(13)
「……星座盤。不思議に思ってた。うちの家族が贈ったものじゃないし、あの人でもないだろうって……、もしかして」
「うん。父さんたちがくれたんだ」
こちらで雇っている弁護士経由で、流が必要なことに不自由しないように、星座盤をはじめ、服や、連絡を取るためのツールを与えて。
親としての義務を放棄していた彼女には、もう、何も言わせなかった。
ずっと、彼らは流を引き取ろうとしていてくれたらしい。
流さえ頷けば、すぐにでも。
きっと、父親のもとで生きる方が楽に息ができるだろう。
星のことも深く学べる環境が揃っている。
父より先に打ち解けた義母も、半分の弟も、偽りなく自分を歓迎してくれている。
母親が再婚するのを契機に、流は父親のもとへ行く決心をして――そして、うちの家族にはすでにそれを了解していた。
私以外。
「頷いたあとも、迷ってた。だって、ほたるちゃんがいない。ほたるちゃんと別れて、すぐに会えない場所で、自分がうまく機能するかわからなかった。やっぱり行かないって、何度も言いかけて」
自分をいらないものだと放棄しようとしていた流。
いるものだと拾った私。
二人だけで、完結した幼い世界。
間違った関係は、間違ったまま大きくなって、それじゃいけないと矛盾を抱えもがいていた。
「ずっとほたるちゃんと一緒にいたい。離れたくない。子どものままなら、そうしても平気だったんだろうけど」
私たちは大人になるから。
なってしまうから。
子どものときと同じ様にはいられない。
それを、先日思い知ったばかりだ。
「依存したまま、ほたるちゃんの側にいて、俺たち以外を排除して、それでもいいって一度は思った。でも、そうした自分たちの十年後を、どうしても想像できなくて」
ほたるちゃんのお母さんや、志穂さんみたいに、ほたるちゃんが笑っているところを、思い浮かべることができなかった――
「ねえ、知ってる? 昔のほたるちゃん、今みたいな口調じゃなくて、ちゃんと可愛い女の子の言葉で話してたんだよ」
突然話が変わって、私は流を見つめ返した。
泣き出す手前の、激情を堪えて微笑む顔を。
「どうして今のような、性別を感じさせない言葉使いになったのか、俺、知ってる」
――俺を、守るためだよね。
あれは、いつのことだったか。
二人で手を繋いで帰っていた、いつもの道。
きゃっきゃとはしゃいで、追いかけたり追い越したり、頬を寄せて他愛もないことを話し、くすくす笑いあっていた。
ふと前を見ると流のお母さんがいて――ただいまと言う前に、流と繋いでいた手を、叩くように振り払われた。
――ベタベタして、いやらしい……!
彼女の目に浮かんだ、“女の子である私”を嫌悪する色に驚いて、何も言えなかった。
それ以来、あの目が気になって。
私と流が異性だから、おかしな想像で引き離そうとする他人の噂話が、気になって。
私は、いつしかぶっきらぼうで色気のない、少女になった。
流と一緒にいるために。
――だけど結局、女である自分も忘れきれなくて、どっち付かずにいたことを、流が気づいているとは思わなかった。
「ちょうどあの頃、父が再婚したんだ。――自分が逃げたくせに、拒んだくせに、未練がましく父の優しさを諦めきれないで。たぶん、唯一の繋がりである俺といた、ほたるちゃんに八つ当たりしたんじゃないかな」
父親によく似た流が、自分ではないオンナに奪われる、それを考えた無意識の拒絶。
そう言われてみれば、見えてくるものがある。
「……ただ小さい頃から側にいた、そんな理由で、ほたるちゃんの生き方を振り回している俺に気づいたら、ダメだって思った」
「振り回されてなんか……!」
とっさに掴んだ腕が、震えていた。
「ずっと、ほたるちゃんに守られていた今のままの俺じゃ、だめだから」
――成長しなきゃ。
「俺に、約束をちょうだい」
流がこの街から去ることを知っていたのは、うちの家族と学校の関係者だけだった。
渡航するギリギリになって、友人たちにそれを告げた流は、当然ながら怒りの的となった。
言う機会はいくらでもあったのに、ずっと黙っていたんだから仕方がない。
矢田と「何で言わなかった!」「湿っぽいのはいやなんだよ!」「水くさいどころか薄情モンめ!」とギャアギャア怒鳴ってどつきあい、草野の無言の怒りにひたすら土下座して、ユキの「てめぇそう簡単に戻ってこれるとは思うなよ」という迫力笑顔に半泣きになって、流は機上の人となった。
「ほたるちゃん、よかったの?」
飛行機雲を見上げ、しょんぼりして訊ねるユキに、私は微笑む。
「約束、したからね」
約束を、して。
――いつか星を見つけて、自信がついたらほたるちゃんを迎えに来るから。
待っていて。
俺のとなりで幸せそうに笑う、大人になって――
約束を、する。
――流を囲い込むことで守るのではなく、流が流のまま、生きていけるように。
強い私になる。
幼い頃と同じ様で同じじゃない、切れない繋がりを持てるような、大人になって、幸せになる――
叶えられる確証もない、約束を。
流れ星に願わず、互いに願う。
ペルセウスから星が降る夜、最後の星が、明けた空に溶けてゆくまで、二人きりでそれを眺めていた――