9 王子への聞き取り
アドラータに話を聞いた翌日。
生徒会の目安箱に、新たな投書があった。
『ラウルスは5年生のアラヴィス・プルーブンと身体の関係を結んでいる。
彼女の姉が王宮の侍女であることを知り、言うことを聞かなければ姉を馘首すると脅したものである。
アラヴィス・プルーブンは妊娠した模様。
しかしラウルスは彼女を捨て、新たにアドラータに言い寄っている。
アラヴィス・プルーブンの憔悴と心労は察するに余りある。
ラウルスへの処罰を切に希望する』
「…………とんでもない投書だ」
読んだ役員たちは、あまりの内容に絶句している。
「これ、本当だと思う?」
「僕は同じクラスなんだけど、確かに最近、アラヴィス嬢の表情が暗いように思う。
心ここにあらず、みたいな」
「アラヴィス嬢って美人だったよな。殿下が一時つきまとっていたけど、最近はアドラータに夢中だから接触してない。
……でも裏で二股かけていた、とか?」
「あの殿下ならやりかねない。
ローリック、プルーブン家って南方の貴族だっけ?」
「うん。南方辺境伯の分家筋に当たる。
貴族としての格は低いけれど、代々辺境伯の重臣を務めていて、現当主は辺境伯の懐刀と言われている。
その令嬢に手を出すって、プルーブン家だけじゃなくて辺境伯一族全体に喧嘩を売ってるようなものだぞ。
殿下は馬鹿なのか?」
「今頃気づいたのか?」
あまりのことに、王族への不敬に気づく余裕もない。
「会長、これは先生方には?」
「……報告せざるを得ないでしょう」
マオロも深刻な顔をしている。
「事実無根であればそれでよし、もし妊娠云々が本当なら隠しておけるものではありません。最悪命にも関わります。
ただ報告するにしても、先に殿下と話をして事実かどうか確かめておきたい。
今回ばかりはメリッサ先生は抜きで話し合います。
生徒同士の方が本音を引き出せるでしょうから」
問題のラウルスを呼び出した放課後。
長テーブルを置いてもなお余る広い部屋で、マオロは何か呟きながらうろうろと歩き回っていた。
ノーティムはラウルスを迎えに行っている。
他の生徒会役員は着席しているが、重苦しい顔でマオロを見ている。
彼は2度も『殺しましょう』発言をしているのだ。
皆はラウルスとマオロの直接対決に嫌な予感しかしていない。
見かねたスクルーブが声をかけた。
「会長、落ち着いてください」
「何がですか? 僕はいつでも落ち着いていますよ?
そうそう、思い出しました」
おもむろに壁際に行くと、木箱の中に収められていた柄の長い小斧を取り出した。
火事の際に、窓や扉を壊して脱出するのに使う非常用の斧である。
取り出した斧で素振りを始めた。
「「何をやってるんですか!?」」
「何故か突然、非常用脱出装備の動作確認をしたくなりました」
「いや絶対殿下の頭をかち割ろうとしてるでしょ!
やめてください本当に!!」
みんなの頼れるツッコミ係スクルーブが立ち上がったタイミングで。
「ラウルス殿下がいらっしゃいました」
ノックの音がしたのち、ノーティムとラウルスが入室してきた。
「……って何をしているんですか!?」
生徒会室の中で、眼鏡の美形生徒会長がキメ顔で斧を素振りしているのである。どう好意的に見ても狂人だし実際に狂人だ。
不満げな表情だったラウルスも、異様な光景を見て顔が引きつっている。
「あ、いやこれはちょっと非常用装備の使い勝手を確認していて!」
なぜかマオロの代わりに言い訳をするスクルーブ。
それを尻目にマオロは斧を片付けると、
「わざわざご足労いただき感謝いたします。
どうぞ、そちらにお掛けください。
まずはお茶をどうぞ」
「あ、ああ……」
何事もなかったかのように椅子を勧めた。
ラウルスも彼の奇行に恐怖を感じたのか、素直にマオロと対面する位置の椅子に腰掛けた。ノーティムもラウルスの左隣に座る。
「……それで?
