第29話『アリアの悪夢 ~継げなかった剣~』
ここは、どこだ。
さっきまで私は、ケンタ殿たちと霧の森を……。
だが今、私が立っているのは見慣れた場所だった。
我が家、エルシュタイン家の剣術道場。
ひんやりとした木の床の感触。
壁に掲げられた歴代当主の肖像画。
そして、道場の中央に立つ威圧的な背中。
父上……。
「……何をしておる、アリア。木剣を構えんか」
父の厳格な声が響く。
私はまだ幼かった。
十歳にも満たない少女だった。
だが、その手には不釣り合いなほど重い木剣が握らされていた。
私の目の前には二人の兄が立っている。
彼らもまた私と同じように、木剣を構えていた。
「よいか。我がエルシュタイン家に伝わる王家流剣術は、ただの力業ではない。
速さ、重さ、そして何よりも気高さが求められる。
そのすべてを兼ね備えた者だけが、我が家の剣を継ぐことを許されるのだ」
父の言葉。
それは私にとって、聖書の言葉よりも重かった。
私は誰よりも稽古に打ち込んだ。
男である兄たちに負けたくなかった。
いや、違う。
私はただ、父に褒めてもらいたかったのだ。
「よくやったな、アリア」と、その大きな手で頭を撫でてほしかったのだ。
稽古は過酷を極めた。
豆が潰れ血が滲んでも、私は木剣を振り続けた。
やがて私の剣は、兄たちを凌駕し始めた。
速さも、技の切れも、誰にも負けなかった。
だが。
父は決して私を認めようとはしなかった。
「……アリア。お前の剣は軽い」
試合で兄に圧勝した私に、父はそう言い放った。
「技はあっても、そこにはエルシュタイン家の剣士としての覚悟がない。
お前は女だ。
女に、我が家の剣は継げぬ」
その一言が。
私のすべてを否定した。
私の血の滲むような努力を。
私のささやかな願いを。
すべて、無に帰した。
「……なぜですか、父上!」
私は叫んだ。
「なぜ女だというだけで認められないのですか! 私の剣は兄上たちよりも強いはずです!」
「黙れ!」
父の怒声が道場に響き渡る。
幻影の父が、私に詰め寄ってくる。
その目は冷たい軽蔑の色を浮かべていた。
「お前のような出来損ないはエルシュタイン家の恥だ。
騎士になることなど、お前には到底不可能なのだ。
諦めろ。
そして二度と私の前に、その汚らわしい剣を向けるな」
違う。
違う。
私はもう、あの頃の私ではない。
私は仲間を得て、自分の意志で剣を振るっている。
私は、勇者ケンタの剣なのだ。
そう言い返したいのに。
声が出ない。
体が動かない。
父の幻影の圧倒的な威圧感の前に、私は再びあの頃の無力な少女に戻ってしまっていた。
涙が頬を伝う。
私はただ震えながら、立ち尽くすことしかできなかった。
(現実世界ではアリアは涙を流しながら、剣の切っ先を虚空に向けたまま硬直している)
「……やめろ、アリア! そいつは偽物だ!」
ケンタ殿の声が遠くに聞こえる。
だがその声は、私には届かない。
私の世界にはもう、この絶望的な道場と、私を永遠に認めようとしない父の幻影しか存在しなかった。




