落語声劇「たちきり(立ち切れ線香)」
落語声劇「たちきり(立ち切れ線香)」
台本化:霧夜シオン@吟囁亭喃咄
所要時間:約30分
必要演者数:5名
(0:0:5)
(5:0:0)
(4:1:0)
(3:2:0)【性別準拠人数比率】
(2:3:0)
(1:4:0)
(0:5:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
若旦那:とあるお店の若旦那。
まだ父親は健在だがある時、父親の代わりに寄合に出たところ、
そこの座敷に出た女芸者のお久に一目惚れしてしまう。
惚れたのならさっさと落籍せればいいものを、入れあげてお座敷
に通い詰めたために莫大な借金を抱え、家族親族一同&番頭に
お仕置きの為、蔵に百日間押し込められることに。
番頭:若旦那のお店の番頭。
はじめ若旦那にきつい物言いをするが、それは全て店の為、若旦那
の事を考えての言動。
定吉:若旦那のお店の丁稚。
口が軽く買収されやすい。
まあ、丁稚の頃は給料なんて出ないので、そうなっても仕方ないの
か。
お久:柳橋の置屋、久野屋の芸者。
若旦那と相思相愛の間柄だったが、若旦那が蔵に押し込められた日
、二人で歌舞伎を見に行く約束をしていたことが悲劇の始まりに。
男1:若旦那に手紙を届け隊その1。
男2:若旦那に手紙を届け隊その2。
男3:若旦那に手紙を届け隊その3。
女中:久野屋の女中。2セリフのみ。
女将:柳橋の置屋、久野屋の女将。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
若旦那・男3:
番頭:
定吉・男1・男2:
女将:
お久・女中・語り:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:芸妓、舞妓がお座敷で芸や歓談を披露する、お茶屋や置屋が集まる
地域を「花柳界」と称したそうです。花柳界の芸者衆は時間で花代を
もらっています。お座敷に出ますと二時間、いわゆる一刻単位で料金
の計算をするわけです。昔はその時間を計るのにお線香を使ったんだ
とか。お線香が燃え尽きると芸者は帰らなくてはならない。
だから芸者に長くいてもらうには、このお線香を五本でも十本でも
立てるわけです。
定吉:あ、若旦那、お帰りなさい。
若旦那:あぁ定、ちょっとこっちおいで、ちょっとこっちおいで。
定吉:ダメなんです。そばにはいけないんです。
若旦那:何?おいでよこっちに。
定吉:ダメなんですよ。さっき番頭さんからね、若旦那のそばに行っちゃ
いけないって言われてるんです。
若旦那:なんだよ、そば行っちゃいけないって。
いいじゃないか、おいで。
定吉:ダメなんですよ。いえね、番頭さんに言われちゃったんですよ。
若旦那は遊んで帰って来るってと、必ずお前をそばに呼んで、
家の中の様子をいろいろ聞きだすんだ。お前はお喋りでベラベラベ
ラベラいろんな事を喋っちゃうだろ。
都合の悪い事があるからそばへ行っちゃいけないって。
お小遣いあげるって、三十銭もらっちゃったんですよ。
この三十銭の義理がありますから。
若旦那:安い義理だね、お前の義理は。
じゃあね、お前に一円あげよう。
定吉:一円!一円くれるんですか、一円!
あ、そうですかあ。
じゃあ今から若旦那の味方になります。
若旦那:なんだよおい、ずいぶん軽い腰だねぇお前の腰は。
こっちへおいで。
あのね、どうも奥に誰か来ているような気配なんだが、誰が来て
るんだい?
定吉:…一円ください。
若旦那:いや、そりゃあげるけどね。
あげるけども、誰か来てるんだろ?
定吉:一円。
若旦那:だから、あげるよ。
話をしたらちゃんとあげるから。
言ってごらん。誰が来てるんだい?
定吉:へへ…ご親戚の方です。
若旦那:親戚?どの親戚だい?
