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遠日点  作者: 深月織
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(4)


 下校時刻を過ぎての帰り道。

 みんなと別れて、うちの坂まで辿り着いたときだった。坂を降りてきた女性が、私たちに気づいて足を止めた。

 ――流の母親だ。

「……あら、ずいぶん遅かったのね」

 隣にいた流の身体が強ばる。私は知らんふりで挨拶した。

「友達と試験勉強していたんです。今日は夜勤ですか? お気をつけて」

「いつも流が面倒かけてごめんなさいねぇ。芝浦さんにも、近々ご挨拶に行きますから」

 微妙にすれ違う言葉を交わして、仕事へ行く彼女を笑顔のまま見送る。

 その間、流は無言。

 姿が見えなくなってから、ようやく肩の力を抜いて、私に寄りかかってくる。でかい図体になったんだから、重量半端ないんだけど。

「……ごめん、ほたるちゃん」

 何が、と返すのは簡単だったが、あえてそうはせず黙ってその頭を撫でた。


 流と私が会ったのは、兄たちによると三歳くらいの時だったらしい。

 亡き母が、流たち母子に焼いたお節介が、始まり。

 流の父親と離婚して、故郷であるこの街に帰ってきた流の母親だったが、すでに身寄りはなく、幼子を連れのため仕事もなかなか見つからなかった。困っていた彼女に、救いの手を差し伸べたのがうちの母だった。

 彼女は高校教師をしていた母の、かつての教え子だったため、ほうっておけなかったということだ。

 幸い、看護師の資格を持っていた彼女は、すぐに仕事を見つけた。そうして、流をうちに預け、働き出したのだ。

 そうした事情は後々知ったことで、当時の私は、気づけばいた“弟みたいなの”と毎日何も考えず楽しく遊び回っていた。夜になると、流を迎えに来るお姉さんが、流の母親だと理解したのは幼稚園に上がる前くらい。

 母がいたころは、まだ彼女も普通だった。

 女手一つで流を育てるため苦労はしていたようだが、ちゃんと息子を可愛がる、笑顔のやさしいお母さんだった。

 それが変化したのは、いつ頃だっただろう。

 うちの母が亡くなってから?

 それとも、流が彼女でなく父親の血を色濃く引いていることが、わかってきた頃?

 茶色かった髪が、陽に透けると輝く金に。瞳は加減ではしばみにも見える、不思議な琥珀に。顔立ちも異国の血が目立つものになり、その年の男子にすれば、長身とも言える身長に。

 成長していく流は、どうしたって、母親よりも本人も覚えてもいない父親に似ていて。

 まだ若かった彼女が、別れた夫の子どもを疎ましくなっても、仕方がないのかもしれない。

 ――矛盾していると思うのは、流を疎ましがるくせに、うちの者が流の世話をやくことに拒否反応を見せたことだ。

 私と一緒にいると、やんわり断って、流を連れていく。私にするのと同じように、流をかまう兄嫁を、他人が余計な世話だと突っぱねる。

 なのに、彼女自身は流の面倒を見ることはなく、ただ、放置。

 そのうち、どうやら恋人が出来たらしく、流の存在すら無視するようになった。

 彼女は、流を見ない。そこにいてそこにいないような振る舞いを見せる。今だって、言葉では流を気遣いながら、一瞬だって彼に視線を当てることはなかった。

 そんな母親を、流は苦手としている。


 流の父親は、一時留学でこちらに来ていた外国の人だったそうだ。

 看護学生だった流の母と知り合い、恋に落ちて、彼女が卒業してすぐ渡米。そして、流が生まれ、何があったのかは知らないけれど、二人はうまくいかなくなって、離婚。彼女は流を連れてこの街に戻ってきた。

 閉鎖された街で、よくも悪くも流れたち母子は目立った。

 流の母親は、子どもがいるとは思えないくらい、若々しく綺麗な人だし、その子どもの流も言うは及ばず。彼女が排他的な性格だということもあり、どことなく周りから浮いてしまったことも、悪かったのか。

 ――言葉もろくに話せないのに、外国へ行くから。

 ――親御さんが生きていらしたら、そもそも結婚なんて許しはしなかったでしょうに。

 ――なにも、この街に戻ってくることはないのに。

 ――やっぱり、親がいないと奔放になるのかしら。

 ――流くん、ちゃんと育つのかしらねえ。

 ――流くんと言えば、芝浦さんのお嬢さんと仲がいいけれど。

 ――今はいいけれど、大きくなると……ねぇ?

 ――今のうちに、注意しておいた方がいいんじゃない?

 ――大事なお嬢さんに、傷でもついたら……

 親切めかしてさえずられる、好奇と悪意を内に含んだ言葉の数々。聞こえていないとでも思っているのだろうか。

 幼い頃意味のわからなかった会話は、成長するにつれ、理解の及ぶものに。それと同時に、流は畏縮して自分の世界にこもるようになった。

 私が、流たちの家庭事情を話されてもいないのに知っているのは、聞きたくなくても耳に入ってくるそういった噂話のせいだ。

 彼女が歪んだのも、周りからのささやかな悪意に原因がないとは言えない。

 無責任に、あれこれ言う他人は、面白味のない毎日に付け加えるちょっとしたスパイスのつもりなのかもしれないけれど。面白おかしく自分のことを噂されて、こちらがどんな気持ちになるのかなんて、想像もできないのだろうか。

 たぶん、きっと、流が星を見るようになったのは、いろいろな雑音から目を逸らすため。夜に抜け出すのは、母親と同じ空間に、居たくないため。

 そうして心の平穏を保っている流を、私は否定しようとは思わない。

 私と流にとって幸いだったのは、家族と友人に恵まれたことだと思う。

 うちの家族は、私と流を区別することなく育てたし、時には不躾なことを言ってくる他人を黙らせてもくれた。友人だって、それと流になんの関係が? と首を傾げてくれた。「あたしの家だって母子家庭だったよ、死別と離別でなんの違いがあるのよ」とはユキの談。


「――知ってる? ほたるちゃん。あのひと、再婚するんだよ」

 母親を、“あのひと”と突き放した呼び方をする流は、どこまでも他人事のように話し出す。

 嘲るように、母親がいた場所をねめつけた。

「ずっと付き合っていた人が、やっと奥さんと離婚できたから、これでようやく一緒になれる――だって。どうなんだろうね」

 また同じことを繰り返すだけなんじゃないか、そう吐き捨てるように、唇を歪め笑う。

「……お前は、どうするんだ?」

 再婚先についていくのか。

 自分を見ない母親に、縛られたまま――それは、もう無理だと流の顔が言っていた。

 一人暮らしができないわけじゃないだろう。来年には、高校に上がる。選択肢は増えるはずだ。

 彼女があの家を出るのなら、うちに流を預かったっていい。誰も反対しないし、させない。

 答えない流に不安を覚える。

「――俺、ここが好きだよ」

 流はただ、星が瞬き出した空を静かに仰いだ。




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