靴を履いていつもの帰路を。その後、いつもと違う道に曲がる。店が並ぶ大通りに出た。この時間、意外と道には人が多い。街は住宅地ばかりで、ここくらいしか大きな建物が並んでいないのだからしょうがない。帰宅ラッシュにしろ、買い物の主婦にしろ、学生達の寄り道にしろ。結構人が集まるのだ。そんな人混みの中をカイは目的地があるらしく、どんどん進んでいく。

「これ、探偵っぽくて楽しいな」

「私はストーカーみたいですごく嫌なんだけど」

「そうか? ストーカーもストーカーで楽しいと思うぞ。本人や警察に見つからないようにターゲットをストーキングする。そこに潜む罠。警察の追っ手。もし捕まれば社会的に抹殺される。それでも男は愛ゆえに戦う、その心。そのスリリングさ。やべぇ、自分で言っててカッコ良く見えてきた」

「なんか違うよね、それ」

「よっしゃ、とことんカイをストーキングしてやろうぜ」

 リョウが燃えていた。完璧に楽しんでいる。

 目的を忘れないといいけど。


「リンッ、そこ曲がったぞ!」

「うん」

 曲がる。遠くにカイが見えた。

 ある程度の距離をとりつつ移動。時折カイは誰かにつけられてることに気付いたのか走りだしたりする。それでも隠密行動第一で追いかけた。

 もしかしたら私スパイとか向いているのかもしれない。

 ははっ、我ながら何変なこと考えてるんだろ。リョウが私の肩を叩きそっと振り向く。

「もしかしたら俺ストーカーとな向いているのかもしれない」

 ……この人、もっと変なこと考えてた!

「それは止めたほうがいいよ」

「何故」

「ノー破廉恥。私、破廉恥嫌い」

「……そっか。俺、お前にだけは嫌われたくないもんな」

 言って、またリョウは前を向き直した。再び歩き出す。

 ―――お前にだけは嫌われたくない。

 ……かぁ。少しだけ嬉しかった。純粋に。

「じゃあ、やっぱ探偵にしとくか」

 リョウが笑う。その笑みで、私も笑顔になった。

「……だから、嫌いになるなよ」

「うん」

 リョウの声は、人混みに紛れて消えてしまいそうなほど小さなものだった。ひょっとすると私に向けられた言葉では無かったのかもしれない。

 リョウにとっては独り言のようなものだったのかもしれない。だけど私はその言葉に頷くことができた。

 私には聞こえたから。

「……リンは優しいな」

 囁くような声。その一言はどこで聞いたか思い出せないけど、そう、今まで何度も聞いたことのあるもののように思えた。


「ちょっとすみません。そこのお二人、聞きたいことがあるだけど……」

 大通りを越えた細い路地のような所で、スーツを着た紳士風のおじさんが声をかけてきた。日本語だったけど、見た目は銀髪外国人、ヨーロッパ系の人みたいに見えた。

「悪いな、おっさん。今、取り込み中だ」

 リョウが見向きもせず応える。

「すまない、一つ聞きたいだけで、すぐ終わる」

「おっさん。俺が今何してるのか、よく見てから言ってくれ」

「おやおや、この可愛いお嬢さんとデート中だったかな」

 フッ、と一瞬リョウが笑い、おじさんを一瞥した。

「俺は今、男友達をストーキングしてるのさっ。あいつ、俺らというものがありながら……」

「…………」

 おじさんが微妙な顔つきになっていた。

「ま、まあ彼のことは気にしないでください」

 言っておじさんに謝っておく。念のため。

「うぬ、まあ、若いうちは様々なことをして豊富に経験を積んでおく、というのも大切ではあるな」

「は、はあ」

 ちょっと納得されちゃってる……

「ところで、だが。君達はこの辺で不思議な話を聞かないかい? 例えば未確認生命体とか、幽霊とか、超能力など」

「……いえ、全然」

 そんな話、この町では全く聞かない。……そういえば、かなり印象的だったから覚えているけど、あの清宮さんとかなら知ってるかも。あんな本を熟読してるくらいだったから。

 ……でもまあ、知らない人に知り合いの名前を教えるのもちょっとね。

 悪い人じゃないみたいだけど。

「すみません、力になれなくて」

「いやいや、いいんだよ。別に……」

「でも、どうしてそういうものを?」

 質問内容だけだと変人すぎる。

 そして、

「ちょっとした……私の趣味みたいなものだ。気にしないでいい」

 この言葉に少しばかりのデジャヴを感じた。考えると、すぐに思い当たる。というか、たった今思いだしたばかりだったからすぐだった。

 それは、清宮さんの言葉と似通っていた。

「そこにいる、彼。リョウっていうんですけど、彼はまるで超能力者のようにすごいんですよ」

 思いだしながら、私はこのおじさんがわざわざ話しかけたにも関わらず、何の成果も得られないことを思ってか、つい口から言葉が出ていた。

「ほう、何か、できると?」

「……あ、いえ……特には」

 そういえば、何でもできるリョウだけど、何かの特別さや特技なんてリョウは持ち合わせていなかった。

「普通の人間じゃないか。私にはとても何か特殊な能力があるのは―――」

「うっせぇ! ばれちまうだろうが!」

 ……怒鳴られた。

「……すみません。彼、こんな感じで……」

「いやいや、いいんだ。こちらこそ突然来て、失礼だったと思ってる」

「……本当にそう思ってるなら、さっさとどこかへ行ってくれ」

 冷たくリョウは言い放った。

 普段からは想像もつかないような声で。

 ……突然、どうしたんだろう。何かこのおじさんが気に障ることでも……

「……そうだな、君の言う通りだ。言葉とは裏腹にいつまでもここにいては、君達に迷惑だったな」

 私はリョウの肩を掴んだ。そして耳を口に寄せる。

「ちょっと、リョウ。あの言い方はあんまりじゃない? 確かに変な人だとは私も思うけど…。あんな言い方をしなきゃいけないほど悪い人には見えないよ」

「……ああ、俺も感情的になり過ぎた気がする。なにせカイを見失っちまったからな」

 見ると、リョウが見ていた先に、カイはどこにもいなかった。

「しゃあねぇなぁ、ったく。リンは優しすぎるぜ、誰に対しても。いつか誰かにつけ込まれて騙されんぞ。詐欺師とかにさ」

「その時はリョウが私を守ってよ」

「うっ……しょうがない奴だな、本当に。……そんで、おっさん。なんだって?」

 リョウがこういう言い方に弱いのは知ってて、あえて使った。ちょっと罪悪感。

 リョウがおじさんに歩み寄る。

「……ああ、すまないね。……この辺で、超能力とか未確認生命体とか幽霊とか。そんな噂は聞かないかい?」

「すまんが、覚えはないな。そんな噂は俺の周りでは無い」

「……そうか」

「こっちからも一つ、いいっすか」

「ああ、いいとも」

「何故、俺達に訊いた?」

 ふふっ、これはまた面白いことを訊く。

 おじさんはそう笑い、応える。

「この手の話は高校生くらいに訊くのが丁度良くてね。この辺の高校生に訊いて回ってるんだ」

 リョウの突然の質問の意味は分からないけど。

 なるほど。まあ、それもそう。おじさんの言う通りだと思う。このおじさんが歩き回っている所に私達が視界に入って、そして駄目元でなのかは知らないけれど、訊いてみようと思ったのだ。

 この人と面識なんて無いし。手当たり次第というとこだろう。

「それはさっきからもずっと。訊く相手なんて高校生くらいであればランダムだ、と?」

「……? その通りだが?」

「じゃあ、おかしいな、おっさん。結構長い時間、あんた、俺達をつけて来たように思うんだが」

「……それは」

「『それは気のせいじゃないか』なんて言葉で誤魔化すんじゃねぇぞ。俺はカイをストーキングしてる間、誰かに尾行されているのは半ば確信していたんだ。それがあんただってのも。俺は無視しようと思ってたんだがな。リンの優しさに感謝しな。ま、残念だが、そのリンを騙せても、俺は騙せないぜ? ……俺達に何の用だ?」

 尾行されていた……? この人に? いつから?

