私の親友
※同性愛に対する差別的言動をする登場人物がいます。
クラスメイトの神崎が近くにいる時、私の親友の瑠衣は決まって神崎から顔を背ける。もっと言うなら背中を向けている。絶対にそちらを見ようとしない。瑠衣が神崎を見るのはある程度距離が離れている時だけだ。
傍目から見たら嫌っていると勘違いされてもおかしくない態度だ。
でも、そうではないことを私は一番よく知っている。
今だってそうだ。瑠衣と私が同じ机でお昼を食べている時のこと。神崎が近くを通っただけなのに、瑠衣は不自然なほど急に私の方を向いた。
そういえばさぁ、なんて瑠衣が私になんの脈略もない会話を振ってくるものだから、思わずくすりと笑いそうになってしまう。笑ったら後から瑠衣が不貞腐れてしまうので、ぐっと堪えたけど。
瑠衣の頬はほんのりと赤く染まっていて、ひどく落ち着かない様子だ。この場にいることが照れくさくて仕方ないとでもいうように。
まさに恋しているといった雰囲気を、高校生にもなってこんなにも分かりやすく表に出すなんて。
瑠衣はかわいいなぁ、としみじみ思う。純粋に友達としての思いだ。瑠衣はかわいい。
「瑠衣ってほんと、顔に出やすいよね」
神崎が離れたのを見計らって、小さな声でからかうように言うと、瑠衣は少しむっとしたように首を降った。
それから瑠衣は少し自虐気味に笑う。私があまり好きではない笑い方だ。そんなに自分を貶める必要ないのに、なんて言っても瑠衣は頷いてはくれないのだけど。
「でも知ってるのは、美菜だけだし」
それはそうだけどさぁ、と私も少し苦笑するしかない。
正確に言うと、瑠衣は私くらいしか話す相手がいないのだ。
こう言ってはなんだけど、瑠衣は友だちが私の他にいないから、好きな人だなんていう特別プライベートなことを知っているのは、必然的に私だけということになる。
でも私だって友だちというと、パッと思い浮かぶのは瑠衣くらいだからおあいこだ。
人付き合いが上手くなくて、取っ付きにくい性格をしているのはお互い様なのは承知の上だし。
「ねえ、どの辺が好きなの?」
昼休みのざわめく教室の中ならこんな質問をしても誰にも聞かれやしない。
私は弁当に残ったプチトマトを箸でつつきながら、にやにやと瑠衣の顔を眺めた。
親友の恋愛事情。気になるじゃないか。
「どの辺って……全体的に」
私の席の前の椅子に座り、売店で買った焼きそばパンを齧っていた瑠衣が思わずといった風に答えてくれた。
答えてしまったことにしまったと言いたげに瑠衣が顔を顰める。
へえ、ふーん、そうなんだぁ。そんな私の興味津々の目から逃れるように、瑠衣は恥ずかしそうに目を逸らした。
「へえ、全体的に、ねえ。全体かぁ」
「なにその顔」
「えー、だってさ。んー、ってことは、見た目も中身もってことかぁ。まあ、見た限りはすごくいい人そうだよね」
私たちの近くを通って開け放たれた涼しい窓の近くにいる神崎に私はちらりと目をやった。
窓辺で他の男子と一緒になって話をしている神崎は、この暑い中制服のネクタイ一つ緩めていなくて、制服の着方のお手本みたいだ。校則通り、といえば分かりやすいだろうか。
普段の様子から見ても神崎は真面目そうだとは思うけど、同時に面白みもなさそうだと私としては思ってしまう。
まあ、親友の好みにケチはつけまい。
そもそも私は恋をしたことがないので、人の恋にあれこれ言えるほど経験値もないのだから。
「いい人だよ」
瑠衣が目を細めて、心底そう思っているという風に言った。
自分みたいな人にも挨拶してくれるし、と卑屈そうに言う瑠衣に、そーいうこと言わないの、と軽くたしなめる。
瑠衣は悪戯でもしたかのように小さく笑った。