定吉:…一円くださいよ。
若旦那:うるさいね、お前。
一円一円って…あげると言ったら必ずあげるんだから、
誰と誰が来てるんだい?
定吉:甲府の叔父さんと、埼玉の叔母さんと、横浜の叔父さんが来てます
。
若旦那:へえ…またずいぶんと主だった人たちが来てるじゃないか。
ふうん…あとは誰がいるんだい?
定吉:あとそこにはあの、大旦那様と、それから番頭さんが。
若旦那:おとっつぁんと番頭が…ふうん…?
定、お前どんな話をしてたか、知ってるんだろ?
聞いてたんだろ?
定吉:ええ、さっきまであの、お茶くみしてましたから聞いてました。
若旦那:どんな話をしてたんだい?
定吉:…一円くださいよ。
若旦那:あげるよ。
…何の話をしてた?
定吉:あの、若旦那の話をしてました。
若旦那:あたしの話をしてた?ふーん…そうかい。
初め誰が口を開いた?
定吉:一番初めに口をおききになったのは大旦那様で。
若旦那:へえ、おとっつぁんが?
どんな事を?
定吉:「えぇ、今日皆さんにお越しいただいたのは他の事じゃございませ
ん。実はうちの金食い息子の事でご相談があって、皆さんにお集ま
りいただきました。」
若旦那のこと、金食い息子、金食い息子って言ってましたよ。
若旦那お金食べるんですか?
お腹が冷えると毒ですよ。
若旦那:なに言ってんだよ。まあ、おとっつぁんの言いそうなことだ。
あとどんな話をしたんだ?
定吉:ええと、「実はその金食い息子が手に余ってほとほと困っておりま
す。今日はあの金食い息子を皆さんとのご相談のうえで、処分した
いと思います。」って。
若旦那の事を処分するって、そう言ってましたよ。
若旦那:ふぅむ…おとっつぁんが…。
すると、ご親戚の人で初めに口を開いたのは誰だい?
定吉:えっと、甲府の叔父さんです。
若旦那:甲府の?ああ、嫌な叔父さんなんだよ。
どんな事を言ってた?
定吉:「とにかく、遊びに行こうと思ったらすぐ遊びに行けるところがあ
るからいけない。気軽に遊びに行けないようなところへ連れて行っ
てしまうのが一番いい。だから甲府の山の中へ連れて行って、炭焼
きをやらせる。」って言ってました。
若旦那:わたしを…炭焼きに?
定吉:ええ。
「炭焼きは朝早くから夜遅くまで働いて、遊んでる暇なんかまるで
ない。それに医者もいないから、あいつはすぐくたびれて病気に
なるだろう。病気になったら医者にも見せないでそのままほっとけ
ば、それでおしまいになるからとてもいい。」
だそうですよ。
若旦那:何がとてもいいんだ。
…それで、あとは誰が?
定吉:埼玉の叔母さんです。
若旦那:ああ、あの叔母さんはね、わたしの味方だよ。
というのはね、あそこに娘がいるんだ。その娘をね、わたしに
おっつけようと思ってるんだ。だからーー
定吉:【↑の語尾に食い気味に】
そんなこと言ってるから若旦那は甘いんですよ。
埼玉の叔母さんも埼玉へ連れてくって、そう言ってましたよ。
あそこにこんな長い角の生えた、太くて大きな牛がいるんですって
。しかも言う事を聞かないんだそうで。
その牛をね、若旦那と一緒に散歩に出すって言うんです。
若旦那は気が短いでしょ。言う事聞かないからって牛を怒るとね、
牛がもっと怒って若旦那の土手ッ腹を角でもってブスっと一突きす
れば、ひとたまりもないだろうって。
若旦那:埼玉の叔母さんがそんなこと言ってたのかい…!?
横浜の叔父さんは?