 それをリョウは気付いていた?

「……君は勘がいいな。……言う通りだよ」

「だろうな。お前、俺達を追ってきてる時、寄り道している他の高校生を何人も見て、なおも俺達を追いかけてたはずだ。それも俺は見ていた」

「そこまでお見通しか。……じゃあ、さっきの私の言葉も」

「嘘だとすぐ分かった」

「君は本当にすごいよ……」

 紳士風のおじさんは静かに手を叩いた。そしてその手をしまうと、ゆっくり口を開く。

「……そんな君に訊きたいのだが。この辺りで超能力とか、未確認生命体とか、幽霊とか。見たり聞いたりしてないかい?」

 彼の問いは、口から発せられたものにも関わらず、まるで私達心に透き通り、直接棘を残すような。知らず脳に質問が刻まれるような、到底無視できないものだった。

「俺は…………何も知らないし、聞いたことも……ない」

 小さく言葉を並べる。

 私には質問内容も変わってないし、依然おじさんは変な人でしかないんだけど。リョウの言葉の力がほんの少し弱々しいものとなっていた。

「……まあ、それが君達の日常を守る最善策ではあるな」

 紳士風のおじさんは再び私を見る。そして彼は自分の上着のポケットに手を突っ込むと、中から数枚の紙切れを取り出した。

 数十枚の、人の形をした、紙切れ。

「時間を割いてもらって悪かったね。君達に、というよりも、私は多分そこのリョウ君にどうしても訊いておきたかったんだ。……これはそのお礼とお詫びだ」

 その紙切れを私に渡す。

「ま、式神みたいなものだよ。持っていて損はない」

「し、式神?」

 なんだっけ。式神って陰陽師が使う……悪霊退散グッズの一つ?

 思案してる私に、そんなもの捨ててしまえ、とリョウが吐き捨てていた。

 とりあえず人型の紙切れの束を受け取ってポケットにしまい込む。

「ありがとうございます」

 私が軽く頭を下げると、おじさんは微笑んだ。

「それでは、この変な人は、どこかへ行ってしまうとするよ。君達の希望通りにね。ではまた」

 おじさんが去っていく姿を私達は目で見送った。

「……本当に変な人」

 つい言葉が漏れる。率直な感想だった。

 リョウが驚いた表情で私を見る。

「リン、お前、あの人を変な人だとずっと心のどこかで思ってたのか? それをおっさんに直接言ったか?」

「ううん、まさか。初めて会う人にそんな失礼な言い方できないよ、リョウじゃあるまいし。ちょっと心の中で思ってただけ」

「リン、あいつの言葉を思い出せ。最後のやつ」

「ええと、なんだっけ」

 去り際の一言。確か……

「『それでは、この変な人は、どこかへ行ってしまうとするよ。君達の希望通りにね。ではまた』だ」

 リョウは今さっき、おじさんが言った台詞を繰り返す。

「よく、綺麗に思い出せるよね。ある意味それも超能力だ」

「そんなことより、お前、直接口に出してないんだろ、変な人って。勿論俺も言ってない。どこかへ行ってくれ、とは言ったが」

「……それがどうしたの?」

「よく考えてみろ」

 ―――この変な人は、どこかへ行ってしまうとするよ。君達の希望通りにね。

「……なんとなくリョウの言いたいことは分かったよ。あの人が私の思ってることでも当てたというの?」

「ああ。正確には当てたというより、心を読んだ、という実感なんだが……」

 リョウがそういうならそうなのかもしれない。なにせ、あのリョウだから。

 ……だけど……

「たまたまなんじゃない? たまたま偶然。そんなことできる人なんてこの世にいないよ」

「…………そう……だよな」

 煮えたぎらないような、不満気な返事。

 確かにリョウが何か不思議さを感じさせたおじさんは、普通じゃなかった気がする。どこか謎に満ちているようで、またどこか怪しかった。私達を見ているに関わらず彼の無機質な瞳の奥に私達は映っているのかすら疑わしいほど。

 ……奇妙な人だった。

「……ま、気を取り直してさ。これからどうするの? カイを完全に見失っちゃったわけだけど」

「あ……ああ、そうだな」

 リョウは近くの電柱に背を預け、思考を巡らせる。……やがて現状を打開する方法を思いついた。

「……今日は帰るか」

 思いついたと思ったんだけど。

 今日のところは諦めるらしい。

 そんな答えを出すためにさっきまで考えてたのかな。……そんなわけない。何を考えてたんだろう。

 ……なーんて。分かるはずない。

「そうね、帰ろっか」


 夜になる。

 私は晩ご飯を済ませ、テレビを観て、お風呂に入って、それから部屋に戻った。

「今日はなんだったんだろう」

 ふと思った。

 今日はなんでもない普通の一日。違う点を挙げろと言われれば、メイがいないだけ。それと、カイに妙な疑惑?

 それでも、そんなことなんて実は日常茶飯事だ。大したことであっても、それが事件であるわけではない。

 私達は今まで色んなことをしてきて、余りにたくさんのことを引き起こして、巻き込まれてきた。たくさんの出来事。主に勧善懲悪の精神による行動。人助け。そして冒険。リョウが私達を導いて、人の何倍も苦労して、何倍もすごい経験をしてきているはず。

 全て本格的で、全てがリョウにとっては遊び。

 そんなリョウを中心として、いつでも一緒に動いている私達にとって、リョウが世界の中心と言えるかもしれない。

 リョウの意思で全てが動き、リョウと共にあることが私にとっての世界が世界である条件にある。

 大袈裟過ぎる表現になってしまったけれど。少なくとも私達四人にとってリョウは中心であり、リョウが私達を繋いでくれている。それだけは揺るぎない事実のはずだ。守り合い、協力しながら生きてきた私達は、互いを通して世界を見ていたようなものだ。

 そして、最近。世界が少しずつなんだけど、私にとって違って見えている。

 いつも一緒のメイがいないから?

 それだけじゃない。

 いつも一緒だったカイに彼女疑惑があるから?

