第44話『沈黙の夜』
俺たちは夜が明けた街を、亡霊のような足取りで歩いていた。
禁書庫から持ち出した初代勇者の日記はレオンが魔法で複製し、原本は元の場所に戻しておいた。俺たちの侵入は、誰にも気づかれていないはずだ。
だが、俺たちの心には決して消えない大きな爪痕が深く刻み込まれていた。
宿屋に戻っても、誰も一言も口を開かなかった。
アリアは自室にこもってしまった。
レオンは黙って窓の外を眺めている。
ポポロはグリを抱きしめたまま、小さな椅子の上でうとうとしていた。
俺はただ、テーブルの木目を意味もなく指でなぞっていた。
魔王の正体。世界の真実。
その事実はあまりにも重すぎて、俺たちの日常をあっけなく軋ませてしまった。
【神託】:……これからどうすんだよ
【神託】:魔王を倒すのが俺たちの娯楽だったはずなのに
【神託】:その魔王が、元は俺たちが応援してた勇者だったとか……後味悪すぎだろ
【神託】:知恵の神オーディン:我々もまた試されているのかもしれんな。この物語の結末をどう見届けるべきか、を。
神々の言葉も、どこか哲学じみていた。
彼らもまた、ただの観客ではいられないという事実に気づき始めているのかもしれない。
だが、それがなんだと言うんだ。
今さら後悔したところで、佐藤拓也の人生は戻ってこない。
その日の夜。
俺は一人、宿屋の屋根裏部屋で、焚き火代わりに小さなランプの火を見つめていた。
眠れなかった。
目を閉じると日記に書かれていた、初代勇者の絶望の言葉が脳裏に蘇ってくる。
仲間を失い、神々に裏切られ、それでも世界を解放するためにたった一人で魔王になった男。
俺は彼を、倒せるのか?
倒すべきなのか?
もし俺が、彼の悲願を手伝うとしたら。
それは神々への完全な裏切り行為になる。
俺は【祝福】も【恩寵】も、二度と受け取れなくなるだろう。
スキルも使えず、ただの人間に戻る。
いや、それだけでは済まないかもしれない。
神々の怒りを買えば【呪詛】によって、生かさず殺されずの永遠の苦しみを味わうことになるかもしれない。
だが、もし俺が、今まで通り勇者を続けるとしたら。
それは佐藤拓也の悲痛な願いを踏みにじることになる。
彼の絶望を知りながら、俺は神々の望むままに彼を殺すのだ。
サーカスのピエロとして、最高のクライマックスを演じるのだ。
そんなこと、俺にできるのか?
どっちを選んでも地獄だった。
正しい答えなんて、どこにもない。
ランプの炎が、ゆらりと揺れた。
その炎の形が一瞬、泣いている男の顔に見えた。
佐藤拓也の顔だったのかもしれない。
いや、あるいはどっちつかずで何も決められない、今の俺自身の顔だったのかもしれない。
「……何を、悩んでいるんだ?」
不意に背後から声がした。
俺は、はっとして振り向いた。
そこに立っていたのはアリアだった。
彼女は鎧を脱ぎ、ラフなシャツ姿だった。その顔にはいつものような厳しさはなく、ただ深い苦悩の色が浮かんでいた。
「……眠れないのか」
「そっちこそ」
彼女は俺の隣に静かに腰を下ろした。
しばらく二人で、黙ってランプの炎を見つめる。
やがて彼女が、ぽつりと呟いた。
「……私は、どうすればいいか分からない」
それは弱音だった。
鉄の女騎士である彼女が、初めて見せた弱さだった。
「私が信じてきた正義は、私の騎士道は、魔王を討つことだった。だが、その魔王が元は世界を救おうとした勇者だったのなら……私の剣は、どこに向けられるべきなのだ?」
俺は答えられなかった。
俺自身が、その答えを探しているのだから。
「……なあ、ケンタ」
彼女が初めて俺を呼び捨てにした。
「お前は……どうしたい?」
彼女は俺に、答えを求めてきた。
俺がこのパーティのリーダーだから。
俺が勇者だから。
俺は彼女のまっすぐな目から、逃げることはできなかった。
沈黙の夜。
俺は自分の心に、深く、深く問いかけ続けていた。
第44話を更新しました。
重い真実を知った後の、静かな、沈黙に満ちた回でした。
パーティのメンバーそれぞれが、自分たちの無力さや、信じてきたものの揺らぎと向き合っています。
そして、眠れない夜の、ケンタとアリアの対話。
いつもは気丈なアリアが、初めて見せた弱さ。
彼女もまた、一人の人間として、深く悩んでいるのですね。
「貴様は……どうしたい?」
アリアからのこの問いは、ケンタに、リーダーとしての、そして一人の人間としての、決断を迫ります。
もう、誰かに流されたり、ごまかしたりすることは、許されない。
この長い沈黙の夜を経て、ケンタは、どんな答えを見つけ出すのでしょうか。
次回、彼を試すかのように、あの人物が、再び現れます。
お読みいただき、ありがとうございました。