定吉:叔母さんがそう言ったらすぐに口を開きましてね、
「二人の話を聞いていたが手ぬるいな。」って。
若旦那:なんだいその、手ぬるいって。
定吉:「あいつは釣りが好きだから、横浜に連れてって海へ連れ出して、
舟をひっくり返すんだ。そうすりゃ、俺は泳ぎを知ってるけど、
あいつは泳ぎを知らないからそのまま流されて、フカに跡形もなく
喰われて死んじまうから、始末し良いからそうしよう。」だそうで
すよ。
若旦那:へえ…そんなこと言ってたのか。
定吉:そしたらね、番頭さんが口を開いたんです。
若旦那:番頭が?ふぅん…あの番頭が何を言ったんだい?
定吉:「皆さんのお話は承りましたけれども、若旦那という方はこのお店
にとってはとても大事な方です。今は金食い虫という虫にたかられ
ている、いわば病気です。その病気が治ればいいわけですから、
お金のありがたみが分かるようにすればよろしいでしょう。
ついては若旦那を乞食にしてはどうでしょう?」
と、こう言ってました。
若旦那:番頭が、わたしを乞食に…!?
定吉:ええ、こうも言ってましたよ。
「乞食というのはとても恥ずかしいもの。今まで知ってる人間に
出くわしたりなんかすると、とても決まりが悪い。お金だって
なかなかもらえるものじゃない。そうすればお金のありがたみが
よく分かるはずです。」
って言ったら、皆さんそれがいいって手を叩いて。
だから皆さん相談の結果、若旦那は乞食になるってことが決まった
んですよ。
若旦那:な…な…っ!
定吉:あの、若旦那?乞食のお金のもらい方、知ってます?
大変ですよ。哀れっぽい声を出すんですよ。
【哀れっぽく演じて下さい】
「難渋している者でございます。いくらかお恵みを…。」
若旦那:~~ッッどきなさい…!!
定吉:あっちょっ、若旦那!?
一円くださいよ!
若旦那:【バンッ、とふすまを開け放つ】
皆さん、お集まりいただいてわたしの相談をなすっていたそうで
すね!
あ、ちょっと、埼玉の叔母さん、逃げ出さない下さい。
番頭、お前、わたしを乞食にすると言ったそうだね!
お前なんだい。この家の奉公人じゃないか!万一おとっつぁんの
身に何かあった時は、わたしがその後を引き受けるんだよ。
そうなりゃ、お前がわたしの奉公人になるじゃないか!
そうだろう!?
その主人に向かって乞食にできると言うなら、してもらおうじゃ
ないか!
乞食にしてみろッ!!
番頭:【悠然と煙草を一服ふかす】
…なんですか、若旦那。こうしてご親戚の方々がお集まりのところ
にどたどたと入って立ちはだかってその言葉遣い、その物腰、
それがご大家の跡継ぎのなさることですか?
わたくしは確かに乞食にするとは申しました。申しましたけれども
、もし若旦那が嫌だとおっしゃった時にはどうしたものかと案じて
おりました。
しかし、どうやら心配は無用だったようです。
若旦那の方から進んで乞食にしてみろとおっしゃるなら、乞食に
なっていただきましょう。
ここに汚い着物があります。これが乞食の着物です。
それから箸と茶碗、これが乞食の道具です。
この汚い荒縄を帯の代わりにしていただきます。
さ、いま着ておられる物をお脱ぎくださいまし。
そんな綺麗な形をしている乞食がありますか?
お着替えください。なんならわたくしが着替えさせましょうか?
若旦那:おっ、おま、お前ッ…!お前は、本当にわたしを乞食にするって
言うのかい!?
番頭:大旦那様もご承知です。
若旦那:ッ…乞食は、なりたくない…ッ!
番頭:でございましょう?
しかし若旦那、今日は乞食にはなりたくない、では済みません。
これだけ皆さんがお集まりになってる。
乞食にはなりたくないが、その代わりにこれこれこういう事をしよ
うと、皆さんが得心の行くようにこの場でお話しくださいまし。
さ…どうなさいます?