 それだけじゃない。

 もっと何か、根本的な所から違う気がする。

 考えながら私は布団を被った。ポケットに入れっぱなしだった式神とやらを枕元に置いて。



「ふあぁ、おはよ」

「うん、おはよ」

 その眠そうな声を聞いたのは、朝のホームルーム直前だった。

「今日はどうしたの?」

「ああ、朝、セットした目覚まし時計が鳴ってな。うるさくて殴り壊しちまって。おかげで二度寝して、あやうく遅刻するとこだったぜ」

 ふあぁ、とまた大きなあくび。

「眠そうね。……夜更かし?」

「ああ」

 今日の朝は、一人で登校した。いつもの時間に誰も来なかったからだ。

「……メイは今日も休みか?」

「うん。さっき先生と会って、先生に訊いたら、休みの連絡があったんだって」

 だから今日も休み。家の、用事。

「どうしたんだろうね、メイ」

「なんか忙しいんだろうよ。きっと」

「リョウは気にならないの?」

「全く気にならないわけじゃないが、気にしてもしょうがないだろ」

 前と同じ。リョウはあまり気に留めてすらいないように感じる。

「そう……だよね」

 しかしその判断こそが、正しいのだ。リョウの言うことが正しい。そうするしかないから。

 そしてカイはといえば、今日はいつもより早く学校に行っていた。理由は不明というか訊けなかった。例の彼女疑惑の件があるし。



 昼休み。

「よし、今日も作戦を決行するぞ」

 リョウが高らかに宣言した。

「今日も尾行?」

「いや、ストーキングは今日はしない」

 うわっ、私から避けて言ったのに自分からストーキングって言ってる……

「今日は……聞き込みだ」

「聞き込み?」

「そのとおり。聞き込みだ」

 リョウはポケットに手を突っ込むと、中からペンと手帳らしきものを取り出した。

「聞いて、聞いて、聞きまくる。いいな? 隊員LOVE BREAKERよ」

「あ、それ覚えてたんだ」


 それから手当たり次第に訊いて回る。

 近くに手持ち無沙汰(っぽい)の知らない同級生を見つけた。

「ねえ、ちょっといい?」

「うん、なんだい?」

「カイについてなんだけど」

「彼がどうかしたの?」

 リョウが間に入る。

「カイの奴に彼女がいると思うか?」

「うーん……どうなんだろうね。僕には分からないよ」

「そうか。ありがとう、通りすがりA君。ただの脇役三下にしてはよくやった」

「え、あ、えーと……ありがとう」

 通りすがり君は去っていった。


「やあ、ちょっといいかい?」

 リョウが声をかける。今度は下級生の女子。

「時間あるか? 聞きたいことがあるんだが」

「なんですか」

「君、カイって二年生の男子知ってるか?」

「はい、当然ですよ」

 下級生女子は、さも当たり前の如く言う。

「あんな目立つ人はいませんよ。……リョウさん達もですけど」

 あぁ、やっぱり認めたくないけど。

 どうやら私達は、自分達が有名人だと認識しなければいけないようだ。いつも騒いで、事件起こしてばっかりだからなぁ……

 そういえばこの間、リョウが中心となって盛大に大会を執り行ってたなぁ。なんだっけ……確か『雑巾掛けスクールマッチ』的なこと言ってた。なんだかんだで、最後には学校全体を使ってやって、参加者が三桁まで……

 収拾がつかなくて大変だった。

 つい最近だけでも、それだけのことをやっている。名前が広まるのも無理ない。しょうがない。私のせいじゃない。私、関係ない。

「私は関係ない。私は有名人じゃない。私、知らない。ね?」

「ね、と言われても……リンさんも十分有名人ですよ」

「あぁぁ」

 私は平穏なスクールライフからどんどん離れていってる気がする。リョウ達に手を引かれて。

「ま、そんな些細なこと、どうでもいいんだが。そのカイのことだ」

「はい」

 あぁ、本当にリョウにとっては些細なことに過ぎないらしい。

「カイに彼女がいるってマジなのか?」

「……普通そういうことって私達が疑問に思って、先輩達に訊くことじゃないですか。立場的に」

 笑う下級生女子。

「ごもっともで。しかしカイは俺達に全く教えてくれない。そりゃ、そうだ。教えるわけがない。あいつ、そういう話をすると笑われると思っているからな」

「もし、カイさんが話してくれたら?」

「思いっきり笑ってやる」

「だから教えてくれないんですよ」

 ハハハ、とリョウが曖昧に笑った。

 いつの間にやらリョウは、もう知らない女子と打ち解けていた。フレンドリー。

「で、何か知らないか?」

「そうですねー。この間、私もカイさんが女子生徒と歩いてる所見ましたよ」

「本当か!」

「ええ。けど、何か訳ありっぽい雰囲気で……とてもサインをもらえる空気じゃありませんでした」

 サインって……私達を有名人扱いしないで!

「ふぅん。訳あり、ねぇ」

 カリカリ……

 聞いて、メモを取っている。

「他には何か知らないか?」

「うーん……ときどきクラスの人が噂してる程度で、私もよく知らないです」

「……そうか。ありがとう、助かったよ」

 リョウが下級生女子の手を掴む。

「い、いえいえ……」

「今は忙しいから何も礼をしてやれないが、今度機会があればお茶でも一緒しよう」

「え」

「名前は?」

「……木下です」

「木下さんか。ありがとう」

 そして下級生女子の頭を軽く撫でて去っていく。私も軽く頭を下げて、その後を追った。

「ちょっと、リョウ」

 やっと追いついた。

「ん、どうした」

「もしかして、いつも誰にでもあんなことしてるの?」

「ふっ、俺の優しさ全開だったろ? あれが礼儀ってもんだ」

 ドヤ顔。

「相手がリョウの思う以上のことを受け取っちゃうから、安易なことばかり言っちゃダメだよ。まったく」

「? どういうことだ」

「さっきの女の子の名前、覚えてる?」

 リョウが顎に手をあてる。

 ……。

「覚えているとも。下木さんだったな」

「木下さん。……リョウが木下さんのこと忘れても、きっと木下さんはリョウのこと忘れないってこと」

 忘れる、というのは時には辛いもの。

 忘れることは罪ではないけど、それによって人を傷つけてしまえば悪意がなくとも、罪は無いにしろ、良くないことだ。

「自分でカッコいいと思っても、あまりに軽率な発言は控えること。いい?」

「分かったよ、ったく。……リンは優しいんだか、厳しいんだか」

 今日の作戦も特に情報が集まらず、終えるのだった。


 放課後。

 カイとリョウ。三人でメイの家に行くことになった。

 もともとそんな話はなかったんだけど、ホームルーム後に珍しくカイの方が私のもとに早く来た。

「―――で、最近、家の用事でメイは休んでいるが、休み過ぎじゃないのかと思ってな。強がって嘘を言ってるだけで、もし病気でずっと休んでるんだったら大変だ。……普通の人じゃあり得んが、メイは例外だ。そんなことも考えられる。とにかく様子を見に行かないか?」