これが瑠衣なりの甘え方だと知っている私は首をすくめるしかない。だって憎めないじゃないか。
「あ、そうだ。これ、嫌いだから食べて」
私も瑠衣に甘えるようにそう言って、散々箸でつついたプチトマトを突き刺して瑠衣の口元まで持っていった。
ちょっと顔を顰めた瑠衣はそれでも文句を言わずに食べてくれた。
かつん、と瑠衣の前歯に箸が当たった。そんなつもりはなかったから慌てて、ごめんと謝ると、次から自分で食べなよとたしなめられた。
仕方ないなぁと言いたげな態度。それでも怒っている様子はない。瑠衣は私に甘い。まあ、私も人のことは言えないのだけど。
うん、これでおあいこだろう。
「次、体育だよね。そっちなんだっけ」
会話の途切れたところで、そういえばと思い出したことを尋ねてみた。
私たちは体育館でバドミントンをするのだけど、瑠衣たちはなんだっただろう。
運動場でやることは確定しているから、野球かサッカーか。それとも陸上か。
私も外が良かったなぁ。外も暑いけど、体育館は蒸し蒸しとしていて嫌になる。
「外でソフト。暑いから嫌になるよ」
うんざりした顔の瑠衣には後で日焼け止めを貸してやろうと心に決めた。
外の体育の時はいつも肌が赤くなっているから見ていて痛々しいのだ。買えばいいのにと言っているのに面倒だと断られてしまう。
「ふうん。まあ、いいじゃん。神崎の活躍見てきなよ」
ちゃんと声はひそめたのに、声が大きいと慌てる瑠衣の方がよっぽど大きな声だったから、私は思わずけらけらと笑った。
神崎歩が好きなんだよね、と瑠衣が私に打ち明けたのはそんなに前のことじゃない。
確か二年生になったばかりの頃だったと記憶している。実際、半年も経っていない。
学校からの帰り道。学校から大分離れていて、でも家まではまだ距離があって、周りに人が誰もいない時だった。
まるで世間話でもするかのようにさらりと告げられたから驚いた。
小学生の頃からの付き合いの瑠衣が恋のことを話すのは初めてで、私は馬鹿みたいにぽかんとしてしまったのをよく覚えている。
聞きたいことは色々あった。人への興味がほとんどないみたいに見える瑠衣の恋なんて気にならないわけがない。
でも、よくよく見ると瑠衣の顔は強張っていて、私に何を言われるか身構えているかのようだった。きっとなんでもないように言うのもすごく頑張ったのだろう。だから私はなんにも尋ねずにただそうなんだと頷いた。
そのことに安心したみたいに瑠衣が笑ってくれたから、その時の対応は間違っていなかったんだと思う。
その時はそれで終わって、いつから好きなのかとか、ずっとそうなのかとか、告白するつもりはあるのかとか、そういったことは全部少しずつ少しずつジグソーパズルをはめ込むみたいにゆっくり尋ねていった。
応援するよ、と言ったのはいつだっただろう。叶いっこないと瑠衣が自虐気味に笑ったのはいつだっただろう。
私は瑠衣のことが大好きだけど、その笑い方は好きじゃない。もっと楽しそうに笑ってくれればいいのになぁって思う。
瑠衣がそうやって笑いたいなら私は何も言わないけど、本当は瑠衣もそんな風に笑いたくないのだということを私は知っている。
私だけは知っているから、私は瑠衣に笑っていてほしい。
そんなことをぼんやりと考えていたから、午後一番の体育は散々な結果だった。
やる気がないのか、なんて言われても無いのだから仕方ない。そんなこと言ったら余計怒られるから言わないけど。
もうすぐ球技大会があるのだから、もっと気を引き締めるようにという先生からのありがた迷惑なお言葉は右から左に流すことにした。
体育で疲れた体のままでもう一時間授業を受けると、私はもうくたくたに疲れ切ってしまった。
私ほどは疲れていないけど、まあまあ疲れている瑠衣と一緒に学校を後にした。
