結婚式当日、花嫁が私ではなかったのでそのまま帰りました。私は何もしていません
結婚式当日。
私は、自分の名前が書かれているはずの席に座っていた。
――ただし、花嫁席ではない。
親族席の端。
まるで“関係者の一人”みたいな位置だった。
違和感は、会場に入った瞬間からあった。
けれど、それを確信に変えたのは、壇上に立つ“花嫁”を見たときだ。
知らない女だった。
純白のドレスを着て、幸せそうに笑っている。
その隣には、私の婚約者――いや、元婚約者になる予定の男が、同じように笑っていた。
私は、式次第をもう一度見た。
そこに書かれている新婦の名前は、確かに私ではなかった。
……なるほど。
理解した。
つまりこれは、そういうことだ。
私は席を立たなかった。
騒ぐ気も、怒鳴る気も、泣く気もなかった。
ただ静かに、最後まで見届けることにした。
司会者の進行が進む。
祝辞、余興、指輪の交換。
拍手が起こるたびに、私はその音の中に紛れて、少しだけ笑った。
よくここまで準備したものだと思う。
招待客の配置も、会場の手配も、日取りも――全部、私と彼で決めたはずなのに。
それをそのまま使って、別の女と結婚式を挙げる。
大胆というか、雑というか。
いや、違うか。
きっと彼は、私が何も言わないと思っているのだろう。
あるいは、言えないと。
そう思われている理由には、心当たりがある。
私は、あまり表情を変えない。
人前で感情を出すことも少ない。
だから「何を考えているかわからない」とよく言われる。
それを“都合よく解釈された”のだろう。
――この女は、何をされても黙っている、と。
式は滞りなく進み、最後の挨拶へと移った。
新郎――彼は、少しだけこちらを見た。
一瞬だけ目が合う。
そして、すぐに逸らされた。
その顔には、罪悪感のようなものが浮かんでいたが、すぐに笑顔に塗りつぶされる。
……その程度か。
私は立ち上がった。
まだ式は終わっていない。
だが、もう十分だ。
静かに会場を出る。
誰も私を止めなかった。
止める理由も、立場もないのだから当然だ。
外に出ると、春の空気がやけに軽かった。
深呼吸を一つして、私はスマートフォンを取り出す。
そして、短いメッセージを送った。
『終わりました』
それだけ。
数秒後、すぐに返信が来る。
『了解しました。こちらも動きます』
私はそれを確認して、画面を閉じた。
やることは、それで終わりだ。
三日後。
彼から連絡が来た。
着信は何度もあったが、すべて無視していた。
さすがに面倒になってきたので、一度だけ応じることにする。
「……もしもし」
『あ、やっと出た! おい、どういうことだよ!』
開口一番、それだった。
「どういうこと、とは?」
『とぼけるなよ! なんであの日、何も言わずに帰ったんだよ!』
「言う必要がありましたか?」
『はあ!? あれは、その……誤解なんだよ!』
「そうですか」
私は相槌だけ打つ。
『あいつとはただの、その、仕事の関係で……急に事情が変わって……』
「結婚式を挙げるほどの事情ですか?」
『いや、だから、それは……!』
言葉に詰まる。
当然だろう。
整合性の取れる言い訳など、最初から存在しない。
「ご安心ください」
私は淡々と言った。
「私は、何もしていません」
『……は?』
「何も、言っていませんし、何も、していません」
『だったらなんで――』
そのとき、電話の向こうで別の声が聞こえた。
女の声だ。
『ちょっと、あなた! 大変よ! ニュース見た!?』
『今電話中だって――』
『そんな場合じゃないの! 会社が……!』
雑音が増える。
私はそのまま、通話を続けた。
『……は? なにこれ……なんで……』
彼の声が、明らかに変わる。
混乱と、恐怖。
『おい、これ……どういうことだよ……! なんでうちの会社が調査対象に……』
私は静かに言った。
「さあ。私は何もしていませんので」
『嘘だろ……お前、何かやっただろ!?』
「いいえ」
本当に、何もしていない。
私はただ、“終わりました”と報告しただけだ。
『じゃあなんでこんな……!』
「偶然ではないですか?」
『ふざけるな!!』
怒鳴り声。
だが、その裏にあるのは明確な焦りだ。
彼の会社は、ここ最近急速に成長していた。
その裏で、色々と“無理をしている”ことも、私は知っている。
知っていて、何も言わなかった。
ただ、必要な情報が“適切な場所に届くように”整理しただけだ。
それをどう使うかは、私の関与するところではない。
『おい……頼むから、何とかしてくれ……! お前なら何かできるだろ!?』
「できません」
『なんでだよ! お前の家なら――』
そこで彼は、はっとしたように黙った。
言ってはいけないことに気づいたのだろう。
遅い。
「ご存じでしたか」
私は少しだけ、声の温度を下げた。
「私の家のこと」
『……それは、その……』
「知っていて、あの式を?」
沈黙。
数秒の空白。
それが、答えだった。
「なるほど」
私は頷く。
納得はできないが、理解はできた。
彼は、“分かった上でやった”のだ。
ならば、これ以上話すことはない。
「では、失礼します」
『ま、待て! 本当に頼む! このままだと――』
通話を切った。
それきり、彼からの連絡は途絶えた。
一週間後。
ニュースは連日、同じ話題で持ちきりだった。
彼の会社の不正。
それに関わる取引先。
資金の流れ。
雪崩のように問題が発覚し、あっという間にすべてが崩れていく。
私はそれを、テレビ越しに眺めていた。
感想は特にない。
強いて言えば、「早かったな」という程度だ。
「お嬢様」
背後から声がかかる。
振り向くと、いつもの執事が立っていた。
「すべて片付きました」
「そう」
「関係各所も、対応を終えております」
「ありがとう」
私は軽く頷く。
これで本当に、終わりだ。
「……お嬢様」
「なに?」
「よろしかったのですか?」
「何が?」
「今回の件です。もう少し――その、手心を加えることもできたかと」
私は少し考えてから、答えた。
「私は、何もしていないわ」
「……はい」
「彼が選んだ結果よ」
結婚式の日。
あの場で、彼は選んだ。
私ではなく、別の女を。
それだけの話だ。
その結果として何が起きたかは、私の責任ではない。
少なくとも、私はそう考えている。
「そうでございますね」
執事はそれ以上何も言わなかった。
私は立ち上がる。
「出かけるわ」
「どちらへ?」
「新しいドレスを見に行くの」
少しだけ、口元が緩む。
「今度は、ちゃんと私が花嫁になるための」
窓の外は、よく晴れていた。
あの日よりも、ずっと。




