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月夜

気軽にはじめた連載です。全9話のお祭りのお話、の予定。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。


 薄く雲のかかった綺麗な満月が空に浮かんでいる。金色で、完璧な真円の形をしたそれを見ていたら、なんだかお腹が空いてきた。

 月の名を冠した東北の銘菓を思い出す。あのカスタードクリームは反則的に美味しい。月の黄色には、ふんわりしたあの感触と幸せな甘さが良く似合う。


 そんなことを考えている間に、背中がじんわりと冷たくなってきた。それはそうだ。十一月の夜更けに地面に寝転がっていれば、体の熱も奪われるだろう。しかも、地面を覆う草には夜露も付いているらしく、湿っぽい。それでも体を起こすのが億劫で、そのままため息をついた。


 河野(こうの)()(はる)にとって、まったく今日という日はツイていなかった。朝は携帯電話のアラームが鳴らずに1コマ目の必修科目に遅刻したし、昼は学食の日替わりランチが目の前で売り切れるし、大学図書館で取り置きを頼んでおいた本は手違いで他に貸し出されてしまうし。


 あげくに、ふてくされて図書館のAVコーナーでDVDを2本観たあと帰ろうとしたら、濡れた草に滑って見事にすっ転んだ。これがとどめだ。普段だったら何ともなく降りられる傾斜だというのに、まったく腹が立つったらない。

 打ち付けたお尻やら肘やらがじんじんと痛んだ。転んだ時に手放したトートバッグは手元にない。ばさばさと音がしたから、中身は散乱しているだろう。体を起こして汚れを払い、それを拾い集めることを思うと、身動きする気にもなれない。少なくとも、スカートをはいてこなかったことは救いだった。


 このまま頭が冷えるまでこうしていようか、と腹立ちまぎれに考えていると、何かが視界の隅で明るい月光を遮った。

 さやさやと吹く夜の風に溶けそうな、色のない声がした。


「何してる」


 あまり人の通らない裏道だから、誰かに見つかるとは思ってもみなかった。その油断とともに、思いがけない相手の姿に目を見開いた。


「怪我でもしてるのか」


 内容は気遣うようなものだけれど、声音に心配そうな響きは一切ない。億劫な気分も今日一日の苛立ちも忘れて、がばりと飛び起きた。


「い、いえ。たぶん、大丈夫」


 たどたどしく答えると、相手は首を傾げた。表情はわからない。わかるはずがない。千晴を覗き込む格好のその人物は、白い狐の面を被っていたのだ。

 祭りの出店で見るようなプラスチックの安っぽいものではなく、おそらく張り子の、本格的な奴。どんな材質であろうと、そんなものを被った人間が怪しいことこの上ないのに変わりはないけれど。


 しかし実は、知らない相手と言うわけでもなかった。中身の顔は知らないし、話すのも初めてだけれど、彼――『狐さん』はこの大学で有名だった。もちろん、変人として。


「怪我もないなら、何故こんなところに寝転がっているんだ」


 外見はどうあれ、まっとうな疑問だ。

 相手にせず逃げても良かったし、実際そうしても誰も咎めないだろう。格好だけで不審者な相手だ。


 それでも千晴は、何故か律儀に彼に答えていた。


「近道しようと思ったら転んで、いらいらして。そのまま上を見たら、月が綺麗だったから」


 理由になっているようないないような、口に出した当人ですら首をひねりたくなる答えだった。

 しかし彼は、素直に空を仰いでふうん、と呟いた。


「本当だ」


 淡々とした短い同意の言葉。ともすれば聞き流してしまいそうに透明なその声が、どこか柔らかくて、どきりとする。

 月を見上げた彼の白い首筋や、お面に隠れきっていない顎のライン、風に揺れる少し硬そうな髪。それらから目が離せなくて、いつの間にか息をつめていた。

 やがて彼が視線を戻しても、千晴は目もそらせず固まったままだった。彼は何を思ったのか、再び頭を傾けて千晴に訊ねた。


「月は、好きか?」


 考えたこともなかった問いに、戸惑う。しばし悩んで、結局は思ったままを答えた。


「わからない。今日の月は、まあ綺麗だと思うけど」


 それが相手にとって満足のいく答えだったとは思えない。そもそも、問いの意味も見当がつかないのだ。それでも彼は頷いて、黒いパーカーのポケットに手を突っ込むと、何かを取り出した。

 手、と言われて反射的に出した両手の上に、何か小さなものが落とされた。月明かりでよくよく見ると、透明なフィルムに包まれた飴玉のようだった。


「え、これ……」

「いらなかったら捨てて」


 一方的に言って、もう興味を失くしたみたいに背を向けてしまった。そのまま、街灯の少ない道の先に歩いて行ってしまう。

 慌てて立ち上がり、案の定散らばっていたノートやらペンケースやらをまとめて抱える。そうしてやっと視線を上げたが、もう彼の姿はどこにも見えない。


「……なんなのよ」


 呟いて、握っていた手のひらを開く。フィルムに包まれた真ん丸の飴玉は、月と同じ色にきらきらと光って見える。

 まさに狐につままれた気分で、月色の飴玉をぼんやりと眺めていた。


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