暑いから帰り道にコンビニに寄らないかと誘って、アスファルトから昇る暑すぎる空気を浴びながら私たちは冷え切った店内に滑り込んだ。
「アイス買おうよ、アイス」
私が弾んだ声で言って、瑠衣も暑さには参っていたのか即座に頷いてくれた。
瑠衣はすぐにソーダ味のアイスを選んで、私はいつも瑠衣に呆れられるほど悩む。
瑠衣は呆れと可笑しさの半分半分みたいな顔をして笑っている。
「美奈はほんとにいつも迷うなぁ」
「だってお小遣いのこと考えると、一ヶ月の間に買えるアイスの数なんて限りがあるよ。慎重に決めないと」
王道のチョコ味にしようかそれとも期間限定のマンゴー味にしようかと悩みながら、私のも一口あげるからソーダ味も一口ちょうだいと瑠衣にねだっていた時だ。
ぴろん、と自動ドアが開く時の間の抜けた音が鳴って、誰かが店に入って来たことに気づいた。
この時間帯は学生がよく来ると知っているから、横目でちらりと見た制服に見覚えがあっても気に留めなかった。
それなのに、向こうから声をかけられてひどく驚いた。
田辺? と瑠衣の名字を呼ぶその声は、瑠衣がいつも耳を澄ませて聞いている声だ。瑠衣と一緒に私も聞き耳立てている声とも言える。
だから私は不恰好なほど勢いよくそちらを向いてしまった。
「あ、やっぱり田辺と安藤さんだ。ちょっと意外だなぁ。買い食い?」
そこにはやっぱり制服を少しも着崩していない神崎がいた。
神崎がコンビニにいる方が意外だと思っていると私のその顔に気がついたのか、シャーペンの芯を買いに来たんだと教えてくれた。
うーん、つくづく意外性もなく真面目そうな人だ。瑠衣がいいならいいのだけど。
それにしてもせっかく神崎から話しかけられているというのに、瑠衣はびっくりするほど話さなくて、ああとかうんとか短く答えるばっかりだった。途中からは私の方が話していたほどだ。
なんとなく程よく良い感じのところで会話を切り上げて三人一緒にコンビニを出ると、忘れかけていた暑さが襲ってきて私たちは揃って顔をしかめた。
「サウナみたい」
瑠衣の呟きに神崎がわざとらしいくらい大げさに笑って、本当にサウナみたいだと言ってくれた。
優しい人だなぁとは思う。その調子でもうちょっと瑠衣に近づいてくれると嬉しい。いや、それは瑠衣がするべきことか。うーん。
それじゃあまた明日、と自転車に乗って帰っていく神崎の背中を瑠衣は見つめていた。
「ほら、私がどのアイスにしようかって悩んでてよかったでしょ」
こんな機会でもなきゃゆっくり話せないもんね、と少し恩着せがましく言うと驚くことに瑠衣は少しも反論しなかった。
それどころか袋から出したばかりのソーダアイスを私の目の前に突きつけてきた。
「二口食べていいよ」
ありがたくいただくことにして、ぱくりと噛り付いた。続け様にもう一口。もちろん私の分も一口あげる。
親友同士の間に遠慮は無用なのだ。
楽しみな予定はなかなか訪れてはくれないのに、来なくていいと思っている行事は必ず早くやってくるものだ。
例えば、瑠衣と約束している冬にイルミネーションを見に行く予定がまだ夏であるためになかなか訪れないように。やりたくない球技大会があっという間にやってくるように。
球技大会よりも避暑地でバカンスとかやってくれないだろうか。まあ、学校のメンバーで行っても心休まる時がないから自由行動オンリーにして欲しいけど。私は瑠衣と二人で涼むのだ。うん、我ながら楽しそうな想像である。
「こんな暑い中、体育館に一学年全員を集めるなんて、先生たちどうかしてると思う」
「そもそも夏に球技大会って時点でどうかしてるから仕方ない」
