九九
「おお!よく帰ってきたね。勤くん」
「おかえりなさい。勤さん」
「ただいま。父さん、母さん」
勤と佳奈を出迎えたのは和服を着た勤の両親だった。
勤の父は、少し茶色っぽい髪に顔の彫りが深く、勤と似た顔をしている。だが、勤の持つ残念っぽさが全くない。
勤の母は、真っ黒い髪に優しそうな顔でおっとりとしたイメージを持たせる美人だ。ニコニコと笑う表情は勤の笑いによく似ている。
勤の父は佳奈の方を向いて手を出した。
「君が、勤の奥さんになってくれる佳奈さんだね。どうぞよろしく」
一瞬、佳奈は差し出された手に戸惑いの表情を見せた。
(まさかこの父親もクソ執事と同様では・・・)
だが、害のなさそうな笑みを浮かべる勤の父に警戒を解く。
「こちらこそ、よろしくお願いします。お義父さま、お義母さま」
佳奈もニッコリと笑って勤の父の手をとって握手した。
「うう・・・。勤さんにこんなに綺麗な奥さんができるなんて・・・」
「ぐすん・・・、お母さん。泣いちゃダメだよ・・・。勤くんと佳奈さんの結婚式まで涙はとっておかないと・・・」
涙ぐむ勤の両親を見て勤はオロオロと玄関を歩き回り出す。そして、何を思ったのかいきなりムーンウォークを始めた。それを見た勤の両親はさらに涙を流す。
「こんな・・・、こんな馬鹿な子が結婚できるなんて・・・」
「よかった、よかったわ・・・。佳奈さん・・・勤をよろしくお願いします」
「いや、俺バカじゃないよ!九九はもうマスターしたし!」
「あんた、そのレベルだからお義父さまとお義母さまが泣いてるのわかってんの?」
「何を言っているのですかぁ!?泥棒猫!坊ちゃまが九九を覚えられたということは奇跡!私でさえ、教えることができなかったのだ!記念日にするほどだぞォ!!」
突然佳奈の後ろで叫びだしたセバスチャンを生ゴミでも見るような目で佳奈は見る。そして、先ほど、門の前でセバスチャンが見せた馬鹿にした表情を浮かべる。
「九九は、私が教えた」
「はっ・・・?」
セバスチャンは口を大きく開けて目を白黒させる。
「き、貴様ぁ!坊ちゃまに物を教えるのは私の役目・・・否!義務なのに!!私の坊ちゃまを・・・坊ちゃまの頭の中を穢しやがってぇ・・・!」
セバスチャンは唇を噛み締めプルプルと体を震わせている。強くかみすぎたのか、唇から少しずつ血が流れだす。
「だ、だが!坊ちゃまが九九を言えると、まだ、証明はされていない!私が何年も教えてできなかったのだ!そう簡単にできるわけが・・・!」
セバスチャンは、最後の希望にすがるように勤の肩を掴む。
「坊ちゃま!い、言えませんよね!九九なんて言えませんよね!だって、坊ちゃまは・・・、私が教えても・・・「言えるよ」へ・・・?」
「だから言えるって。えーと・・・いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん・・・」
セバスチャンは勤の九九言えます宣言に一瞬だけふらりと倒れかけたがすぐに持ち直した。
(ふっ、ふふふふ・・・。ビビらせやがって、泥棒猫め。だ、大丈夫だ・・・セバスチャンよ。まだ一の段ではないか・・・。それくらい、私でも教えられた・・・。坊ちゃまには、私が既に、三の段までは教えているのだ。そのほかを覚えているわけがない)
だが、無情にも勤の九九は三の段を終わらせ、四の段になった。
「しいちがよん、しにがはち、しさんじゅうに・・・」
(そ、そ、そんな馬鹿な・・・。私でさえ成し得なかったことを・・・)
「ひちさんにじゅういち、ひちご・・・じゃなかった。ひちしにじゅうはち・・・」
七の段に入った頃にはセバスチャンはブクブクと泡を吐いていた。一回だけ勤が間違え開けたとき意識を取り戻しそうだったがすぐに元に戻った。
「くはひちじゅうに、くくはちじゅういち!カナちゃん!言えたよ!すごくね!?俺すごくね!?」
「よーしよし。頭を撫でてあげよう。こっちにおいで」
佳奈が勤をよぶ。勤は犬のように嬉しそうに佳奈の前に立つ。佳奈が頭を撫でてやると勤は気持ちよさそうに目を細める。
その様子を見ていたセバスチャンはフラフラと立ち上がって指差す。
「わ、私は!必ず!必ず坊ちゃまのことを貴様から取り返すからな!!」
そして、くるりと外に向かって走り出した。
「うわぁぁっぁぁぁぁ!泥棒猫めぇぇ!!」
走ったあとこぼれ落ちたセバスチャンの涙はじめんに触れるとスっと消え、まるで勤とセバスチャンとの愛の思い出のようだった・・・とセバスチャンの日記に書かれていたのはまた別の話。
「ねぇ・・・、あんた。アレのことキモいと思わないの」
「思うよ」
「あんたそういうところ素直ね・・・」