わざわざ私を呼びつけたのはどういうことだ」
お茶を飲むのもそこそこに、立ち直ったラウルスが強気に尋ねてきた。
「それは無論、他でもありません。
殿下は婚約者がいらっしゃるにも関わらず、複数の容姿端麗な女生徒に、礼節を越えた接触を図っておられます。
特に現在は、2年生のアドラータ・ログウィー嬢に」
言われたラウルスが、美しい顔を不機嫌にしかめる。
「それは、君たちにも先生方にも飽きるほど聞かされている。
礼節を越えたとは心外だ」
「どうも殿下と我々とでは、礼節の概念に差があるようですが……。
話は少々変わりますが、アドラータ嬢の郵便受けに手紙を入れられたことはおありですか?」
「例の、剃刀を送りつけた話か?
もちろん私ではないし、郵便を使ったこともない。手紙を渡す時は本人にこっそり渡すかロッカーに……って何を言わせる」
「剃刀が送られた前日は、遅くまでアドラータ嬢といらっしゃったとか」
「そうだな、門限ぎりぎりだったと記憶している」
「この件について、何か思い当たることはおありですか?」
「いいや? 私には関係ない話だからな」
『いや明らかにお前のせいで起こった事件だろう』。
役員全員が、胡乱な眼差しでラウルスを見た。
「これは本来、僕たち生徒の関与する埒を越えた話なのですが。
生徒会室前の投書箱に、穏やかでない手紙が入っていました。
ラウルス殿下が、とある女生徒と、すでに一線を越えておられると」
「……何の話だ」
「名前は伏せますが、とある女生徒です。
その投書によると、妊娠の可能性もあると……」
ラウルスの視線がわずかに揺らいだ。
「お心当たりが?」
「そんなもの! 私とは限らないだろう!
妊娠するほどふしだらな女なら、他に何人も男と関係しているに違いない!」
「他に、ということは、少なくともあなたは関係を持ったとお認めになる」
「そ、それは……」
周囲の、特に女性陣の軽蔑の眼差しを受けて、さすがにきまり悪そうにみじろぎする。
「た、確かにアラヴィスから身籠ったかもしれないと……。
だが、妊娠したから結婚してくれなど! 私の妃の地位を狙って嘘をついているに違いない!
そうだ、アドラータ嬢に手紙を送ったのはアラヴィスではないか? 醜い嫉妬から嫌がらせを……」
マオロは女生徒の名前を言っていないのに、ラウルスは投書の内容と同じ『アラヴィス』と言っている。
役員たちの視線がさらに冷たいものになる。
「手紙については何とも言えませんが。
しかし純潔を捧げるほどなのですから、その相手と結婚を望むのは当然だと思いますが。
ましてや子供ができたのであれば、子供を婚外子にするわけにはいきません。父親が必要です。
そもそも結婚という責任が取れないなら、なぜそういう関係になるのですか」
「別に問題はないだろう? よくある話だ。高位貴族の娘ではない。
しょせん爵位もない家の、下級の地主貴族の娘なんだ。何とでもなる」
最悪の空気である。
我慢できずにローリックが立ち上がった。
「下級貴族だからいい、という話ではありません!
上級貴族にしてはいけないことは、誰に対してもしてはいけないんです!」
頰を紅潮させて叫ぶローリックを、ラウルスが冷たい目で見る。
「君、何という名だ?」
「は? ……ローリック・コータムズ。紋章官の息子ですが」
「知らん家名だな。爵位も持たぬ下級貴族の分際で、王族たる私に対等な口を聞くんじゃない。
同じ学園に通っているからといって勘違いするな」
続いてマオロへと視線を流す。
「君もだ。
父親こそ公爵という高貴な身分だが、所詮君は三男。いずれ野に下って自分で金を稼がねばならない、ただの一貴族に過ぎない。
完璧令息だか何だか知らんが、この私に差し出がましい真似をするな。
さもないと、君の将来は暗いものとなるぞ」
マオロは醒めた目で、ラウルスを見返す。
「苦言がお気に召しませんか?
生憎と、君主の言葉を全肯定しているようでは臣下など務まりません。
国と民のために常に考え、過ちがあると判断すれば君主にも諫言する。それが僕たちのするべき奉仕です。
それが分からない者に統治者の資格はありません」
きっぱりと言い切るマオロを、ラウルスが憎々しげににらみつける。
「他の女性たちに心奪われるということは、ユーティルフェ嬢がお気に召さないご様子。
ならば、婚約の解消をなさればいいではありませんか? 婚約はあくまでも結婚の約束に過ぎないのですから。
お相手が身籠られたことが本当なら、それは充分理由になります。
その上で、その女性と結婚すれば彼女の名誉も守られる」
「それに何のメリットがある?」
ラウルスが、侮蔑の目でマオロを見た。
「ユーティルフェの家は、選帝侯とも呼ばれる有力諸侯の1つだぞ?