私のぼやきに瑠衣が平然と返してくる。阿吽の呼吸ってこういうことだっけ。なんか違う気がするけど。暑さで頭が茹ってるからまともに考えられないのだ。
これから始まる球技大会に向けて、体育教師からの有り難い話を聞いた後のストレッチをしているところだ。
二人一組でやれと言われたので、私はもちろん瑠衣と組んで柔軟体操に勤しんでいる。これが痛いの痛くないのって。
「え、いや、痛っ。瑠衣、痛い。ちょっと、ねえ、痛いって」
「美奈、固くない? 全然伸びない」
ぐいぐいと背中を押してくる瑠衣に、痛い痛いと言いながら体を解していると、近くを通った担任に鼻で笑われてしまったのが気に食わない。それにかなり冷ややかな目をしてた気がする。失礼な、そんなに騒いでないし大きな声も出していないつもりだ。
みんな話しながらやっているし、自由に組んでいいと言ったのは先生じゃないか。自分の言った通りにやってることを非難するの良くないと思う。まあ、非難してるのは目線だけで言葉はなかったのだが。
交代、と言って今度は私が瑠衣の背中を押す。骨張った背中は押せば押すほどよく伸びる。
柔らかすぎる、と半ば八つ当たりのように思って、神崎見てるよと周りに気づかれないように囁いておいた。
「え、うそ。あ、いたっ」
顔を上げた瞬間に、ぐっと押すと大袈裟な声が上がって私はつい声を上げて笑ってしまった。
「見てないじゃん、嘘つき」
「嘘じゃないって。さっき見てたもん」
本当に、騒いでる私たちを神崎がちらりと見たのだ。まあほんの一瞬のことだけど、嘘ではない。
「……本当に見てたの?」
ストレッチが終わって立ち上がったところで瑠衣が近くに寄って小声で尋ねてきた。
ほとんど同じ目線で私の目を覗き込みつつも、ちらちらと神崎を見る瑠衣がなんだか可愛くって、どこも変なとこないから大丈夫だよとぽんと肩を叩いた。
瑠衣が落ち着かない様子で指先で髪をいじっている。
さらさらとした黒髪は短いこともあってか癖が少しもなくて、癖っ毛の私はいいなぁと昔から何度目かの羨ましさを感じた。
みんなのストレッチが終わった辺りで体育委員が近くに集まるように指示をした。
長ったらしい説明のチーム分けなんかを聞いて、うんうんと適当に頷く。
最初の試合は待機だった私と瑠衣が端に寄ることにした。とりあえず参加しなくて良いからラッキーと言っていいのか、後から参加しなければいけないから結局先に終わらせておいた方が良いのかは微妙なところだ。
まあとにかく良いように考えようと、人数多いからなかなか順番が回ってこないからラッキーだと瑠衣と話した。
そうしていると、あからさまにこちらを見ながらひそひそと話している女子を見つけて、思わずため息を吐いてしまった。
私に聞こえようにだろう。わざとらしく声を大きくして、あの二人いっつも一緒だよね、なんて悪口になってなくて笑ってしまう。
仲のいい人と一緒にいるのが、そんなに羨ましいのだろうか。自分にはそんな人いないから妬ましいです。って言われてる風にしか取れないのだけど。私は意地悪だから。
「ねえ、なんの話?」
黙っておくのも面倒で、私が鈍感なふりをして話しかけると、動揺する人もいればむしろ面白そうに返事をしてくる人もいた。
「べっつにー? 安藤は背が高いからいいねって話してただけ」
嫌味が通じないとでも思ったのか、あからさまに話を逸らされる。馬鹿みたい。最初から言わなきゃいいのに。
瑠衣が隣にいるから言えないのだ。馬鹿は馬鹿なりにその辺りの理性は働くらしい。なんて、ちょっと口が悪すぎるだろうか。
確かに私はクラスの女子の中で一番背が高い。それもかなり飛び抜けている方だと自負している。
今から行うバスケでは少しばかり有利だろうから、誤魔化しとしては上手い方だろうか?
