(10)
はしゃぐ彼女の声が、祭り囃子の喧騒の中、ここまで届いてくる。同時に、大げさなほどテンションを上げて彼女に合わせる矢田の声も。
「浮かれちゃってまー、馬鹿め。祭りを一緒に回る条件が流くんを連れていくことなんて、利用されてることに気づけっつうの」
「ユキ、毒出てる毒」
くつくつと悪役笑いをしている親友の肩を宥めるように叩いた。
矢田が好きな女は、この街に唯一ある大きな商業ビル会社の娘だった。うちとは別の意味で、お嬢さまと言われる人種。
よりによってアレか、確かに美少女だし、男受けはしそうだ。
「……わかってるんだろ。たぶん、それでもいいんだ、彼女と一緒にいられるなら」
全くあの女のどこがいいんだかわからないけど。
意外なことを聞いた、という風にユキが私を振り返る。
「めずらしいこと言うね。何かあった?」
「…………」
何かあったというなら、何もない。
ただ、少しの違和感を感じている。
それは家族と、流といるときにそれは顕著だ。
私の知らないことが。
私に隠されていることが、ある――
うすうすそれを勘づきつつも、今の状態が壊れることを恐れて、何も問いただせずにいる。
一緒にいられるなら。
ずっと、目を、耳を、ふさいでいるから――
「悪いけど、帰る」
ざわめきの間隙をぬって、流の冷めた声が届いた。ユキが上げそうになった声を両手で塞ぐ。
面白そうな色を乗せた瞳はそのままで、流たちがいる方向を見ていた。
不満そうに甘える女の子の声。宥める矢田を振り切って――表情をなくした流がこちらへまっすぐ歩いてくる。
え。
ユキと視線を交叉させた。
(見えてないよね? あっちからこっちは見えないよね?)
(何でこっち来るんだ、っていうか完全居場所バレてるー!)
「ほたるちゃん」
私たちが隠れた茂みの前で、流が立ち止まる。
光源は向こう側だし、こっちは完全な暗闇だから、気づかれないはず、だったのに――
(怖! こわー!)
ユキが小声で叫ぶ。
「ほたるちゃん……」
逆光で、流がどんな顔をしているのか、わからなかった。
だけど、私に呼びかける声は静かな諦めを含んだもので――ダメだ、と思った。
弾むように立ち上がって茂みから抜け出し、流の腕を掴む。
「ごめん流……! 大丈夫だから、ちゃんといるから……」
固まった身体を揺さぶって、昏い瞳と視線を合わせ、訴えた。
ちゃんと見ている。
無視なんてしていない。
ここに流がいることを、ちゃんと、わかっているから――
闇に揺らいだ流の瞳が光を取り戻し、悲しみが混ざった苛立ちを灯す。
手首を掴み返される。
俯いた流が低く呟く。
「……ほたるちゃんがいらないなら、俺もいらないんだ」
その意味を、真に理解できたのは私だけだっただろう。
流を独り占めできると勘違いしていた女が、声を上げた。
「ねえちょっと! 今日は私と一緒に回るって……!」
うわ、空気読めねぇ、と言ったのはユキだったかどうか。私と引き離すように伸ばされた手を、流が振り払った。
「――うるさいな。つれて歩いて自慢ができる男が欲しいのならマネキンでも相手にしてろ」
切りつける声音と厳しい言葉に、彼女の目が見開かれる。
流は、外ではお気楽ともいえる笑顔を崩さないから、明るい印象が強いのだろう。
実際は真逆だというのに。
自分と、私と、流が認めた少数の人物、それだけが、流の世界にあるもの。“それ以外”に関しては、どこまでも冷たく振る舞える。
「おい流、そんな言い方」
「矢田。プライドないの。こんな女に惚れて使われてるようじゃ先が知れてるよ――どうでもいいけど」
草野を除外すれば、一番仲のいい矢田さえ、切り捨てようとする。
その危うさを、何とかしたいと思っていたのに。
流に腕を引っ張られて、その場から離れる。
振り返った視界に、大丈夫だと手を振るユキがいたから、そのまま流に従った。
夜祭りにの裏側、境内の奥まで来て流は足を止めた。
暗がりを見つめたまま、ポツリと呟く。
「ほたるちゃん、俺のこと、邪魔だった?」
馬鹿、と自分を罵りたい。
母親に捨てられたと思っている流に、一番してはいけないことだったのに。
無関心を貫かれ、放っておかれ、自分でも自分を捨てようとした流を、いると言ったのは私だった。
家の外で膝を抱えて星を見上げていた流。
「ぼく、いらなかったんだって」
母親に言われた言葉を繰り返して、消えてしまおうとするから、引き留めて。
「じゃあ私がもらおうっと」
そう言ったのは私だったのに。
――ほたるちゃんがいらないなら、俺もいらない――
あれは、そういう意味だ。
私が流をいらないものとするなら、流自身だって流をいらないものとする。
私を見ない流の前に回り込んでちゃんと目を合わせる。まだ表情が戻らない頬を手で挟む。
「ごめん……ごめん、流。私の存在がお前を縛ってるんじゃないかって言われて、ムキになったんだ。いつまでも、依存する関係でいちゃ駄目だ、って……」
「俺がほたるちゃんに依存するのが、嫌だったの?」
肩を両手で押さえられる。その力の強さに眉をしかめたけれど、痛みは甘んじて受けた。
私がさっき流を傷つけた痛みはこんなのじゃ足りない。
苦しげに歪められたまなざしと唇から溢れる、執着の言葉。
「ほたるちゃんがいなければ、俺はとっくに壊れてた。辛うじて俺が俺でいられたのは、ほたるちゃんが俺がいることを許してくれたから」
存在を認めて。いてもよいのだと示してくれたから――
「……ほたるちゃんが俺をいらないって言うなら、俺は意味がない」
依存のどこが悪い。
多かれ少なかれ、人は誰もが誰かに 支えられて生きている。
たった一人で生きているものなんて、いない。
私だって。
流がいなければ、甘やかされてどうしようもなく困った娘になっていたに違いない。
あれは、母が亡くなった頃。
一緒に泣いて一緒に眠った、流がずっと側にいてくれたから、次の日には笑えた。
母親との歯車が合わなくなり、不安定になった流が私を頼ってくれたから、しっかり立とうと思った。
私だって、流がいなくちゃ、うまく回らない。
「……私が流の手を離しても、それでも、流に手を繋いでいてほしかったんだ」
肩に置かれた手にそっと触れる。
「他の誰かが流の側に来ても、私が一番なんだって、確認したかった」
流の世界を広げたい、そう思う一方で、流の世界の一番でありたい、と。
手前勝手で子どもっぽい独占欲。
「……ズルイだろ?」
苦く笑った唇を塞がれる。
唇に触れたやわらかいものの意味を知る前に、抱きしめられた。
「そんなの、かまわない」
小さい頃は、私が抱きしめる方が多かった。
男女の区別もなく、転げ回って遊んで、ずっと一緒に過ごした。
流の背が伸びて。
私の体が丸くなって。
異性として、ハッキリと違う生き物になっても、一緒にいるために“それ”を無いものとして、触れ合ってきた。
だけど、もう。
流の腕はどうしたって男の人のもので。
私は流に包み込まれてしまう女で。
こうして、抱きしめあうだけで気持ちいいことも知ってしまっている。
小さい頃と、同じ様にはいられないことも、わかっていた――