若旦那:ッ…そんなこと言われたって…。
…お前の好きなようにしてくれ。
番頭:さようでございますか。
ではわたくしにお任せください。
若旦那、今日から百日の間、若旦那には蔵住まいを
していただきます。
若旦那:く、蔵住まい…?蔵住まいなんてお前、わたしはそんなにひどい
事をしてないじゃないか。
番頭:それは承知しております。
ですから若旦那が蔵にお入りになっている間、朝昼晩と三食の
お食事、それから読みたい本や他に欲しいものがあれば何でも蔵へ
差し入れます。
しかし、蔵の外へ出ることはたとえ一歩たりといえどもお許しする
わけには参りません。
よろしゅうございますね…!
若旦那:ッ…わ、わかった……。
番頭:では、こちらへおいで下さいまし。
【二拍】
この三番の蔵にお入りくださいまし。
語り:蔵の中に若旦那を押し込めると、大きな扉をがっしり閉じ、そして
これまた大きな錠前をガチャリと閉めてしまいます。
ちょいと番頭にすごまれた位で、引っ込みがつかなくなっちゃうよ
うなこの若旦那が、どういうわけでこんな事になったのかと言いま
すと、その年の初め…春先の事です。
商売の仲間で寄合がございました。おとっつぁんの代わりにこの
若旦那が柳橋の料亭へ出かけます。
そこで土地の娘芸者で久屋のお久という、年は十八ですが、
誠に器量が良い。しかもただ器量がいいばかりじゃない。
何とも言えず初々しいと言うか、気立てがよろしい。
若旦那:ああ…こういう所にもこういう女がいるのか…。
語り:そう思った若旦那、お久をすっかり見初めてしまいます。
その後二度三度と通っておりますうちに、お久の方でも「こういう
若旦那なら…」と、お互いが想い想われるようなことになりました
。
「遠くて近きは男女の仲」なんという事を申しますが、そのうちに
わりない仲になります。こうなると若旦那の方はもう夢中です。
店はほっぽり出しといて朝早くから一目散に柳橋へ出かけていく。
それが毎日毎日続くもんですから、いつの間にか途方もなく莫大な
借金が出来あがるようなことになる。
そのためにご親戚の方々が集まるといったようなことになったわけ
でございます。
さて、若旦那が蔵へ閉じ込められたその日の昼下がり、小粋な男が
店にやってきました。
男:ごめんくださいまし、ごめんくださいまし!
番頭:はい、なんでございましょう?
男1:若旦那様はおいででございますか?
番頭:…若旦那は今ちょっと遠出をしておりまして。
不在でございますが。
男1:あの、このお手紙をお渡し願いたいんでございますが。
番頭:わかりました。
お預かりしておきます。
男1:では、これで…。
番頭:若旦那に…どこから…?
っ柳橋…!
今これを若旦那にお見せするわけにはいかない…!
封は切らずに、帳場の小引き出しにでも入れておこう。
【二拍】
ふう、そろそろ日暮れか…おーい、定や、表を片付けて来なさい。
男2:ごめんくださいまし!ごめんくださいまし!
番頭:おや、どちら様で?
今日はもう店じまいですが…。
男2:あの、若旦那様はおいででしょうか?
番頭:!
今ちょっと遠出をしておりますが。
男2:ではこのお手紙を若旦那様にお渡し願います。
番頭:承知しました。
お預かりします。
男2:では…。
番頭:…もしや…。
っ、また柳橋から…!
これもさっきのとこに…ッ!
語り:その明くる日は三本、そのまた次の日は四本、五本、六本と、
日を追うにしたがって手紙の数が増えて参ります。
しまいにはもう店の者が手紙を受け取るので、仕事が手につかない
ような事になる始末。
挙句の果てには、朝早く大戸を開けた途端に、
男3:ごめんくださいッ!
番頭:うわわッ!?
び、びっくりした…!
な、なんですこんな朝早くから。
男3:若旦那にこの手紙を!
ではッ!
番頭:えぇ…まただよ…。
これで八十日目だよ。
柳橋からとはいえ、実のある人と見えるな…。
語り:しかしその日を境に手紙はピタリと来なくなった。
そしていよいよ百日目。
番頭:ごめんくださいまし。
ごめんくださいまし!