まさか、そんな言い訳通るはずもない。きっと分かって言っているのだろう。私が先に激昂するように。
そうすれば完全に私が悪くなる。それを狙っているのだろう。おあいにく様、乗ってなんてやらないけど。
ふーん、と気のない返事をして瑠衣と一緒に離れた場所に座る。あの人はどんな顔をしてるのだろう。見たくもないけど。瑠衣にも見せたくないし。
「大丈夫?」
「全然、平気。慣れてるし」
私の言葉に瑠衣が顔を顰めた。言葉選びを間違えたな、と少しだけ反省して、ほら神崎出てるよと言って瑠衣の興味を逸らした。
見惚れている瑠衣には言えないけど、真面目な神崎らしいプレーだ。
教科書通りにドリブルしてパスして時々シュートしようとしては失敗している。
待機組は暇なのか声を上げて応援しているけど、ちっとも本気には聞こえなかった。
私の隣で拳を握って口を少しだけ開いてすぐに閉じている瑠衣の方がよっぽど本気で応援しているように見える。
あんまりにも力が入っているから、瑠衣と呼びかけてぽんぽんと背中を叩いた。
それがきっかけになったのだろうか。神崎が何度かのシュートを行おうとしている時、瑠衣の口から瑠衣にしては大きな声が出た。
「……っ、がんばれ!」
その時、一瞬だけど確かに神崎も瑠衣を見ていた気がした。
残念ながらボールはバスケットゴールを逸れてしまったけれど、瑠衣の応援は神崎の心にゴールしたんじゃないか、なんて私にしてはいいことを思った。
瑠衣は自分が声を出して応援したことを心底驚いているみたいだった。
頑張ったじゃん、と私が言ってもまだぼーっと神崎を見ている。
私はきっとこれから先もしないであろう瞳をしていた。
「さっき頑張れって言ってくれた?」
試合が終わって、近くに来た神崎が人懐こい笑顔で瑠衣に話しかけた。
曖昧に頷く瑠衣の代わりに私が答えたいくらいだった。
瑠衣は心の底から神崎を応援したんだよ、と伝えたかった。
でもそれはきっと瑠衣から言わなければ意味がないのだろう。
「よかったじゃん」
神崎が友だちのところに行った後、私の方が喜んでそう言うと、瑠衣は複雑そうに笑った。
「よかったのかな」
「よかったよ。少なくとも、喜んではくれてたよ」
神崎が瑠衣のことをどう思っているかは知らないけど、少なくともそれだけは言える。あの顔はきっと嘘ではない。
でも瑠衣はまるで少しでも期待する自分自身を馬鹿にするように、吐き捨てるように言った。
「本当はさ、たまに思う。告白して、当たって砕けたら楽になるんじゃないかって」
その顔はひどく寂しげで、私はほとんど変わらない背丈の瑠衣を抱きしめたいと思った。学校だからしないけど、そうじゃなかったらしていた。常識って時々ひどく邪魔だ。
もし私が男だったら間違いなく瑠衣を幸せにするのに、と思うくらいに私は瑠衣のことが大切だったけど、それを言えば瑠衣が一番嫌がることも分かっていた。手に取るように分かっていた。
それは言ってはいけないことだということも私はよく分かっていたし、そんなことを言う私に瑠衣はまたあの私の嫌いな笑い方をするのだ。
わかるのだ。私にはわかる。
だって、私と瑠衣は親友だから。
親友の恋がほんの少し進展したように見えたって、本人が行動しなければそれ以上は動かないものなのだと、私はここ最近思い知った。
あれから二人は会話すらしない。神崎は人気がある方だし、瑠衣は私しか友だちがいない。会話は発生させようと思わなければ始まらないのだ。
「話したいなぁとか思わないの」
「そんな大それたこと考えないよ」
「ふーん、そんなものなんだ」
私にはよくわからない世界だ。休み時間に話を振ってみたけど、瑠衣は相変わらずつれない態度なので、しつこく問い詰めることはしない。
「ちょっとトイレ行ってくる」
いってらっしゃい、と瑠衣がひらりと手を振る。
友だち同士一緒にトイレに行く人が多いみたいだけど、私たちはしたことがない。そんな意味のないことはしない。同じ場所に入れるわけでもないのに。
女子トイレに入ってすぐ、後にすればよかったと後悔した。
この間もひそひそと陰口を言っていた、私たちのことをなんとなくよく思っていないのであろう人たちが揃っていたからだ。