 とのことで。私達はメイの家へ。

「メイの家か。近所なのは昔からメイが話していたから知ってるが、訪ねるのは初めてだな」

 リョウが前を見据える。

「しかも、こんなでかい家に広い庭だったとは……。金持ちなら言ってくれれば、奢られてやったものを」

「こらこら」

 私もメイの家に訪ねるのは初めてだった。話に聞いたことある程度で、行く機会は今までなかった。

 今門の前に立っているんだけど。そこから見える、広い庭。日本風の庭園。全て細部に手が施されているような和風の作り。庭師のセンスが伺える。

「でも、ほんと。すごいよねぇ」

 予想を大きく上回るメイの豪邸。私も驚くほかない。

「さあ、ベル押すぞ」

「カイ、お願い」

 カイに頼む。

「いや、俺がやる!」

 リョウがカイの手を払いのけた。

「何を⁈」

「全てのスイッチは俺のためにある」

「意味分からないこと言わないの! 子供じゃないんだから」

 リョウを制した。

 きっとカイに応対させないと、面倒なことになる気がしたからだ。

 ピンポーン……

『はい』

 スピーカーから声が聞こえた。女性の声。

「すみません。メイの友達も者ですが。お母様でしょうか?」

『いえ、お手伝いをさせてもらっている者です』

 お手伝いさんって……

 なんか流石お金持ちって感じ。

 隣でリョウが、何故か悶絶している。

「これが貧富の差ってやつだよ」

「ぬおおぉぉ」

『メイさんに何か御用事がございましたら、お伝えしますが』

「最近、メイが学校を休みがちで心配して来たんです。メイは」

『メイさんはある事情で学校を控えていらっしゃいます。体の方を崩されたわけではございません』

「そうですか。ならよかった」

 ひとまず一安心。

「敬語下手くそだぞ、こいつ。新採用とかバイトの奴じゃないか」

「リョウうるさい」

 いつまでも拗ねている。

「じゃあ、今は」

『少々取り込んでおりますので、またの機会にお願いします』

「そうですか。……ではありがとうございました」

『いえいえ、こちらこそ申し訳ございません』

 プッ……

 スピーカーからの音が消えた。

 しかし、まあ。カイに頼んで大正解だったのかもしれない。私達の中で一番常識がある。

 変な発言、常識外れな行動はしない。

「うぉい、メイが見えるぞ!」

 気付いたら、隣にリョウはいなかった。見ると、塀の上に乗って中を覗いている。

「誰だ、あいつ」

「ちょっと、ダメだよ、リョウ!」

 無理矢理引き下ろした。

「なんだよ。ちくしょう。メイ、男と一緒だったぞ」

「おとこ?」

「なんかものすげえイケメンのな。一緒になんか話してて、少なくとも元気そうだった。学校休んで何してるかと思えば、あれだ。……心配して損したぜ」

 一応リョウも心配していた、ということだろうか。

 だったら嬉しい。

「あいつが、『アレ』じゃないといいけどな」

 リョウが呟いた。……アレってなんだろ。



 次の日、それはホームルームで告げられた。

「―――ということで、このたびメイさんは転校ということに」

「は」

 担任の言うことが信じられない。

「……やはりか」

 リョウが下唇を噛み、俯いていた。

「どういうこと? ねえ、リョウ!」

 ホームルームが終わると同時に、リョウの席の前に立ち、問いただす。

「どうもこうも、担任の言った通りだ。……どこまで本当か分からないが、この学校からいなくなるらしいな」

「いなくなるって……」

 どうして?

「どういうこと? 私も何がなんだか」

「まあ、落ち着け。……というのは無理な話か。お前にとっちゃ突然の話だからな」

 ……お前にとっちゃ……

「リョウは、メイがこうなること知ってたってこと?」

「まぁ、知ってたかどうかというと、知っていたとしか言えないが……」

「どうして黙ってたの? なんで何もしなかったの!」

「落ち着け」

 二度目の言葉。だけど、二度目の言葉で私も止まった。言葉には覇気があった。

「どういうことなの?」

「……はぁ。ずっとリンには隠していたことがあったんだ」


 空気が変わる。

「リン、お前はメイの家庭が複雑だってことは知ってるな?」

「うん」

「あいつの家系……いや、一族というか、そこがおかしいんだ」

 一族。それはとても古めかしい単語に感じた。

 現代の今、普通に使われることはない。

「どういうこと? 私はメイの家庭が複雑だってことしか……詳しいことは何も知らない」

 今までメイは自分の家族や家について私に話したことはなかった。メイがそのことについて話すのが嫌だったからだ。

 実際、昨日初めてメイの家を見たくらいだったし。

「メイには……婚約相手がいるんだ」


「かなり分かりやすく噛み砕いて話すけどな。メイの家、というより親族は皆伝統的な家系で、代々継がれている、まあ何とやらだ。各界の大御所を多く輩出していて、自分達の血族を、名前を異常なまでに誇りに思っている。俺からすれば、その名に対するプライドは異様なモノなんだが」

 彼らは優秀な人材を世に送り、そして権力を得ることで、自分達の尊厳を守っている。

「メイの苗字、伊勢崎。伊勢崎の名はそうやって繋がっているんだ。そしていつしか宗教的なものとまで繋がっていった。宗教団体。悪質な。その宗教団体は人間至高主義だった。意味は分かるか?」

「うん。なんとなく」

「つまり、大事なのは、大切なのは、崇められるべきなのは人間だと言ったんだ。神でも仏でもなく、人間だ。自分自身が一番だと思ってやがる。だから、人間以下はクズみたいに思ってるんじゃないか?」

「世の中には色んな考えを持つ人がいるから」

 宗教は様々。信仰の自由。

「そして奴らは思いあがる。その人間達の中でも高い身である自分達が、その中心、いや所謂神聖なる者達なのだと。そう考えた奴らは、それから更に調子に乗り始める。至高な伊勢崎の血が汚されてはならない。伊勢崎の名は我々人間にとって、崇められるべきなのだと。だから、彼らは―――」

「親族間で結婚」

「そう。違法しない範囲内で」

 だから、

「だからメイに婚約者だなんて。知らなかった」

「だろうな。教えなかったからな」

 しかしちょっと待って。

「それがどうしてメイの転校になるの?」

「……そこだ。そもそも、単純な話。メイは一人っ子だ。しかも伊勢崎本家の。……だが、メイは優秀か?」

「え? ……う」

 間違っても優秀とは言えない。むしろ……

「だからメイを優秀な人間と結婚させることになったんだ。それでお高い血が守れるってな。あいつら、メイの親戚の野郎共の話で」

「意味が分からない。それって、その人達の問題じゃないの?」

「そうなんだけどな。だが、メイが馬鹿なことと、もう一つ、奴らには大きな問題を抱えていたんだ」

「問題?」

「全く子供が生まれない。不思議なことに」

 それは彼らに対する本物の神様の意思なのか、とリョウは苦笑いする。

「だから、奴らは苦肉の策として。メイを外部の人間と結婚させることにした。メイの代わりに優秀な養子を取ることも考えられたが、奴らが大切にしているのは金と世間体と血だ。養子だと、そこで完全に純粋な血が途絶えてしまう。だからメイを外部の人と結婚させることで、半分でも血を残すつもりなんだ。優秀な人間との、な」

「そんな勝手な……」

「奴らの目的がメイを優秀な人間にすることから、優秀な人間と結婚させることに変わったんだ。……だから、高校なんて」

 ―――行く必要がなくなった。


 …………。

 ふと疑問に思う。

「……なんでリョウはそんなに詳しいの? メイの、その、いろいろ」

「ああ、メイからずっと相談されてたからな。言わずともメイは、こんな家は嫌なんだろう。両親は早くに亡くなったと聞いている。名を救いたかったんだが、相手が相手だ」

 慰め励ますことしかできなかった、と薄く笑う。リョウでも、何もできなかった。

 いや、何もできなかったわけじゃない。……きっと、ずっとメイが元気だったのはリョウのお陰だ。……それと、カイがいたから。

「これは俺の予想だが……昨日、俺が見た男。あいつが婚約者ってことだろうな」

「婚約者……」

 メイの親戚が用意した、人間。

 リョウの口調から、リョウがメイの親戚を嫌っていることも、どうしようもないのもわかる。

「きっと、メイは、俺達を心配させないよう転校と連絡したんじゃないか?」

 私達四人は小さな頃からずっと一緒だった。リョウとは物心ついた頃から、いつの間にやら一緒に遊ぶようになっていた。

 いつも一緒に遊ぶ。シーソー、ブランコ、滑り台。リョウと遊ぶと公園の遊具全てが遊園地に劣らない楽しさを得る。

 しばらくして、どこからかリョウがカイを連れてきた。最初はお互い心の距離があったけど、それも時間がなんとかしてくれた。気づけば一緒に笑いあう友達に。

 そして、メイ。

 メイはいつも私達が遊ぶ公園の隅で泣いていた。見慣れない顔。カイが走り寄り、私達も追いかける。

 それが、出会い。

 メイは、親戚のおじさん達に怒られたのだという。『何故こんなこともできないんだ!』『それでもお前は、彼らの子か!』と。顔もあまり見たことない人達に。その時、既に私は複雑な家庭の子なんだと半ば理解した。

