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遠日点  作者: 深月織
2/16

(1)


 夕食のあと自室に戻ってすぐ入れた冷房は、長袖カーディガンを羽織らないと寒いくらいの温度になっていた。

 集中するには、このキンと冷えた空気の中がいいのだ。

 ノートを広げてまず宿題、そして予習にかかる。

 毎日予習をしているのかとクラスメイトに訊ねられ、頷いた私に真面目だねと皆は驚いたものだけれど、単に見栄っ張りでカッコつけなだけだ。

 授業でわからないことを言われても、急に当てられても、狼狽えず答えが出てくるようでありたい。

 突発的なことに弱い自覚がある私は、そんなふうにあらかじめ予防線を張っているだけ。おかげさまで化けの皮が剥がれることなく、優等生で通せている。

 周囲には秀才だとか思われているが、本当に頭がいいというのは、こうやってガリガリしなくても、一を聞いて十を知る者を言うのだと思う。

 すぐ近くにいるそういった頭脳の持ち主の顔が思い浮かんだが、そのあとに『バカと天才は紙一重』なんていう言葉も同時に思い出し、至言だとひとり頷いた。

 そうして、エアコンの静かな唸りをBGMに、本日のノルマを終えかけた時だった。外から、そのマヌケな音が聞こえてきたのは。

 ペチン! パチン! と肌を叩く音に合わせ、コンニャロとか逃がした! などと悪態を吐く声に、私はため息をついてノートを閉じた。

 カーテンと共に窓を勢いよく開ける。

 暗闇を裂いて光に照らされた裏庭に、人影が浮かび上がった。

 キョトンと見返す琥珀の瞳。

 いつも通りにそこにいた幼なじみは、何度注意しても懲りない軽装。サイズが合わないブカブカのTシャツに短パン、草履。夏の服装としては決しておかしくない姿だが、草木が茂りヤブ蚊が潜む夜の庭先には、あまり相応しくない。

 私は渋面を隠さずぼやいた。

「ナガレ……お前には学習能力ってものがないのか、うっとうしい」

「ほたるちゃん、だって蚊が」

「だから虫除けを用意しろと言っているだろ」

 窓からキラキラした頭に向かって、虫除けスプレーを投げつける。

 強襲したスプレー缶をあっさり受け止めて、ヘラリと笑いながら「ありがと〜ほたるちゃん」と返してくる流に、 もう一度ため息を吐いた。

 わかっているのだ。こうして自分が甘やかすから、流は何の用意もなく庭をうろつくのだと。

 しかし、一度厳しくしてやろうと放置した結果の翌日、顔一面に虫刺されのあとを作った流と対面する羽目になってしまった衝撃は、私にしかわからないだろう。

 色素の薄いやわらかな髪に、瞳。人種の混じった者特有の整った甘い顔立ち。野郎だというのが許せないくらい、可愛らしい流の顔を、実のところ私は気に入っていた。中身がボンクラなのはこの際脇に置く。

 そのお気に入りの顔をデコボコにさせて、「かゆいよ〜ほたるちゃん〜」と泣きつかれてしまっては、情けなさもあり、つい世話を焼いてしまうのだ。

 薬剤を振り撒きすぎて咳き込んでいる、どこまでもマヌケな幼なじみに視線を投げて、カクリと肩を落とした。


 里中(さとなか)(ながれ)は私、芝浦(しばうら)(ほたる)と同年の幼なじみ。

 林を隔てた隣家に、母親と二人きりで住んでいる。

 少し年の離れた兄がいる私にとって、昔から流は幼なじみというよりマヌケな弟分だった。

 言葉もうまく話せない頃に出会ってからずっと。私より小さかった背が、並んで、追い越した、今も。

 世話のやける弟みたいな、幼なじみ、だった。


「今月下旬はやぎ座α(アルファ)方面をチェック! だねっ」

「みずがめ座δ(デルタ)も同じくらいだったっけ」

「わかってきたね〜ほたるちゃんもっ」

 雲のない晴れた夜空にハイテンションになった流が、はしゃいだ笑い声を立てた。

 そりゃ毎回毎回付き合わされていればなー。

 毎年、流の誕生日ごとに性能がグレードアップしている星座盤を片手に、方角を確かめる。

 頭上に広がる天の川。

 夏の第三角。ベガ、デネブ、アルタイル。

 赤く輝くアンタレス、狙う射手。

 南のかんむり。

 冬の冴えざえとした空にくっきり映る星空もいいが、夏の夜空の賑やかな星のさざめきも良い、と思ってしまう私は充分流に毒されていた。

 いつの頃からか、天気のよい夜に空を見上げるようになった流は、さんざん星見にベストな場所を探しまくったあげく、私の部屋に面した庭が一番良いという結論に達したらしい。

 真夜中近くになると、フラフラとやって来る。

 私の部屋は、母屋の離れにあるし、反対側は林だから、部屋の電気さえ消せば暗闇が辺りを満たして、夜空が驚くほど明るく姿を現すのだ。

 うちと流の家は高台にあるから、尚更に深夜にもなれば、絶好のロケーションで、観測には最適だし。


 最初は、流が天体観測なんてものをしていることに、まったく気づいていなかった。

 夜中にごそごそと庭を徘徊しているのは、猫かタヌキかと思っていたんだ。垣根もあるし、不審者が簡単に入れない作りになっているし、うちの庭で小動物の影を見たことがあるのも、そう思った理由。

 猫かタヌキの正体が、隣家の幼なじみだとわかったのは、小学五年の夏だった。

 いつも通りに宿題を終え、清々しい気分で布団に入り、ウトウトしていたところに場違いな歓声が聞こえて、それでも寝ぼけていた私は、夢か母屋のテレビの音か判断して開けかけた眼を再び閉じた。

 そうしてそのまま枕に頭を埋め、まどろみに身をゆだねて――、

 バンバンバンと窓を叩く音と、「ほーたーるーちゃーんーーー!」と私を呼ぶ幼なじみの声にビックリ仰天飛び起きた。

 あれはちょっとしたホラーだったね。

 暗闇に浮かび上がった白い人影に、窓を一心不乱に叩かれる。ホント、悲鳴を上げなかったのが不思議だから。

 オカルト現象に頭が真っ白になった一瞬後、よく見ると白い人影は美少女と見紛う幼なじみの少年だとわかり、恐怖は怒りに変わったけど。

 てめぇ何してやがる、と今よりかなり口の悪かった私は窓に駆け寄り流のポワポワ頭を叩いた。

 渾身の力を込めて殴ったにもかかわらず、まるで堪えた様子はなく流は叫んだ。

 満面の笑みで。

「星! すごいよほたるちゃん!」

 上見て! と指され、星がどうしたと怪訝に思いつつも頭を上げた。

 その視界に。

 スッと線を描いて流れる、光。

 見間違いかと瞬いた瞳にまた流れる光が映った。

「今日ね、ペルセウスから流れ星が来る日なんだよ!」

 そう言って天を仰ぐ流の頭の向こうに、また光の線。

 ――後で調べると、ちょうどその日はペルセウス座流星群の極大日だったらしい。

 初めて見る、流星の雨に、バカみたいに口を開けて二人で見いった。


 流れ星に願い事をするような、可愛い子供じゃなかったけれど。

 あの日見た流星が、私たちの起点だったのかもしれない。





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