若旦那:はい!
誰だい?
おぉ番頭さんじゃないか。
なんだい、あらたまって。
そんな杓子定規に挨拶をしないでおくれよ。
番頭:どうもその節においては、とんだ無礼なことを申し上げまして…。
申し訳ございません。どうぞ、お許しくださいまし。
若旦那:ああ、あの時のことかい。
いやあ気にしてないよ。店の為を想って言ってくれたんだから。
かえって良かったと思ってるんだ。普段読もうと思ったってなか
なか読めない本を読めるしね。世間のつまらないことは耳にしな
くてすむし。
今じゃね、ありがたいと思ってるんだよ。
このごろは何だか、この蔵にも情が移ってね。
もうここで生涯暮らそうかなんて思ったりしてるんだ。
番頭:ご、ご冗談をおっしゃられては困ります…!
早いもので、今日で百日、経ちましてございます。
若旦那:へえ、そうかい。
指折り数えたことは無かったが、ひと月か、ひと月半も経ったか
なと思ってたんだが…もう百日経つかい。
番頭:はい。それで蔵からお出ましいただこうと、こうしてお迎えに参り
ました。
どうぞ、お出ましくださいまし。
若旦那:うん。外の空気を吸うのも久しぶりだからね。
番頭:あ、そうだ、若旦那、ちょいとお待ちくださいまし。
若旦那:?なんだい?
番頭:あの、実は柳橋のーー
若旦那:【↑の語尾に食い気味に】
あぁそれはいいや。よそうよ、その話は。
その為にこういう事になったんだからね。
忘れよう。
番頭:ではございますが、ちょっと一つだけお目にかけたい物がございま
す。
実はあの、若旦那がここにお入りになった日の昼過ぎでございまし
た。
手紙が一本届きまして、裏を返して見てみますと、柳橋よりとござ
います。それは封も切らずにお預かりしました。
その日の夕方にも一本、次の日から三本、五本、七本と、日に日に
数が増えまして、そのうちに店の者が手紙を受け取るので仕事に
ならないというような事になりまして。
しかしわたくし、その時にほとほと感心いたしました。
さすがは若旦那の気に入るだけの方だ。大した気立てだと。
もしこの手紙が百日の間、一日でも絶えることなく届いたその時に
は、わたくしから大旦那様にお願いして、お二人に所帯を持ってい
ただこうと、そう考えておりました。
それが惜しい事をいたしました。ちょうど八十日目を境にパタッと
手紙が来なくなりました。
これは花柳界だな、金になりそうだと思うととことん追いかけて
くるが、これはいけないと見切りをつけると、手のひらを返すよう
にそっぽを向いたんだろうと。
この世界の商売だと言われればそれまででございますが…、実は
一番最後に来た手紙がございます。
それを若旦那にお見せしようと思って持って参りました。
どうぞ、お読みください。
若旦那:いいよ、今更そんなものを読まなくたって。
番頭:さようでございますか?しかし、これだけは何とかお目に掛けたい
と思いまして。
若旦那:それじゃあ番頭さん。お前さんが代わりに読んでおくれ。
番頭:さようでございますか。
ではわたくしが代読させていただきます。
たいして長い手紙ではございませんが…。
お久:再三、お手紙差し上げ候えどもご返事これ無く、この手紙にて
お越し無き時には、もはやこの世にてはお目にかかるまじく存じ上
げ候。取り急ぎあらあらかしく。
番頭:…若旦那、ご覧くださいまし。花柳界でございます。
「釣り針の ようなかしくで 客を釣り」などという事を昔から
申しますがなるほど、「あらあらかしく」の一番おしまいの文字が
こう、はね上げて釣り針のようになっております。
これが一番おしまいの手紙でございました。
これさえご承知いただければ、もう結構でございます。
どうぞ、蔵からお出ましください。
若旦那:そうかい。じゃ、出してもらおうかな。
番頭:大旦那様もお待ちかねでございます。
お湯も沸かしてありますから、まずは風呂へ。
若旦那:そりゃあありがたいね。
おとっつぁんは変わりないかい?