 その話を聞き、最初に動き出したのはカイだった。人一倍正義感が強い、というか、自分の正しさに対して素直なんだ。

 カイはメイの家に単身乗り込み、イタズラをして回ったという。壁に落書き、ガラスを割り、高そうな陶器を投げ、おじさんを蹴っ飛ばして家中で暴れ回る。理不尽に怒られたメイのための仕返しだった。

 もちろん、その頃の私達は小さかったから出来ることは限られていた。カイはその家の人に捕まりつまみ出された。それからも何度も乗り込み、頭にたんこぶをつけて帰ってきた。結局カイはボロボロになるまで闘った。

 服は汚れ、すり傷だらけのカイは、ゆっくり公園に戻る。

 そしてカイはメイに言った。

『俺もあいつら嫌いだ。だからお前と同じだ。お前、名前は』

『……メイ』

『メイ、これからメイは俺達の仲間だ。あんな奴らといるより、俺達と一緒に遊ぼう』

 それからメイは毎日公園に来るようになり、毎日一緒に遊んだ。

 時々、メイは公園に来る時泣いていることもあったが、その時は私達が一緒にいてあげた。

 そうして日々を繰り返し、時が経ち。

 私達は親友になった。



「ねえ、どうにかならないの⁈  リョウ! 私、こんなの、嫌だ」

「俺だって嫌さ。嫌に決まってんだろ! しかしどうにもできなかった。あいつの……『家庭の事情』だからな。俺達がどうこうしても仕方ない」

 前に聞いた台詞。

「俺達がどうしたところで、意味は無いさ。受け入れるしかない。……俺は昔から聞いていたからこうだが、リンはショックか?」

 和らかな声で訊く。

 ……なんでそんなことを訊くのか分からなかった。リョウは、とても優しい、世間的に言えば良くできた人間だ。

 こんなことを聞いて、応えさせて、自覚させて。私が辛くなることが分からないはずがない。

「私は……認めない。メイが嫌がっているのに、そんなこと」

「俺も認めたくないさ。俺も認めちゃいない。……あと一人、認めてない奴いるよな?」

「あと一人……カイ!」

「俺には何もできなかった。お前じゃ何もできない。……だが、カイならなんとかできるかもな。昔のように」

 教室を見渡す。ホームルームが終わり、話込んだせいか、一限目は始まっていた。一限目は移動教室。誰もいなかった。教室の隅、カイの席。

 そこにカイの姿は―――あった。

 腕を組んで、何かを思案するようにして黙って座っていた。

「カイ!」

 カイの元へ走る。

 教室には私達三人だけ。

「……なんだ」

「分かってるでしょ! メイを助けて!」

「……お前の頼みだが……俺にもできることとできないことがある。……リョウも失敗したんだろ? その虐待とかなんとかで世に訴える、とか」

 ゆらりと後ろからリョウが近づく。

「ああ。警察の上層部にも、出版社にも伊勢崎の人間がいやがった。ありゃ敵わねぇぜ」

「リョウも本格的に動いてたんだ」

 やっぱり、リョウはすごい。

「しかし、俺は失敗した。次に何かしたらこっちがヤバい」

「ということだ、リン。……リョウにできなかったことが俺にできるとは思えない」

 ゆっくり、自分に言い聞かせるように言った。カイも認めたくないはずなんだ。だけど何もできない。認めることしか……

「お前にしかできないことがあるだろ?」

 リョウがカイに寄る。顔を付き合わせて。

「俺にしかできないこと、だと?」

「ああ」

 そんなものあるはずがない、と否定的な目。不機嫌そうに座るカイがリョウを睨んだ。

「……お前さ、メイが嫌いじゃないだろ」

「当たり前だ」

「むしろ大好きだろ?」

「だ、だい……友達だからな」

 友達だから。だから助けたい。

 私はその一心で、たぶんリョウも同じ気持ち。

 けど、カイは違う。違っていて欲しい。

「おい、メイを助けるぞ」

「だから、どうやって」

 睨みを利かせた顔に、リョウが言う。

「そりゃあ、方法は一つ。お前が、メイと……くっついちゃえばいい!」

 なんか直接的なワードを避けた?