「珍しいね、田辺と一緒じゃないなんて」
くすくす笑いが狭いトイレの壁に反響して、馬鹿みたいに滑稽だった。
そんな当たり前のことを言って、この人たちは何が言いたいんだろう。
「安藤ってさ、結局田辺となんなの」
「親友だよ」
私が何も言わないから業を煮やしたらしく正面切って訪ねてくるから素直に答えた。
それなのに鼻で笑われたから、こっちだって気分がよくない。
どうせ瑠衣がいなくて私だけだから、ちょっとくらいキツイことを言っても大丈夫だと思っているのだろう。浅はかすぎていっそ笑える。
「ぶっちゃけ、ちょっときもいよ。いい年して親友とか。二人してずっとくっついてさ。友だちとかいないじゃん」
確かに瑠衣以外の友だちを作る努力はしなかったけど、高校に入学してすぐいつも一緒の私たちを見て笑ったのはそっちだし、そもそもそれって他人にどうこう言われることだろうか。私たちそっちに嫌なことした覚えはないんだけど。
私がほんの少し黙って睨んだだけで、向こうは怯えたように顔を見合わせて出て行ってしまった。
くだらない、と思うけど瑠衣に言ったら怒られそうだから黙っていよう。
静かになったトイレで用を済ませて教室に戻ると、なぜかそこはさっきまでとは違う異様な空気に包まれていた。
どうしたんだろう、と少しだけ疑問に思って、すぐにその正体に気づいて寒気がした。瑠衣がさっきの人たちに囲まれていた。
「なにしてんの」
私が近づいてそう聞いても、顔を見合わせるばかりで明確な答えは返ってこない。
「ただのお話だよ。クラスメイト同士の。ねえ、田辺。安藤に言ってやってよ」
この人すぐ喧嘩売ってくるんだよ、と瑠衣に言うその人に腹が立って言い返したかったけど、瑠衣が私にだけ分かるように小さく首を振るからしぶしぶ飲み込んでおいた。
「田辺さぁ、安藤とただの友だちだって本当なの?」
黙っている私を見て調子づいたのか、そんな馬鹿げた質問をしている。
普段お互いとしかいない私たちが女子の集団に囲まれていることの異様さからか、クラスのみんながこちらを注目しているのがわかる。
神崎もこっちを見ているのに気づいて、私はやめてと言いたかったのに、その前に瑠衣が口を開いた。
「ただの友だちじゃないよ。親友だから」
こんな時だというのに、瑠衣がそんな風に言ってくれることに一瞬心が躍った。
瑠衣の涼しげな表情に苛立ったらしく、その人は馬鹿みたいに声を張り上げた。
「ふーん。じゃあ、前から思ってたんだけど、もしかして田辺ってあれなの?」
なにを言おうとしているか、怖いほどに一瞬で理解できた。
どうしてだろう。いつかきっとこうなることを、心のどこかで怖がっていたからだ。
やめろ、と今度は本当に声が出た。あんたみたいに人の気持ちをなんにも考えない人が瑠衣に触るな。
瑠衣の心に触るな。
「田辺って、しょっちゅう神崎のこと見てるもんね。もしかしてとは思うけどさぁ、神崎のこと好きなの?」
クラスのざわめきが怖いくらいに広がって、無遠慮な視線が瑠衣に注がれる。
それは好奇心と嫌悪感のごちゃまぜで、隣に突っ立っているだけの私まで気持ち悪くなるくらいだ。
その様子をずっと困ったように眺めていた神崎が口を挟んだ。
どこまでも真面目そうな人で、自分の常識を少しも疑ってない人だった。
「田辺は安藤さんと付き合ってるんだろ。馬鹿なこと言うなよ。それに、そんなの気持ち悪いだろ」
瑠衣を庇うつもりだったのだろう。
でもその言葉はナイフのように鋭く瑠衣の心に刺さる。それを私は瑠衣の顔を見ずともわかった。
なぜなら私たちは親友だから。
「男が男を好きなんて」
ガンッ、と予想以上に大きな音が出た。私が近くの椅子を蹴り飛ばした音だ。
物に当たるんじゃないって、後で瑠衣に怒られるかなと少し思う。
みんなの視線が一瞬にして集まる。瑠衣にではなく私にだ。
良い方法ではないけど、馬鹿な私はこんな方法しか思いつかない。
「そうやって人のこと、簡単に気持ち悪いとか言える人の方が、よっぽど気持ち悪い」
神崎は何が起きたのかわからないような顔をしていて、それでも怒った様子は少しもなくて、あぁやっぱりこの人は表面上はいい人なのだろうなとしみじみ思った。
