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遠日点  作者: 深月織
15/16

(14)

 

 知ってる? ほたるちゃん。

 昼の空にも、星は、あるんだよ。

 太陽の明るさに、見えなくなっているだけで、ずっと星は天にあるんだ。


 だから、だから――……



  ***



「それが、先生の初恋?」


 途中から茶々も入れず、ずっと黙って話を聞いていた部員の一人が呟く。

 夜からの天体観測に備え、仮眠するために雑魚寝をしていたのだが、何故か暴露大会。

 女子ばかりが集まると、どうしても話はそちらに行くのか、私まで恋バナとやらをさせられた。

 もう、十二年も前になる、幼なじみとの、話を。

 オブラートに包んでダイジェストで語ったそれに、思いの外生徒たちは食いついた。

「はつこ……、なんだかそういう可愛らしい言葉はちょっと似つかわしくない気がするが、そうなんだろう」

「ええー! まさかそれで先生その年になるまで独身なの!」

「一途すぎる、似合わない……!」

「……連絡は?」

 答えをわかっているような、おずおずとした様子で訊ねる声に、苦笑を漏らした。

「気がついたら、途絶えてた」

 いっせいに起こる、彼に対するブーイング。

 幼い頃の恋なんて、そんなものだと夢のないことを言って笑った。

「別にそのせいで結婚してないわけじゃないよ。出会いがなかっただけで」

「うっそ! 知ってるもんねー、芝浦センセ、外村先生にお付き合い申し込まれてたー」

「PTAのおばさんに、見合い持ちかけられてたー」

「全部断ってたー」

 始まる大合唱に怯んでいるところに、ちょうどタイミングよく携帯が鳴る。

 お前たちいい加減に寝ないと夜が辛いからな、と叱っておいて立ち上がった。

「――ねえ先生。まだ待つの?」

 その問いかけに、私は――


 携帯電話のディスプレイに表示された名前は、よく知る男のもの。にしても、あちらは仕事中だろうに何の用だと通話ボタンを押す。

「もしもし?」

『おう、俺オレ! お前今どこよ?』

 詐欺か。一瞬切ってやろうかと思ったけれど、今さらだと諦めて答える。

「学校。合宿の監督にきてるけど?」

『今日一日ずっとそこか?』

「合宿は明日までだけど――何なんだ、矢田」

『いや、わかった! 動くなよ、そこから』

「はあ? ちょ、おい――あのアホが、用件はなんだっつうの」

 一方的に納得して切りやがった腐れ縁の友人に毒を吐きつつ携帯を閉じた。


 流がいなくなったあと、私たちはそれぞれの道に進んだ。

 ユキは、言っていた通り、学生の間に資格を取り、それなりに名の通った会社に就職したものの、一年で結婚退職。そう頻繁に連絡も取れない遠方に嫁に行った。

 始末におえない俺様なのよ、と夫に対してぷりぷり照れ怒りながら文句を言っていたので、それなりにうまくやっているはずだ。

 草野も希望通り、消防士に。あまり会えなくなったが、元気にしている。この間会った時は、上司の進めるお見合いに、無表情に困っていたけどどうしているだろう。

 一番驚くのが矢田。なんと例のお嬢を大学生の時に落とし、今では婿養子、一女の父だ。次期社長として意外と頼りにされている。

 私は母や兄と同じ道に進んだ。現在、中学の英語教師。母校に赴任したあと、星好きの生徒と協力して天文部を作った。

 ――流は。

 あのあと、数回手紙が来たが、あちらの新しい環境に慣れるにつれて、それも途絶えた。

 そうなると、こちらも連絡し辛くて。

 私の知る最後の消息は、どこかの大学で天文学の博士だか教授だかに師事しているという、あやふやなものだった。


 まだ星を、見ているなら。

 繋がっているような気がして――流がいなくなってからも、空を見上げるくせがなくならなかった。

 流の他に、親しくする男性がいなかった訳じゃない。

 だけどあの約束が、胸に残っている間は、進むのは無理だと自分でもわかっているのだ。

 十二年。そろそろ、待つのはやめようと思うんだ。


 日も暮れ始め、仮眠を終えた部員たちと家庭科室で夕食のカレーを作っていると、外の窓から何人かの生徒たちが頭を覗かせ叫んでくる。

「先生先生、不審者がいるんだってっ」

「正門のところっ」

「どうしようケーサツ呼ぶ?」

 オロオロウロウロと動揺している子を落ち着かせていると、分別のないやんちゃな奴等が「捕まえろー!」と箒やモップを持ち出して走り出した。

「こらー! 待てお前たち、勝手に危ないことするな!」

 ああもう、と手近にいた部員たちを呼び寄せて、指示を出す。

「二人は警備の人に知らせて。後のみんなは職員室にいる先生に連絡して、あとは安全が確認できるまで正門から離れた教室に避難してなさい」

「せんせい危ないよっ」

 引き留める声に手を振って、暴走した生徒たちを回収するために後を追った。

 相手が刃物とか持っていたらどうするつもりだ、と無謀なガキ共を罵りつつ、正門へ向かうと。

 ギャーギャー騒いでる男子の声に混じって、英語で話す誰かの声が耳に入ってきた。

 いつから母校は追い剥ぎが出るようなところになったんだ、と呆れたようにこぼしたその男は、先頭で突進した栗田くんをアッサリ撃退したらしい。片腕を逆手に取って、背中に捻りあげていた。