 まあ、確かにそれが可能なら、それが一番最良の策。

「……だからな、俺にそんなこと」

「できる! お前ならやれる」

「…………」

 カイが黙り切ってしまった。

「ねえ、カイが、その……くっついちゃうって、どうやって」

「簡単さ。いや、楽じゃないんだが……要は奴ら、優秀な人間とメイを婚約させようとしてるんだ。その向こうの用意した人間よりカイが優秀だと示せばいいんだ」

 なるほど。その方法ならリョウの言う通りなんとかできるかもしれない。

「まあ、だから、この手段はカイにしかできないんだ」

「……」

「やってくれるな? カイ。頼む」

「……」

「……だめか?」

「…………俺は……」

 カイの肩がすこし震えていた。膝の上にある拳は握りしめられ、眉間に皺が寄っている。

 何かカイは迷っている。

 何を? 分からない。カイは何を躊躇っているんだろう。

 走れば。奴らに対し、メイに向かい、気持ちをぶつければ、解決してしまうのに。

 カイがメイのことを想う気持ちなんて、今までずっと見てきて、分かりきっているのに。カイはここに座ったまま。何かを考えているんだろう。

 カイの気持ちを阻害するもの。

「……もしかして、彼女、本当にいるの?」

「それは―――」

「カイに彼女はいない。だろ?」

「……」

 カイの顔が曇った。

「今更なにも隠さなくていいぜ。ま、言いたくないんだったらいいんだけどよ。だがその件は関係ないはずだ。お前は違う何か、もっとシンプルなことで迷っている。違うか?」

「…………リョウ、お前……どこまで知ってるんだ」

「フッ……さあな。さっぱりだ」

 リョウは肩をすくめる。

 何も知らんと言わんばかりの顔で。

「ああ、リョウの言うとおりだ。……あの人は俺の彼女なんてものじゃない」

 一言一言噛みしめるように、カイは言った。

「……じゃあ、メイを……助けてあげ」

「……」

 リョウが私の手を引き、止める。

「まあ、リン。なんだ。これは告白する以上の覚悟がいるんだ。なんたって婚約者を実力で奪い取るんだ。……決断はカイに任せよう」

「そう……だけど……急がないと」

「カイが決断できないなら、最終手段を取るだけだ」

「最終手段?」

 リョウが再びカイの前に立つ。

 もうリョウから、軽い言動や仕草は消えていた。

「……とまあ、リンに言っておいといてだが。どうなんだ。お前にメイを守る覚悟はあるか」

「……俺は」

 誰もいない教室。

 移動教室だから、本当なら急いで移動しないといけないけれど。

 続きの無い言葉で訪れる静寂。

 閑散としていて、物音一つが大きく聞こえる。

 遠くで廊下を歩く人の足音、他のクラスの声、あらゆる音がまるで音を織り成さないBGMのように聞こえてくる。

 その中で一つ、異質な音が響いた。あるイスが動く音。私達の目の前で。

「俺は……メイの所へ行く」


 私達は真っ直ぐ校門をくぐった。もうこの際次の授業だとか、校則がどうとかは言ってられないということになった。

 それでも一応、何か突然消えたことで迷惑がかかるかもしれないのでリョウが置き手紙のようなモノを残していった。

『先生方へ。反抗期の少年少女です。若気の至りってもんです。どうか寛大なる処置を』

 メイの家の前に立つ。前に来た時と同じだった。留守ではない。人がいる気配がした。

「どうする、またチャイム鳴らしてみるか?」

「うん、そうね。話は穏便に済ませたいし」

 カイはこれでも喧嘩っ早いから、なるべく問題は起こさないように。とりあえずは話し合うべきだ。

「穏便に、か。奴ら、山吹色のお菓子が大好物だからなぁ」

「えっ、どういうこと?」

「つまり金の亡者でもあるってことだ。それに奴らの信念にも関わる。金や話し合いで解決できたら」

「苦労しないだろうな」

 カイが苦笑する。

 その苦々しい笑みは、まるで何かを思い出しているようだった。

 昔、知らない女の子のために、この家へ一人で挑んだ日のこと。

「さてと。それでも、まぁ、押さなきゃ始まらないってか?」

「だな」

 ピンポーン……

「………………」

 ……ピンポーン……

「…………出ねぇ。居留守かよ」

「待って。本当に留守なのかもしれないよ」

 プッ……

『はい、どなたでしょう』

 リョウが私の方を向き、肘でつついて囁く。

「おい、リンが応えろ」

「なんでよ」

「俺じゃ喧嘩腰になっちまうだろ」

「リョウなら大丈夫でしょ。私じゃ失敗するよ」

『あのー……』

 スピーカー越しに困らせていた。

 無理矢理リョウの顔をマイクに向ける。

「あー、はいはい。ええと……なんつーか、な。はい、すみません。俺たちはメイさんのお友達の者で」

『すみません。メイは取り込んでおりまして。どのような御用事でしょうか』

「作戦名『平穏な生活を取り戻せぃ』で団員LOVE BREAKER、カイと共に来ました」

 なんかカッコいいカイの肩書きみたいになった!

『平穏な……? ラブ? 悪戯ですか?』

「こちらは割と本気です。話をしたいのですが。話をしたいんですよ、話を。できないと言うのだったら、カイと一緒に上がりますよ? カイと。勝手に入りますよ」

『―――ッ! カイ』

「ふっ、向こうもカイのことを覚えていたのか。何年の前のことだというのにな」

 スピーカーから音が途絶え、しばらくすると再び音が響きはじめた。

『……帰れ。ここは、お前達が来る場所ではない』

 低くて渋い、大人の男性の声だった。

「帰らない」

 プッ……

 リョウが返事すると同時に、切れてしまった。

 やがて門が開き、その先に一人の男が入り口に立っていた。恐らくは、さっきの声の主。

 なんというか、かなりデカい。普通に生活していれば、テレビでしか見ることの無いような。

「恐怖! 筋肉ダルマだな」

 開口一番、リョウが失礼すぎる発言。状況を客観的に見ると……いや、もう、常識的に考えて。

「命知らず過ぎるよ、リョウ! そんな失礼過ぎること言っちゃ」

「いいじゃねぇか、別に」

 気にせずリョウがその男の前へ。

「なぁ、あんた」

「帰れ」

「俺達の邪魔すんのか?」

「帰れ」

「質問に答えろ」

「帰れ」

「……お前、マシンみたいだな」

「帰れ」

 男は微塵も動かない。

 私達の話を聞く気すらないようだった。

「あぁぁ、めんどくせぇ。ゲームでよくある、まだ通れない道の門番かっての」

「リョウ、どけ」

 リョウが下がり、カイが男と対峙する。

「帰れ」

「……何年振りだ、おっさん。昔、俺が乗り込んで、お前に追い出されて以来か。あの時は世話になったな」

「帰れ……カイ」

「……お前も変わらないな。だが、俺も帰るわけにはいかない」

 カイが構えた。

 構えた、というのも私には格闘技、ましてやケンカなんて全く分からないんだけど。空手っぽい構え。

 今まで私達の身の周りで色んな事件があって、人助けのようなことをしたこともあった。中には止むを得ず力で解決したこともあったけど。カイが闘うために構えるのは初めて見た。

 初めてみるカイの姿。緊張が走る。男も何やら構えをとった。浮かれたことなんて何一つなかったけど、改めて空気が引き締まる。

「おっさん、悪く思うな」

「……なめるな、小僧」

 カイが一歩分の間を詰め、腕を振りかぶり、拳を真っ直ぐ相手の顔へ突き出す。

 正々堂々目の前からなのに、速過ぎて相手が反応できなくて動けず、まるで不意打ちだ。

 真っ直ぐ伸びた拳は正確に男の頬を撃ち抜く。

 ゴッ、という鈍い音。

「……硬ぇ」

「フッ」

 確かにカイの拳は顔にヒットしてるのに、男は全く動じなかった。

 そして気付く。彼は、カイの動きが速過ぎて避けれなかったのではない。カイは速かったが、あえて避けなかったんだ。避ける必要がなかった。

「顔面に透明の鉄仮面でも付けてんのかよ」

「フッ……これはまた面白い冗談だ。そう見えるのか、ガキ」

「そういう手応えだ」

 男の頬は無傷。むしろ殴ったカイの腕の方が腫れていた。

「何者だ、お前……」

「瑣末なこと。俺は、そういう能力者だと言っておこう。……帰るんだな、ガキ」

「黙れ」

 再びカイが向かっていく。今度はボディに連打。男は反撃することもなく立っている。

 鈍い音が続いている。

 男にダメージが与えられず、攻撃しているカイの手にダメージが蓄積される。

 右。左、左。回り込み、右。

 そして右首筋に蹴り。カイの足が、強靱な腕に掴まれる。

「くっ……」

「無駄だ」

「くそったれ!」

 体重を乗せ両腕を使い、その手を解く。

 カイが押されている。

 私は闘うことなんてできないから、見ていることしかできない。

 いつもならそれでもいい。だけど、カイが不利だという状態そのものが異様だった。

「……リョウ! カイを」

「手伝えねぇよ。もう戦いは始まってんだ」

「何言ってるの! 助けてあげればいいじゃない!」

「これはカイの戦いだ。俺達は全力でサポートするだけだ。手出しはするな。……あんな奴が敵にいるとは想定外だが」

「そんな」

 手出しをせず、サポートを?