ただ私の感性とは相容れないだけで、いい人であることに変わりはないのだろう。
それはとても悲しいことではあるけれど。
瑠衣、と呼びかけて私は瑠衣の手を掴んだ。周りの人たちを跳ね飛ばすように、高い背を生かしながらずんずんと歩く。
私のプリーツスカートが不恰好に揺れる代わりに、瑠衣のズボンは揺れないから、走るときに身軽でいいなとこんな時にどうでもいいことを考える。
「美奈……授業、始まるよ」
「いいじゃん、たまにはサボろうよ」
私たちは校内で手を繋いでいる馬鹿なカップルに見えるのかもしれない。
時折すれ違う人が興味深そうにこちらを見ているのは分かるけど、気にはならなかった。
私たちが親友だということは、私たちが一番よく分かっている。
校舎裏まで二人で歩いて、誰にも見つからないように陰に身を潜めるのが、小学生の遊びみたいでどちらともなく笑いが込み上げた。
けらけらと笑って、瑠衣が笑い過ぎたと言い訳しながら目尻の涙を拭った。
「あーあ、砕けた」
疲れ切った声で瑠衣が入って、ずるずると土の上にしゃがみ込んでしまった。
それを追いかけるみたいに私も瑠衣の隣に座り込む。
汚れるよ、と瑠衣に言われても聞かない。
私は瑠衣と目線を合わせて笑いながら言った。
「拾ってあげる」
なに言ってるの、と言いたげな瑠衣の瞳はどこまでもまっすぐで、私はそんな親友の目が本当に好きだ。
「瑠衣の心が砕けたなら、私が全部拾ってあげる。治るまでずっと一緒にいる」
だから、あんなの気にすることないんだと言うと、掴んだままだった瑠衣の手が静かに震えていることに気づいた。
「なんで、美奈はそんなに優しいの」
「瑠衣がそうしてくれたから」
泣きそうな顔で笑う瑠衣に、私は正直に答える。親友の間に下手な愛想なんて不要だ。
私と瑠衣が仲良くなったのは小学生の頃だ。確か高学年になったあたりだから、五年生とかそのくらい。
それまでは私にも普通に友だちがいた。同じ女の子の友だちが。
その頃になるとみんな少しませてきて、ちょっと背伸びがしたいような気持ちもあったのか、慣れない恋の話題なんかが飛び交うようになっていた。
美奈ちゃんの好きな人は誰? と聞かれて、適当に答えておけばいいのに馬鹿正直だった私は、いつもいないと首を振っていた。
だっていないんだから仕方ないじゃないか。恋の好きと友だちの好きの違いなんて全然分からないのだから、そんなこと聞かれたって答えられっこないじゃないか。
頑なに「いない」と言っていたら、一人の子がわざとらしく笑って言った。
『なんで誰も好きにならないの? おかしいよ。そういうのってキモくない?』
なんでもかんでもキモいキモいと笑うことが楽しいような時期だった。そんな子どもの言うことだ。深い意味なんてないし、笑って受け流せばいい。
でもその時は私だって子どもだったのだ。悲しくなったって、泣きたくなったって、なにが悪い。
『そうやって簡単に人のこと、きもいって言う人の方がきもいんじゃないの』
その時から少しクラスで浮いていた瑠衣がそんなことを言ってくれた。
ほとんど話もしたことがなかった。それなのに口を挟んでくれたことが、私は泣きたくなるほど嬉しかったのだ。
「好きになるとかならないとか、そんなのその人の勝手だって、自由なんだから気にしなくていいって、言ってくれたのは瑠衣だよ」
こんな風に教室から連れ出して、小さな手で私の手を包んでそう言ってくれたのだ。
「好きって心でなるものだから、無理にそうしようとなんてしなくていいんだって」
瑠衣は案外自分のことに興味がないから忘れていたのかもしれない。心底驚いた顔をして、私の顔を見つめていた。
「でもそれ以上に理由が必要ならもう一つだけあるよ。とびきりのやつが」
いつだったか瑠衣の体を抱きしめてみたいと思ったことを実践してみた。
違う体がびっくりするほどぴったり重なった気がした。
「私は瑠衣の親友だから」
親友に優しくするのに理由なんていらない。ただそれだけのことだ。
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