番頭:はい。お変わりありません。
さ、こちらへ。
語り:ひと風呂浴びて父親に挨拶し、店の者にも顔を合わせたあと、
ふと思い出したように若旦那は番頭を呼びます。
若旦那:番頭さん、ちょっといいかい?
番頭:はい、なんでございましょう?
若旦那:実は蔵に入った時にね、わたしはそこから浅草の観音様に手を
合わせて願を掛けたんだ。
「わたしが蔵に入っている間、店の商売が繁盛するように。
おとっつぁんが病気をせず身体に変わりがないように。」とね。
で、その願ほどきと言っちゃなんだけど、これから浅草の観音様
にお参りをしてきたいんだが、行ってもいいかい?
番頭:もちろんでございます。
どうぞ、お出かけ下さいまし。
若旦那:じゃ、ちょいと行ってくるよ。
語り:そう言ってぶらりと店を出た若旦那。
行く先はもちろん浅草ではなく柳橋、小久のいる置屋。
若旦那:こんにちわ、いませんか?
こんにちわ!
女中:はぁーい!
!若旦那…!
おかあさぁーん!若旦那が…!
若旦那:ああ、驚かせてすまないね。
実は…。
女将:何をバカなこと言ってるんだい。
あの方がお見えになるわけがないじゃないか…!
若旦那:おかあさん!わたしです!
女将:!!若旦那…!
若旦那:ご無沙汰してすみません。
色々とわけがありまして…。
あの、ちょっと会いたいんです。いや、詳しい話はまた後でしま
す。
お久、いますか?
今はお稽古で?それともお座敷ですか?
女将:…お上がりになって下さい。
若旦那:じゃ、ちょっとだけ。
なんだか、心配をかけたようで悪かったね。
これからまたちょいちょい来るからね。その時は頼むよ。
…?おかあさん、どこへ?
女将:奥においでになって下さい。
…どうぞ、こちらへ。
若旦那:…?おかあさん、妙なものを持ち出したね。
白木の位牌じゃないか。
女将:…あの子、こういう姿になったんです。
若旦那:…俗名・久野屋久…?
え…し、死んだ……死んだ…?ど、どうして…?
女将:どうしてと言われれば、あなたが殺したと言いたくなるじゃありま
せんか。
あなたがお見えにならなくなった日、あの子とあなた、お芝居に
おいでになる約束をしていたでしょう。
若旦那:!え、ええ、歌舞伎に行くって…!
女将:まぁあの寝坊な子がね、朝早くから起きて鏡の前に座り込んでいる
から、久ちゃん、そんなに朝早くから顔をはたいたってしょうが
ないじゃない。まだずいぶん時間があるよ。
って言ったんです。そしたら、
お久:でも、若旦那がいつお見えになるか分からないから、
せめて顔だけでもこしらえておきたくて。
女将:そう言って聞かなかった。
ところが11時になってもお見えがない。
お久:かあさん、序幕が始まってしまうわ。
女将:なに言ってるんだい。まだ一時間もあるじゃないか。
十二時になってもお見えがない。
お久:かあさん、私、序幕が見たかったのに。若旦那はどうしたのかしら
。
女将:そうこうしているうちに一時、まだお見えがない。
お久:かあさん、わたし心配だから、若旦那の所へ手紙を書いてもいいか
しら。
女将:そりゃあね、こういう所からお店へ手紙を出すのはいけない事くら
い分かってますよ。
分かってますけどね、あの時のあの子とあなたの間にそんな事を
言ったら、まるであたしが割って邪魔をするような、そんな形に
なりますからね。
手紙を書いて若い衆に持ってってもらいました。
そしたら若旦那は遠くに出かけているというじゃありませんか。
手紙は番頭さんに渡したと。
夕方になってもう一本書いて出したけれど、返事は同じでした。
お久:かあさん、どうしたのかしら若旦那。