 どうやって。

 というかそもそもカイの戦いって。

 それに……

「ぐあぁ!」

 カイが投げられていた。それも片腕で。

 カイも大きいほうだけど、相手は見たところ二メートルはあろうかという巨体だ。

 かなり鍛えられている。ボディガードとして、敵として、強すぎる。

「ねえ! リョウ!」

「黙ってろ、リン」

「……でも……」

「カイを、信じろ」

 また男に向かって走る。地面を大きく蹴り、右足。正確に左脇腹を捉える。だが、男はもろともせず、その足を来た方向に押し戻すように振り払った。

 そしてカイはその勢いと共に左で男の腹部を突く。だが……

「無駄だと言っている」

 いとも簡単に、弾き返された。いや、男が反撃したんだ。右腕で。

 カイはそのまま吹き飛ばされ、門の近くまで転がった。

「……そのまま帰るんだな」

「黙れ……」

「……何故そこまでこだわる。何故だ。お前には関係の無いことだろう」

「ああ、関係無いさ。お前から見たら、な。だが、俺はお前とは違う」

 立ち上がり、土埃を払う。

「何故そこまで意地になる。……常人なら今の一撃を受けて、立てるはずもないのだが」

「ああ、そうだな」

「昔もそうだ。懐かしいな。何年も前の話だ。お前がこの家に悪戯しに来た時、俺以外の誰の手にも負えなかった。……お前がガキにしては強かった。だから俺が追い返した。その時のお前の歳不相応の身体能力。俺も驚いたものだ」

「俺も、お前ほど強い大人に会ったのは初めてだった」

「投げ飛ばしても、殴り倒しても、怪我を負わない。お前を挫くのも、やっとの思いだったよ。その時のお前は、今のお前と同じでいて、また違っていた。あの時のお前はただ怒りをぶつける、それだけを目的に走っていた筈だ。だが今のお前は、違う」

「違う、か」

「ああ、まるで違う。今のお前は先を見据え、そのために拳を振るっている。……だが、あの時ほど現実が見えていない」

「……お前に何が分かる」

「だから、理想ばかり立てても無駄だと言っている」

「……」

 緊迫した空気が流れる。両者共に動かない。

「……ちっ」

 カイが舌打ちするのが聞こえた。

 数秒の間。

 それは男が走りだすことで、拮抗状態が破られる。男が攻撃に出た。

 瞬間。旋風のように、カイの方から私達に風が吹き抜けた。急に強くなり、粉のような砂が舞う。目が開けられない。

 ゴゴゴゴという、まるで一瞬で竜巻が起こったような音と風。

 私達を覆い、周り、吹き抜ける。

 …………。

 ……何が起こったんだろう。

 目を開けると、風も止み、何事も無かったかのような景色が広がる。だが、流石の男もカイから数歩退いていた。

「……何が……起こったの」

 リョウを見る。リョウは変わらず、そのままの姿勢で二人を見続けていた。

 顔色一つ変えず、冷静に。

「……何だ今のは」

 動揺していたのは男の方だった。どうやら彼の攻撃とか、そういうのじゃないらしい。

「もう一度言っておく」

 カイが男を指した。

「悪く思うな」

 カイが始まりと同じ走りで、男に向かっていく。

 男もまた構え直す。助走をつけたカイがそのままするりと男の懐に入った。男の腕をかわし。

 そして一発、拳を腹に入れた。

 また鈍い音。だけど、今度は違った。明らかに腹部にめり込んでいる。

 バキキキキッ!

 人間の腹の真ん中に攻撃して聞こえる音とは明らかに異なる音がする。木が折れるような、硬いモノが割れるような音。

 しかし、カイの腕は真っ直ぐ伸びていて。

「……な、この体が……」

「うっおおぉぉぉおおおおぉ!」

 カイが男を……殴り飛ばした。

 男は壁までぶつかるまで飛び、地面に伏せる。

「うぅ……」

 声にならない声が男から漏れる。

 彼にとっては、想像もしていなかったことなのだろう。

 あの余裕。それは男に何か、力があったからだったに違いない。そのおかげでカイの攻撃が通用しなかった。

 その力が急になくなった?

 違う。カイが乗り越えたんだ……

「やりやがったぜ……あいつ」

 リョウが嬉しそうな顔で、その光景を見ていた。それはどこか興奮していて……

 まるでカイが勝ったことと違うモノを見て喜んでいるように。そんな風に見える。

 とは言っても、同じ光景を見ている。そして喜んでいる。それには変わりない。

「やったね、カイ! ……で、この人どうしよう。気絶させちゃったよ」

「しょうがないだろ。これじゃあ」

「そうだけど……」

「さあ、先を急ぐぞ」

 リョウが親指で先を指す。

「ああ」

「うん」


 リョウに連れられ、道なりに進む。先頭に立つ、リョウを信じて。

「……あぁ、広いなぁ、この家。すげぇよな」

「そうだよね。一回こんな所住んでみたいよね」

「こんだけ広いと地図が欲しいくらいだ」

「ははは、それはいくらなんでも。家の地図なんて」

「ところで、リョウ。メイの元へはまだ辿り着かないのか?」

「ん、分からんが」

「は? 分からん、だと?」

「だって思うまま進んでるしよ……こんな広いとは。今の俺達を一言で言うと何と言うか分かるか」

「……」「……」

「ご明察。迷子だ」

「ふざけるなぁ!」

 カイがまた怒った!

 とは言っても。

 リョウを責めてもしょうがない。そもそも家の中が全く分かっていなかったんだ。これも、本当は想定し得る事態だったのかもしれない。

 まあ、だから。カイや私が先頭で歩いても同じように、メイの居場所を掴むことができなかっただろうし。事態は変わらないはず。

 いや、やっぱり、それでも流石に迷子には……

「もういい、リョウ。俺が先頭を歩き、道を開く」

「……待て。これじゃ、埒が明かない。一つ案があるんだが」

「ん」

 リョウが私の背をカイの方へ押す。

「二手に別れよう。カイはリンと共に行動しろ」

「……いや、しかし。それではお前が危険じゃないのか」

「俺は大丈夫だ」

「ちょっ、リョウ! 危険とか以前に、方向音痴だし……再開が難しいかも」

「はは、リンは厳しいなぁ。ったく」

「……リョウ?」

 私の手をリョウが掴んでいた。

 優しく包むように。

「大丈夫だ、心配すんな。リン」

 私の頭を撫で、カイに向き直る。

「さてと。じゃ、リンを任せたぞ、カイ。全力で守れ」

「ああ。だが、リョウ。お前、一人で本当に大丈夫か?」

「ああ、大丈夫さ。俺を誰だと思っている」

「……だが」

「うるせぇよ。俺なら今のお前程度、十秒で倒せるぜ」

「……そうだな。俺もお前には勝てる気がしない。心配して悪かった」

 カイは何やら理解していた。私にはさっぱりだった。

「じゃ、そっちも頼むな」

「任せとけ」

 それから別々に行動することにした。


 カイと二人で長い長い廊下を歩く。

「ところでさ、カイ。さっきの人……あの大男」

「ん」

「あの人なんだったの? リョウはそういう能力って言って片付けちゃってたけど。いったい」

「リンは気にしなくていいことだ」

「いや、だけど……」

 私が気にしなくていいこと。そうなのかもしれない。たぶんリョウからしたら、気にしちゃいけないことなんだ。絶対に。

 それは私の気持ちと裏腹に残酷なもので、全て私の知らないうちに終わってしまっている。……何が?

 分からない。

 分からないけど、その何かからリョウが私を守ってくれている。そんな気がする。

 だから私は、無視したくない。

「知りたいじゃない。だって目の前で起きたことなんだよ。目の前でカイと闘って、あり得ないことが起こってて。それを見なかったことに、気にしないでいいってことにしろって言うの?」

「……そうだ」

「どうして!」

「それが一番、幸せな道だからだ」

「でも」

「リン……」

 言葉が詰まる。カイの目は、私にそれ以上の言葉を許さなかった。


「あぁ、こんな広いと探すのも大変だよね」

 軽く話しながら歩く。

 リョウと別れて二十分ほど。

「ああ、広過ぎる」

 日本文化を象徴したような廊下を。

「こんな豪邸だったなんて」

 歩を進める。

 歩き続け、道なりに廊下を進む。

「……なあ、リン。ちょっと訊くが、ここ、こんなに広かったか?」

「え……」

 広い、けど……広過ぎている?