「あいてて! くそう大人のくせに本気出しやがって大人げないぞー、いててて、マジいて、ごめんなさいっ」

「てめぇヒキョウだぞ、人質取るなんてー!」

 へっぴり腰でモップを突き付けている生徒に囲まれた男が、いきなり殴りかかってきたのは君たちなんだけどね、と疲れたようにぼやいた。

 彼らの姿がはっきり見える位置まできて、私は足を止める。

 背の高い、青年がそこにいた。

 軽くウェーブを描いた小麦色の髪、伏せたまつげも同じ色。その下の瞳の色は――昔よく見ていた、琥珀の色だと断言できるだろう。

「へるぷー! へるぷセンセエッ、何言ってるかわかんねー!」

 自分を押さえ込んだ不審者が異国人の風体だということに栗田は恐慌状態に陥っていた。ちなみに、彼の英語の成績は、お情けで2だ。

「マイティーチャーが来たからにはお前なんてケチョンケチョンだー! ささ、先生様心をえぐる一言をあの不審者にぜひ!」

 私がやって来たことに気づいた栗田以外のガキ共が、わらわらと逃げ帰ってくる。素早く後ろに隠れて。

 ったく、どいつもこいつも、「Who are you ?」くらい言えんのか。

 調子のよい奴らの頭を順番にペシペシと叩いてから、こちらを見たまま固まっている男に近づいた。

 私を見て、どこか怯えた眼をした彼の腕がゆるんだ隙に、拘束から素早く逃れた栗田がなにやら悪態を吐きつつ仲間の下へ。

 それを呆れた目で眺めてから、彼へ向き直った。

「うちの生徒が失礼した。……で、お前ははるばるここへ来て何をしているんだ?」


 ――流。


 呼びかけて見上げた男が、へにょりと眉を下げて私の名を呼んだ。

「……ほたるちゃん」

 不審者は、十二年ぶりに会う、幼なじみだった。



 腕を組んで、見上げるほどになった彼をねめつけると、ビクビクッと肩を震わせ、まくしたて始める。

「ごっごめんなさい! 俺まだ見つけてないんだけど全然だめなんだけど、これ以上待たせてほたるちゃんが他の誰かと一緒になっちゃったらどうしようかって悩んで悩んで論文ミスっちゃって教授にしこたま怒られてそんなに大事なものなら取っ捕まえてマークつけておくのが先だろうって蹴っ飛ばされて……あああの……っ、もしかして、ほたるちゃん、誰かと、もう、け、結婚しちゃった……? 矢田に聞いても教えてくれないし、ユキちゃんとは連絡とれないし、草野は超無視するしっ……実家には、申し訳なくて連絡できなくて……」

 でかくなったのは図体ばかりか、言っていることはヘタレ極まり、最後は弱々しく消えるような小さな声になる。

 ――十二年。生まれた子供が小学校を卒業する年数だ。

 十二年なんて、過ぎてしまえばあっという間、なんて言う気はないけれど。

 十二年なんて、何でもない。

 別れたときと全く変わらない、自分の想いが、それを証明する。

「遅いぞ、流」

 何を誤解したのだか、流は“があん!”と顔一杯でショックを表して項垂れる。

「……そうだよね勇気が出なくて連絡できなかった俺が悪いんだよね、一度間を置いたらどんどんしづらくなって、今さら何とか言われたらもう立ち直れな……」

 俯いて独り言を呟く頭を叩いた。

「お前がいつまでも来ないから、こっちが押し掛けてやるところだった」


 ――まだ待つの、と訊ねた生徒たちに、いいやと首を振った。

“ちょっといい加減遅いからな。殴り込みに行こうかと思ってるよ”

 家の引き出しにはパスポート、調べ尽くして突き止めた流の居場所。いつでも行けるようになっていた。

 見送るだけしかできなかった子どもの頃とは違って、今は、どこにでも行ける。

 ただ寄り添い慰めることしかできなかった子どもの頃とは違って、君を支えて、力になれる、大人になった。

 どこにも行くなと飲み込んだ言葉を、いま、違うものにして言うことができるから。


「センセエー! 変質者と話すと変態がうつるよー!」

 ギャアギャアと遠くで騒ぐ生徒たちにチラリと視線をやって、告げる。

「――少なくともあいつらが卒業するまでは動けない。が、そのあとの予定は真っ白だ」

 キョトンとしていた面に、理解の色が映り、流は改めて私の姿を見た。

 背を伸ばして見下ろす瞳は、覚えていたより大人の男のもので。

 うっかり見惚れた。


「――もう、星を見つけたら、なんて逃げ道は作らないから。

 俺と一緒に、俺の側で、星を見つけて欲しいんだ」

 空を見上げると、明けてきた空に、最後の星が小さく光って溶けてゆく。

 見えなくなっただけで、星はそこにある。

 遠く離れても、ずっと胸の中では誰より近くにいた君が、教えてくれたように。

 私の心は君のもとにある。


 見えない星を見上げるときも。

 夜に星を探すときも。

 手を伸ばせば、触れる近くで。

 もう、離れないから。


「一緒なら、いくつでも、数えられないくらい、見つけられるな」


 晴れやかに微笑った唇にキスが落ちてきて、閉じたまぶたに、いつか見た星の瞬きが映った――






 *fin*

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