女将:どうしたんだろう、どうしたんだろうってその日は言い暮らしまし
た。
あくる日になるとあたしが寝ている枕元へ来て、
お久:かあさん、手紙を書いてもいいかしら。
女将:まあその日はね、書き直し書き直しって、一日中手紙ばかり書いて
おりましたよ。
またあくる日になると、
お久:かあさん、わたし若旦那に捨てられたのかしら。
若旦那はわたしの事捨てたのかしら。
女将:何をバカな事を言ってるんだい。
そんな事があるわけないじゃないか。
そう言って励ましたけれど、そのうち化粧もしなくなりました。
若旦那:…ッ…。
女将:風呂も入らず、髪も結わなくなりました。
果ては床に患いついてしまいました。
女将:お久ちゃん、しっかりしてくれなくちゃ困るよ。
お前だけが頼りなんだからね。
お久:かあさん…わたし、若旦那に嫌われてまで生きていたくないの。
女将:そう言われた時に、あたしもなんて慰めていいか、慰める言葉が
見つからなかった。
若旦那:あ…あぁ…。
女将:そして、あの子が亡くなる日でした。
あなたが誂えてくだすったお三味線が出来てきたんです。
お久ちゃんごらん。
若旦那がこしらえてくれたお三味線が届いたよ。
胴掛けをごらん。
お前と若旦那の紋が比翼になってるだろう?
それを見たら、あの子が少し笑ったんです。
お久:かあさん、わたし、そのお三味線が弾きたい。
女将:【だんだん堪えきれなくなって泣きながら】
…もうね、弾きたいって言ったって、体を起こす力がどこにもない
んですよ。
女中に手伝わせて後ろから抱え起こして、あたしが三味線の調子を
合わせてバチを持たせたんです。
ひとバチ、しゃんと当てたきり…体が痛いから、横にしてと……
それっきり、それっきりでした………。
若旦那:【両手をついて】
おかあさん…すいませんでした…!ちっとも知らなかった…!
そうと知ってれば、わたしは蔵を蹴破ってでも表へ出てきたのに
…!
女将:?なんですか、その、蔵を蹴破ってと言うのは…?
若旦那:家族親族一同や番頭から、店の金にまで手を付けた仕置きだと、
百日の間、蔵に押し込められて蔵住まいをしていたんです。
女将:あなたが、蔵住まい…!
まあ、そうだったんですか。
それじゃ、いくらあの子が手紙を出したってあなたに届く気遣いは
がありませんよ。縁がなかったんですかね…。
そうですか…あなたもご苦労をなすっていたんですね…。
実は今日は、あの子の三七日なんです。
さっきお友達が来てお線香をあげていってくれました。
あなたも仏様の前で、ご供養ですから一杯呑んでってやってくださ
いまし。
若旦那:…いただきます…。
呑ましてください…!
女将:お仲、お銚子の支度をしておくれ。
それとお仏壇にお線香をあげてちょうだい。
あの三味線をお仏壇の前へ横にして。
女中:おかあさん、支度が出来ました。
女将:そうかい。じゃ、こっちへ持っておいで。
若旦那、あたしがお酌いたします。
若旦那:じゃあ…この大きいのに注いでください。
女将:そんな大きなものでよろしいんですか?
若旦那:ええ、これでやります。
女将:分かりました。
さ、どうぞ…。
若旦那:いただきます。
【泣きながら吞んでいるので途中でむせる】
うぅっごほっ、ごほっ!
げほっげほっ!
【※もし地唄黒髪の曲があるならここから鳴らす】
若旦那:!!おかあさん…三味線が、ひとりでに鳴ってる…!
女将:あの子が…あなたの好きな黒髪を弾いています…。
若旦那:お久…すまなかったね…。
それほどまでにわたしの事を想ってくれているとは、今の今まで
ちっとも知らなかった。
堪忍してくれ…!
