第21話『宿屋の天井』
宿屋の一番安い屋根裏部屋。
俺はあの一件以来、ずっとそのカビ臭い部屋のベッドに倒れ込んでいた。
体が動かない。鉛のように重いのは【呪詛】状態のせいだけじゃない。心がひどく疲れていた。
天井の汚いシミをただぼうっと眺める。
あのシミは、何の形に見えるだろうか。雲か? いや、俺を嘲笑う誰かの顔か。
そんなどうでもいいことを延々と考えていた。
コンコン、とドアがノックされる。
「ケンタ殿、夕食の時間だ。下に降りてこい」
アリアの声だ。
俺は返事をしなかった。
食堂に降りていく勇気がまだ出なかったからだ。
昨夜、彼女が俺をかばってくれたあの言葉が耳の奥で蘇る。
『彼は勇者だ』
その信頼に、今の俺は応えられない。
どんな顔をして会えばいい?
俺は何も言えず、ただ息を殺した。
やがて彼女の足音は静かに遠ざかっていった。
すまない、アリア。
でも、もう少しだけ一人にさせてくれ。
俺は、この絶望を自分一人の力で少しでも受け止めなければならないんだ。
【神託】:まだ引きこもってんのか
【神託】:アリア、あんなに庇ってくれたのにな
【神託】:まあ、気持ちは分からんでもないけど
神託を見る気力もなく、俺はいつの間にか浅い眠りに落ちていた。
夢を見た。
暗くて冷たい場所。俺の前に、あの気の抜けた顔の女神イリスが現れた。
「やあ、勇者様。ずいぶんとお疲れのご様子で。顔色、サイアクだよ」
「……イリス……? なんで、ここに……」
「あんまりにも無様だから、心配で見に来てあげたのよ。感謝しなさいよね。……で、まだ自分の状況、分かってない感じ?」
イリスが指を鳴らすと、俺の目の前に半透明のウィンドウが現れた。
そこには、上向きの金色の矢印【祝福】と、下向きの紫色の矢印【呪詛】が描かれた天秤のような図が表示されている。
今、その天秤は紫の皿が地面につくほど大きく傾いていた。
「いい? よく聞きなさいよ、新人配信者クン。あんたの力はね、この天秤で決まるの」
彼女は金色の皿を指差した。
「神様たちが、あんたの冒険を見て『面白い!』『最高!』って興奮すると、【祝福】っていうプラスの評価がこっちの皿に乗る。これが溜まると、あんたの基本能力が上がったり、スキルにボーナスがついたりする。いわゆる『バフ』ってやつね。オークキングを倒した時みたいに、超すごい【祝福】が集まると、たまーに奇跡(アイテム付与)が起きたりもする」
次に、イリスは地面についている紫の皿を、つまらなさそうに靴の先で蹴った。
「で、問題はこっち。あんたが神様たちを『不快にさせた』『ガッカリさせた』時。そうすると、【呪詛】っていうマイナスの評価がこっちの皿に乗っかるわけ。あんたがやったグリフォンの一件はまさにそれ。最悪のタイミングで、最悪の視聴者感情を煽っちゃった」
彼女の言葉は淡々としていた。だが、それが逆に俺の心を抉った。
「この【呪詛】の皿が【祝福】の皿よりずーっと重くなると、今のあんたみたいに【呪詛】状態っていう『デバフ』がかかる。あんたが弱くなったのは、祈力がマイナスになった『から』じゃない。神様たちからの評価がマイナスになった『罰』なの。祈力のマイナスは、その罰についてくるオマケみたいなもの。元々の祈力が多くなかったからマイナスになっただけ」
「分かる? 結局あんたの価値は、この天秤がどっちに傾いてるか、それだけ。神様たちの気分次第ってこと。さあ、どうするの? このまま評価ダダ下がりのクソチャンネル(人生)のまま、終わる?」
彼女は心底楽しそうに笑っていた。
俺の絶望が、彼女にとっても最高の娯楽なのだ。
俺は何も言い返せなかった。
以前の俺なら、その言葉に完全に心を折られていただろう。
だが、今の俺の心にはアリアがともしてくれた小さな灯りがあった。
―――私は、お前を信じる。
いや、あれは違うな。
―――私の仲間を侮辱するな。
そうだ。あの時の、あの言葉だ。
俺はイリスの嘲笑を正面から受け止めた。
そして、ただ静かに心の中で呟いた。
終わるもんか。
俺を信じてくれる仲間がまだいる限り。
そこで目が覚めた。
部屋はもう真っ暗だった。窓の外から月の光が差し込んでいる。
夢の内容がやけに生々しく頭に残っている。
俺はゆっくりと体を起こした。
そして、またベッドに倒れ込んだ。
天井のシミが、やっぱり俺を嘲笑っているように見えた。
だが、そのシミのさらに向こう側。
暗闇の中に、小さな光が見えた気がした。
まだだ。
まだ、俺は終われない。
俺はそう思った。
静かに瞳を閉じた。
第21話を更新しました。
ケンタ、本格的に引きこもりモードです。
心が折れてしまった時って、本当に何も手につかなくなりますよね。
ただただ、天井のシミを眺めて時間が過ぎていく。そんな、彼の無気力な状態を描写してみました。
そして、夢の中でのイリス様によるシステム解説講座。
これで、【祝福】と【呪詛】の仕組みが、読者の皆様にもお分かりいただけたかと思います。
しかし、イリス様、本当に性格が……(笑)。
絶望のどん底で、生きる気力すら失いかけているケンタ。
仲間たちも、彼にどう接すればいいか、戸惑っているようです。
このまま、彼の物語は終わってしまうのか。
それとも、彼を再び立ち上がらせる、何かがあるのか。
次回、小さな来訪者が、彼の部屋を訪れます。
読んでいただき、ありがとうございました。