 言われてみれば。そう。広過ぎる。

 言われて初めて気付いた。この廊下、長く続き過ぎている。

 現実離れし過ぎてて、全く気付かなかった。

 何回か角を曲がったけど、それにしてもこんなに長い筈がない。

「どういうこと? それ」

「言葉のままだ。ここ、広過ぎるよな」

「……うん。廊下長過ぎ」

 まだ疲れた訳じゃないけど、気怠さが出てきた。この状況。本能レベルで気味の悪さを感じているんだ。

「なんだ、ここは一体」

「明らかにおかしいね」

 おかしい。それと共に今までと違う不安感が押し寄せてきた。

 何かやばい。まずいことになる。そんな。

「カイ、一度引き返そう」

「そうだな」

 少し来た道を戻る。そういえば、前に通った角では銀色の猫の置物があった。高そうだね、とカイと話したのだった。

 その角まで一旦引き返した……はず。

 長過ぎる廊下を歩き、出てきた角にあったのは。

「……なんで……」

 銀色の猫の置物ではなく。金色の狸の置物だった。

「……なんだと」

 意味が分からない。なんで。なんで狸。色も違う。ここは確かに通ってきた道。絶対に間違ってないはず。

 なんで……

「ふざけてるな」

 カイがケータイを開いていた。

「圏外だ。こんな場所で」

 そしてその廊下の先を見た。そこはもう、角もないどこまでも続く廊下。

 終わりの見えない、永延と続く。

「なに……これ……」

 声が出なかった。もしかしたら敵もいないのに足がすくんでいたかもしれない。その場から一歩も動けなかった。

 ……一人だったら。

「大丈夫か、リン」

「うん」

「……さて、どうするか」

 カイは、至って冷静だった。その場で何かを考える。

「リョウは」

 ピロリリリリ……

 カイが言いかけたところでケータイの着信音。私のだ。

 ケータイを開く。着信はリョウからだった。

 着メロは鳴り続く。

 だけど。

 ……圏外表示。

「リョウからか。出た方がいい」

 カイの言われる通り、通話ボタンを押す。

『……おい! 大丈夫か、リン!』

 聞こえてくるのはリョウの声だった。少し安心。

「ねぇ、リョウ。私達の道、ちょっとおかしくて。ここがどこだか分からない。それにあり得ないくらい道が続いてて」

 言葉がまとまらない。

『カイ、一緒にいるか?』

「うん」

 周りにも聞こえるようにして、はい、とカイに渡す。

「リョウか」

『ああ』

「これはどういうことだ」

『分からん。俺からしたら、お前達二人がいつの間にか、どこにもいなくなっていたんだ』

「……‼」

 実感する。やっぱり、ここ、おかしい。

 リョウの言い方からしてそうだ。

 私達は今、どこかに迷いこんでいる、と考えるのが普通だ。

 調べてみると、窓が近くにあった。ご丁寧に磨りガラスである。そこに窓があったのは脱出のチャンスという気がした。

 が、鍵がかかっていて開かない。その上、元々鍵なんて無いような作りになっていた。他は壁と、掛けられた絵画と、彫像ばかりが並んでいる。

「リョウ、俺達はどうしたらいい」

『んー……壁、破れないか? 窓ガラスとか障子とか脆そうな所に一撃与えてみろ』

「いいのか? 人の家に」

『お前は何しに来たんだ。そんな小さなこと気にするな』

「……そうだな」

 言うなり、カイは私にケータイを渡し、辺りから何か探し始めた。

 ケータイからは僅かに声が聞こえる。

 手頃なモノを見つけた、とカイは窓際に寄っていく。その手には、さっきの金色の狸像。

「リン、離れていろ」

「何する気⁈」

「この窓ガラスを破る。この重さと硬さ……この狸、本物の金だぞ」

「えっ、すごっ」

 置くと膝の高さくらいの大きさのある金の像。細部まで丁寧に作られていて高そう……

「念には念だ。この硬さなら大丈夫だろう」

「ちょっと、カイ! まさか」

「離れていろ、リン! うおおぉぉぉ」

 その手を大きく振り、窓ガラスに叩きつける。

 ドゴォォォ……

「えっ、なに?」

 想像していた音と聞こえた音が違った。ガラスが割れる音がしなかったのだ。

「割れない……」

 カイが二、三歩後ろに歩いていた。勢いを付けて叩きつけた手前、そのまま反動で後ろに飛ばされかけたのだろう。

 まさか割れないなんて思ってもみなかったから。

『……その音からして、出られなかったか」

「うん。カイでも窓ガラスを」

「貸せッ」

 カイがケータイを奪い取る。

「どういうことだ、これは。俺達はどうしたらいい!」

『いつになく焦ってるな、カイ。大丈夫だ』

「いや、この状況は―――」

『俺が今から行ってやるよ。それでなんとかなる』

「待て。……お前はお前で探すんだ。リンは俺に任せろ。そういう約束だったはずだ」

「何言ってるの、カイ! リョウが来てくれた方が……」

『リン、聞こえるか? 今、お前、アレ持ってるか?』

 カイが私にケータイを向ける。

「アレって?」

『この間の、式神』

 式神……式神……

 寝る時枕元に置いて、そのあと朝、バッグに入れて、それで……

「たぶんバッグの中にあると思う」

『ソレを壁に貼り付れば、壁を普通に壊せる筈だ』

 バッグの中を見る。やっぱり入ってた。貰った時のまま、何枚か束ねて紐で縛ってある。

『あー、まぁ、あれだ。あんまり使わないでくれ、その式神。なんつーか、最終手段とか、そういうので頼む』

「どうして? 便利じゃない。今は急がなくちゃいけないのに」

『……あいつのモノを使うのが、俺は嫌なんだ。だから、それは……うおっ、やばっ。それじゃ、また後でな。切るぞっ』

 プツッ……プー、プー、プー……

 一方的に切られた。

 私も、つい慌ててかけ直す。……繋がらない。相変わらずの圏外の表示。

 私達はこんなだけど、リョウの方は大丈夫だろうか。訊けばよかった。

「それで。そのリンが持つ『式神』とやらは」

「あー、これこれ」

 バッグから束のまま取り出す。

「これか……俺にはただの人の形に切った紙にしか見えんのだが」

 疑念を払拭できない顔。

 まあ、

「私も信じられないんだけど」

 これが正直なところ。

「だけど、信じるしかないよ」

「だな。時間も無い。それを使おう」

 紐を緩めて、一枚取りだし、壁に押し付ける。不思議と紙はガラスにくっついた。

「これで破れるのだな」

「たぶん」

 保証はできない。

「せいっ」

 カイが窓に金の狸を投げた。

 パリィィィン……

 今度は割れた。見事に砕け散る。一緒に式神の紙がバラバラになって消えていった。

 外の風景が割れた磨りガラスから見える。

 そこは、この建物に入った時と同じ、日本風の庭園。出てみると、私達が入った入口からそこまで遠くない場所だと感じた。


 それからしばらく外を歩いて。

 いくらリョウに電話しても繋がらなかった。

 リョウは無事かな……なんて考えながら歩いていると。

 ある光景が目に入った。

 庭園の中心。

「誰だ」

 カイが問う。

 庭園の池の(ほとり )にある大きな石に青年が座っていた。やがてゆっくりと立ち上がり、口を開く。

「君達か、例の不届き者っていうのは。僕は……伊勢崎さんの、婚約予定者ってとこかな」

 私達二人を見据えたままに。


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