他の選帝侯には、私と同世代の女子はいない。
次々代の王となるためには、あれと結婚するより他にない。下級貴族の娘との結婚など問題外だ」
マオロの目がさらに冷え冷えとしたものになる。
もちろん他の役員たちもだが。
「……なるほど。
ユーティルフェ嬢との結婚が、ご自分の利益になることは理解しておられる。
ならばなおのこと、不貞が許されないとは思われないのですか?」
「ユーティルフェを見れば分かるだろう!? あの醜く、気の利かない、陰気な女を。
公爵の娘なら、もっと美しく愛嬌があって当然だろう?
何であんなハズレの女と結婚しなければならないのだ!
結婚はしてやるが、美しい女たちという慰めがなければ到底耐えられない!
私が哀れだとは思わないのか!?」
マオロが無言で立ち上がった。
物凄い無表情だったが、憤怒を通り越して瞋恚の念が感じ取れる。
「ひっ!?」
ラウルスが、傲岸な態度から一転して情けない悲鳴を上げる。
マオロが流れるように、どこからともなく白手袋の片方を取り出した。
そのままラウルスに向かってそれを振り上げ──。
「「うわあああぁぁぁぁ!?」」
役員たちからも悲鳴が上がる。
咄嗟に、マオロの両隣に座っていた2人が彼にしがみついた。2人がかりで手袋を持つ右腕をつかんで、投げようとする動きを邪魔する。
飛んでいった手袋は狙いを大きく外れ、ラウルスとは明後日の方向の、長テーブルの端に落ちた。
マオロはラウルスに決闘を申し込むつもりだ。
手袋が彼かその足元に当たれば、申し込みが成立する。
現在は禁止令が出ているものの、貴族にとって決闘は神聖にして絶対的なものだ。成立すれば、どちらかの死は避けられなくなってしまう。
マオロがもう片方の手袋を取り出した。
「殿下を! 殿下を外に出せ!!」
ローリックがマオロにしがみつきながら、机を挟んで反対側の役員たちに絶叫した。
カルキアも慌てて入り口に駆け寄って扉を開け、ラウルスの方を見る。
「な、なんだ!?」
「いいから外へ!!」
まだ状況が分かっていないラウルスの腕を、隣のスクルーブがつかんで立たせる。
反対の隣に座っていたノーティムも立ち上がり、急いでマオロの正面に割って入って、ラウルスをかばった。
マオロがしがみついている役員たちを見下ろした。
激怒しているとは言え、彼は生粋の紳士である。
女性を力ずくで振り払うようなことはしない。
「離してください」
「やめろ!!
お前が決闘騒ぎを起こせば、ユーティルフェ嬢とお前の仲が疑われる!
彼女の不名誉になるぞ!!」
礼儀も何もない切羽詰まった叫びに、皆が愕然として2人を見る。
ラウルスまでが呆気に取られてこちらを見ていた。
「っ………………」
マオロの顔に、苦痛と悔しさの色が走る。
手袋をつかんだ右手が、だらりと下りた。
その隙に、ノーティムとスクルーブがラウルスの身体を抱え、引きずるように扉へ向かう。
カルキアが急いで扉を閉め、万一にも手袋が当たらないようにする。
「ふ、不敬だぞ、不敬……!
私は王子だぞ! 王子と知って──」
引きずりだされるラウルスの声が遠ざかっていった。
この騒動の結果。
『完璧令息』ことマオロ・ペルフェクティ。
彼は王族の一員に対して決闘を申し込もうとしたため、無期限の停学となった。
また、『騒ぎの間接的な原因となったことに責任を感じる』として、ユーティルフェも寮を引き払って休学した。
登場人物一覧
マオロ・ペルフェクティ
『完璧令息』とも呼ばれる眼鏡イケメン生徒会長。
タイトルにもなっている人なのに、ここでまさかの退場。
ラウルス
王太子の息子で王の孫。
女性問題がシャレにならなくなっている。
ローリック・コータムズ
生徒会役員。
家名は紋章を意味する英語 coat of arms より。
他にも役員はいますが省略。