これからわたしは生涯、女房と名の付くものは決して持たないか
ら、それでどうかわたしの事は許しておくれ…。
女将:【泣きそうになりながら】
お久ちゃん、聞いたかい?今の若旦那のおっしゃった優しい言葉を
。今の言葉をお土産に、綺麗なところへ行ってちょうだいね…。
【※ここで黒髪の音がフェードアウト】
若旦那:…おかあさん…三味線が止んだ…。
やめないでくれ…その先を聞かしてくれ…!
もっとその先を聞きたい…!!
女将:若旦那…もういけませんわ。
若旦那:どうして…!?
女将:ごらんなさい、お仏壇のお線香が立ち切りました。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
柳家小三治(十代目)
三笑亭可楽(八代目)
※用語解説
・たちきり
本演目の題名。
他にもたち切り、立ち切れ線香、たち切れとも呼ぶ。
もともと上方の演目だったが、後に江戸落語に輸入される。
上方落語の中で特に神聖視されている演目で、今でこそ中堅どころが挑戦
することも多いが、かつては「大師匠」レベルの落語家でないと高座に
掛けることを許されず、お囃子方も協力してくれなかったという。
書籍においても「大ネタ中の大ネタ、難物中の難物」と記されている。
くすぐりが少なく、かつ悲劇的になりすぎないように演じる必要があり、
高い技量が要求されるためである。
・炭焼き
木材を窯の中で蒸し焼きにして炭(木炭)を生産する技術、
またはその仕事のことで、材料の準備から窯の火入れ、数日間の管理、
炭の取り出しまで、職人の経験と勘が重要な仕事。
・フカ
サメ(鮫)の俗称で、特に大型のサメを指すことが多く、関西地方を中心
に西日本で広く使われる呼び名。
・寄合
人々が特定の目的のために集まること、またはその集まりを指す。
現代では単なる会合や話し合いを意味しますが、歴史的には中世の村の
自治組織(惣)の評議会や、江戸時代の旗本(寄合席)の家格、鎌倉幕府
の重要政策を審議した合議体(寄合衆)など、様々な歴史的・社会的な
集まりの名称として使われてきた。
・遠くて近きは男女の仲
男女の仲は、一見すると縁がなさそうに見えても、意外なきっかけで
結ばれやすいという意味のことわざ。
・わりない仲
道理では計り知れないほど非常に親密で密接な関係を指す言葉。
特に男女間の熱々で深い結びつきを表し、辞書的意味は「理が通じない」
「無分別」「無理」といったマイナスな意味もあるものの、現代では
「親密」「アツアツ」「蜜月」といったポジティブな意味で使われる。
・柳橋
江戸時代から花街として栄えた場所。
落語界ではよく出てくる名所のひとつ。
・花柳界
花街とも。芸妓・舞妓がお座敷で芸や歓談を披露する「お茶屋」や
「置屋」が集まる地域を指す。
・おかあさん
置屋の女将さんを呼ぶ時は「おかあさん」と必ず呼ぶ。芸者や花魁、花街
の人達からもそう呼ばれる。
遊廓の見世の男衆である妓夫はどんなに歳をとっても「若い衆」、
見世の女連中をまとめる遣り手は「おばさん」、また、花魁や芸者の先輩
は「おねえさん」と言う。
・胴掛け
主に三味線の胴(本体)に装着する布製や皮製の覆いのことで、演奏時に
右腕が胴に直接触れるのを防ぎ、音色を調整する役割がある。
・お前と若旦那の紋が比翼になっている
江戸中期に庶民の間で流行した家紋で、相思相愛の男女がお互いの家紋を
組み合わせてつけた紋のことを言う。二つ紋とも。
・三七日
人が死んで21日目、三週間後のことを指す。
・地唄黒髪
三味線のしっとりした謡。「黒髪の 結ぼれたる 思いには 解けて寝た
夜の 枕とて 独り寝る夜の仇枕 袖は片敷く妻じゃと云うて愚痴な女子
の心も知らず しんと更けたる鐘の声 昨夜の夢の今朝覚めて 床し懐か
しやるせなや積もると知らで 積もる白雪」。
地唄の中で、最も愛されている曲の一つだそうである。




